◇急加速



「この辺りなら大丈夫そうだ。さて───キミが例の皇帝インペラトーレかい?」


 男性兵は広く障害物もない荒野で足を止め、トウヤの方を向き質問を投げた。皇帝───インペラトーレとは共喰いを行った男性の呼び名。

 女性は女帝、男性は皇帝、種を様々な意味で超越した存在という比喩から名付けられた呼び名だ。


「共喰いはしてないが......そうだな、個性的なインペラトーレだと認識してもらってかまわない」


 歯切れの悪い答えに男性は眉をしかめた。しかしトウヤの言っている事は嘘でも間違いでもない。


「その左手は皇帝種じゃなければ説明つかないよ? 女帝種よりも太い葡萄の蔓のような変異細胞は」


 女帝種は植物の根のような細く繊細な変異細胞を持ち、皇帝種は葡萄の蔓のような太く強靭な変異細胞を持つ。

 これらは他のどの種族にもなく、共喰いを行い特異個体となった存在にしか現れない細胞の変異。


「詳しいなアンタ......専門家には見えないが」


 専門家、というのは含みだ。知的に、理論的には見えない、という意を含ませて放った言葉に男性は笑いながら答える。


「ハハハ、俺はそんなに賢くない。キミの言う通り専門家に見えないだろう? ではなぜ詳しいのか───答えはひとつでシンプルだ」


「あぁ。アンタ...... 皇帝種インペラトーレだろ?」


 察した、ではなく、対面した時からトウヤにはわかっていた。知らない者は男性のマナを読み取っても “何かあるマナ” と警戒しか出来ない。

 しかし知っている者から見れば隠しようのない皇帝種のマナ。

 皇帝と女帝ではマナの時点でまるで違う。


「正解だ。同じ存在だからこその感知......しかし残念な報告がある。キミでは俺に勝てない。糧の量が天地の差だ」


 糧、つまり共喰いした数。

 女帝と皇帝は経緯こそ同じたが存在はまるで違う。マナだけではなく、その性質も。女帝種よりも単純で、女帝種よりも荒いのが皇帝。

 単純かつ豪快、これが共喰いを行った男はすぐに自我を失ってしまう原因のひとつであり、ほぼ全ての原因がこれだと言っていい。単純に快楽への耐性が男性と女性では違うからだ。


 芯を熱を宿し内側から深く高まる快楽、

 と、

 芯が弾け内側から一気に破裂する快楽。


 前者が女性で、後者が男性。

 瞬間的かつ爆発的な快楽に自我を失い文字通りの化物となる確率が高いのは男性だ。

 一滴でもクチにすれば脳は、細胞はその快楽を強く求める。抗いようのない欲望は膨張し、簡単に破裂する。


 しかし極稀に、自制さえ快楽だと感じる者がいる。そういった者が皇帝種の力を鎮圧、抑制出来る。それが今トウヤの前に立つ男性。


「糧の量、か。さっきも言ったが俺は共喰いをしていない。根本的なものが女帝とも皇帝とも違うんだ」


「なるほど、あまり興味はないが違うという事だけは覚えておこう。おっと遅れてすまない。俺は───」


「───名乗らなくていい」


 自己紹介を喉まで押し上げた男性へ、蓋をするようにトウヤが言葉を被せた。


「お互い名前なんて知らなくていいだろ? アンタは皇帝、俺は幻魔、それだけでいい」


「そうかい? それじゃあ───幻魔君。俺はキミを踏み台とし、最強と呼ばれている皇帝種を倒したい。糧になってくれないかい?」


「却下、話にならねぇよ」


「うん、だろうね」


 男性がトウヤを誘った理由は今まさに言った、踏み台───糧とするため。

 トウヤが男性を誘った理由も似たようなもので、糧───踏み台とするため。


 喰う、か、喰われる踏み台か、幻魔と皇帝は数秒の間をあけ、同時に迷いなく殺し合いを始めた。


 男性というものはわかりやすい。

 どちらが上か、それをハッキリさせるにはシンプルにり合うのが一番いい、と。

 どちらかが死ぬまで続ける。死ねば負けで殺せば勝ち。

 対面した瞬間にトウヤはそれを理解したからこそ、仲間を先に行かせたのだ。なにも殺す事はない。そう思う心もトウヤにはあるが、殺さなければコイツは殺すまで追ってくる、という直感が強く根付いた。

 だからこそ、殺すという選択を。

 仲間を殺させないために。





「腐肉はまた自由行動ですか......私も好き勝手やっても良いでしょうか?」


 デザリアの中心街でカスタマイズされた軍服───というには宗教性が濃い───をなびかせる男性は、フォンを操作しながら隣にいる兵へ不満を溢した。自由行動している者がいるならば、自分も自由行動させてほしい、と。


「ぼ、僕に聞かれても答えられないよ......だって、僕なんて全然そんな」


「はいはい、もうわかりましたからクチを閉じてください。愚痴る相手を間違えた私のミスですよ全く」


 腐肉、とは先程トウヤと戦闘を始めた皇帝種。

 愚痴を溢した男性は大きな十字に巻角を持つ動物の頭蓋がデザインされたローブ姿で、愚痴に戸惑っていたのは女性と見紛う程の愛らしさを持つが、男性。


 この3名が残るデザイン軍の四将。

 腐肉、十字、嫉妬、の通称を持つ。


「せ、旋弾さんは......やられちゃったんだよね?」


「まぁ、過程はどうあれ死にましたね」


「...... 密入国者ターゲットって、どんな人かな?」


 旋弾の死という結果だけ知らされている嫉妬は無駄にビクビクと怯えながら話題をふり、十字は淡白に答える。同じ四将が死んだというのに悲しみという感情が一切湧いていないのはお国柄だろうか。


「おや? 貴方、炎塵うえからの情報には必ず眼を通すよう教えましたよね? 私の教えを守らなかった、という事ですか?」


「え、えぇ!? 情報って......ほ、本当だ、届いて───むぐっ!?」


 フォンを確認し、炎塵から数分前に届いていたメッセージの存在を知った所でクチを塞がれる形で両頬を十字に掴まれ、言葉を詰まらせる。


「私、貴方に何度も......何度も何度も何度も、何度も言いましたよね? 上からの声には必ず素早く反応なさい、と。貴方は賢く従順です───ので、もしかしてわざとですか?」


 十字に指摘され、涙に潤んでいた嫉妬の瞳が───亀裂のように歪んだ。

 嫉妬はわざと十字からの教えを破ったのだ。仕事などどうでもいい、国などどうなっても構わない。

 十字が自分を見て、自分だけを見てくれれば、自分の立場さえどうだっていい。そんな思考を中心に持つのが嫉妬。


「......わざとです。どうします? 僕、わざと先輩の言いつけを破ったんですよ? 悪い子ですか? 悪い子ですよね?」


 頬を、唇を、瞳をとろけさせ嫉妬はもじもじと腰をくねらせて十字の言葉を待つ。雰囲気的なものではなく、確実に今、嫉妬は甘い香りを漂わせている。


「そうですね、とても悪い子です。まずその “香り” をやめなさい。無闇に使うな、と教えましたよね?」


「言われました、でも破りました。お仕置きですか」


 たらり、と粘筋を垂らす嫉妬を見た十字は頭の中が掻き荒らされる。


 全ては嫉妬の思惑通り、全ては嫉妬が望むままに。客観視では十字が嫉妬の上司であり、嫉妬は気弱な部下でしかない。


 しかし現実は───熱を発し赤々と膨張する嫉妬の欲望を十字が宥め鎮めるように、

 嫉妬がその能力を上手に使い、十字を煽り自身を捧げる関係を築いていた。


「そういえば、まだメッセージに眼を通していないならひとつだけ」


「い、今必要、ですか? 今は、僕を───」


「密入国者は冒険者で女性もいます。未確認ですが別口の密入国者も女性だとか」


「───......女性......女ァ?」


 嫉妬の欲望は収縮し、胸のうちで別の欲望───嫉妬が膨張した。


「あら? もう良いのですか?」


「ううん、でも......先に掃除しないとおりもの臭くて息が出来ない。早く綺麗にしなきゃ、体中が痒くなる」


 気弱で内気な表情は一変し、苛立ちを隠す気さえ感じられない顔を見て十字は提案する。


「では私が魔女を、貴方は冒険者......腐肉の所へ向かってください。あの男の事だからきっと取り残しがあると思いますので」


「わかった。綺麗にしたらほめてくれるよね?」


「勿論ですよ。今回のお仕事はタイミング的にもとても面倒で相手も厄介ですので、完遂した暁には貴方が満足するまでほめて差し上げましょう」


「うん、うん! 僕、行ってくるね!」


 少女のように可愛らしい笑顔で嫉妬は冒険者達がいる方向へ歩み始めた───かと思えば突然の急加速。身軽に跳び、屋根を伝って、数秒と経たないうちに視界から消えた。



「さて、私も......その前に───混合種キメラを送っておきましょうか。夜明けまでまだ時間があるというのに、夜明けまでに済ませなければならないとは......これは荒れますよ」



 それを望んでいるかのように、十字は月に嗤った。



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