科学と絶望。

 私の敵はゲームです。


 こうみえて重度のゲーマーだったりするので、というより、一つのことに没頭してしまう性質なのでゲームに嵌まるとそれで頭の中がいっぱいになってしまうのです。

 それまでは小説の構成とかイベントとか分岐とかのアレコレが詰まっていたはずなのに、ゲームに嵌まってしまうと攻略一色。


 ある意味で、非常に不器用な性質の持ち主なのですね、周囲にADHD(発達障害)ではないのかと疑われている原因なわけですが。集中力の分散は苦手です。


 創作に夢中になっていた時は、脳みそがその系統のデータ整理に八割がた持っていかれていました。多元宇宙的マクロから中性子的ミクロまで、あらゆる事象をクラウド状態で繋げていく試みを絶えず行っている状態でした。


 私のモットーは、某古書店主じゃありませんが、「この世には、不思議なことなど何もないのだよ」でして、これを本気で標榜しておりますんで。


 解明できない謎など、本来は存在しないのです。


 今まで散々オカルトな話をぶちまけてきたくせに何を言ってるんだとお思いでしょうが、いや、マジです。本気で解明出来ない、なんて態度はフザケンナ、としか思いません。そのうち暴いてやるからな、の気概は重要です。

 現状、科学や医学がその事例の解明に向かえるだけの発達をしていないだけの事だと思っています。この世には、悔しいけれど不思議で片付けるしかない現象は数多くあります。けれど、それをそのまま受け入れるのは怠慢であり敗北ですよ。


 私がリアルに経験している数々の霊現象だってそう、ただ単純に科学が追いついていないから、その元素式だのメカニズムが解からないってだけで、別段、気持ち悪いものでも不思議なものでもないのです。解からないってことが、悔しいですが。


 オカルティストは謎を謎として有難がるところがありますから、科学信奉者とは反りが合いません。私を含む科学至上主義者はオカルトを切り刻んで分解する機会を常に狙っています。世の不思議を解明し、日常に取り込みたいのですね。不思議で片付けてよいものなど、何一つとして許せない心持ちなのです。

 神や悪魔や心霊現象、奇跡や魔術や人心の不思議……これらを、科学的に解明し百科事典の1ページに収めてしまうのが夢です。


 私は以前、人に「あなたの作る世界観は絶望に満ちている。」と言われたことがあります。私の作品の根底に流れるものは統一していつでもリアル現実社会の不条理や摂理ですので、リアル現実を反映する限りはそうならざるを得ないのかも知れません。けれど、私は別にこの世界に絶望しなければならないとも思っていませんし、作品世界が読者には絶望に見えたとしても、書いてる私はそれを絶望などとは思っておりません。


 私は科学至上主義者です。

 絶望とはなんですか? そんなものは知りません。未来は来ます。必ずやってくる、絶対的未確定の要素と約束されているものがです。ならば、そこには絶望だけでは片付けられない未知があるばかりです。

 絶望とは八方塞りの別名ですが、未来という先のまだ見ぬ結末のすべてがそれであるはずなどないのですから、絶望という決め付けは愚かです。正直、無駄な感情だとすら思っています。絶望している暇があるなら、可能性を数え上げる努力の方がずいぶんと高等だと思っているわけです。

 根っからの研究者は挫けることを知りませんが、おそらくは私と近しい精神構造のゆえではないかと思っています。絶望という文字は研究者の中にはないのです。


 先日、神社でおみくじを引きました。でした。

 今、現在、私の敵は最近になって嵌まってしまったソーシャルゲームです。

 いかにしてこれから抜け出し、元の執筆ペースに戻すかが、天に与えられた課題です。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る