◇229
滑らかに仕上げられた長剣。刃は───抜け出た先を黒く湿らせ、雨粒よりも重く滴を垂らす。強張る手を長剣へ伸ばすも、触れる事を拒むように長剣は引き戻る。同時に黒が溢れ出し、薄い水たまりを濁した。
───......。
錆び付いた味に冷たい温度を感じていると、長剣はまるで雨粒のように直線的に降下し、剣先は地面数センチでピタリと停止。
撥ね飛ばされるように左側が軽くなり、バランスを失ったように倒れ込む。
「悔しがる事はない。今君の前に立っているのが私なのだ。7分といった所か? よく頑張った」
温度も色もない声は雨に混じり消え、胸の中心は冷たい違和感と共に焼ける様に熱を高めた。
◆
夕色と闇色の線は荒れるように駆け、鋭い黒赤の視線は隙を逃さぬように研ぎ澄まされる。
対する視線は冷めたように落ち着き、荒々しい夕色と闇色の線を大盾で受け弾き続ける。
元ドメイライト騎士団 隊長であり、現 後天性 悪魔の【ナナミ】と元ドメイライト騎士団 騎士団長であり、現 SSS-S3指定の犯罪者【フィリグリー】は、互いの命を違った温度で狙い続ける。
ナナミが教会前───ルービッドの元から離れ数分と経過していない状態だが、教会との距離は充分に離れ周囲に他の物の気配もない。今この街アイレインで何が起こっているのか把握出来ていない状態だが、ナナミは眼の前敵にのみ集中する。
SSランクのナナミも余裕を失う相手、それがフィリグリー。地界で最強とまで唱われたドメイライト騎士団の頂点に君臨していた男。
レッドキャップのリーダーパドロックは数年前の闘技大会でその実力を惜し気もなく発揮させ、対戦相手を殺し大会は幕を下ろした。
圧倒的な強さと魅了するような悪意を持つ【パドロック】に対し、冷静でありながらも圧倒的な存在感と強さをもつ【フィリグリー】とで、どちらが上なのか善悪の線さえ無視した戦闘狂達の間で幾度となく話題に上がる存在。
そのふたりが手を組んでいた事が広まった日から、戦闘狂の半分ほどはレッドキャップを求める事をやめた。
そんな相手が今ナナミの前に立ち、命を狙い澄ませている。
逃げ出したい気持ちもゼロではない。しかし、それでもナナミは退かない。
───コイツがいるという事は、他のメンバーも来ているハズだ。クラウンかレッドキャップか......ひとつを選び、ひとつを放置するには大きすぎる。
「無駄な事を考えるな」
「───ッ!?」
◆
雨音が邪魔する中で呆れるように囁かれたフィリグリーの声。昔、何度となく聞いた部下へ命令をとばすような色も熱もない声の直後───長剣は私の喉へ噛み付いた。
首から喉へと刃が通り、貫く衝撃。皮膚を抜け筋繊維や血管が刺される音が脳内に響いてやっと、攻撃を受けた事を知った。違和感と言えば違うが、剣を使った攻撃か牽制か、または防御か、考える隙さえ与えないほど自然な動きでフィリグリーは私の喉を突いた。
詰まるような呼吸と錆び付いた味に危機を感じるも、喉を貫いた刃が払い抜かれるという選択肢が私の手を動かした。寒気立つ全身、闇色のカタナを手放し、強張った腕で私は必死に長剣の刃を握った。喉を突き刺された状態で横に振られると首は斬り落とされる。そうなった場合は本格的に危険だ。
「悪くない判断だが、甘いな」
掴んだ長剣は腕を斬るように引き抜かれ、喉は熱く黒い血液を押し出す。
───これは.....もうダメだ。
足下に溜まる雨水が黒く濁るのを見て、私はフィリグリーの足止めを諦める事しか出来なかった。
「......ッ」
足止めは無理だとしても、せめて一撃を入れるべく左手で持つ夕色のカタナを握り直した。その瞬間フィリグリーの長剣はユルリと垂直に落ち、地面ギリギリで剣先が停止した。
面白い事に私の身体は既に感覚を失っていた。左肩から左腕が突然落ちるように弾かれ、バランスを無くした私は倒れ込む事しか出来なかった。
これが騎士団長に求められる強さか───届かない。
「悔しがる事はない。今君の前に立っているのが私なのだ。7分といった所か? よく頑張った」
フィリグリーの長剣が杭のように私の胸を突き刺した。
.....何をしたかったのだろうか、私は。
ここで殺されるのだろうか。
死ぬのは怖くない。今までの生き方を考えれば殺されても仕方ないだろう。人間の時は部下を使い捨て、悪魔になってからは沢山の人間を殺して、喰って、妹の悪魔堕ちを失敗して。
なんだろうな、この人生。
私は.....人間として死ぬのか悪魔として死ぬのか、それも───
「ふむ、人の形をしていても中身は悪魔。さすがの生命力だ」
霧に包まれたようにボヤけ始める視界の中で見たもの......私の左手は肩から切断されていたのか。数メートル先で雨に打たれているのが見える。
黒い雨でも降ったのか、私の周囲は真っ黒だ。
ゆっくりと私へ接近してくるフィリグリーの足音が地面を伝う。周囲に気配ないし、いよいよ終わりか。
「何か言い残す事はあるなね? 人間としての言葉なら
喉が潰されている状態で言い残すも何もない。それに、こんな状況になっても何も言葉が浮かばない。誰の顔も浮かばないんだ。
「......さらばだ」
◆
迷いに迷った俺は裏路地を走り抜け、少し広くなった場所へ到着した───瞬間、濡れる地面を全力で蹴り、眼の前で剣を突き下ろそうとしている鎧の男へ一気に接近し、大剣を振った。
「───んぬ.....ッ!」
「サラダがにゃんだって?」
俺の大剣の一撃を大盾で受け止めた男は、低い声を出し大きく下がった。
「全く気配を感じなかった。素晴らしい
「そりゃどーもニャ。おい、お前生きてるニャ?」
地面に倒れる悪魔を見た時、もう死んでいると思った。しかし悪魔は瞼を震えさせ、瞳を少し見せた。
「お、生きてたニャ。よかったよかった。お前にゃ借りがあるかりゃニャ。簡単にぃ死にゃれると困るニャ」
「すまないが、彼女を連れて行くのは
「そんにゃの俺の知った事じゃにゃいよニャ? まずお前誰ニャ?」
「私はフィリグリー、君は?」
「俺は、るー。鬼に見えるけど
フィリグリー......どっかで聞いた名前だが、思い出せない。そして多分、俺はアイツに勝てない。
「おい.....眼閉じて息止めとけニャ」
俺は小声で言い、大剣を構えた。
「邪魔するなら容赦はしないが、どうする? 猫人族」
「んにゃー.....邪魔するけど容赦してほしい───ニャ」
俺は言い終えると同時に自分が出せる全速力で走り、男は予想通り盾を前に出した。この瞬間に小さなタルを投げる。中身は強い振動を与えると破裂する種がぎっしり詰まった爆弾。眼と鼻を麻痺させる粉を一瞬で撒き散らす猫人族の間では悪戯に使うアイテム。
「なんだ.....ッ!?」
「うぅぅ~にゃ~、こりゃ効くニャ」
デザリアの地下で |エミリオ(フロー)がやったマタタビ爆弾の要領で俺は麻痺種爆弾を使い、目眩ましと嗅覚麻痺を広げた。その好きに死にかけの悪魔を背負い、多分悪魔の物だろう武器と───腕を拾ってこの場を去る。
「こにょ臭いで他のヤツがここに気付くと思うけど.....アイツ相手に10分以上時間を稼げる自信がにゃいかりゃ逃げさせてもらうニャ」
一応逃げる事を悪魔へ伝えるも、か細い呼吸しか聞こえない。
「......お前はデザリアの地下で俺の眼を斬ったニャ。いつかお前にやり返すつもりニャ、それまで死ぬにゃよ」
とにかく、治癒術師を探さなければ。
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