ドキドキウォータースライダー

 ボクが先を歩いて、その後ろから瑞貴がついてくる。

 どうしたんだろう、二人っきりになってから瑞貴の口数が少ない。

 なのに、視線だけは感じる。


「ねえ、どうしたの?」

「え、ああ……いや……」


 なんとなく歯切れの悪い感じだ。

 それっきり何も喋らなくなって、ボクは歩く速度を落とした。

 二人してとぼとぼと目的地に向かう。

 プール内は人でごった返していて、館内に響き渡る夏の音楽と喧噪のお陰で、煩わしさの無い騒々しさになっている。


「ああああああ!! もうっ! ごめん、燈佳!!」

「え、ええ?? な、何、いきなりどうしたの!」

「もう我慢ならん、素直に白状する!」


 どうしたのかな、ボクと一緒なのが嫌だったとかかな。

 それはそれで悲しいけれど、瑞貴がそういうんだったら、ボクは大人しくしとかないと、だよね。


「今日昼からずっと燈佳に見惚れてた! いつもより気合い入ってて可愛かったから本当にびっくりしてた! 変な態度になってホントにすまん。何言っていいのかずっと考えてたんだ」


 唐突な告白に心底驚いた。そして実感としてこみ上げてくる嬉しさと、嘘を吐いているという罪悪感が同時にボクを責め立てる。


「変な態度取ってごめんな……」

「ん、いいんだけど……、えっと、ありがと」


 罪悪感だけを胸の内に無理矢理押さえ込んで、喜びを表に出す。

 見惚れていたと言われて素直に嬉しい気持ちはあるのだから。


「昼も後ろからずっと見てて悪かった。見られるの好きじゃ無いって言ってたのにな」

「ううん、気にしてない。ボクだって気合い入れたんだから、見られるのは嬉しいよ」

「燈佳はたまにナチュラルに変態的な事をいうな……」


 瑞貴が苦笑する。それがいつも通りな感じで安心した。

 そして、そんなに変かなと思う。女の子として、好きな人によく見られたいっていう気持ちは当然あって然る可しだと思うけれど……。そうじゃなければ、緋翠ちゃんだって気合いを入れた格好をしてこないだろうし。


 それで、見惚れていたなんて言われたら喜びもひとしおだ。正直水着の方の感想はどうでもいい、あのワンピースの格好を見て見惚れたなんて言ってくれるのは本当に嬉しいことなんだ。頑張った甲斐がある。

 ただ、ボクが本当に女の子なら、この喜びは一層強い物だったのだろうけれど。元が男の子であると言うことが心に重くのしかかる枷となっている。


 チクリと胸が痛む。ボクは瑞貴が好きだ。だけどこの思いは秘さねばならない。本当の事を全部曝け出してしまったら、ボクは瑞貴に嫌われてしまう自信がある。だからと言って、みすみす緋翠ちゃんに取られるのは嫌だとも思っている。


「どうした?」

「ううん、なんでもない。見惚れてたって言葉噛み締めてたの」

「そうか。あーすっきりした! やっぱ素直に何でも言うべきだな。燈佳、行こうぜ」

「え、あ、うん!」


 瑞貴の言った素直に何でも言うべきと言う言葉が胸に引っかかった。

 いつか、ボクも素直に言える日が来るのかな……。


 今度は立場が変わって、瑞貴が先頭だ。

 短い距離ではあったが、何とか気持ちを切り替えられた。

 順番待ちが結構あって、そのどれもが二人組ばかり、正確に言えばカップルが多い。

 手を恋人繋ぎしていちゃいちゃしてたり、体をすり寄せ合っていたり。

 往々にして浮かんでいるのは笑顔だ。幸せそうな笑顔。そこに一点の曇りも無い。


 そりゃあそうだろう。休みの日にプールに遊びに来てまで、暗い顔をする理由が見当たらない。

 そもそも、ここまでくるのに喧嘩でもしてたら帰ってるだろうし。

 ボク達の前にいるカップルが羨ましい。ボクだって手を繋いだり、くっついて寄り添って、仲睦まじい……他人からしたら甘くて暑苦しくて鬱陶しいと思われるようなことをしたい。

 すぐ側にある瑞貴の手が、とても、とても遠くに感じる。


「なんか、カップルだらけだね」

「そうだなあ……」


 気まずい。というか場違い感が半端ない。

 なんだかんだで、瑞貴の容姿は目立つし、多分ボクも目立ってる方だと思う。

 チラチラと視線を感じて、兄妹かなとかいう声も聞こえてくる。

 兄弟姉妹、男同士女同士で来ている人たちもいるにはいるけれど……そっか、ボクと瑞貴って傍から見たら兄妹って思われる事の方が多いのかあ……。


「ボク達兄妹だって」

「まあ、身長差があるからな。ほら燈佳、手出して」

「んー?」


 言われるがままにボクは手を持ち上げると、ぱしっと握られた。

 うわわ……! 瑞貴の手大きいし、ゴツゴツしてる……。

 綺麗な手なのにやっぱり、男の人なんだなあって思わせる手だ。


「燈佳の手は小さいなあ」

「瑞貴の手が大きいんだと思うけど」


 やばい、どうしてだろ、それだけで頬が熱くなる。

 それに手はじっとりと汗ばんで来ている。でも、手を通して伝わるほんのりと熱い体温がとても心地いい。

 たったそれだけだというのに、さっきまでの薄暗い思いが吹き飛んでしまった。


「手繋ぐの、ハードル高いんじゃ無かったの?」

「だってなあ、こんなに可愛い女の子を連れてるのに兄妹って誤解させるのは燈佳に悪いだろ」

「ボクは別に……」

「嘘吐け、相当羨ましそうに周り見てただろ」


 どうしてバレてますかねえ!? そうだよ、羨ましかったよ。でももうその気持ちは消え去ったさ! 瑞貴が手を繋いでくれるだけで、十分ボクは嬉しいよ。


「でも……ボクの代わりに緋翠ちゃんだったとしても、瑞貴は同じ事やるんだよね……」

「まあ、流石に女子を困らせる事はできないからな。似たような事はするかも知れないな」

「だよねー……、知ってた」


 でもいいんだ、この手の温もりが一時の物だとしても今の思い出には違いないんだから。

 にやけそうななる顔を必死に抑えて、笑みを浮かべる。嬉しいんだから、笑ってもいいじゃない、そうでしょ?


 暫く待って、漸くボク達の番が回ってきた。

 係員の人がボク達を見て、定型文を口にする。

 何組か前から聞こえてきていた台詞だ、必ず言うように教育されているのだろう。


「お客様はお一人ずつでしょうか、お二人一緒に?」

「二人一緒で!!」


 ボクは間髪無く応えた。この機会を逃したら一緒にっていうのはもうなさそうだから!


「俺の意見は無視か」

「うん!」

「はあ……。二人一緒で」


 嘆息する瑞貴を余所に係員の人が微笑ましそうにボク達を見ていた。


「はい、では彼氏さんは、彼女さんをしっかり抱きしめてあげてくださいね、途中速度が出ますから離すと危ないですよ」


 え……、しっかりと抱きしめる……?

 少しは想像したけれど、えっと、ほんとに? ちょっとこれ墓穴掘ったんじゃ……。

 あの腕に抱きしめられるの……? 嘘でしょ、ボク嬉しくて死んじゃわない? 嬉死しないよね……?


「隙間が無いくらいに密着してくださいねー」


 トドメの一言だ。

 ボク達は繋いでいた手を離して顔を背けた。

 は、恥ずかしすぎる!!


「どうせ、やることやってるんでしょうから、そんな初心な反応いりませーん」


 やる事って! ああ、この係員さん笑顔の中に闇が見え隠れしてる。

 そうか、こういう仕事柄この手合いのお客さん相手にしてて、死ねって思ってるタイプだ。

 声に心がこもってない。真っ黒だ。

 笑みがにこやかなだけに余計怖い!!


「瑞貴、諦めよう」

「いいのか?」

「ボクは、うん、気にしない」


 というか、嬉しいし。


「はいはい、彼女さんもそう言ってますので、彼氏さんここはどーんといっちゃいましょー」


 ちゃっちゃと準備をさせられる。

 ボクはちょっと前の方に座らされ、瑞貴が後ろに来るまで手摺を掴んで待っている。

 意外と水の勢いがあって、水着が凄い勢いで水を吸っていく。

 なんというか、えっとあれだ……おしっこを漏らしたみたいな感覚にちょっと不快感。すぐに冷たくなるからいいんだけど……。


「彼氏さんはとりあえず片手で彼女さんを抱きしめてあげてくださいね。滑り始めたら両手でぎゅーっですよ、ぎゅー! 本当に一緒に落ちないと危ないですからね、途中で離したりしちゃダメですよー」

「は、はい……」


 瑞貴の体温がすぐ側に感じられる。


「んっ……!」


 回された腕、筋肉がついてて角張っている腕、それがボクのお腹に触れると自然と声が出てしまった。

 そのまま引き寄せられて背中越しに体温を感じる。熱い、心臓がどくどくと脈打って、顔から火が出そうなほどに熱い。


「ふぅ……んぁ……」

「わ、悪い、なんか変なところ触ったか……?」


 違う、違うの……。触られて気持ちよくて変な声が出ちゃっただけ。


「あらー、彼女さんちょっと敏感みたいですねー。彼女さん! お尻をすりつけるようにするともっといいですよ!!」

「な、何変な事言ってんだ、この係員!?」

「あらあら、まあまあ、彼氏さんちょっと期待しちゃってるー??」


 お尻をすりつける……、どこに……? ううん、分かってるけど……それはちょっと恥ずかしい。瑞貴にははしたないって思われたくない。


「ひぅ! み、瑞貴……」


 これ以上はダメッ! 耳元に届く声が、触れている体温が、肉の厚みが、ボクを包み込んでる全てがボクを変な方向に昂ぶらせてくる。


「それじゃあ、お二人さんいってらっしゃーい!!」

「いってえ!?」


 ばしーんという派手な音と共に、ボク達は滑り出した。回されていた片腕は両手になって、瑞貴の大きな掌がボクのお腹を撫でるように掴んでいる。

 それが、どうしてももどかしくて、もっと下をもっと上を触って欲しいと思ってしまって……。


「わあああああああああ!!」


 そんな思いを全部振り切るかのように、ボクは大声を出した!

 これ以上体の方に意識を持って行ってたら確実に変なスイッチが入っていた!

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