1-3. 親心と私心(2)

          *


 薄暗い室内に、ただジャンの作業する音だけが響いていた。

 なめして切った革を形にする工程。位置を調整し、あな穿うがとうと手に力を込める。


 ――が、ふいに集中力が途切れた。


 ジャンは握っていた目打ちを作業台に置いた。集中力を欠いた状態で続けてもいい物はできない。

 原因を取り除かねばと部屋を見回し、目に留まったのはガタガタと音をたてる木の雨戸。

 風が強くなって来たのかもしれない。この辺りは決まって夕方になると強い風が吹く。それは特段、気にする必要のない日常のことだった。


 だが外を見たジャンはいぶかしんだ。外はまだ明るく、夕方と呼ぶには早い。

 突発的な風だったのだろうか。たとえそうだったとしても、風が強いのならユウキが心配だ。ユウキは外で遊んでいた。

 ジャンはドアへ向かうべく立ち上がり、すぐに顔を歪める。時がたつのを忘れて作業に没頭していたためか、体のあちこちが痛んだ。凝り固まった体をほぐしながら、休憩にはいいタイミングだったかもしれないと思う。


 ――ユウキと一緒にお茶にするか。


 ジャンは、他人からは近寄りがたいと言われる硬い顔を、わずかにほころばせた。



 ユウキは家のすぐ前で遊んでいた。落書きでもしているのか、しゃがんだ格好でジャンに背を向けている。


「ユウキ、風が強くなってきたみたいだからおうちの中で遊びなさい」


 ユウキはずいぶんと夢中のようだった。呼びかけ気づく気配はなく、ジャンは近づきながらさらに声をかける。


「ユウ……」

 ジャンは足を止めた。ユウキの足元にカラフルで淡い色の小さな物体が散らばっている。


 うちにこんなものあっただろうか、と目を細めたとき、ユウキがすっくと立ち上がった。

 そのユウキが真剣な表情で空を見上げる。そして大きく両手を振り上げて、円か小山を描くよう動かし始めた。その手はやがて胸の前へと戻ってきて――。


  パンッ


 音をたてて合わされた。


 まるで何か儀式をしているかのような動作だった。

 ジャンはただただ困惑する。


「ユウキ……?」

「――あっ、おじいちゃん」

 ユウキはジャンに気がつくと、嬉しそうに駆け寄ってきた。それから握っていた手のひらを広げて見せる。


 そこにあったのは半透明の乳白色の物体――小さなサイコロのようなものだった。それは砂糖をまぶした飴のようでもあった。もちろん、こんな僻地に高価な飴などがあるわけもなく、違うものだということは理解していたが。



 ジャンは先ほどまでユウキがいた場所に視線を向ける。そこに散らばるカラフルで淡い色のものもまた、ユウキの手にあるそれと同じものだった。


 ――ユウキが作ったのか?


 いくらシュセン国に特殊能力者が多いとはいえ、物を作り出すたぐいの能力は少ない。かなり珍しい特殊能力だろうとジャンは分析する。


 だが、それで終わりではなかった。

 ユウキはみてみてというように得意げにそれをかかげ、小さな指でまんでみせる。

 飴のように見えたそれは実際には柔らかさを持つもののようだ。指先に力を加えているのだろう、だんだんと形がゆがんでいく。そして、限界に達したところでパチンと弾けた――と同時に風がふわりと広がる。


 ジャンは驚愕した。あまりのタイミングのよさに、それを疑う余地などなかった。

 ふわりと広がった風。それはこのサイコロ状のものが生んだのだ。

 ジャンはゆっくりと手を伸ばし、風を手で受けてみた。直前までなかった、穏やかで暖かな風。これは夢でも幻でもない。


 その風はしばらくの間吹き続け、静かに消えていった。



 風が完全に止んでからジャンはユウキを振り返った。


「い、今のは……?」


 声がかすれた。自分で思っていた以上に動揺しているようだった。

 対するユウキは先ほどの得意げな様子もなりをひそめ、足元に落ちているそれを淡々と拾い集めている。


「ん。かぜさん」

「風さん?」

「これはたかいところの。こっちは川にいったときの。これはお花ばたけの。……おじいちゃんはどれがいい?」


 声をかけてすぐ、ジャンに駆け寄ったユウキは、拾っていたそれを両手の上に広げ、選ぶように催促する。


 ジャンは恐る恐る手を伸ばした。見た目は愛らしいが、ジャンにとっては未知のもの。特に、ジャンの周りには特殊能力者自体がほとんどおらず、どうすべきかの判断が咄嗟にはつかなかった。


「……では、これを」


 水色のものを手に取った。表面は曇りガラスのようになっていて、後ろの景色が少し透き通って見える。昔、一度だけ目にしたことのあるシーグラスのようだとジャンは思った。


 視線を感じてユウキを見ると、ユウキが期待の眼差しを向けていた。先程ユウキがしたのと同じようにしてほしいのだろう。

 ジャンは思い切って指に力を込める。するとそれはすぐに弾けた。想像していたよりあっさりと弾けたことに驚き、だがそれも束の間、ジャンを強い風がおそった。

 咄嗟にユウキを引き寄せ、ギュッと抱きしめる。

 ぶわっと勢いよく吹いた風は湿気を帯びた冷たいもので、雨戸はガタガタと、周囲の枯草もバサバサと音を立てた。

 先ほどよりしっかりとしたこの風は今度は短く、一分ほどするとぱたりとおさまった。



 背筋が震えた。自分は何かとんでもないものを拾ってしまったのではないかと思った。畏怖にも似た感情が一気に湧き上がる。


 ――いや、違う。


 ジャンは首を振った。ユウキを拾った最初の瞬間からわかっていたはずだ。ユウキには風の加護がある、と。

 驚くのもおそれるのも今さらだ。ユウキがどんな特殊能力を持っていようとも、ユウキはユウキで、ジャンの大切な孫娘に違いない。

 だが――。



 ユウキが褒めてというようにすり寄ってくる。そんなユウキの頭をなでつつ、ジャンの思考は別のところへと向かっていた。


 ユウキが風を扱う特殊能力者であることはこれで確定した。

 となれば、この特殊能力からならユウキの両親、もしくはユウキを知る人を見つけられるかもしれない。

 特殊能力は血で受け継がれるか、突然変異かのどちらかだと言われている。そして大半は血で受け継がれる能力だった。その場合、その能力からどの地域に多いかを調べることができる。

 生憎あいにくジャンは詳しくなかったが、知っている人は知っている。そういった人物に話を聞くことさえできれば、そう時間もかからずにユウキの能力を持つ一族も見つけられるはずだった。



 ユウキの両親が見つかるかもしれない。

 それはジャンにとって希望であると同時に絶望でもあった。


 ――ユウキを手放す?


 出会ってまだ数か月。だがジャンにとってユウキはすでに欠かせない存在になっていた。

 ユウキの笑顔は、ジャンに人としての生きがいを思い出させた。そしてユウキの存在は、ジャンにまだ生きていていいという許しを与えた――ようにジャンは感じていた。


 だが、もし両親が見つかったら、返さないわけにはいかないだろう。まだ幼い少女だ。ユウキだって両親に会いたいに違いない。

 ジャンは自分の本心を封じ、言葉を絞り出す。


「ユウキ、両親のところに帰りたいか……?」

「かえれない」


 ユウキは恋しがる素振りさえせず、ごく当たり前のことのように即答した。

 そのことにむしろジャンのほうが動揺した。



 その後、一度だけ同じ質問をする機会があった。

 だがユウキは自分がそう答えたことさえ覚えていなかった。

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