2-2. 必要な会話(1)

          *

 高い樹木の林を突っ切るように、街道は東へと延びていた。ショウたちもまたその林へと足を踏み入れる。

 林の中の道は特徴的だ。長年にわたり人に踏まれ、雨水に削られたことで、道は深くえぐられ、道脇の地面が肩の高さと等しくなるくらい深い位置にあった。

 そんな道をしばらく進んだあと、ショウは二、三歩の助走をつけて道脇の土の壁に飛びついた。そして側面から飛び出していた木の根を足掛かりに、そのやや反り返ったその壁をよじ登る。

「ユウキ、手出して」

 上から声をかけ、同じように登ろうとしていたユウキの手を握った。それからユウキがちょうどいい高さの根に足をかけるのに合わせて握った手を引き、そのまま上まで引っ張り上げる。

「わっ」

 勢い余って地面に倒れ込み、ユウキが声を上げた。

「悪い。大丈夫か?」

「あ、うん。ちょっとびっくりしただけ。むしろありがとう」

 立ち上がり、服についた土をはたき落とす。そしてまたすぐに歩き出した。

 林の中は鳥と虫の声とが心地よく響いていた。その声にまぎれて小さく沢のせせらぎが聞こえる。

 沢のせせらぎはだんだんと大きくなっていった。このまま進めば沢と合流するだろう。けれどショウはその手前で足を止めた。

 ショウは今、野営地を探していた。沢まで行ってもよかったが、河原では朝晩が冷え込む。それよりは林の中の方がいいだろう。この辺りは林といっても密度が低く、火をおこしても火事の心配はない。多少開けているが安全さもまずまずだろう。

 ユウキに焚き木を集めてもらっている間に、ショウは足で地面のコケやら落ち葉やら雑草やらをこそぎ取り、場所を確保する。それが終わるとショウもまた焚き木を拾いに向かう。

「あ、ショウ! どうかな? もうちょっといる?」

 途中で両手いっぱいに小枝を抱えたユウキと出くわす。ショウは自分の拾った量を確認して頷いた。

「そうだな。もう少し」

 ユウキは一旦集めた小枝を置いて、再び近場で拾い出す。ショウもまた拾おうと腰を屈め、ふと思い立って手を止めた。

「そういえば、こういうのは風捕かぜとりの力で何とかできたりしないのか?」

 小枝くらいなら風で集められるのではないかと思った。それとも日常生活の中では特殊能力は使わないのだろうか。

「ほら、落ち葉とかも風で路地のすみに集まるだろ? あんな感じにでき――」

 途中でユウキに気を取られ言葉を忘れる。

 普段と様子の違うユウキ。ピタリと動きを止め、それからゆっくりと無感動に自分の両手を見下ろした。

「風捕りの力、ね」

 冷たいわけではないが声に感情がこもっていなかった。ショウの戸惑いはさらにつのる。

「これ、風捕りって言うんだ……」

 今度こそショウは驚いた。自分の特殊能力のことだ。呼び名くらい知っていて当然だろう。それにもかかわらず、ユウキはまるで初めて聞いたかのように言った。

「ちょ……ユウキ? ――本気か?」

「うん。知らなかった」

「おい、嘘だろ。……ん? え? 待てよ、じゃあ――」

 ちらりと視線を上げると、ユウキのそれとかさなった。

 呼び名を知らないからといって、その能力のことを知らないとは限らない。だが、呼び名を知らないということは、そういう会話をする機会や相手がなかったということだ。それではショウの知りたいことを知っている可能性は高くない。

「――期待はずれだった?」

 ユウキは無邪気とも取れる口調で尋ねた。そこにショウを責める色などないが、それでも居たたまれなくなる。ショウの期待はショウが勝手に抱いたものであって、ユウキに責任はない。だが、おそらくショウはがっかりした顔をしてしまっていたのだろう。

「あ……いや」

「ねぇ、ショウ? 私、まだ何も聞いてないよ」

 向けられたのは射抜くような真っ直ぐな眼差し。ショウは無意識に姿勢を正す。

「私、何も聞かされてない。――ショウがどうして私を助けたのか。私に、何をさせたいのか」

 マカベ家からユウキを連れ出して数日。話そうと思えば機会はいくらでもあった。にもかかわらずここまで引き延ばしてしまったのは……ショウが答えを恐れたからに他ならない。

「っと、それは……」

 ショウは答えに詰まった。まだ心の準備ができていない。

 ユウキはかさず無言でショウの答えを待っていた。その静かな眼差しが裁きを下す女神のようにも見える。

 当然、ユウキにその意図いとはない。ただショウの後ろめたさがそう見せているだけだ。むしろユウキはショウの行動理由を知りたいだけで、それが今後の身の振り方に関わるから聞いているだけに違いない。

「その、俺は、ユウキに何かさせたいとかじゃなくて……」

 焦っているショウに駆け引きをするような余裕などなかった。でなくともユウキはいつの間にかショウのふところ深くに入り込んでいて、駆け引きをしようなどと思う相手ではなくなっていた。

「里を教えて欲しいんだ。風捕り一族の住む、里の場所を」

 たったこれだけのことを口にするのに、ものすごい勇気を必要とした。それだけショウにとって重い言葉だった。もし答えが得られなかったらと思って二の足を踏んでしまうくらい、ショウにとっては重要な問題だった。

「どうしてももう一度会いたい人がいて……。けど、俺はその人がどこにいるか知らないから……ずっと探していたんだ」

 ショウがその人を探し始めてからもう何年もたってしまった。手がかりは何もない。ユウキが最後の頼みだった。

「昔さ、俺が五歳くらいまでだったかな、うちに風捕りの女の人が暮らしてたんだ。多分、病気だった母さんの治療をしていたんだと思う。でも、急にいなくなってしまって……」

 当時の自分の行動をかえりみて、唇を噛み締める。何度思い返そうとも、結末は変わらない。

「風捕りって血縁で受け継がれる能力なんだろ? それなら一族の住む場所がわかれば……たとえ本人に会えなくても居場所を知っている人がいるかもしれないから。だからっ」

 わらにもすがる思いでユウキを見た。ユウキはいつの間にか目を伏せていて、思い出そうとしているのかじっと一点を見つめている。

 この時間がとても長く感じられた。早く答えを聞きたいという思いと、恐いから答えないでくれという思いとがせめぎ合う。

 虫の声が一際ひときわ大きくなった。沢の方からの風が吹き抜けて、木々の葉がさんざめく。

「――ごめん」

 風が抜け、林が静まると同時にユウキは視線を上げた。ショウとしっかりと目線を合わせ、申し訳なさそうにわずかに顔を歪める。

「ごめん、ショウ。私はショウの知りたいことを知らない」

 先ほどのやり取りからそんな予感はしていた。けれど、実際にそうと聞かされると、思いのほか、それを受け入れられない自分がいた。

「……どうして」

「あのね、私、ひろわれっ子なの。四歳の時におじいちゃんに拾われて、それ以前の記憶は持ってない。おじいちゃんは、何かショックなことがあったんじゃないかって言ってた。捨てられたことかもしれないし、それ以外に何かあったのかもしれない。だから私は……両親の顔はもちろん、里の場所も、里の風景の一つさえ覚えてないんだ」

 旅の間、何度も話に出てきたユウキの「おじいちゃん」。ショウはてっきりジャンも風捕りなのだと思い込んでいた。だが、今の話からするとジャンとも血は繋がっていなかったということだ。

 他に家族はいなかったという。ユウキが風捕りという能力名さえ知らなかったのはそのためだ。

「ははっ、ははは……」

 ショウはひたいに手を当て、乾いた声で笑う。もう笑うしかないと思った。

 そうそう上手くいくはずないとわかっていたはずだった。何年も探し続けて見つけられなかったものが、急に見つかるなどという上手い話があるわけなかった。

 それでもこの数日の出来事は、ショウを期待させるには十分で、だからユウキをチハルから脱出させた時点で、探し人は見つかったも同然のつもりになっていた。

 ユウキは確かに風捕りの少女だった。だが、ユウキは風捕りの里を知る少女ではなかった。もしかしたらショウ以上に風捕り一族について知らない少女かもしれなかった。

 理解が追い付いてくると、なまりでもつけられたかのように気持ちが沈んだ。笑い続けることもできず、どさりと地面に座り込む。

「――ごめん、ちょっと」

「わかった。外すね。……何か獲ってくるよ」

「あぁ」

 うつむいたまま頷けば、すぐにユウキの気配が遠ざかっていった。

 ショウは両手で顔を覆い、深く深く息を吐いた。

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