第2話 それぞれの夏休み

15歳になったジュリアは、背がすらりとしたスリムな美少女になっていた。相変わらず胸の膨らみが乏しいとジュリアは密かに悩んでいたが、髪はルーシーが毎日の手入れをしてくれるからか金褐色で艶やかに腰の下まで伸びている。それよりジュリアの一番の魅力は、きらきらと輝く緑色の瞳だ。


 シェフィールドのゲチスバーモンド伯爵邸のバルコニーで、ジュリアは相変わらずべったりの風の精霊マリエールと話している。


『ねぇ、ジュリア! 夏休みは緑蔭城に帰るの?』


 くるくると風を巻き起こしながらマリエールは、楽しそうに笑う。都会のシェフィールドより緑豊かな緑蔭城の方が精霊には心地好いのだ。


『ええ、師匠も夏休みはゆっくりしなさいと言って下さったから、緑蔭城でのんびりするつもりよ』


 ジュリアの腕に飛び込んできたマリエールは、嬉しそうに手を持って回る。ジュリアも、この一年の間、ずっと厳しい修行をしていたので、少し疲れを感じていた。夏休みを緑蔭城でのんびり過ごそうと、一緒に回りながら笑う。


「まぁ! ジュリア様、そんなにはしゃいで」


 厳しい家庭教師のグローブ夫人も、少しは休息が必要だと思っていたので、淑やかなレディに仕上げる手綱を少し緩める。しかし、秋には社交界デビューさせる予定なので、準備も忙しい。


「シェフィールドを発つ前にドレスの仮縫いを終わらせておきませんとね」


 くるくると回っていたジュリアは、グローブ夫人の前で立ち止まり、大きな溜め息をついた。


「ええ~! もう何着も作って頂きましたわ」


 ジュリアも若い女の子なので、綺麗なドレスは好きだ。しかし、社交界とかパーティとかには、腰が引けている。何着もドレスを作るということは、何回もパーティなどに行くということなのだ。


「さぁ、さっさと仮縫いをしないと緑蔭城に行くのが遅くなるだけですよ」


 パンパンと手を叩いて急かされて、ジュリアは渋々部屋に帰る。



 ジュリアの仮縫いの監督を終えたグローリア夫人は、サロンでホッと一息いれていた。


「ええっと、エドモント王が離宮にジュリアを寄越して欲しいと仰せなのだが……」


 年をとっても美しいグローリア夫人が眉をあげたので、伯爵は口を閉じる。


「ジュリアは秋には社交界デビューしますのよ。ゆっくりと夏を過ごせるのは今年だけですわ。あの娘に、ゲチスバーモンドの領地の説明をしなくてはいけませんわ」


 それは、その通りなのだが、もう片方の祖父であるエドモント王にも一緒に夏休みを過ごす権利もあるのだ。イオニア王国で、権力の頂点の座にあるゲチスバーモンド伯爵だが、愛しの妻には弱かった。それに、自身も長年生き別れだった孫とゆっくり夏休みを過ごしたいと思っていたのだ。


「それは、そうと……ルキアス王国のルーファス王子が精霊使いの修行を兼ねて、留学して来られるのだ。その学友としてセドリック様も一緒に留学される」


 グローリアは、まずいわぁと眉を顰める。ジュリアがお仕えしていたベーカーヒル伯爵家の若様に、ほのかな恋心を抱いていたのを危惧する。折角、見つけだした孫娘を外国になぞ嫁がせたくない。


「まぁ! それは、ジュリアもお世話になったのだから、丁重におもてなしをしなくてはいけませんわ」


 ゲチスバーモンド伯爵は、言葉だけ受けとると、とても道理にあっているが、妻が警戒レベルを上げたのに気づいた。自身も孫娘を外国に嫁がせたくないと考えているので、この件はグローリアに任せておけば大丈夫だと安堵する。独身の令嬢を厳しく監督するのも祖母の役目なのだ。



 隣国のルキアス王国の首都ヘレナでも、夏休みの支度が賑やかにされていた。領地のベーカーヒルに行く準備で使用人達は忙しくしているが、シルビアは兄のセドリックを捕まえて、何やらおねだりしている。


「お兄様は離宮に行かれるのよねぇ」


 13歳になった妹が、ルーファス王子に夢中なのにセドリックは苦笑する。兄の眼から見ても、シルビアはお洒落なヘレナでも、そうそう見かけない美少女だが、まだ幼いので社交界デビューも無理だ。


「シルビア、焦っても無駄だよ。それに、ルーファス王子の気を引きたいのはわかるが、外見だけを磨いてはいけないよ。教養を身につけて、センスある会話ができるようにならないとね」


 ルーファス王子の学友として、そして名門貴族の後取りとして、セドリックは地位に目が眩んだ令嬢達の猛プッシュを受けているので、多少の美少女では妃にはなれないとアドバイスする。


「お兄様まで酷いわ! ミリアム先生にも厳しく指導されているのよ。ご褒美に、ちょこっとでもルーファス王子と会いたいわ」


 セドリックも王族が集まる離宮では肩が凝るので、ベーカーヒル伯爵領にルーファス王子を招待しても良いと考えていた。学友として、ずっとお側に仕えるのも疲れるのだ。


「まぁ、シルビアが真面目に勉強するなら、考えておくよ」


 そんな兄弟の会話を耳にしたベーカーヒル伯爵は、相変わらず呑気な長男に溜め息をつく。自分の屋敷でメイドをしていたジュリアが精霊使いの素質を持っていたのに驚き、隣国のイオニア王国の伯爵令嬢と判明して、祖父母が迎えに来たので渡さないわけにはいかなかったのだが、惜しくて仕方ないのだ。


「ジュリアは、シェフィールドで巫女姫と呼ばれて慕われていると聞くが……」


 秋に、ルーファス王子とセドリックが精霊使いの修行をしにイオニア王国に留学するのだが、ジュリアの心を捕らえてくれたらありがたいのだがと、大きな溜め息をつく。


「まぁ、貴方? 何故、そのような大きな溜め息をついていらっしゃるの?」


 麗しいアナスタシア夫人に呆れられたが、恋愛については頼りになるだろうと、相談する。


「ジュリアをルーファス王子か息子が連れて帰ってくれると良いのだが……」


 アナスタシア夫人は、溺愛しているゲチスバーモンド伯爵夫妻が、孫娘を他国に嫁がせるとは思えなかったが、自国に精霊使いを! と願うミカエル王の気持ちを夫に説かれて、綺麗な眉をあげる。


「ジュリアはきっと綺麗な令嬢になっているでしょう。ルーファス王子や家の息子も見直すでしょうが、あちらでも巫女姫と呼ばれるジュリアを嫁にしたいと思う独身の貴族は沢山います」


 愉しそうに笑うアナスタシア夫人に、伯爵は文句を言う。


「そんなにライバルがいたら、困るではないですか? だから、貴女に相談しているのに……」


 くすくす笑いながら、だから良いのと扇子で優雅に風を送る。


「ライバルがいるからこそ、ルーファス王子も家の呑気な息子も本気になるでしょうよ」


 そんなものかなぁ、とベーカーヒル伯爵は首を傾げた。

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