2-1. 陰謀と策略(2)

          *

 王城の奥の回廊かいろうでは、所々に幅が広く、中庭側にふくらんでいる箇所があった。それは主人に付き添ってやってきた従者たちが待機するための場所だった。中に入れば離れた所からは見えず、主人や目上の者たちの目も汚さない。

 昼間はにぎわうこの場所も夜になると途端に人影が失せる。政務を行う区域に近いこの場所に、夜の来客はほとんどなかった。

 だが、誰もいないはずのそこから低い男の声が漏れ聞こえていた。

「ご足労いただきましてありがとうございます」

 使用人のような出で立ちをした男が深々と頭を下げる。その向かいに立つのは、派手な飾りがあしらわれた臙脂えんじの制服を着た男だ。制服から警察隊の男だとわかる。やや丸みを帯びた体が、現場から退いて長いことを示している。

「いや、構わんよ。今日はどうされた」

「例の件でお話をと思いまして」

 使用人風の男が答えると、途端に警察隊の男が不機嫌になった。

「その話か……。軍部に持っていったほうがよいのでは? 我輩ではな」

「いえ。私どもが頼れるのは、治安局幹部に席を持つ貴方様を置いて他にございません」

 はっきりとそう告げれば、警察隊の男はまんざらでもなさそうな顔になる。

「う、うむ。ならば仕方ないな。……だが、まだ早いのではないか? 幹部たちでさえ後ろ向きである今、いかに我輩であっても難しいぞ」

「えぇ。ですからこうして参ったのです」

「と申すと?」

「一商家として、便宜べんぎをはかって頂くための献上品をお持ちいたしました」

「うん?」

 自信ありげに言う使用人風の男――商家の男に反して、警察隊の男の反応は鈍い。

 こういったやり取りは、両者の立場からすると、よし悪しはともかく、おかしな話ではない。にもかかわらず、警察隊の男は怪訝そうな顔を返した。

「……我輩にか?」

「いえ、御察しの通りにございます。軍部長官のナダ殿に、こちらを」

 商家の男は塗り物の箱を開け、中身を見せる。そこには古びた巾着が一つ入っていた。

 警察隊の男が手に取ると、ざらざらと音がした。小さなものが複数入っているとわかる音だ。だが重さはほとんどなく、それが献上品の定番の物でないことは明らかだった。男は戸惑いながら中身を確認する。

「なんだこれは」

 訝しむ警察隊の男に、商家の男はにんまりと笑って耳打ちする。途端に警察隊の男の顔色が変わった。

「なんと! では風捕…っ」

 警察隊の男は慌てて口をふさぐ。男はひどく動揺していた。

「こ、この作り手はそなたらのところか?」

「はい。我が家で保護しております」

「そう、か……。まったく、何というものを持ち込むのだ……」

 ようやく落ち着いた様子でそうこぼした。

「ですが、これをお渡しすれば、軍部長官殿も動かれます。何せあの方は――」

「ん? 長官がなんだ?」

「いえ。長官殿も貴方様を評価なさるかと。これで出世は決まったも同然です。いかがでしょう? 引き受けて下さいますか?」

「これをただ渡せばいいのか? その者のことはどうする?」

「お伝えする必要はございません。――いえ、むしろ伝えずにいていただきたく」

 警察隊の男があごをさすりながら思案する。

「まあ、よい。そなたらの頼みなら断れぬからな。引き受けよう」

 言葉とは裏腹に機嫌よく警察隊の男は頷いた。

 と、その時、廊下から軽い足音がした。商家の男は息をひそめ、耳をそばだてる。その足音はこの場所の少し手前で止まった。まだ姿は見えない。

 商家の男は警察隊の男に目配せをした。もし目撃されるようなら、取り込むなり、始末するなりしなければならない。

「……さま」

 聞こえたのはか細い少年の声。それは商家の男の知る声だった。

 商家の男は息を吐き、肩の力を抜く。

「こちらへ」

「はい。かしこまりました」

 幼さの残る声が答え、やがてその姿が現れる。

「来てはならぬと言い置いていたはずですが。――つけられてはいませんね?」

「申し訳ございません。はい、ご指示通りに参りましたので大丈夫かと」

「この者は?」

 ここまで黙って様子を見ていた警察隊の男が口を開く。

「申し訳ございません。うちの家の者にございます。留守番を申し付けていたのですが……」

「ふむ。――お前、言いつけを破って来たからには何か火急の用があったのであろう? 構わぬから申せ」

 その言葉は使いの少年へと向けられていた。少年は恐縮きょうしゅくしつつ口を開く。

「ありがたく存じます。実はチハルから知らせがこざいまして、その……保護していた娘が脱走してしまったと……」

 商家の男は深々とため息をついた。

「……ここでそれを言いますか」

 小声で漏らされた言葉の中に非難を読み取り、少年が慌てて頭を下げる。

「え、あ……も、申し訳ありません!」

「――いえ、構いません。このお方に隠し立てするつもりはありませんでしたから。それで、その手紙は持ってきていますか」

「はい! こちらに」

 商家の男は手紙に目を通すと、一度、眉をひそめ、すぐに表情を改めた。それから警察隊の男へと顔を向ける。

「申し訳ございませんが、事情が変わったようです。人手をお借り出来ますでしょうか」

「それは構わんが……、その娘というのは何だ?」

「逃げ出したこの娘こそ、先ほどお渡しした物の作り手にございます」

「何!?」

 警察隊の男がこれまでで一番の驚きを見せる。

「馬鹿な。娘だと? 二十か? 三十か?」

 三十歳を娘と呼ぶかどうかはともかく、警察隊の男はひどく動揺していた。

「……十代半ばといったところのようです」

 警察隊の男は絶句した。

 そんな二人をただ使いの少年だけが訳のわからぬ様子で見ている。

 やがて、警察隊の男が深々と息を吐いた。

「それは……まずいだろう。それでは報告せぬわけにはいかん」

「そこを、何とか」

「だか」

「報告してしまえば、献上品の効果が薄れてしまうやもしれません」

「む」

 警察隊の男はうなった。この男にとって出世は何よりも望むものだった。

 迷う警察隊の男に、商家の男はさらに言いつのる。

「私どもは貴方様にすがるしかございません。どうかお力を」

 商家の男が深々と頭を下げ、使いの少年も慌てて頭を下げる。

「わ、わかった。我輩がなんとかしよう。ぬしらは朗報を――」

 そのときばっと商家の男が後ろを振り返った。そして恐る恐る廊下へと顔を出す。

 そこには等間隔に設置された明かりが点々と続くだけでほかに何もない。

「どうされた」

 警察隊の男もまた同じように廊下へと顔を出した。

「人がいたような気がしたのですが」

「まさか。こんな深夜に出歩く者はおらんよ。巡回もまだしばらく後だ。風か鼠か……なに、気にすることはない」

 商家の男は確かに物音がしたと感じたが何の姿もとらえられなかった。神経が過敏になっているのかもしれないと自分を納得させ首を振る。

「えぇ、そのようです。では、この件、何卒なにとぞよろしくお頼み申します」

 こうして商家の男と警察隊の男との密談は終了した。

 後は誰にも見咎みとがめられずに城を出れば商家の男の仕事はひとまず完了だった。


          *

 商家の男が顔をのぞかせた廊下。その音の正体は、風でも鼠でもなく、一人の青年だった。先ほど散策――もとい徘徊はいかいしていた青年だ。

 青年は明かりと明かりのほんのわずかな暗闇に身を潜め、ずっと盗み聞きしていた。

 音はわざと立てた。そうすれば顔を出すかもしれないと思ったからだ。

 案の定、商家の男と警察隊の男は顔を覗かせ、おかげで青年はその顔を確認できた。

「ありゃ誰だっけな。見たことはあんだけどなぁ」

 しばらく思案するものの思い出せなかったらしく、青年は首を振り、男たちの去った廊下を逆の方向へと歩いていった。

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