2-2. 必要な会話(2)

          *

 ユウキは弓を片手に、気配を消して林の中を歩いていた。狩りをするなら、本当はわなを張っておくのが一番なのだが、旅の途中ともなるとそうはいかない。幸いユウキは弓が得意だ。けもののいる森や林があるなら、かなりの高確率で仕留しとめることができた。

 そのユウキが持つ弓は腰丈にも満たない小さなものだった。小さい分、距離は飛ばないがこういった木々の多い林では小回りがいて便利だ。

 極北の地に暮らしていた頃、ユウキはよくジャンと狩りに行った。罠を仕掛けたり、ジャンがった獣を運ぶ手伝いをしたり――。

 ただ、銃だけは絶対に触らせてくれなかった。それでも、小さなユウキは自分も役に立ちたくて、獣を獲りたくて、小さいながらに色々と考えて、そして自分で弓を作ったのだ。

 まともな弓が出来上がるまでには時間がかかり、さらにそれを使えるようになるまでにはもっと時間がかかった。ジャンは何も言わずただじっと見守ってくれていた。

 苦労は山ほどあったが、おかげでこの逃亡生活にあっても十分な食べ物を得ることができている。食料の心配をしなくていいことだけがこの旅の救いだった。

 だが、今日に限っては具合が違った。獲物を見かけることも少なければ、ねらった矢はことごとくはずれ、いつまでたっても獲物は得られない。

 自然と耳に手が伸びた。心が弱るとついそこに手を伸ばしてしまう。だが、その手が目的の物に触れることはなく、ユウキは肩を落とした。

 フードの下からこぼれる短いくせっ毛の中に、ユウキがずっとつけていた真珠の耳飾りはない。ジャンからもらったそれはユウキの心の支えであったが、旅をするにあたって少年の恰好かっこうに着替え、その際、女性物の耳飾りは鞄に仕舞しまわざるを得なかった。

 ため息を一つこぼして、再び茂みに身を隠す。そしてじっと待っていると再び獲物が現れた。

 耳のとがった小さな獣は下草を揺らしながら移動していた。ユウキのいる茂みからは十メートルも離れていない。ユウキは息をらしてつるを引いた。

  ギシッ

 弓のきしむ音がする。その音に反応して獣が足を止めた。

 その瞬間が狙い目だった。ユウキはすかさず矢をはなつ。

  バフッ

 鈍い音がして矢が突き刺さった。だが、獣はカサコソと音を立てて去って行く。

 矢はまとを外し地面に刺さっただけだった。普段のユウキであれば外すはずのない距離にもかかわらず――。

「駄目、か」

 矢を回収してため息をつく。

 きっと心の中の不安が隠せていないのだろう。心の揺らぎは弦に伝わり、的を外す。こういったときは原因を取り除くまで、どんなにねばったところで獲れはしない。

 やはり何もかもうまくいかない日というのはあるのだ。こういう日は早々にあきらめて野営地に戻るべきなのだろうが……。

 ユウキはしばらくふらふらと林の中を歩いた。林の冷たい空気が、秋の訪れを告げている。シュセンの秋は短い。すぐに長い冬がやってくるだろう。

 ユウキは足を止めると木のみきに背を持たれかけ、空を見上げた。

 ショウはもう落ち着いただろうか。それともまだ立ち直れずにいるだろうか。

 本当は、もっと早くに気づけたんじゃないかと思う。自分の価値など風捕りの能力者であることしかなかったし、ショウは助けに来た時に「市場で見かけて」と言っていた。その時からこの結末は見えていたはずだった。

 ――ショウの理由がただ金儲けに利用したいとか、そういう軽い理由だったらよかったのに。

 先ほどのショウの愕然がくぜんとした表情を思い出す。壊れたように笑い出し、そして落ち込むそのさまは正直怖いくらいだった。

 ショウはユウキを見つけた瞬間、どれほど歓喜したことだろう。そして、ユウキが何も知らないと知ってどれほどショックを受けたことだろう。

 持ち上げて落とすとはまさにこのことだ。ユウキが意識してしたことではないが、ショウはそれこそ絶望のふちへと落とされたように感じたに違いない。こうならないためにも、ユウキは初めに、自分は何も知らないのだと伝えておかなければならなかった。 

 今さら悔いたところで仕方ない。ショウという味方を失っても、ユウキの逃亡生活は続くのだから。

 マカベはおそらくあきらめないだろう。マカベは富豪で、商家であるから旅慣れた家人も多い。追おうと思えば地の果てまででも追えるだけの財力と人材を持っている。

 だから、いつかは捕まる。ユウキに逃げ場などないことはわかっていた。

「――もう、やだ」

 あきらめてしまおうか、そんな思いがぎる。頑張る理由も、頑張れるだけの体力もユウキには残っていなかった。

 物音に怯えながらの旅はユウキの神経をすり減らした。歩くのも街道ばかりではなく、道なき道を行くことも多く、体力もすぐに底をついた。夜は不安と悲しみ――寂しさとで十分に眠れず、ショウがいなければとっくに足を止めていた。

「おじいちゃん、会いたいよ……」

 頑固で頑固で頑固で、毎日言い合いばかりしていたけれど、時々見せる不器用な優しさを思い出し、ユウキの胸が締め付けられる。めったに笑顔を見せることのなかったジャンだけれど、いかめしい顔の裏でユウキをいつくしんでくれていたことを知っている。

 わかってはいるのだ。今、ジャンのあとを追ったら、ジャンはきっと口をきいてくれない。目も合わせず、あたかもそこに誰もいないかのように振る舞うだろう。ジャンはそういう人だ。

「それは…やだな……」

 気づけば、空は群青に染まっていた。そこに、一つ二つと星のきらめきが見え始める。ユウキは幹から背を離し、重い足取りで野営地へと戻った。

 真っ先に目に入ってきたのはたき火の明かり。ユウキは茫然ぼうぜんと足を止めた。

「……どうして」

 野営地ではショウが火を起こして待っていた。そのショウはユウキの言葉を耳で拾っていぶかしげな顔を見せる。

「どうして、まだいるの?」

「ど、どうしてって……今日はここで野営するって話だっただろ?」

 戸惑った様子でショウが答える。ユウキはぶるぶると首を振った。

「そうじゃない。だって、私、ショウが知りたいことを知らないんだよ。それに、まだ追われているんでしょ? ショウにとって私は役立たずどころかお荷物でしかないのに」

「それで俺がいなくなってると思ったのか」

 そんなことあるわけないだろうと笑って、ユウキにもっとそばに来るように言う。

「さっきは悪かった。少し動揺してて。ユウキが何も知らなかったのは残念だけど、それだけだよ。これまでだって何の手がかりもない中で結構無茶やってきたし、何も変わらない。むしろ、町を出るきっかけを、もう一度本気で探すきっかけを作ってくれたことを感謝をしてるくらいなんだ」

 ユウキはそっと視線を落とした。そう言えるショウがまぶしく見えた。ショウはさらに言いつのる。

「ユウキ。ユウキが知らなかったのはユウキのせいじゃないだろ? あんな態度取った俺が言っても説得力ないかもしれないけど、落ち込まないでくれ。ユウキが責任を感じるようなことじゃない」

 それはユウキを気遣う言葉であって、ショウの本心ではない。ショウはおそらく責任を感じてしまっているのだろう。ユウキを連れ出さなければ、ユウキもこんな逃亡生活など送らずに済んだだろうに、と。その一方で思っているはずだ。もっと早くユウキが伝えていれば、こんな危険はおかさなかったのに、と――。

 その時、ショウがふいに目を見開いた。何事かとその視線を追って、それがユウキの手元に向いていることに気づく。

「どうした、珍しいな。獲れなかったのか?」

「あ……ごめ――」

「じゃあ携帯食を温めよう。大丈夫、ユウキのおかげで数は十分残ってるから」

 そして、まるで何事もなかったかのように食事の支度を始める。ユウキはそんなショウをただ突っ立って見ていることしかできなかった。


 その夜、火の番を交代してしばらく、ショウが寝入ったのを見計らってユウキは立ち上がった。静かに荷物をまとめてその場を離れる。

 苦労するのは自分一人でいいと思った。ショウとの旅はそれなりに楽しくあったけれど、もしマカベの思わせぶりな言葉が追われている原因であるなら、ショウを巻き込んではいけないと思った。

 元々、早い段階でショウからも逃げるつもりでいた。それが今だったと言うだけだ。

 そう、ただそれだけのこと――。


 ユウキは一度だけ振り返り、そして暗い林の中へと足を踏み出した。

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