昂ぶる気持ち

「そういえばさ」


 もうすぐ自宅という所で、瑞貴が口を開いた。

 沈黙がどうも耐えがたかったらしい。ボクは手を繋いでいるだけでも幸せだったけれど。

 交わした口付けのせいで、瑞貴の唇には紅の跡がうっすらと残っているのだけれど、本人は気付いていない。気付いているのはボクだけだ。


「なーに?」


 自分が思っているよりも随分と甘ったるい声が出た。

 流石に瑞貴は気付いてないと思うけれど、いつも以上に気分がふわふわしている。手を離されたらどこかに飛んで行ってしまいそうになる気持ちをなんとか押し込めて、家族に瑞貴を紹介するという重しで飛ばないようにくくりつけて。

 ぺちぺちっと自分の頬を叩いて気合いを入れる。


「ど、どうした?」

「なんでもないよ。ちょっと気が緩んだ自分に活入れただけ! えっと、それで?」

「さっきはちょっと近況報告的なやつだったから、流したけど」

「うん」


 瑞貴がそこで言い淀む。

 近況報告の中で、何か気になることはあっただろうか? といってもここ二三日の事だけど、やっぱりあれかな、ボクが今自由に男女を切り替えられるって所かな。


「ほら、今、あれだろ。男にも女にも自由になれるんだろ」

「あ、やっぱりそのこと」

「そうだな。それでさ、戻らないのか?」


 やっぱり、そこを聞いてきますか。

 ボクが逆の立場だったら、確かに聞いたと思う。

 でも、それについては結論がもう出ている。


「戻らないよ。あれは使ったらダメな気がする。だから、持ってきてないし」

「それ、両親に懇願されても誓えるか……?」


 父さんと母さんは一度だけでもいいから、戻って欲しそうな様子ではあった。

 だけど、その思いを胸の内にしまっている事は想像に難くなく、出てきた言葉は好きにしなさいだった。

 家を追い出すような形で出て行かせた息子が、娘になって恋人を作って帰ってきた。両親はどんな気持ちなのだろう?

 心中穏やかではないのはわかるけれど、それ以上のことは想像できない。


「もし、泣いて頼まれたら一度だけは戻るかも知れない」

「そうだよなあ……」

「でも、昨日、ボクの意思に任せるといった手前、そんな風に泣きついてきたら、両親を軽蔑する」

「ははっ……相変わらず自分の親に厳しいなあ」

「一年くらい経ってるけど、流石に家を追いだしたのはまだ心の底から許せてないから……」

「あー……。確かにそれは気分的に嫌だよな」


 今でこそやったことに対して、納得はしているけれど、許せて居るかどうかは別物である。産みの親、育ての親である事を鑑みても、ちょっとしたことで好感度がマイナスに振り切れるくらい、余り信用はしていない。

 いい両親だとは思うけれども、子供心に今回の仕打ちは無い。話し合いの場さえ設けてくれればボクはいつでも応じたのに。

 外に出るのが恐いだけで、知らない人と話すのが恐いだけで、両親と会話を拒むと言う事はしなかったのに。


 鼻を鳴らして、憤慨している意思を見せていると、瑞貴が困ったように頬を掻いていた。あっちもあっちで親子仲はそんなによくない感じだし。やっぱり似たもの同士どこか引かれる部分があったんだろうなあ。


「この話はやめよう!」

「そうだなあ」


 結局の帰結点がそこである。面倒な話はやめるに限る。お互いに声に出して打ち切ってしまえば、暫くはその話題は無くなる。日が変わればまた再燃するんだろうけれど、いまボク達が家路についている間くらいは無くなる物だ。


「もう、燈佳は女の子として過ごすことを決めたんだな」

「うん。あっちのボクでは、今はもう生きづらいよ」

「そんなに違うのか?」

「そうだねえ……。こっちの姿だと外を出歩く事はできるけれど、さっきみたいに、ボクが一方的に知っている状態で、今のボクの姿を知らない人を見ただけでも、あんな風になるくらいだから、元の姿で想像したらどうだろう?」


 多分元のボクに戻っても、人混みの中を歩くことはできないだろう。

 桜華を助けるために元の姿に戻ったときはがむしゃらだった。何も考えていなかった。ただ、桜華を助けたい気持ちで一杯だった。だから動けた。

 冷静になった状態で、あの人混みの中に居られるかと言えば、答えはノーだ。無理だ。吐く。というか、実際問題前日に人の目に触れすぎたせいで、吐いてた訳だし。

 それを思い出してふと小さく笑みが漏れた。

 ボクは瑞貴に恥ずかしいところしか見せてないなあ……。


「急に笑ってどうした?」

「んーん、なんでもないよ、それでどう思う?」

「そうだなあ……恐いよなあ……」

「でしょ。日中に外に出るだけでも奇跡だと思うよ」

「まあ、今はこうやって日中外を出歩けるんだから、いいことだろ」


 そういって、ボクの頭をぽんぽんと撫でる。

 子供扱いしないで欲しい煩わしさと、それと同じくらいの嬉しさがせめぎ合って、結果俯くしかなかった。

 顔を伏せ、立ち止まると、瑞貴が困ったようにボクの顔を覗き込んできた。


「大丈夫か?」

「だ、大丈夫だよ! なんだよ! 急に頭を撫でるな! セットが崩れるでしょ!!」

「お、おう……それはすまんかった。そういや今日気合い入ってるもんな……」


 やっと気付いてくれたことに歓喜の雄叫びを上げたいけれど、そこはぐっと堪えて、でしょーっと、同意を促すだけに留める。


「時間が無くて、そのまま出ようと思ったら母さんがやってくれたんだよ」


 こっちの化粧も、と顔を指しながら説明する。

 それに瑞貴はほうと相づちを打つと、


「なんだ、結局仲良くやれてるんじゃん」


 そんなことを言ってきた。


「そうだね。許せないことはあるけれど、仲良くできないわけじゃないんだよね」

「そうだなあ。その髪型も化粧も似合ってるよ、可愛い」

「い、いきなり何言うの!?」


 さらりと、本当に流れる様に似合ってる可愛いと言われて、頬が熱を帯びる。


「いや、そういえば言ってなかったなあと思って」

「TPOをわきまえて!? 今言うところじゃないから!」

「そうかあ? 恋人にはいつ言っても問題ないだろう」

「逆に聞くよ! ボクが瑞貴に唐突に今日も格好いいねとか言ったらどう思う!?」

「嬉しいが、恥ずかしいな!」

「そう言うことだよ!!」


 なんかテンションが上がって、語気が強まっている。分かっているんだけど、ヒートアップしすぎて、オーバーヒート気味の思考は早々に戻らなくて、思考がぐるぐると堂々巡りを繰り返す。

 でも、それもすぐに冷えた。

 自宅が視界に入ってきた。


「あ、ついた」


 冷や水を浴びせかけられたかのように、すぐに思考がクリアになり、これからする事を思い浮かべる。

 まずは瑞貴を紹介して、一晩考えた自分の意思をしっかりと伝える。

 そして、これからのことを話し合う。


 まだ気は早いけれども、もうこれから恋をすることはないだろうし、できる事ならば将来は瑞貴と結ばれたいと、そう思っている。


 その気持ちをぶつけたい。


「ここかー。案外普通の家なんだな」

「そうだよ。それじゃ、行こうか」

「ああ」


 一度強く握り締めた瑞貴の手から、しっかりと力強く握り返して貰い、その手を離す。

 ボクの一歩後ろに瑞貴が控えている状態だ。


 そして、玄関の扉を開いた。

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