2-5. 書を守る者(1)

          *

「首都の方がきな臭い動きしてんなー」

 どーすっかなー、と体をそらせて天井をあおいだのは、ウンガに滞在中のスイセイだ。スイセイは宿屋の一室を占拠し、臨時の執務室を立ち上げていた。

 スイセイが手にしているのは首都に残してきた留守番組からの定期報告書だった。その報告自体は普段と変わらず問題なし。ただし、その文末には普段は書かれていない記載者からの「いたわり」の言葉がつづられている。


 ――首都では乾いた風に枯草が揺らされているようです。水の豊かなウンガの地ではいかがでしょうか。体調にはくれぐれもお気をつけくださるようお願い申し上げます。


 いくつか符丁ふちょうを織り交ぜてはいるが、この送り主も詳しいことはわかっていないのだろう。具体的なことまでは述べられていない。だが、スイセイの元に届いている報告はこれだけではなかった。全ての情報を総合してみれば何が起っているかは大よそつかめる。

 いつものスイセイであればすぐさま引っ掻き回しに参戦するのだが、今は別の遊びの最中だった。本気でこの遊びを楽しむのなら、他のことには手を出さない方がいい。

「けど、あっちも多分、期待して待ってるだろうしなー」

 期待には応えるべきだよな、と勝手な言い分を掲げる――が、厄介な遊離隊に対してそんな期待をする者など当然いなかった。

 が、そんなことには構わずスイセイは決めてしまう。よし、軽く悪戯いたずらしてこよう、とうきうきとした様子でペンを手に取った。とその時、不意に目の前に人の気配が生じる。

「また恐ろしいことをたくらんでいらっしゃるようですね」

 耳に馴染む声にスイセイは顔を上げ、目をぱちぱちとさせた。

 ここはスイセイのために用意させた部屋だ。基本的に立ち入りが許されているのは臨時の副官であるトウマだけだが――。

「――ヤマキ」

 スイセイの死角をって現れたのだろう。隠密行動の得意なヤマキならではの出現方法だった。身構えている時や戦場ならともかく、日常生活の中でやられるとスイセイといえども気づけない。

「副隊長にはそのままトウマを。それで問題ありません」

 ヤマキは挨拶すら割愛かつあいし、すぐに要件に移った。差し出された筒状に丸められた紙を受け取り開くと、それは副隊長の任命書だった。

 遊離隊の副隊長は代々、治安局の幹部が決定する。任命権は隊長であるスイセイにあることになっているが形だけだった。

 その理由は簡単で、国内外どちらの荒事にも介入できる権限を持っている遊離隊が警戒されているためだった。副隊長はいわば遊離隊のお目付け役である。余計なことをしないよう、そしていざという時は迅速じんぞくに情報を流せるよう、治安局幹部の息のかかった者が送り込まれている、というのが現状だった。

 だからこそスイセイは感心する。まだ若く、スイセイを抑えるのに十分な力を持っているとは言い難いトウマが治安局幹部に承認されたという事実は意外でしかなかった。

「へぇ」

 目をすがめてヤマキを見る。問題ないといったヤマキの言葉、そして承認した治安局の幹部たち。そこに隠されたそれぞれの目論みを探る。

 確かにトウマの家系は軍人の家系であるから、幹部が情報を引き出しやすいと考えたことはわかる。だが、果たしてそれだけだろうか。そしてそこにヤマキの思惑は含まれているのだろうか。ヤマキがスイセイの知るヤマキであるなら、さりげなく幹部の決定の中に自分の意向を含めることくらい簡単にやってのける。

 おもしろい、とスイセイは思った。こんな読み切れないことをされたのは久しぶりだった。

「それで、何を企んでらしたのですか?」

「んだよ。もう用は済んだだろ。とっとと出ていけ」

「わざわざ任命書を持ってきて差し上げたというのに冷たいですね」

「頼んでないからな。――あぁ、そうか。悪かったな、気づいてやれなくて。それでお前はどうなった?」

 ほんの一拍間を置いて、ヤマキがものすごく嫌そうに顔を歪めた。

「誰もそんなこと求めてません」

「いやいやいや、遠慮すんなって。聞いてほしかったんだろ、新しい配属先」

「誰が遠慮などするものですか。絶対に言いませんからね。あなたに利用されるとわかっていて言うはずないでしょう」

「えー。なんだ、つまんねぇの」

「あなたという人は……。帰ります」

「はいはい。一番上の引き出しは後で見とくぜ。お疲れさん」

 ヤマキは一度振り返りスイセイをにらむと無言で出て行った。

 センリョウからウンガまではそれなりの距離がある。任命書ごときのためにわざわざ足を運ぶはずがなかった。おそらくこっちが本命なのだろう。スイセイはそれにはすぐに手を伸ばさずに再び天井を仰ぐ。

「風捕り、ね」

 誰もいなくなった部屋で、口の中だけでつぶやいた。

 実のところスイセイは少しだけ知っていた。学生時代、度胸試しとしょうして上級生がスイセイのところに来て話して聞かせてくれたことがある。話を聞き終わるまではそれで何故度胸試しになるのかわからなかったが、聞いていけばある程度の推測はできた。といっても臆病な彼らは十分な情報はくれなかったが。

 一人目は風捕りという特殊能力があること、二人目は風捕りが禁句となっていること、三人目は話したことにしてくれと頼みこんできただけで何も言わず、四人目は特殊能力部隊にいることを教えてくれた。その先輩たちの学年より遅い生まれの者に対しては決して教えてはいけないという決まりがあることもわかった。

「そういや、あの先輩たち今どうしてっかなぁ」

 あのあと先輩たちはすぐに卒業だったはずだ。学校という小さな社会を出てしまえばよほど仲が良いわけでもなければ連絡など取らない。

「にしても、あやしすぎるだろ、こんなの。――ま、見てみれば、わかるか」

 スイセイはヤマキからの届け物が風捕りについての情報だと確信していた。


          *

 ヤマキと入れ違うようにして訪れたのはトウマだ。トウマは部屋に入るなりいぶかしげに見回した。

「誰かいらっしゃいました……?」

 困惑気味に言ったトウマにスイセイは心の中で及第点を与える。あのヤマキがいた気配をわずかでも感じ取れる人物は遊離隊の中でも片手ほどしかいない。

「いんや。それより、どうした?」

「はい。先日の少年についての調べが完了したようです」

「――ようやく来たか」

 待ちに待った報告だった。スイセイはその手紙を受け取るとすぐさま目を走らせる。一方のトウマは直立不動でスイセイが読み終わるのを待っていた。

「へぇ。センリョウのヤガミ家のご子息だと。なんだ、家出息子か。……くっ、こりゃまた、おもしれぇ経歴だな。まったく何してんだか」

「貴族の少年ということですか? それはまたどうして」

 トウマも疑問に思ったのか思わず口に出す。

「家出の理由までは書いてねぇな」

「そうですか……。それで、彼らは?」

 手紙には少年が長期滞在したことのある町が複数挙げられていた。それを一つずつ目で辿たどり、絞り込む。

「――ヤエだ」

 トウマの瞳が獲物を狙うかのように光った。少年の身元がわかり、居場所がわかった。となればあとは遊離隊にとって難しいことなど何もない。

 だが、それでは面白くない。それでは自分がわざわざあの警察隊の男を誘導してまでこの仕事を引き受けた意味がない。

「待て、トウマ」

 すぐにでも飛び出して行きそうなトウマを引き止めて思案する。

「ヤエっていうと、その辺にいるのは――」

「三班と八班です。三班が港町ツヅナミに、八班はヤエの南、山間やまあい街道を張っています」

「んじゃ、三班のほうがいいな」

「そう……でしょうか。八班のほうが近いですよ?」

 トウマが困惑したように進言する。

 この場合は距離の問題ではなく方角の問題だった。三班が動けば南が空く。もし二人が別の方向に逃げたとしても最終的には南に足を向けることになるだろう。

「構わん。これは隊長命令ってことで」

「了解です」

 スイセイの狙いにトウマは気づかない。だが、それでよかった。トウマ越しにこちらを覗き見ているやつらにはもう少しおとなしくしていてもらいたい。

「では、三班に捕縛指示を出します。それでよろしいですか?」

「いんや、捕縛はしねーよ。やるのはあぶり出すところまでだ。方法はわかるな?」

「炙り出す? って、まさか!」

 トウマは目を見開いた。それから、何かを言おうと口を中途半端に開け閉めする。

「……それは……マカベ家がけた手段ですよね? やってしまっていいのでしょうか?」

「あぁ、気にしなくていい。やれ」

 スイセイが断言すると、トウマの表情が一気に引き締まった。

「了解しました」

 トウマはピシッと敬礼し、受諾した。

「それで、隊長はいかがされますか?」

「別行動する。お前も好きにしていい」

「はい。……って、え? それは、ちょっと」

「異論は受けつけん。下がれ」

 スイセイは手をひらひらと振って、動揺しているトウマを追い払う。トウマは落ち着かない足取りでドアまで下がり、そこで一度立ち止った。

「ひとまず手配してきますが、後でお話は聞かせていただきますからね」

 意外なトウマの言葉にスイセイは目を見張る。まるでヤマキの言葉のようで、スイセイは苦笑を漏らした。

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