◇4



「今日は本当にありがとう」


普段から耳にする事が多く、自分も言うシンプルなお礼の言葉。そんな言葉にも胸が鳴る。


今日1日、あたしは吸血鬼ヴァンパイアのジルさんと一緒に過ごした。場所だけ伝え時間を言い忘れている事に気付いた時はどうしようかと思ったけど、ジルさんは来てくれた。それが嬉しくて。


「いえいえ、あたしも楽しかったですし、その....色々と知れてよかったです!」


「マユキちゃんは不思議だね。普通なら僕が吸血鬼ってだけで怖がって嫌がるのに」


確かに吸血鬼は怖いイメージがあったし、今もそのイメージはある。でもジルさんの様な優しい吸血鬼も存在している事を知れたあたしは幸せ者だと心から思える1日だった。


「ジルさんは怖くないですよ。今日は本当に楽しかったです!」


「───....ありがとう」


泣き出しそうにも見えたジルさんの笑顔。こんな顔で笑う事もあるんだ....。


「今日はもう遅いから送っていくよ」


「いえいえ、あたしは大丈夫ですよ!ジルさんも1日歩き回って疲れてると思いますし、今日はここで解散しましょう!」


「本当に大丈夫?」


「です!」


こうしてあたし達は解散し、夕方と夜の狭間を1人で歩いた。送ってくれるのは嬉しいし、正直お願いしたかった。もう少し一緒にいたかった。でも、あの泣き出しそうな笑顔はあたしの胸に刺さり残ってしまっている。きっとジルさんが大切にしていて、今も大切だと思ってる人の事を思い出したのだろう。

今日は本当に色々な事を知れた。吸血鬼の事も知れて、ジルさんが辛い物が苦手だったり、玉乗りピエロのビックリ箱に驚いたり、本当に人間みたいで、人間より優しくて。


「ふふふ、驚いた顔は可愛かったなぁー」


思い出して、笑って、思い出して、心が温かくなる。でも同時に胸の中は少し寒く、小さく痛む。きっとあたしはジルさんの事が好きなんだ。


「ジルさんが大切に思ってる人.....どんな人、だったのかな」


「知りたい?」


「───!?」


独り言で呟いた声に返事が、それも耳元でクスクス笑い囁く様な返事が届いた。あたしは心臓が飛び出るほど驚き振り向くも、そこには誰もいない。でも今確かに声が、


「こっちよ?こんばんは」


声に反応し振り向くと、そこには真っ白な髪をした女性が立っていた。真っ白な髪に真紅の瞳、白く光る小さなキバ。


「吸血....鬼」


「最低でもヴァンパイア、って言ってほしいわね。吸血鬼なんて下級種族の名よ」


どうして吸血鬼ヴァンパイアがここに、あたしの前に現れたのか、それも突然現れて。


「....?そんなに驚く事じゃないでしょう?だってあなた、今までヴァンパイアと一緒に居たでしょう?」


「あなたは....誰?」


「....先に自分が名乗るべきではなくて?まぁいいけど。私は真祖ヴァンパイアの王女、エリザベート・ノスフェラトゥ。お兄様がお世話になりました」


「お兄様....ジルさんの妹さん?」


「はい」


真紅の瞳が一層に紅く、ニヤリと笑う。ジルさんとは全く違う雰囲気を持つ妹のエリザベートは喉を鳴らし、ヒラリとスカートを揺らす。すると両手、指で挟む様に左右合計8本の杭が。


「おとなしく付いて来なさい、餌。少しでも私の言う事に逆らった場合、痛い思いをするわよ?」


「え、ちょっと───ッ!!?」


あたしがクチを開いた瞬間、女性は迷う事なく手を振るった。右膝から全身へ体感した事のない激痛が走り、あたしはその場に倒れた。

意味が、意味がわからない。この子はあたしをどうしたいの?この子はなに?何が目的なの?


「忠告したつもりですが、理解出来ない豚脳でしたのね。あなたは返事だけして私に付いて来なさい。わかりました?」


豚?何なの、何なのこの子。痛みの原因である右膝へ眼を向けると外側から杭が刺さり、内側まで貫通し杭は膝に残っていた。


「~~~~ッ!」


「....うるさく可愛げのない悲鳴ね。言うことも聞かず悲鳴をあげるだなんて、本当に豚は嫌い。頭で理解出来ないのなら身体に覚えさせてあげるわ」


トスッ、と音が聞こえると次は右手のひらを杭が貫通する。痛みと恐怖があたしの思考を停止させる中、あたしは4回杭を刺され意識は途切れた。





数週間前、遠くの街で起きた事件。

有名な舞台女優が突然姿を消した。以前付き合っていた恋人が疑われるも証拠が無く、騎士達は彼を逮捕する事は出来なかった。


ぼんやりとする意識の中で何故かあたしはこの事件の事を思い出すと、突然全身に冷水を浴びる。


「───!?」


「おはよう」


強制的に起こされた身体と、追い付かない脳。あたしは何が起こっているのか理解出来なかったが、眼の前で笑う白髪の女性を見て記憶が再生される。


「....ここは」


立ち上がろうとしたあたしは何かに強く引かれ、床に戻る。錆び付いた鎖で両手両足が繋がれていて、その先は床。立ち上がろうとも立ち上がる事を許されない状態。鎖と同じ質の錆び付いた牢にあたしは入れられていた。窓もなく、異臭が漂う地下牢。


ここまで理解し、やっと自分の身の危険を感じる。


「ねぇ、ここはどこ!?あたしが何をしたの!?出して、帰して!」


「うるさい豚ね」


トスッ、と音が響き太ももに刺さる杭。夢だと思っていた。あの日の事も今の状況も。でも痛みは本物だ。


「よく聞きなさい?あなたは豚よ。人間ではなく豚、家畜としてここに居るの。少しでも私に逆らえば....言葉で伝えるより見た方が早いわね」


短いツインテールを巻いた白髪をフリフリと揺らし、エリザベートと名乗った吸血鬼は何処かへ消えた。

暗く、寒く、臭く、怖いこの場所。ここはどこなの?シガーボニタにこんな地下があったの?

恐怖に支配され、鈍くなる思考で必死に考えるも、出てくるのは “怖い” の2文字だけ。

震える身体に届く、コツコツと高い足音。音が近くなり、こちらへ向かっているのが1人ではない事を知る。唸る様な声と数名の声。唸り声は性別を判断出来ないが、他数名の声は男性。


酷く錆び付いた扉が笑う様な音を吐き開く。


「お待たせ」


先程は黒いドレス姿だったエリザベートは真っ白なドレス姿で登場した。手袋も靴も、髪も真っ白。


「....、入りなさい」


扉の奥へエリザベートが呟くと、吸血鬼の男が数名、鎖を引き現れる。乱暴に鎖を引くと金髪の女性が床に倒れる。

首輪に鎖...ボロボロの足裏と至るところにあるアザ。鎖で無理矢理顔を上げさせられた女性の表情にあたしは息をのんだ。虚ろな眼、しまりないクチと垂れるヨダレ。女性の身体は小刻みに震えていた。


「この豚も人間よ。すぐ私に逆らうから、これで豚の脳を壊してあげたわ」


エリザベートは小袋に入る灰色の粉をあたしへ見せ、眼元をピクつかせ言う。


「サキュバスの角を加工して作る薬、スパイラルっていうのよ。これは若い悪魔も使用禁止」


楽しそうに呟いたエリザベートは小袋を開封し、灰色の粉を女性のクチへふりかける。

舌に粉が付着しものの数秒で女性に異変が起こった。言葉ではない声をあげ、身体を反らせ眼球がぐるりと上を向く。手足の指もピンと立ち、泡の様なモノをクチから溢れさせる。


「老害のゴミ悪魔以外には強すぎるのよね....刺激が。人間なんかに使えばこの通り、脳が死滅して快感を求めるだけの豚になる。愉快でしょう?」


女性は反った身体をピクピクと震えさせ、途切れる呼吸の中───床を汚した。


「生き物が産まれてすぐに覚える快感が、排泄する瞬間。気持ちいい事が大好きで、気持ちいい事しか考えられなくなったこの豚はね....部屋に戻すと自分で自分を慰めて、最終的には雄を欲しがるのよ。その姿を見るのが大好きで大好きで」


エリザベートは沸き上がる感情を耐える様に全身に力を入れ屈み、歪んだ笑いをあたしへ向ける。


「.....でも、もう飽きた」


呟いた直後、笑いは消え表情は冷め、スッと立ち上がり女性の髪を掴む。顔が露になりあたしはただ驚く。あたしの前で汚れ歪むこの女性は数週間前に消えた舞台女優だ....。

凛々しい表情で強い女性の役をこなしていた女性だったが、今ではその面影もなく....。


「必要ない豚は、殺処分」


鼻歌混じりにご機嫌な口調で言い放ったエリザベートは自分よりも身長が高い女性の髪を掴み上げ、片手で軽々と女性を持ち上げた。

そして右指を揃え、女性の下腹部へ右腕を突き刺した。


悲鳴と笑いが響き渡り、吹き出す血液がエリザベートのドレスを染め、下腹部に突き刺さった右腕を捻る様に動かし、引き千切る様に右腕を抜いた。女性は白目で舌を限界まで伸ばし、ビクッビクッと痙攣。エリザベートは女性を捨て、右腕に握るモノをあたしへ見せる。


「ほら見て、これが人間の子宮。プリプリで可愛いでしょう?」


子供がお菓子をもらった時に見せる笑顔をあたしへ向け、エリザベートはニッコリ笑う。あたしは知らない内に涙を長し、止められない震えが。


「私もお母様も、人間の子宮が大好きなのよね。生きている人間から引っ張り出して───」


エリザベートは女性の子宮をクチの中へ入れた。甘いお菓子を食べている子供の様に頬を染め満足げな笑み。コリコリと子宮を噛む音だけが響く。


「この豚の子宮は少し固いのね....。さて、あなたの子宮はどんな味?」



───これは───何のお話?

あたしは───夢でも見ているの?


お星さま、キラキラ。

お月さま、キラキラ。


───怖い、怖い、怖い。


紅い月が沢山、おめめ。


───コワイ、コワイ、コワイ。


剥がれる、お星さま。

貫かれる、お月さま。


───イヤ、痛い、コワイ。


キラキラ、キラキラ。


───汚い、痛い、コワイ、汚い、痛い、痛い。


紅い月が沢山、おめめ、おめめ。


───イヤ、イヤ、イヤ。


苦しい、お星さま。

貫かれる、お月さま。

何度目?何度目?何人目?

紅い涙に白い雨。

何度目?何度目?何人目?

穴が空く、お星さま。

繋がる、お星さま。

キラキラ、キラキラ。



キラキラ、キラキラ。





昨日、と言っても正確な時間もわからない。でも、昨日。

あたしの中で全部が壊れた。

痛む───。動かない身体。出ない声。閉じる事を許されないクチ。廻る視界。

今日は昨日とは違う部屋。

窓がある部屋。

黒い空に紅い雲、紅い月。

あたしは何?


「おはよう、よく眠れた?」


白い髪と紅い瞳、黒いドレスがユラユラ。


「いい格好ね。見てみなさい?」


大きな鏡、向けられる。


「....───!」


───あたしは、あたしは、イヤ、嘘でしょ?

なにこれ....イヤ、イヤ───。


鏡に映る自分の姿を見たあたしは夢から覚めた様に、地獄へ落とされた様に。

認めたくない、眼を向けたくない、嘘であってほしい。そんな現実が鏡に映った。

アザだらけの身体、でも痛むのは───。


「あ、ぐ、ぁ」


「あら?ダメよ無理に舌を引っ込めちゃ。千切れちゃうわよ?」


舌につけられたピアス。

ピアスから鎖が伸び、首輪へ繋がれていた。クチの中へ戻ろうとする舌を鎖が引き止め、無理に戻そうとすれば舌が千切れてしまう。


「沢山栄養を摂った子宮を食べてみたいの。今日も沢山栄養をもらいなさいね?」


指を鳴らすと扉の向こうから沢山の紅い眼が部屋の中へ。

あたしは涙を長し首を振った。すると、


「あら?」


あたしを見たエリザベートが困った表情で呟き───灰色の粉を取り出した。

伸びた舌に粉が降り注ぎ、電気の様な衝撃が内側からあたしを叩く。


また、また今日も。

また、また明日も。

また、また、毎日。

自分が死んでいく。

紅い瞳はとろけた視線で、今日も、明日も、明後日も、毎日毎日、あたしの中に入ってくる。


ある日は首を絞められ、ある日は指を折られ、ある日は爪を剥がされ、ある日はお腹を蹴られ、ある日は吊し上げられ、ある日は可愛いお洋服を着せられ、何度も何度も、毎日毎日、変わる紅い瞳達。


痛みも薄くなり、何をされても感覚がなくなる。


あたしが壊れていく。





霞む瞳、遠くで声が聞こえる。凄く遠くで、何かを叫ぶ様な声。起きなきゃ、起きなきゃまた灰色の粉を食べさせられる。灰色の粉....食べる。

ぼんやりと視界が広がると窓の外は毎日変わらない黒い空に紅い雲。今日の紅眼はどんな人?


「ッ....なんで、どうして」


紅眼が綺麗な粒を溢して、あたしを見る。ぼんやりとして顔が見えない。あなたは誰?

何をしましょう?何してほしい?言う事聞くから、痛くしてもいいから、苦しい事だけしないでほしいな。


「....待ってて、今コレを外してあげるから」


舌に触れる温度、今日も苦しい事なのね。苦しいのは嫌い。痛い事なら大丈夫、でも苦しい事は少しだけにして。


「外れたよ、もう痛くないよ、もう....ごめん。もっと早く知っていればこんな、こんな」


「....あ、あぁ、ん、あ」


舌がクチが自由に動く。いいの?苦しい事はしないの?


「コレ飲んで、スパイラルの効果を消す薬だから安心して」


クチの中に何かを入れられ、流し込まれる。苦しい事はイヤだけど、、、これはそんなに苦しくない。いつものよりサラサラした液体がクチから喉へと流れ込む。ぼんやりした頭がゆっくり、ゆっくり、暗くなった。



──────....、



「.....」


「おはよう、マユキちゃん」


「ん?....おはよう」


頭の芯がずっしり重い。でもどこかスッキリしている。眠い眼を擦り、重い瞼をゆっくり上げると───


「───ジルさん?」


「そうだよ、おはよう」


「なんで、え、ここ」


「落ち着いて、僕はキミを助けに来たんだ。僕は....」


あたしは今までずっと眠っていた───ワケではない。ハッキリしない意識の中でも記憶は刻まれている。エリザベートと名乗る吸血鬼があたしに杭を刺し、知らない場所の地下牢で行方不明になっていた女優さんが殺されて、吸血鬼達があたしを───。

思い出した途端に喉を上がってくる吐き気に耐えきれず、あたしは汚いモノを全て吐き出そうとする。でも、染み付いた汚れは吐き出せない。


「我慢しないで全部吐いても大丈夫だよ」


汚いあたしの背中をさすってくれるジルさん。温かい手、優しい温度。


「水....これなら飲めるかな?」


渡された水のビンを見て、とても懐かしい気持ちになった。可愛いピエロのキャラクターと可愛い少女のキャラクターが描かれた、シガーボニタで販売しているレモン水。


「ありがとう、です」


冷たくて鼻を抜けるレモンの風味があたしを落ち着かせてくれた。


「....ジルさん」


「うん、いいよ」


あたしは名前を呼んだだけで、まだ何も言っていない。でも、あたしが言おうとしていた事を知っているかの様にジルさんは返事をした。いくつか質問してもいいですか?と言う会話を飛ばし、レモン水をひとクチ飲み、質問を始める。


「ここはどこですか?」


「外界だよ」


「ガイ、カイ?」


初めて聞く言葉だった。ガイカイと呼ばれる大陸も街も、あたしは知らない。


「マユキちゃん達が暮らしている世界を地界、僕達が暮らしている世界を外界って言うんだ」


地界....このワードはカフェで言っていた。でも地界があたし達の住む世界で、外界がジルさん達が澄む世界....正直全然わからない。


「外界は僕達ヴァンパイアや悪魔族、魔女も住んでいる。地界にいる人間ではない別の種族は元々みんな外界の種族なんだ。地界から見れば外来種だね」


「....ここが、外界?」


「うん。外界の悪魔達が住む....大陸みたいなモノかな?」


「へぇー」


外界。悪魔の大陸。全然ピンと来ないけど、黒い空に紅い雲、紅い月は異常なんてものではない。妙に納得してしまう自分がいるのも無理はない。


「地界へ帰る方法は?」


「魔女なら好きに行き来できるけど、魔女以外の種族は各自決めた場所からしか地界へ行けない。この城なら王室にある大鏡に自分の血液を付着させれば道が繋がる。このやり方はこの城だけのやり方だからね。他のやり方は残念ながら知らない」


鏡を通れば地界───あたしが暮らしていた世界へ帰れる。童話の中のお話みたいだけど、嘘ではないだろう。ここで嘘を話す事に何のメリットもジルさんにはない。でも....帰れるには王室へ、つまりヴァンパイアの王が居る部屋へ向かわなければならない。


「あたしがここに来て....ジルさんと一緒したあの日からどれくらい経ちます?」


「2週間。僕はその2週間、キミが酷い目に合っている事も知らずに....本当に、なんて謝れば....」


あたしは2週間もの間、ヴァンパイアの玩具になっていたのか....2週間も。


「ジルさんは何も悪くないですよ、むしろいい人です。こうしてあたしを助けてくれましたし!」


もしジルさんの助けが無かったら、あたしは未だにおかしな状態だっただろう。サキュバスの角を原料とした悪魔の薬に呑まれていたに違いない。


「エリザ....妹がした事は許される事じゃない。僕も妹を許せない。でも....僕では妹を止められないのも現実だ。あの時も....」


「....あの時?」


悔しさに震える手へあたしは手を伸ばそうとした。でも、あたしの手は、身体は、あたしは、汚い。


「....昔、大好きだった人が居た。その人は種族なんて気にしない優しい人だった。でもある日突然その人が消えて、僕が知った時はもうエリザの手で....」


ジルさんの妹、エリザベートは一体何を考えているんだ?何を求めているのか....何がしたいのか、全くわからない。兄の大切な人を....殺すなんて。


「僕はエリザに勝てない。例え父と母が僕の味方をしてくれても、きっとエリザには勝てない。情けない兄さ。でも今度は、今度こそ、大切なモノを守るよ。命に変えても絶対に」



エリザベートはジルさんの大切なモノを奪って、喜んでいるだろう。でも、今そんな事どうでもよく思えるくらい、あたしはジルさんの言葉に心が洗われた気がした。


「あたし、汚れちゃって」


「汚れてるのは吸血鬼....ヴァンパイア達さ。キミは出会った頃と変わらない、綺麗なままだよ」


眼が、瞳が熱くなる。沸き上がる熱を下げる事も出来ず、熱はポロポロと溢れ出る。一度出てしまえば自然に止まるまで、止められない。


「.....怖かった、怖かったよ」


子供の様に泣き、ジルさんの腕を強く掴むあたしの手。離れたくない、遠くに行かないで、ひとりにしないで、ずっと一緒にいて。そんな想いを伝える様にギュッと握った。


「ごめんね....もっと早く、ずっと一緒にいてあげる事が出来れば....ごめんね」


痛いくらいギュッとあたしを抱き締めて、震える声で何度も何度も、ごめんね と呟く。

温かくて、優しくて、安心している自分の心が教えてくれた。

あたしはジルさんの事が───


「あらあら、姿が見当たらないと思っていましたら、豚と遊んでらっしゃったのですね。お兄様」


「エリザ!?」


「───!?」


気配なく声が響く。部屋のどこを探してもエリザベートの姿は見当たらない。耳の奥に残る声はあたしの中の恐怖を呼び起こす。


「大丈夫、必ず守るから」


震えるあたしへ優しく呟き、ジルさんは強く抱き締めてくれる。


「お兄様ったら本気で豚を愛してしまっているの?笑えないですわよ?」


「いい加減にしろエリザ!お前は一体何が目的なんだ!?」


「そうですわね....」


暗い部屋の闇が砂粒の様に揺れ集まり、ニッコリと笑うエリザベートが姿を見せる。

真っ白なドレス姿のエリザベートが。


「目的は何かと聞かれましても、目的と言える事はありませんわ。でも、誰かの大切なモノを壊すのがとても楽しくて....自分が楽しいからする、これは目的と言えますか?」


「.....狂ってるよお前は」


「よく言われますわ」


人を小バカにした口調で会話するエリザベートと、怒りに震えるジルさん。鼻歌まで歌う余裕を見せるエリザベートは巻き髪を指に絡める。


「エリザ、この子を地界へ帰す。もう二度とこんな真似はするな」


「.....私に命令、ですか?お兄様」


「命令....そうだな、兄としての命令だ。二度とこんな真似するな!いいなエリザ!」


「.....」


強く声を張りエリザベートへ言うと、エリザベートは下を向き肩を震えさせる。まるで怒られた子供の様に。しかし、エリザベートは突然顔をあげ、大笑いを響かせた。


「自分より弱い相手を従わせたいならドラキュラの王にでもなってみたらどうですか?真祖の地位だけで簡単に従いますわよ?」


「....お前、いい加減にしろよ!」


「いい加減にするのはお兄様の方では?そんな豚、どこからどう見ても食料か玩具にしか見えませんわよ?せっかく壊した玩具もお兄様が戻してしまいましたし......あ!豚の男を連れてきて沢山の子豚を産んでもらうのも面白そうですわね!」


歪んだ内容をまるでオモチャを買ってもらう子供の様な笑顔で話すエリザベート。自分の事をバカにされても動かなかったジルさんだったが、人間を人間と見たい発言に対し、ジルさんの我慢が限界を越えた。燕尾服の裾をパサリと叩く様に揺らす。すると手には銀のナイフが数本、迷う事なくナイフをエリザベートへ飛ばす。全てのナイフが見事にヒットしエリザベートはフラつく。


「....やっとですか、お兄様」


眼、喉、胸、手足に突き刺さったナイフを抜き、床へ捨てたエリザベートは嫌な笑顔を浮かべる。


「もしお兄様が、ジルドレイが私に手をあげた場合、殺してもよし、とお父様とお母様が許可を下さってたんですよ.....やっと、やっと殺せる!」


エリザベートの瞳は白が黒く、紅は一際紅く染まり、何もない空間がザワザワと唸り闇が集まる。そこへ手を入れ、引っ張り出されたモノはジットリとした赤黒色の大きな斧。


「離れてて。僕は大丈夫だから」


笑顔で言い、ジルさんはエリザベートを睨み、あたしの元から遠くへ走り去った。





「....弱すぎ。そんなので私に歯向かってくるなんて、尊敬しちゃうほどのバカね」


大きな斧をクルリと回し、エリザベートは呆れる様な溜め息を吐き出した。

冷たい地面に散らばる影はあたしの眼を奪い続ける。そらす事もまばたきも許されない。


「最後に言う事はある?お兄様」


床に転がる左腕、腰から下のパーツは細切れになっていて、どれがどの部分なのかもわからない。止めどなく溢れる紅と光を徐々に無くす瞳でジルさんは声を出した。


「....逃げ、て」


「───っ」


「....本当に呆れる。自分が死ぬって時に他人の心配をする?普通しないわよ?バカを越えたバカなのね?」


エリザベートは再び闇を唸らせ、歪んだ空間に斧を投げ捨てた。


「まぁ腐っても真祖ヴァンパイア、手足が細切れになっても30分くらいなら死なない。その痛みが30分続く....って言いたい所だけど、もう感覚は麻痺しちゃってるわね。つまらない」


コツコツとヒールを鳴らし、真っ白なドレスを着たヴァンパイアがあたしに迫る。恐怖で動かない足、重くなる身体、逃げ場もない。ヴァンパイアはあたしの前でクスリと笑って、


「つまらないから、楽しくしましょう」


「───え?」


あたしのお腹へ右腕を突き刺した。

脳が焼かれる様な痛みと、端から暗くなり始める視界。喉の奥から這い上がってくる血液と恐怖。

ジルさんが大きなクチを開き叫んでいるけど....声が聞こえない。助けて、助けて。



「これは.....違う。これ....も。こっちは.....!これね!」


ブチブチと引き千切られる音が脳内で笑う。もう感覚なんてない。


「これがあなたの可愛い可愛い、子宮よ」


ジットリと濡れたそれを見せられるも、何も感じない。呼吸も出来なくて、苦しくもない。エリザベートはそれをクチへ運び、コリコリと頬を膨らまし飲み込んだ。


「美味しかったわよ?あなたの子宮。うっとりしすぎてトビそうだったわ。御馳走様でした」


真っ白なドレスを紅く染めたヴァンパイアはあたしから引き摺り出した中身を拾い、ジルさんの前へ投げ捨てる。


「お兄様、死にたくなかったら、それ食べるといいわ。きっと傷口は塞がり体力も少し回復するわよ。そのあと、死にかけの豚を食べるといいわ。.....反応が無いってつまらない。楽しませてもらったし私は帰らせてもらうわ」


湿ったドレスを揺らし、エリザベートはあっさりと部屋を後にした。

残されたあたしはもう死ぬだろう。ジルさんはあたしを食べれば生きる事が出来る....。

───お願い、生きて。


「お願....い、マユキちゃん、生きて、」


何て言ったの?聞こえない....聞こえないよ、、

水の中にいる様にモヤモヤと揺れ、ハッキリしない視界でジルさんは首を、頭を動かした。床に転がった、眼の前に落ちているあたしの中身をジルさんは必死にクチへ入れ、噛み、飲み込んでいた。


───よかった....あなたは生きて。


あたしはそう願い、瞼を閉じた。





真っ暗だ。

右も左も、上も下もわからない。あたしは何処へ向かえばいいのか....それもわからない。


「こっちだよ、マユキちゃん」


遠くで声が聞こえた。

優しくて、温かくて、聞いていると妙に胸が苦しくなる声。


───どこ?


「お別れ....かな。キミは生きて」


必死に声を辿った。

見えない世界で声を頼りに、進んだ。すると突然、落下する感覚に襲われたと思うと、あたしは水の中に落ちてしまった。


息が出来ない、苦しい、熱い、苦しい。


必死に手を伸ばし助けを求めていると、紅い光を放つ黒い粒がユラユラと泳ぐ。

あたしは手を伸ばし、黒い雫の様な粒を掴んだ。すると雫はあたしの身体に溶け込む様に、ゆっくり優しく、深く深く馴染んでゆく。血液が徐々に熱くなり、気が付けば熱湯が身体の隅々まで流れているようで、熱くて。


───熱い、助けて....助けて!


内部から焼かれ溶かされる。熱も痛み、あたしの中を廻り外へ出ようとしない。眼球も熱を放ち、眼から火が出ているのではないか?と思うほど熱く、吸う息も吐く息も炎の様で。


───あたしは....死ぬの?


そう思った直後に、


───死にたくない。


そう思う心が追ってくると、記憶が早送りで再生させる。父と母の元に産まれて、シガーボニタで暮らして、お花の事を学んでる子供の自分。

友達と喧嘩して泣いてる子供の自分....子供の頃からの記憶が頭の中から出ていく感覚。

全身が何かを拒み、受け入れようと無意識に動く。


あたしは───死を拒んでいるの?死を受け入れようとしているの?


あたしは───死にたくない。



そう強く思った直後、あの日の記憶が高速再生される。

突然現れて、突然襲ってきたヴァンパイアのエリザベート。本当に突然現れ、意味もわからず杭を刺され、知らない場所に連れていかれて酷い目にあわされて、あたしは殺される。


....殺される?なんで?

なんであたしが殺されなきゃいけないの?嫌だよ、なんであたしが?

ヴァンパイアって人間の命を奪ってもいい種族なの?血を求めていたのなら吸血しているハズ。でもあたしは一度も血を吸われていない。ただ暇潰しに、ただ殺されるの?

そんなのオカシイですよね?オカシイですね。殺そうとするなら殺されても、文句ないデすよね?


熱かった血液も、燃えそうな瞳も、苦しかった脳も心も、今ではスッキリしている。掴んだ黒い雫はあたしの中に馴染んで万華鏡の様にあたしの中身を綺麗に変えてくれた。


ゆっくりと瞼を揺らし、空気を吸った。空気に熱気はない。でも、鼻を刺す臭いがする。


「マユ....ちゃん」


「....?」


あたしのすぐ横で倒れている肉塊。


「よか....た。僕の黒...血で、」


何を言っているのか理解する、あるいは思い出すのに少々時間がかかった。それもそうだろう。今産まれたばかりではないか?と思える程、自分の記憶が薄い。思い出せるのはごく最近の出来事だけ。子供の頃の記憶は愚か、1年前の記憶さえ霧の中にある様でぼんやりしている。ハッキリ思い出せる古い記憶は人形劇を見に行った記憶。


「ジルさん、おはようデス。あたしは....生きてたデスよ」


ヒュー、ヒューと弱く細い呼吸を鳴らし、ジルさんは小さく笑うと瞳の光が薄く遠くなり、呼吸を止めた。


「死ぬ....デスか?」


返事はない。伸ばした手にポツリと落ちる紅い雫。瞳から紅い雨がポツポツと溢れ落ちる。


「不思議デスねぇ....あたし今、とても悲しい気持ちになってるデス」


自分の気持ちが、存在がわからない。


でも、この人が死ぬのは───ちょっと悲しいと思えた。






死体がゆっくり分解される様に消えた。機能が停止した肉体は数時間放置すると分解され消えるのか。死体があった場所にはゴツゴツとした石が1つと、衣服や死者が持っていたモノが残る。

あたしは残った衣服を羽織り、手のひらサイズの薄いモノと謎の石を拾った。

コツコツ、コツコツと響く足音が耳に届き、あたしは拾ったモノをポケットへ押し込み足音を待つ。

錆び付いた扉が笑う。


「あら?あらあらあら?」


「オハヨウゴザイマス、えっと....エリザさん」


ニッコリと笑って挨拶をしてみれば、エリザベートは不愉快な表情を浮かべた。


「なんであなたが生きてるのよ?」


「さぁ?あたしにもわからないデスねぇ」


エリザベートは近くのイスへ腰掛け、眼を細めあたしを見つめる。


「....あなたもしかして」


何かを知っている様にエリザベートは眼を見開き、プルプルと震え....高らかと笑った。


「楽しそうな時にあれデスが、何か知ってるデスか?」


「凄いわ...凄いわ!あなたはお兄様の....真祖の黒血で人間からヴァンパイアになった。後天化に初めて成功したサンプルになるわ!」


「初めて、デスかぁ。それはよかったデスねぇー、でも、あたしは失敗作デスよ?」


エリザベートを見た瞬間から沸き上がっていた溶岩の様な感情を解放させる様にあたしは本能的な部分に従った。

エリザベートを、ヴァンパイアを殺せ、と。

手足につく鉄の錠は簡単に砕け、腹の底がゾワゾワと蠢く。白く細い首へ手を伸ばし、力いっぱい掴み捻ると喉が跳ねる。


「アハ、コクッって鳴るんデスねぇ.....?」


跳ねた喉、伸びた舌。そしてぐるりと回りあたしを見た黒赤の瞳。


「触ってんじゃねーよ豚」


「あらま」


腹部を強く蹴られあたしは面白いほど飛ばされる。蹴られた腹部も壁に衝突した全身も、痛みを教えてくれない。


「後天で私と同じレベルにでもなったつもりか?調子にのるなよ豚。....また壊してあげましょう?」


エリザベートは大きな斧を闇から引き摺り出し、クルクルと回しあたしへ振った。

左肘から先が宙を回る。紅い血液を吐き出して、クルクルと。


「次はお腹からバッサリと」


大きな斧を構え直し、腹部から切断しようと振る。あたしは武器も無く、盾になるモノも無い。無い....なら作ればいい。

ダラダラと汚く血を流す傷口を斧へ向け、力を入れる。すると液体だった血液は形を変え鉄の強度に変化する。

重い衝撃を感じるも身体は押し負ける事なく。


「なに、これ」


「驚きデスねぇ、成功デス」


血液で作り出した盾を液体へと戻し、斧をごとエリザベートの腕を包む。そして一気破裂させてみる。すると、


「──────ッ!?」


「お歌がお上手デスねぇー!」


エリザベートは首を絞められた子羊の様な悲鳴をあげた。ゾクゾクと腹の底を揺らす悲鳴を、もっと聞きたい。


「次は足を痛くするデスよ?」


内側から押し出す感覚で、傷口から血液を溢れさせると、コプっと可愛らしい音を傷口が吐き出し、血液を垂らす。

その血液を薄く、鋭く硬化させエリザベートの足を切断してみる。

少し弾力がある肉壁に接触するも、ブチブチと斬り進む刃。骨部分は少し力を入れて挽く感覚で。


「おぉ、斬れましたね」


子羊の悲鳴、楽しいお歌遊び。紅い血、いい匂い。

芋虫の様に床でもがくエリザベートを横眼にあたしは自分の腕を拾う。


「上手くやれば、くっつきそうデスねぇ」


切断された部分を繋げてみると血液がゴポゴポと動き、神経、肉、血管、骨が繋がる。


「凄いデスねぇ....これなら、全員コロせそうデス」


「なにを....言ってる、の?」


「ヴァンパイアを全員殺そうと思ってるんデスよぉー。あたしをオカシクして、あたしを壊して、あたしから色々奪ったのは───アナタデスヨ?」


「狂っ」


「狂ってるのはお互い様じゃないデスか、仲良くしましょう、まずは仲直りデスね!」


あたしは自分のクチに生えたキバの存在を知った。このキバを使えば血が吸える。どんな味?


「あー....ん!」


首筋にキバを突き刺し、穴から血液を吸い出してみると、ストローでジュースを吸うよりも早く多くの血がクチの中へ入り込む。その血を喉、そして胃へと流す。


「....ッはぁ。くそ不味いデスねぇ....豚の精液の方がまだマシな感じデスデス。こっちはオイシイデスかぁ?」


指先を噛み斬り傷を作り、血液で指先を包み、鋭く尖らせエリザベートの下腹部を突き刺す。ブジュ、と固めのトマトが潰れる感覚に似ているも、入り口が徐々に絞まる。クチから空気を漏らし、酸素を求めて喘ぐエリザベート。黒赤の瞳から透明の粒が溢れる。


「泣かないでください、すぐ終わりますから....これかな?、違う。これ....も違う....」


中で手に触れるモノをあたしは引き摺り出しては、捨て、引き摺り出しては捨てる。そしてやっと探していたモノを掴む。


「これ....デスね!これデス!見てください、これ」


ベットリと紅く濡れる両手に優しく乗せて見せたモノはエリザベートが大好きなモノ。


「これ、エリザベートのデスよ。大好きなんデスよね?引っ張り出したコレ」


トロトロでプリッとしたモノをエリザベートへ見せ、あたしはソレをクチの中へ。噛んでみるとコリコリとした食感で生臭く、とても食べられるモノではない。


「オェェ....コレもくそ不味いデスねぇ。豚の睾丸よりも不味いんじゃないデスかぁ?」


エリザベートへ返す様に吐き捨て、クチを拭いた。

ピクリとも動かないエリザベートだったが突然全身を鼓動させる様に震えさせる。理解できない言葉を叫び、エリザベートは背中を突き破る様に翼を広げて見せた。


「おぉ、いいデスねそれ」


悲鳴にも似た咆哮をあげるエリザベート。するとあたしの足下に赤色の魔法陣が浮かび上がり、炎の柱があたしを燃やした。

肌を、肉を、全てを焼く炎。

その中であたしは不思議と、笑いが溢れた。



「必ず見つけて殺すデスよ、王女エリザベートさん」



焦げ臭さが漂う地下牢から、エリザベートは姿を消した。




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