3-3. 怪我がもたらす真実(3)

          *

 ――また、眠ってた。

 意識の浮上とともに、ショウはそれを認識する。

 目を開けても側にユウキの姿はなかった。まだ食事から戻っていないのだろう。だとすれば、これまでで最短の目覚めかもしれない。体力の回復を実感し、ショウはひそかに喜んだ。

 この調子ならあと二、三日したら宿を出てもいいかもしれない。これまでと同じペースでは歩けないだろうが、それこそ歩かなければ体力も戻らない。

 調子に乗って、体を起こしてみる。両腕に体重をかけすぎないように気をつけながら体を起こすと、腹筋がきしむように痛んだ。これは絶対あの男のせいだ、と不敵な顔をした遊離隊長ゆうりたいちょうを思い出す。

 遊離隊長といえば、あの男は意味深なことを言っていた。どうせ復讐するのだろう、と。その言葉が真実だとしたら、まだショウたちが知らない事実が残されていることになる。

 正直、戸惑いのほうが大きい。これ以上まだ何かがあると言われても、もう容易に知りたいなどとは口にできなかった。

 ましてや――。

 そのとき、ドアが前触れもなく開いた。ショウは思考を中断し、入り口へと顔を向ける。

 そこにいたのはユウキだった。普段、ノックをしてから入ってくるユウキが、ノックも忘れ、入り口で真っ青な顔をして俯いている。ショウが声をかけると、必死に何かを伝えようと口を開いたが、それは十分な言葉にはならず、代わりにその瞳から一筋だけ涙がこぼれ落ちた。その瞬間、ショウはそのしずくから目が離せなくなった。

 気づけばショウは立ち上がっていた。体中が軋んで痛みを主張するが構わなかった。得も言われぬ焦燥感に胸を焼かれる。何か重大なことが起こったのだと、本能的に理解していた。

 駆け寄るとユウキがしがみついてきた。その珍しい行動にさらに焦りが募る。ショウはユウキが壊れてしまうのではないかという恐怖に襲われた。必死にユウキをなだめ、壊れないように優しく腕の中に包み込む。

 それから間もなくユウキは意識を手放した。

 正直ほっとした。あのまま、声なく泣き続けるユウキなどとても見ていられなかった。

 ショウは意識を失ったユウキをベッドに寝かせ、部屋を出る。食堂を見下ろすことのできる階段まで行って、階下の空気がおかしいことに気づいた。やはり何かあったのだとショウは確信を深める。

 食堂ではちょうど二人の男が店の外へと連れて行かれるところだった。一人は意識を失い、もう一人は迷惑そうに連行されている。そして、それに続いて他の客も次々と外へ出ていく。

「くそ、もうおしまいだ。こんなとこに居合わせちまったばかりに」

 吐き捨てるように一人の男が言うと、別の男が動揺したようにその男の肩を揺さぶる。

「ふ、ふざけるな。俺らは関係ねぇ! そうだろ! なぁ!」

「ありゃ駄目だって。諦めろ」

 男は容赦なく切って捨てた。だがそこに、また別の男がすがりつく。

「そんな。い、嫌だ。死にたくない。妻がいるんだ。まだ幼い子どもも」

「んなこと知ってるつーの」

「あぁ、愛しい妻よ、君を残していく僕をどうか許してくれ」

「うるせぇ、黙れボケ」

 最後尾にいる三人組が、大仰おおぎょうな身振りと共にそんなやり取りをしていた。

 諦念ていねんを見せる男、八つ当たりする男、そして悲嘆にくれる男、反応は三者三様だが、その根底にある感情はすべて同じ。絶望だ。まさに死に直面しているということがわかるやりとりだった。

 先ほどのユウキの反応と合わせて考えれば、ここで誰かが制約を破って風捕りのことを口にしたのだとわかるが、問題はその先だ。風捕りの何について言ったら、ユウキがあんな状態におちいるというのだろうか。

 急いで彼らを追いかけなければと足を踏み出し、ふと気づく。

 出入り口に向かっている者たちの他にもまだ客が残っていた。食堂の隅でうずくまる女性と介抱をする女性。蹲っているほうの女性は何やらうわ言を呟いているようだった。

「……り…て……」

「アイネ、駄目、駄目よ。あなたは何も聞かなかったの」

 一方の女性が必死にその言葉を止めさせようとしている。だが、アイネと呼ばれた女性は心を壊してしまったのか、女性の言葉に反応することなく呟き続けていた。

 ショウは外に出ていく人々を追うのはやめ、その女性たちの声が聞こえそうな位置へとさりげなく移動した。

「――ない……り一族……な…風捕り……」

 その中に風捕りという単語を拾いショウは顔を強張らせた。何度も何度も注意深く聞けば、この女性が「風捕り狩りなんてしてない。風捕り一族なんて知らない。風捕りなんて最初からいなかった」と繰り返しているのがわかる。

 ――風捕り狩り。

 嫌な想像が頭に浮かんだ。

 先ほどユウキは言っていた。「いない」、「みんな殺されちゃった」と。そこから風捕り狩りがどのようなものであるか、ユウキがどのようなものだと理解したのかがわかった。

 ――民衆による風捕りの大量虐殺。

 ショウもまた、ユウキと同じことを想像した。

 ポロボでの風捕りの暴走をきっかけに、風捕りの名声は地に落ちた。

 戦後、町に残されていた風捕りの多くは、戦えない女性や子ども、老人だったのだろう。力のない者が相手であれば、特殊能力者でなくとも簡単に害することができる。

 シュセンに着せられた不名誉は、多くの民衆の誇りを傷つけ、その損害は人々の生活を苦しめた。その不満や怒りのけ口として、力のない風捕りたちは目を付けられてしまったに違いない。

 怒りにまかせて一人でも殺してしまえば、あとはなし崩しになる。

 私刑の正当性を証明するために、生じてしまった不都合を隠すために、そして何より、生き残った風捕りによる復讐を恐れて、最後の一人までを殺さずにはいられなかっただろう。

 これは、サシエに限らず、どの町でも起こりうることだった。そして、すべての町で同様の事態が生じていたとしたら――風捕りの生存は絶望的だ。

 ショウはおのれを呪った。

 自分が怪我をして、ここから動けなくならなければ。せめてユウキとともにこの場にいることができたなら。そしたら、ユウキが傷つく前に耳を塞ぐことだってできたかもしれなかった。

 だが、後悔したところで時は戻らない。ショウはそっと部屋へと戻り、真っ青な顔で意識を失っているユウキの側につく。

 休もう、そうユウキに言った言葉に偽りはない。

 これまでだって、ユウキの知りたくないような情報ばかりだった。そこに今回、とどめのようにもたらされたのは風捕り狩りというできごと。これは風捕りに対する恨みが狂気に変貌へんぼうした事例だ。これ自体は風捕りの非によるものではなかったが、その根底にはポロボでの風捕りの暴走がある。

 ユウキに責任など欠片もない。けれど、同じ風捕りとして、もしかしたら最後かもしれない風捕りとして、責任を感じずにはいられなかったのだろう。

 だから、風捕り狩りを行った民衆に対して怒れなかった。自分は関係ないのだと無視することができなかった。

 そして何より、自分以外誰も生き残っていないかもしれないこと、両親も生きていないだろうことが、ユウキの逃げ道を絶った。

 ユウキはたった一人で生きていかなくてはならない。

 存在しないはずの風捕りという特殊能力を持って、存在しないはずの風捕りに怯える人々の中で。

 状況を改善するために動くにしても、頼れる仲間はいない。

 何事もなかったかのように暮らすにしても、知ってしまった事実は消えない。

 ユウキはこれからの日々を、頼れる仲間もなく、存在を否定されながら生きていかなくてはならない。

 声をあげて泣けないユウキ。その痛々しい姿が瞼から離れなかった。

「――ユウキ。誰もいない場所に行こうか」

 目を閉じてもなお苦しげな表情ユウキに、ショウはそっと声をかけた。

 これまでユウキと交わした数々の会話から酒場の与太話まで、ありとあらゆる記憶を掘り返し、ショウは頭の中に地図を描く。


 その場所がユウキの救いの地となることを祈って。

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