ヒーローには頼らない
晴れた冬の独特の空気が頬を撫でる。刺すような冷たさと、陽光の暖かさが身に染みる。
若干の息苦しさがあるけれど、それは許容範囲内だ。
深呼吸を一つして、心を落ちつければなんとかなる。
少しだけ、心臓の鼓動も早いけれど、これはきっと瑞貴に会えるという昂揚から。息苦しさもきっとそう。
「大丈夫、うん、大丈夫」
自分に言い聞かせるように、ボクは外を歩く。
晴れた日の外を。昼間の外を。人の目がある外を。
といっても、住宅街であるここの人通りは疎らだ。居ても、ボクに気を払うような人間はいない。地元の高校の通学路からも外れている。
同じ中学の人と出会うことは、あんまり無いだろう。万が一あっても、ボクが榊燈佳だって気付く人は居ない。姿自体が変わってるんだから、気付きようが無い。
後はボクが毅然とした態度で居れば、怪しまれる心配も無い。
『今から駅に向かうね』
簡単なメッセージを瑞貴に送る。返事がすぐに来ないところを見ると多分電車の中なのだろう。
割と律儀な彼のことだから、車内じゃ電子機器の類いは触らないようにしていると思うし。前がそうだった。
今からなら、待ち合わせの少し前に到着する。
駅前の人通りは結構あるし、そこだけが心配だ。
待ち合わせの場所は無難に駅前の広場にあるモニュメントの前。市内の待ち合わせスポットとして有名な所だ。
大通りにでて、車の往来が見え始めると、途端に歩行者の姿も目に入るようになる。びくりと体が一瞬固まり、数瞬の後にやっと解放される。少しだけ肩が重い。
誰もボクを見ていない、それだけは理解しているはずなのに、地元という理由だけで大分精神的な負担になっている。
今のところ視界の中には同年代の姿は見受けられない。
なんていったって、休日に遊びに行くのなら、電車で少し先の都市に行ってしまうからだ。時間的には大丈夫だろう。集まって出かけるなら、一時間は早くでているはずだ。
だからこそ、待ち合わせの時間を一時間ずらした訳だし。
今出会うとしたら、世代が少し上の人達ばかりのはずだ。そこまでいけばボクと関わりのある人は殆ど居なくなる。せいぜい、小学校の頃一緒に遊んだお兄さんお姉さん達くらいだ。
その人達はもう顔すら覚えてない。だからきっと合っても大丈夫。
問題は近しい人達。元々のクラスメイト。今でこそ夢に見ることは無くなったけれども、ここに居た時は毎日のように夢に見ていた顔たち。
見れば分かる。人間の顔なんて二年程度じゃ変わらない。
そこだけが恐いし、考えれば足が竦む。
だから、なるべく考えないように、脇目も振らずに待ち合わせ場所に向かう。
でも、信号待ちの間に立ち止まっていれば嫌でも声が聞こえる。
あの子可愛くないかとか、声かけてみろよとか、ナンパを急かすような声が少しだけ恐い。ああ、桜華が居てくれたらどれだけ心強いか。瑞貴が居てくれたらどれだけ頼もしいか。
でも、これはボク自身のために必要なことで、いつか必ず来る一人立ちのために、怖がってばかりはいられない。
「もう少し」
目的地はすぐそこ、大通りを越えて片側一車線の道路の突き当たりに駅がある。
あがる息をなんとか押し殺して、バッグの肩紐ぎゅっと握って。
足を進めて、気がつけば目的地に着いていた。
時計を見ると、時刻は十一時よりも十分ほど前。大体の想像通りの時間に着いた。
それと同時に、スマホが鳴る。
恐る恐る見てみると、今、ホームに降りたという、愛しの彼からのメッセージ。
その文面だけで、今までの苦労が報われる気がしたのだ。
頑なに握り締めていた拳に気付いて、慌てて緩める。食い込んだ爪の後がくっきりと残ってしまっていたけれど、待っている間に元に戻るだろう。
今日は頑張った。あんまり履き慣れていない五センチヒールのハーフブーツは重いし……。
一四四の身長なら小学生に見られるかもしれない、でもそこに五センチを足して一四九ならなんとか年相応に見られるかもしれない。そんな浅はかな考えのもとヒールを履いた。
四捨五入して、一四〇か一五〇かの違いはとても大きい。
女の靴擦れは勲章だなんて、バカみたいなことを緋翠が言っていたけれど、確かにそう思わなくもない。見栄を張る。というより、少しでも好きな人の目線に近づきたいがためにヒールを履く。今ならよくわかる。
そんなことを考えながら、時計を見続けていると、ふと陰る。
見上げると、そこには男性が二人。
「ねえねえ、彼女、一人なら一緒に遊ばない?」
典型的なナンパである。
知らない顔であることに安堵して、ボクはにっこりと笑顔を浮かべる。
「人を待ってますので、どうかお引き取りを」
「こんな可愛い子を待たせるなんて、人としてどうかしてるんじゃね?」
人がやっと人心地着いたところで、こんな風にあしざまに言われると流石にかちんとくる。
でも相手は明らかに年上だし……。タバコの匂いもするから成人してるのは確実。
「ぼ……わたしも今着いたばかりなので、まだそんなに待ってないですよ」
「そう? それなら待ち人来るまでそこでお茶でもどう?」
「嫌です」
なんとか笑顔を崩さずにきっぱりと拒否の意思表示をし続ける。
「というか、お兄さん達、わたしなんかに声かけてどうするの? ロリコンなの?」
「は……?」
「いやいや、背は確かに低いけど君二〇前後っしょ?」
ほう……。
化粧の力は偉大かな。
普段なら明らかに子供扱いされるというのに。後はヒールの上げ底パワーか。
目の前の男性二人の言い分に噴き出しそうになりながら、
「こうみえて、わたし小学生なんですって言ったら、退散して貰えます?」
「うそだろ……」
「ほら、だから言っただろ! あんまり小さい子に声掛けるなって!」
絶句する方と、肘で脇腹を突きながら悪態を吐く方。
まあ、高校生だけど、正直に言えば余計厄介だし、煙に負けるなら煙に巻こう。
聞き流してはいるけれど、体格の小さい子を狙えば後々の問題がどうたらとか、そういうの犯罪だからやめようね。
あんまりしつこいようなら、声をあげるのもやぶさかではない。
「あ、お兄ちゃんが来たから行きますね、あんまり子供に声掛けちゃダメですよ」
遠巻きに、瑞貴の姿が見えたから、ボクはやんわりと注意してその場を離れた。
二人で出かけてたらたまに間違われるし、こういうとき、イケメン長身の彼氏というのは役に立ちますね。
はあ……。兄妹かあ……。恋人に見られたい。
背中越しに女って恐いという台詞を聞きながら、所在なさげにこちらに向かって来ている瑞貴に駆け寄る。
「おはよう、瑞貴」
「お、おう、おはよーさん。絡まれてたっぽいけど大丈夫か」
「うん、お兄ちゃんが来たって言って煙に巻いてきた」
「……そうか」
難しい顔をしている瑞貴。まあ流石に兄呼ばわりは嫌だよね。同い年だし、ボクは元々男だし。
「遅くなってすまんかった。初めての場所だからできるだけ早めに来たかったんだがなあ」
「それでも時間ぴったりだし、いいんじゃない?」
「それならいいけど。それよか、今日はいつもと雰囲気違うな」
気付いてくれた瑞貴に嬉しさがこみ上げてくる。
ちゃんと気付いて貰えるなら、頑張った甲斐があるってもんだ。頑張ったのは母さんだけど。
「可愛くして貰ったんだー」
「似合ってるぞ」
「後で、母さんにお礼言っておく!」
「そうだな」
「うん! それじゃあ行こっか。今日の瑞貴もかっこいいよ!」
ボクは瑞貴の手を取って、歩き出した。
踏鞴を踏んでボクの後ろを付いてきはじめた瑞貴だったけど、すぐにボクの横に立つと、ちょっとと言って場所を変わった。
瑞貴が車道側を歩いてくれている。
なんというか、そう言う気遣いがとてもこそばゆい。
自然と繋いだ手の熱を感じて、頬が熱くなるし、しっとりと汗ばんでくる。
いくら経験を積んだとしても、こればかりはどうしても慣れないのだ。
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