哀惜と憧憬

 月が変わって五月一日。

 この前はちょっと羽目を外して夜更かししたけど、一番大事なのは生活のリズムを休みの日も崩さないこと。

 いつもより一時間遅く起きるくらいなら許容範囲内!

 明日は学校がある。といっても殆ど自由登校みたいな感じで、自習だったりレクリエーションだったりだけど。だから瑞貴くんは二十九日の内に実家へ帰省したみたい。

 だから、できればいつも通り起きたかったんだけど……。


「一時間……寝坊した……」


 少し体が熱っぽい感じがするけど、はしゃぎすぎた疲れが今更出てきたのかな。

 まあここ最近色々あったから仕方ないかな。ちょいちょいからだがだるいときはあったけれど、少ししたらマシになったし。朝起きたときの体力の消耗だろうね。


 ベッドから降りて、ちょっとバランスを崩したけれど何とかなった。

 うーん、一応熱計ってみるか。体温計はリビングに置いてある。共用の救急箱なんかは全部リビングだ。

 体がちょっとだるいなあ。足取りが重いけれど、動けないほどではないから、今日の予定は何とかこなせる。

 出来れば心配掛けないように上手く隠し通さないと。


 いつものように朝ご飯を食べて、といってもそこまで食欲があるわけでも無く。半分くらい食べてごちそうさまにしてしまったけれど。

 順番は入れ替わったけれど、身だしなみを整えて、今日着ていく服を選ぶ。

 折角だし、貰った服着るのもいいかなあ。

 ジャケットは暑いから、ブラウスとズボンだけで。足は半端に露出するより隠した方がいいのかな。ネクタイもよく分からないからパス。


 久々のズボンだ。膝丈なのが問題だけど。出来ればジーパンがよかったなあ……。

 ボクの意見は悉く桜華ちゃんによって却下されるから悲しい。

 いや、ボクが一人で服屋さんに入って好きに買えば良いんだよね。そうだよね。

 ハードルたかいなあ……。

 幸い服屋さんに着ていく服が無い状態は、桜華ちゃんのお陰で解消されてるけど。


 ボクはそっと部屋の隅に詰まれている中身入りの段ボールに目をやる。

 ほんの一ヶ月くらい前までボクがきていた服達。

 母さんが買ってきた物が殆どだったけど、安物は無かったはずだ。


「あ……。制服片付けないと」


 二日の夕方からは緋翠ちゃんが泊まりに来る。

 名残惜しいけど、部屋に飾ってる天乃丘の男子制服は片付けないと。

 もし部屋の中見られたら大惨事だ。


「ごめんね、また暫くしたら飾るから」


 制服を畳んで段ボールの中にしまうだけなのに、どうしてかとても胸を締め付けられる感じがした。

 自分が男であると言うことを否定するような気がして。

 何のために覚悟をして天乃丘に来ることにしたんだったか。そういうのを無理矢理しまい込んでしまうような気がして。


 だめだ、今一人で考え事したら際限なく悪い方に考えてしまいそう。

 思考が悪い方に悪い方にループして加速していく感じ。少しは抜け出せたと思ってたんだけど、まだダメかー。


 こういうときは、無心で掃除をするに限る。

 何も考えずに行動して、その結果が良くなればきっと考え方も変わるはず!

 ついでに十時頃には桜華ちゃんも起きてくるだろうし、それまで家全体の掃除だ!


「おはよう、朝からお掃除ありがとね」

「うん、煩くなかった?」

「掃除機の音が心地好くて安眠できた」

「そっか。桜華ちゃんは災害があっても図太く寝てそうだね」


 結構うるさくドタバタやったつもりなんだけど……。それで起きないとかある意味凄い。

 決して褒めてるわけじゃ無いけど。


「そういえば、燈佳ちゃん」

「なに?」

「お店には何時くらいに行くの?」

「あ、どうしよっか。お昼すぎでいいかなって思って、行く前に連絡いれるつもりだったけど」

「一応向こうも働いてる人だから、聞いておいた方がいいんじゃ無いかな」

「それもそうだ。酔っ払ってるところしか知らないから、すっかり忘れてたよ」


 そうだよ、沙雪さんも社会人だったんだ。決して社壊人じゃないんだった。

 スマホを取ってきて、沙雪さんにメッセージ。

 お昼頃に伺いたいと思います、と。

 返信はすぐに返ってきた。


『お昼もご馳走するから今からいらっしゃいな』


 なんとも太っ腹だ。

 甘えちゃって良いのかなあ。正直ちょっと作るのしんどいなあって思ってた位だし。


「お昼もご馳走してくれるって。どうする?」

「じゃあ、行こっか。好意を無駄にしちゃいけないし」

「そうだね、それじゃあ桜華ちゃん早く準備してきて。ボクも着替えてくるから」


 一度袖を通した後、掃除するって決めたから楽な格好に着替え直した。

 だから、ボクもまたあの服に着替えないと。

 やっぱり、スカートよりズボンの方がボクはいいかなあ。

 スカートに慣れてきてるし、女の子として楽なのは分かってるけど。


 それからなんやかやと準備して、沙雪さんに今から家を出ると連絡。

 歩いて三十分。今日はとても天気が良いから、お昼からは暑くなりそう。

 お店に着いた事を連絡して、扉を開ける。


「こんにちはー」

「いらっしゃいませ……! 結姫さまですね。少々お待ちください」


 どうやら顔を覚えられていたみたい。

 店員さんはすぐに裏に引っ込んで行ってしまった。

 制服を買ったときに来たっきりだったのに、店員さんの記憶力って凄いなあ。

 それにしても待つと言っても何処で待とう。入り口だと邪魔だし……。


「結姫ちゃあああああん!! あいたかったよおおおおお!!」


 そんなことを叫びながら、ボクに突進してくる女性が一人。

 流石にちょっと怖い。身の危険を感じる!!


「社長!」

「あ、ごめんなさいね。モデルの子が来たからすっかり我を忘れちゃった」

「全く……。モデルの前にお客様なんですよ、気をつけてください」


 店員さんが社長と呼んだ女性を怒ってる。

 いいのかな。クビになったりしないのかな……?


「あ、申し遅れました。私、ゴシックラテのデザイナー兼社長を務めます暮林雪菜と申します。はいこれ、名刺」


 胸元のポケットから名刺を二枚取り出して、ボクと桜華ちゃんに一枚ずつ手渡ししてくれる雪菜さん。

 名刺に目を落とすと、さっきの名乗りの通りに、デザイナー兼社長と書いてあって、その横には沙雪と。そして、括弧書きで暮林雪菜と書いてあった。


「えっと、沙雪、さん?」

「ええ、そうよ。初めまして結姫ちゃん。写真より実物の方が可愛いわあ! あ、後それうちのよね、着てくれてありがとー!」


 ボクの両手を握って上下に振り回している。

 感情表現豊かな人だなあ。

 でも、格好はきちっとしていて。働く大人の女性って感じだ。女性用のスーツに、眼鏡も束ねた髪も働く大人のイメージに違わない。

 でも、どこか子どもっぽい所がある。話し振りを聞いているとやっぱり沙雪さんであると感じる。


「これ、沙雪さんに貰った奴です。今日は暑くなりそうだったから上着はおいてきました」

「あら、そうなの。あなた、やるじゃない」


 このこのと、隣にいる店員さんの脇を肘でつついてる。

 沙雪さんが全部選んだわけじゃ無いんだ。そりゃそうか。お店の在庫状況を全部把握だなんて無理だね。


「社長がイメージをふわっと伝えすぎなんです! 私達必死なんですからね! それにぽんぽん人に商品をあげないでください!」

「いいじゃない、ちゃんと売掛にして、後で私が売上げ計上してるんだから」

「経理の人泣いてるんですよ!? 在庫と売上げが一致しないって!」


 おお、なんか大人の会話って感じだ。

 詳しいことはなんかよく分からないけれど、大人がしてる会話って感じがする。


「まあまあ、大丈夫経営が成り立ってるうちは大丈夫。さて、それじゃあ本題に入ろっか」


 あー、そうだった。うん、今日はボクモデルのお仕事に来たんでした。


「そっちの子がお友達だよね」

「はい」

「あ、畏まらなくて良いよ。いつも通りでゲーム内みたいで」

「あ、うん。ありがと、沙雪さん。えっと、この前入ったアイビーって覚えてる?」

「あ、新人ちゃん! やだもう、こっちも可愛い子じゃない!」


 どうやら、桜華ちゃんも沙雪さんのお眼鏡に適ったようです。

 でも、桜華ちゃん、なんか固まってない?


「アイビー? 大丈夫?」


 目の前で手を振ってみると、はっとして。


「生沙雪さんだ……」


 あ、感動してたのね。

 一応念のため、ゲームキャラの名前で読んだけど。フリーズしてたのは沙雪さんを見たからだったのね。


「あの、私……。ここの服大好きで」


 すごい、ここまで緊張してる桜華ちゃんを見るのは初めてかも知れない。

 珍しい物を見たという思いと同時、本当に好きなんだなあって気持ちが伝わってくる。

 どうやって言葉を紡ごうか必死に考えている感じ。


「うわあ、ありがとう! このくらいの子に好きって言って貰えると作ってる私も嬉しい!」

「え、わっ、きゃ!」


 戸惑ってる。凄い、珍しい! この驚きの顔写真に撮っておきたい。

 というわけで、スマホを取り出して、ポチッと。


「ちょ、ちょっと、燈佳ちゃん、写真、とらないで!」

「えー、やだ。面白い物が取れたから明日みんなに見せる!」


 ちょっと涙目になってる桜華ちゃんが本当に珍しくて、ボクは暫く写真を撮り続けた。

 その間も沙雪さんは一生懸命大好きといった桜華ちゃんを気に入ったのか、全くもって離しもしないし。


「でも、私には似合わないから、最近は燈佳ちゃんに」

「あらそう? あなたに似合いそうなのあるけど、そうだ、一緒に撮りましょうか!」

「え、えっと。燈佳ちゃん、どうしよう……」


 どうしようも何も、あそこまで爛々と目を輝かせてたらやるしか無いんじゃ無いかな。

 だから、


「がんばろ? 死なば諸共っていうじゃん?」


 ボクは無慈悲にそうトドメを刺した。

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