第30話 ヘレナの秋

 夏が終わり、ベーカーヒル伯爵家の人々も、領地から首都ヘレナに帰った。ジュリアの精霊使いの修行は順調で、王宮では人目を引く、火の精霊サラマンドラーの実体化もできるようになった。

「ジュリアは闇の精霊の実体化だけだね」

 ルーファス王子の羨ましそうなコメントに、ジュリアは肩をすくめる。ルーファス王子は、海のウンディーネでつまずいているし、セドリックは火のサラマンドラーに火傷をさせられるところだった。

「練習するしか、ありませんよ」

 サリンジャー師の非情な言葉に、ルーファス王子とセドリックは溜め息をつく。

「秋からは、大学にも通うし、社交界シーズンだから、ジュリアと差が開いてしまうなぁ」

 呑気なルーファス王子に、セドリックはパーティーで令嬢とダンスしている場合じゃないだろうと、内心で突っ込む。

『何時まで、サリンジャー師がルキアス王国に留まっているのか、わからないんだ。イオニア王国では、捕らえられているエドモンド公を開放させようと、反乱軍は攻撃をしたと聞いているが、成功したのだろうか? そういえば、エドモンド公はジュリアの母方の祖父だな……反乱が成功すれば、国王の孫になるのか』

 セドリックは、アドルフ王が精霊使い達を強制的に使役している間は、なかなかエドモンド公の開放は難しいだろうと思ったが、巫女姫の娘ジュリアが帰国したら、精霊使い達は反乱軍に付くのでは無いかと想像して、身震いした。セドリックが、政治的な妄想をめぐらせている間にも、サリンジャー師にジュリアが質問していた。


「闇の精霊ノアールは、何をするのですか?」

 他の精霊を使った技は、簡単な説明をして貰ったこともあるが、闇の精霊については何も聞いていなかった。

「闇の精霊は、扱い方を間違えると、恐ろしい結果をもたらすことがあります。ジュリアには、まだ早いでしょう。精霊を実体化したり、簡単な技ならさせることもできますが、闇の精霊を使うには、精神の安定が不可欠なのです。もう少し、感情のコントロールができるようになってからにしましょう」

 この頃は積極的に修行しているジュリアの態度を、師匠として喜ぶべきなのだろうが、サリンジャーは何かが引っ掛かり、闇の精霊ノアールを実体化させる気にならないし、使える技も教えたくない。

 ジュリアは、自分の両親を死に追いやったアドルフ王のことが許せなかった。サリンジャーは、何となく察していたので、闇の精霊をジュリアに教える気にはなれない。



 ルーファス王子の呑気な言葉どおり、大学が始まると、精霊使いの修行は週に2日ぐらいしかできなくなった。ジュリアは王宮に行かない日は、シルビアとミリアム先生について、勉強を続けている。

「ジュリアさんは、とても勉強を頑張ってますね。シルビア様も、もう少し頑張って下さいね」

 シルビアも普通に勉強していたのだが、ジュリアほどは頑張ってはいなかった。

「ミリアム先生、イオニア王国の歴史も勉強したいのです」

 ミリアムは外国の歴史には詳しく無かったが、ベーカーヒル伯爵家の書斎には本がいっぱいあるので、許可を得て読んでみてはどうかと勧める。

「そうしてみます。お祖父様が来られるまでに、少し勉強しておきたいのです」


 伯爵の許可を貰いに、ジュリアが下に降りると、シルビアが大きな溜め息をついた。

「ジュリアはイオニア王国へ行っちゃうのかしら? お祖父様から手紙を受け取ってから、何だか凄く頑張っているけど……」

 シルビアお嬢様が、一緒に勉強したり、遊んだりしているジュリアが居なくなるのを気にしているのだと、ミリアムは苦笑する。

「さぁ、イオニア王国は内乱中ですから、連れて帰られないかも。サリンジャー師が亡命されたぐらいですから、精霊使いは住みにくいのでしょう」

 シルビアは戦争中の国に帰るのは危険だから、ジュリアはここに残るだろうと安心したが、ミリアムはどうだろうと心配する。



 ジュリアは今でも書斎に入るのは、少し緊張すると、ノックをする前に、扉の前で深呼吸する。

「伯爵、ジュリアです」

 中から、入るようにと返事があったので、ジュリアはちょっと勇気を出して、本を読んでも良いかと尋ねた。

「勿論、書斎の本を読んで良いが、どんな本を読みたいのかね?」

 伯爵は、壁の三面を取り囲む書棚から、興味のある本を探すのは大変だろうと、親切でそう聞いたのだが、ジュリアは少し言いづらく感じる。

「あのう、イオニア王国の歴史を勉強したいのです」

 伯爵は大人なので、顔には変化を出さず、書棚から本を数冊出して渡した。

「ありがとうございます」とお礼を言うジュリアに、他の本も勝手に読んで良いと許可を与えた。


『やはり、ジュリアはイオニア王国に行くのだろうか……』

 伯爵が物思いに耽っていると、夫人が書斎に顔を出した。

「まぁ、何を考えておられるの?」

 暗い顔に驚いて、側に座る。

「まぁ、考えても仕方がないことなのだが……ゲチスバーモンド伯爵は、ジュリアをイオニア王国に連れて帰られるのだろうか?」

 アンブローシアも、手紙が届いてから、それを心配していた。

「イオニア王国は、内乱が続いているのでしょう? そんな国に、連れて帰られないと思うのですけど……」

 伯爵は、夫人がその内乱が起こった切っ掛けや、旗印になっているエドモンド公、そして南部同盟の盟主ゲチスバーモンド伯爵だということを知らないのだと、溜め息をついた。

「そうですねぇ、貴女の言う通りになれば、良いのですが」

 伯爵は、夫人に心配をさせないように、詳しい事情は説明しなかった。

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