◇手招きする影牢



 リンクした対象へ自身の感覚を与える能力。

 腐蝕液を隠し持つしなやかで鋭利な触手尾。

 共喰いにより超再生力を得た身体へ能力と特性がハマった事により、イフリー大陸から腐肉の名が感染病のように広まった。

 ウンディーの冒険者───問題児世代バッドアップルの中にも腐肉の名を知る者は少なくない。が、外見などの特徴はハッキリと噂に上がらない。

 その理由は単純に、対した者は死んでいるからだ。

 死体があれば情報を脳から抜き取る術も無くはない。しかし、死体は全て脳が無く、肉体は腐り溶けていものばかり。腐肉の異名は簡単に広まったものの、肝心な “共喰い” 部分がぽっかりと抜けた状態で今まで囁かれてきた。


 ありとあらゆる苦痛快楽を体験してきた腐肉。今、全身を震わせて体験している未知に、皇帝種としての姿が晒される。


 浅黒い肌を露出した上半身、裂けるようなクチから力無く垂れる舌には無数の小さな舌が蠢き唾液をね、メレンゲのように泡立たせる。

 黒一色となった眼球は涙を溜め、力いっぱいに広げられた手のひら......指は関節部分が丸く膨れ、本来の人の指よりも関節が多くなっている。

 身長サイズは人間時と変わらないが、下半身は腰部分から腕を6本生やし身体を支え、触手尾は先程とは若干違う形状に変化していた。

 鋭利だった鱗はヌメリのある肉、尖端部分は皮を剥いたトマトのように真っ赤に熟れ縦に小さな切込みがある。そこから腐蝕液を涎のように垂らし、4本の触手尾は脈々と温度を上げる。


 異形という異質な言葉ではなく、猥雑という言葉が合う姿を晒し、焦点の合わない瞳で月を見上げ小刻みに喘ぎを漏らしていた。


 未だかつて体験した事のない快感が今もなお全身を廻り続ける中───その絶頂は一瞬で覚める。


「満足したか? なんて言うか......汚いな、お前」


 深々としたイフリーの荒野に響いた声、消えそうだった気配が突然濃く背後に湧く。びくん、と一度大きな震えを入れ、腐肉の皇帝は手首を回すようにを動かし振り向くと、そこには予想通りでありながら予想外にも幻魔が。


「な、ぜ......」


 幻魔の拘束具めいま防具に穴はある。つまり攻撃は通っていたという事。腐肉は確かな手応えも感じていた。幻想ではない快楽と絶頂も。

 しかし、幻想は生きている。数秒前まで腐肉が堪能していた感覚さえ体験せず。


「知り合いの......帽子が言うには、俺のこの導入能力ブースターはあくまでも自分の影が必須な能力らしい。自分の影という指定がある分、その指定を満たしていれば相当幅が利く能力みたいだけど......どの程度まで幅が利くのか俺も正確には知らない。が、今ひとつ知れた事がある」


 先程、腐肉がペラペラと能力を明かしたお返しのように、今度は幻魔がその能力を語る。しかし腐肉の時とは明らかに場の空気が違う。


「前提条件を満たしていれば応用幅は計り知れない、という事を知れた」


 知れたのか知れなかったのか、この言い回しにも勿論意図がある。幻魔は腐肉のように自慢気に手札を晒すような真似はしない。むしろ、新たな選択肢を浮上させるように札を切る。

 今、腐肉はなぜ幻魔が自分の背後に立っているのか、という現実に思考を回している最中。そこへ “計り知れない” という曖昧かつ壮大な小石を投じ、思考に乱れを与える。

 全ての相手に通じる手ではないが、腐肉のように絶対的な自信をあらわにした相手ほど効果的な相手はいない。

 自信には自尊が必ずついて回る。

 自尊の上に自信を重ねられない者は、簡単に停止する。


 今の腐肉のように、処理しきれない現実に対し仮説さえまともに立たなくなる。


賢者時間クールタイムはもういいか? ディレイがあるなら待ってやるけど......俺は一刻も早く視界から汚物を消したいタイプなんだ。卑怯だ何だと言われるのも尺だし、待ってやるから早くしろよ」


 ここでさらに、相手を下に見た発言を上塗りする。これにも意図があり、先程のような状態に陥った対象は高確率で、


「もう一度、もう一度あの体感を味わえるならば願ってもない事だねぇ! ありがとう、キミは最高だよ」


 余裕そうな雰囲気を醸し、自信にあぐらをかき必ず乗ってくる。

 冷静な判断を下すならば、ここで相手のペースに乗らないのが正解だろう。なにせ腐肉の攻撃は一度対処されているのだから。勢いで押しきれないというのは数分前に結果として出ている。にも関わらず、なんの根拠もなく “次は” と考えるのが人だ。


 幻魔───トウヤはそういう人を、心を、惨めとは思わない。しかし、残念だとは思う。


「敵に押されて前向きになった時点でもう終わりだよお前。地に足つけろよ、この国の人達は腐ろうがデザリア軍お前らを頼るしかねぇんだぞ......」


 残念だ。そう言葉にはせず、トウヤは右腕を少し引き、爪を立てるように手を開き固める。

 手のひらを下にする事で影が這い上がり、指にも影が絡みつく。


 幻魔トウヤは能力と特性を組み合わせる戦術など、今の今まで考えた事もなかった。それどころか特性というものにさえ眼を向けて来なかった。しかし、それではこの先......ここから上のステージでは戦えない。直感的にそう思う事でやっと今の自分を受け入れる事が出来たのだ。


 少しでも人であろう、少しでも普通の人間を演じよう。


 食事を必要としない身体でありながら食事を取り、睡眠を必要としない身でありながら夜は寝ているフリをしていたのは、自分は人間である、と自分に言い聞かせるためだった───が、それは言い訳を準備して自分を納得させていただけ。


 何をしようと、何を思おうと、今の自分は人間ではない。

 その事実と向き合い、本当の意味で受け入れた時、自分はやっと、ひとりの人として、トウヤとして立てる。


 受け入れてしまえば、認めたうえで利用してしまえば、本当に化物になってしまうのではないか? と考えずにはいられなかった。

 しかしそれは、小さな悩みであり、答えなど始めから出ていたのだ。


 向き合い、考え悩み、思い続ける事が正解。


 自分は化物ではない。化物なんかに成り下がるのは御免だ、と。


 自分は自分で、今も昔もトウヤという人なんだ。見てくれは変わり、性格も価値観も力任せに屈折させられ、投げ捨てられた被験体だとしても、自分は自分でそれ以上の存在にはなれない。


 それ以下になるくらいなら死んだ方がマシだ。

 それ以下の存在にならないよう、必死になるんだ。


 その必死さが今まで足りなかっただけで、今は充分に足りている。



 過去の影を必死に掴もうとするのは終わりだ。

 自分が進む道には影などない。

 自分自身の幻影理想を追うのはやめだ。



 とぷん、と影に身を落とし素早く相手の影から姿を晒し、影を絡めた右腕で腐肉の胸を鋭く穿つ。

 特異個体を生身で、素手で貫くなど正気では決して不可能。特異個体と特異個体でも非常に難しい事をトウヤは自身の特性───左胸に埋め込まれている劇毒の命、楼華結晶サクラを利用する事で難しい壁を軽々と貫通した。



 夜楼華ヨザクラが長年溜め込んでいた膿や毒を個体化させたものが楼華結晶サクラ

 楼華結晶は命を蝕む。命とはマナ。

 命彼岸めいひがんの支配力さえも支配し、その支配力で楼華結晶さえ我が物とした存在が幻魔。


 本来のルートからはかけ離れた修羅道さえ歩きやすく思える道の果で、トウヤは異例な特異個体として命を鷲掴みにした。


「俺の今の影は、お前らでいう所の捕獲器官......触手だ」


 トウヤには女帝皇帝が持つ対象を捕獲する器官、触手尾が存在しない。エネルギーを摂取する必要がないからだ。

 無いならば必要に応じて造ればいい。

 影を利用し触手尾と同じ働きをする影を造り、触手尾よりも柔軟な応用力を活かし、今トウヤの右腕は異形。


 魂───命を掴まれた時点で、否応なく身体は脱力し、死が確定する。抗う事さえ許されない死を意思とは裏腹に身体は簡単に受け入れる。


 楼華が命を蝕み、彼岸が命を吸い、影が根こそぎ搦め捕る。


 魂を刈る死神のような絶対的な支配力と決定力を持つ右腕が、影を濃く纏い、腐肉の命を影牢へ手招き、幽閉する。

 抜け殻となった腐肉の肉体は、異形部分がモンスターの死同様に灰とも塵とも言えぬ何かになり崩れるも、リソースマナの排出は無かった。



 完全なる死を与えたのは自分。

 トウヤはどこか浮かない表情で遺体抜殻を視て、何も言わず先行したメンバーを追った。



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