第百六十一章 鬼門を見据えて

 久し振りにリビングのソファに腰を下ろす。ウノ邸は冥界で唯一落ち着く場所だった筈なのに、妙な胸騒ぎと不安が拭い去れない。


「ね、ねえ……二人共、今日はどうして冥王のところにいたの?」


 緊張しつつ、ウノとドゥエに尋ねる。しかし二人はにっこりと破顔一笑した。ウノが頬を赤らめ、明るい声を出す。


「カレーをお届けしていました」

「え!! カレー!? 何ソレ!?」

「ウノは最近、リスタさんが教えてくれた料理を作るんだよ」


 聖哉の為にと冥界で手に入る材料を集めてカレーを作ったことがある。その時、私はウノにも作り方を教えたのだ。


「上手に出来ましたので冥王様にもお裾分けを」

「あ、ああ……そうなんだ」


 私の感情とは裏腹にほのぼのとした空気が漂っている。無垢に微笑む兄妹を見ても全く悪意があるように思えない。


 ――うーん。私の気のせいよね……。


「冥王様は喜んでいらっしゃったな! はははは……ゴビュゥッ!」

「ええ、本当に。オホホホ……オッホォッ!」


 二人の口から出た鮮血がテーブルに巻き散らかされ、セルセウスがビクリと体を大きく震わせた。ウノ兄妹の癖――吐血である。


 ――!? いややっぱり、どうにも信じ切れねえっ!!


 何とか二人を信じようとしていたのに、吐血が再び私に疑念を浴びせかけた。


「私……ちょっと風に当たってくる……」

「お、俺も行く!」


 ウノは紅茶を淹れてくれようとしていたが、私とセルセウスはそう言ってリビングを出たのだった。


 廊下を歩きながらセルセウスが小声で聞いてくる。


「リスタ。お前どう思う? ウノちゃん達のこと」

「分かんないよ。今までだって良くしてくれたし、何もないって信じたいんだけどさ」


 捻曲ゲアブランデを救った後、今までとは違う不穏な気配が冥界全体に漂い始めた気がしていた。私は玄関の扉を開きながらセルセウスに言う。


「とにかく聖哉が戻ってきたらどう思ってるのか聞いてみましょう……って、いるじゃん、聖哉!!」


 驚いて、叫んでしまう。何と聖哉はウノ邸の庭に一人佇んでいた。


「結構早く終わったんだね!『冥王に聞きたい100の質問』!」

「いや。30問聞いた時点で、謁見終了だと護衛に閉め出された。また次回行く」

「し、閉め出されたのにまた行くんだ……! それで聖哉、何してるの?」

 

 聖哉は私と話している最中も手に地図を持ち、辺りを窺っていた。


「六道宮の時と同じだ。ウノ邸周辺の景色も以前とは異なっている」

「だからそれは、しばらく冥界に帰ってなかったからでしょ?」

「違う。建物が増えた消えたなどの変化ではない。端的に言えば、六道宮からウノ邸までの距離が短くなっていたのだ」

「えええっ!? そんなことってある!?」

 

 セルセウスも私に賛同するように頷く。


「冥界は霧が多いし、見間違えじゃないっすかね?」

「地図を作成する際は歩数で距離を計っていた。今回、六道宮からウノ邸まで以前と比べて二十四歩早く辿り着いてしまったのだ」

「いやそんな誤差、計り間違いに決まって……ないですよね! 聖哉さんがそんな間違いする訳ないっすもんね!」


 セルセウスは異論を唱えようとしていたが、聖哉に睨まれてすぐに考えを改めた。弱っ! 相変わらず弱っ!


「お前達も何か冥界で気付いたことはないか? どんな些細なことでも良い」


 聖哉に聞かれて、私はリィ・ツフという冥界の者が起こした騒動のことを伝えた。聖哉は腕組みしながら話を聞いていたが、やがて神妙な面持ちで先程冥王が言っていた台詞を呟く。


「『三千世界の歪みが緩和された』……か。今後は多少のプラン変更が必要なようだ」


 そう言って聖哉は持っていた地図をセルセウスに渡した。


「へ? 聖哉さん? どうして?」

「おそらく、もう使わん。荷物袋の奥に入れておけ」


 もしも聖哉の言ったことが本当なら、冥界の地形が変動しているということである。これでは確かに地図など意味を成さない。


 い、一体、冥界で何が起こっているの……?


「ねえ、聖哉。もしかして冥王が何か企んでたりとか……?」

「無論その疑いはある。だが今までの言動や俺達への協力などから考えても、策を弄している可能性はそこまで高くないと推測する」

「だ、だったら冥王の他に、裏切り者が!?」

「おい!! それってまさかウノちゃんとドゥエかよ!?」

「いや。同じ理由であの二人が俺達を欺いている可能性もまた低いと考えている」

「え……そうなんだ……!」


 何事にも疑い深い聖哉だが、意外にも冥王とウノ達のことはそこまで疑ってはいないようだ。聖哉の言葉に少し安堵する。だが、それでも不安は消えない。


「じゃあこれって、どういうことなんだろ?」

「様々な事案が推測される。しかし全てが推測の域を出ない」

「一応、聞かせておいてくれない? 聖哉の推測を」

「300程あるが良いか?」

「うん良いよ……ってやっぱ良くねえわ!! 日が暮れる!!」

「どちらせよ、冥界の異常について現状こちらから特に出来ることはない。なので今は保留し、捻曲イクスフォリアの準備を開始したい」

「そ、そっか。そうだよね……」


 準備と聞いて、セルセウスが「はぁ~」と大きな溜め息を吐いた。聖哉は今回もレベル上げから始めることだろう。そしてセルセウスを魔神化させた後、一緒に修行すれば驚くべき早さでレベルが上がることが分かっている。


「ホラ、セルセウス。魔神化しなさいよ。そして殴られなさい」

「簡単に言うなよ、お前! ああ……イヤだなあ。イヤ。もう本当にイヤ。何でボコられるのが分かってて魔神化しなきゃならないんだ……」


 愚痴るセルセウス。だが聖哉は涼しい顔で言う。


「レベルは現在マックス状態だ。かつてイクスフォリア攻略に臨んだ時と同様、飛翔の特技やメテオ・ストライクなどの魔法は失われてしまっているがな」


 そう。イクスフォリアはゲアブランデよりも魔法体系が細分化されている世界である。聖哉のステータスもこれから攻略する捻曲イクスフォリアに合わせて変化してしまったのだろう……って、待って!! 今サラッと凄いこと言わなかった!?


「聖哉!! レベルって、そのままなの!?」

「先程、冥王と話して確認した通りだ。捻曲世界救済の後、冥界に戻ろうがステータスが初期化されることはない」


 今までは異世界救済後、聖哉のレベルは1に戻っていた。それはおそらく最奥神界にいる理の神ネメシィル様の力によるものだったと思う。しかし神界は現在、閉じてしまっている。勇者召喚リストから聖哉を呼び出した時を最後に、ネメシィル様の力も効力を失ってしまったのだろう。


「じゃあ破壊術式や今まで覚えた冥界の技も使えるの?」

「それ以外にも狂戦士化に透明化、物真似スキルや闇魔法なども使用可能だ」

「凄いじゃない!」

「うむ。修行が省けて最高だ」

 

 喜怒哀楽の無い顔が、少し赤らんでいるような気がする。珍しく喜んでいるらしい。


「なら今回はすぐに冒険に行けるわね!!」


 私も嬉しくなってそう叫んだのだが、聖哉は難しい顔に戻り、首を横に振った。


「いや。まだ準備が必要だ」

「ええっ! でもレベルマックスで、今まで覚えた冥界の技も使えるんだよね? だったら、」

「前回の捻曲ゲアブランデは難度S+。以前攻略したイクスフォリアよりも難度の低い異世界だった。それ故に気持ちに余裕があったが、難度SS+は未知の領域。これまでで最高の警戒レベルを持って臨まなければならない」

「せ、聖哉さん……! 気持ちに余裕があったって……その上であの慎重さだったんすか……!」


 セルセウスが仰天している。それも当然だ。捻曲ゲアブランデでも聖哉はありえないくらい慎重に行動していた。なのに『余裕があった』などと言われては吃驚する他ない。


 うーん。そういや捻曲ゲアブランデの時の聖哉って病的だったわよね。幻だからって人の命を物のように扱ったりして。まぁ深層意識でマッシュやエルルちゃんに謝ってたし、今回からはまともに振る舞うと思うけど……一応、確認しておきましょう。


「ねぇ聖哉。もう捻曲世界だからって、人を無闇に殺したり、犠牲にしたりしないよね?」

「無論だ。その件に関しては俺も深く反省している」


 即答に安心するが、聖哉は苦虫を噛み潰したような顔で拳を握りしめていた。


「三千世界に於いて、魂の記憶が共有する可能性について考えが及ばなかった。リスタですら思いついたことを俺は考えつかなかったのだ。耐え難い程に情けなく、恥ずかしいことだ。自分で自分が許せない」

「!? 何か腹立つなあ!! 大体、反省する点ってそこじゃなくない!?」

「分かっている。今後は捻曲世界に住む者の命も極力大切にし、危害を加えず、魂がなるべく傷つかないように行動する」

「そ、そう? なら良いけどさ」

「いやあ聖哉さん、今の言葉、勇者らしいっすね!」


 聖哉は「ふん」と鼻を鳴らすと庭を横切り、ウノ邸に進む。


「その為の準備も併せてしたい。冥王への質問の続きもある。よって出発は翌日の昼だ」


 そう言った後、すぐに自室に向かってしまった。


 ――レベルマックスで冥界の技も引き継いでるのに……一体何の準備をするんだろ?


 結局、聖哉はいつものように簡単には出発しなかったのである。とにかく私は疑ってしまったお詫びも兼ねてウノに新しい料理を教えてあげることにしたのだった。







 次の日の昼。


 リビングに向かうと既にセルセウスと聖哉がいた。ウノ達も見送りでもするように傍に佇んでいる。


「おい、セルセウス。例の物は準備してきたか?」

「バッチリですよ!」


 聖哉に親指を立てると、セルセウスはテーブルの上に持ってきた包みを広げる。中にはゴッソリと魔神の角が入っていた。


「こんなに沢山……!! アンタ、コレ自分で折ったの!?」

「もう慣れたもんで痛みも感じなくなった。爪切りする感覚だった」


 魔神化セルセウス唯一の長所がこの角である。魔神の角はほとんどの世界で高値で取引されるのだ。これがあればお金に困ることはない。


 聖哉は別に礼を言うでもなく、魔神の角を荷物袋に詰め始めた。ふと聖哉の鎧がピカピカになっていることに気付く。冥王に質問の続きをしに行ったついでに、武器屋で新調したのだろう。おそらく他にも色々と買い込んだに違いない。


「相変わらず用意周到ね。それじゃあ聖哉。捻曲イクスフォリアの門を出すわよ?」

「うむ。レディ準備は……」


 聖哉はいつもの台詞を途中で止め、固い表情のまま黙ってしまった。


「ど、どうしたの?」

「捻曲イクスフォリアについても様々な想定をしたつもりだ。しかしそれでも予想を上回る異世界であることも考えられる」

「ええっ!! じゃあまだレディ・パーフェクトリーじゃないの!?」

「行かないんすか!? 嘘でしょ!? せっかく角、折ったのに!!」

「行く。だがこれは準備をより完璧にする為の状況視察だ。滞在時間を最長三分とし、すぐに冥界に戻った後でそれに適応した修行をする」

「た、たったの三分……!! カップ麺が出来る時間じゃない……!」


 私達は驚いていたがウノとドゥエは聖哉の言葉に頷いていた。


「今回は捻曲ゲアブランデより更に難度の高い世界だと聞いております。万全を期するのは素晴らしいことかと」

「ああ。聖哉さんのやり方で、ゆっくり攻略すれば良いと思う」

「いや、そうは言ってもさぁ……ってアレェ!?」


 素っ頓狂な声をあげてしまう。忽然と聖哉の姿が消えていたからだ。何もない空間から聖哉の声がする。


「透明化した。お前達もやれ」

「いや聖哉!! 冒険の最初から透明だったら冒険始まらなくない!?」

「確かに透明だと人に話も聞けないよなあ。情報収集すら出来ないような……」

「今回は冥王から聞いた話の裏付けを取りつつ、捻曲イクスフォリアの状況を目で見て大まかに把握するだけだ。誰とも話すつもりはない」

「はぁ……」


 前回覚えた冥界の技を引き継いでレベルだってマックス状態。なのに透明化もした上で、たった三分間の偵察をした後、すぐまた冥界に戻って修行をしたいらしい。


 ――こ、これはホントにいくら何でも……!


 聖哉の慎重さが功を奏してきたことは枚挙にいとまがない。だが今回ばかりは慎重を通り越して臆病に思えてしまう。


「どうした、リスタ。早く透明化しろ」


 腑に落ちないところはあるが、それでも私とセルセウスは言われた通り透明化した。


「では次に門を出してみろ」

「うん……」


 呪文を唱えると、以前は出せなかったイクスフォリアへの門が出現した。冥王が言った通り、難度S+の捻曲ゲアブランデを救ったことで、新たな捻曲世界への扉が文字通り開かれたのだ。


 ――確か前は獣人に征服された町から始まったわよね。名前はえぇと……『ガルバノ』だったっけ。


「門は俺が開ける。お前達はそのまま待機だ」


 透明になった聖哉の声が響く。緊張しつつ、息を殺して待つがしばらく経っても門は開かれない。


「あれ、聖哉?」

「……毒ガスなどが充満していないだろうか?」

「そんな世界、魔王だって住めないわよ!! もうさっさと行こうや!!」

 

 いい加減イライラしてきて私は聖哉を急かした。やがて、そろりと門が開かれる。


「それでは皆様、お気を付けて」


 振り返るとウノとドゥエが頭を下げていた。透明なので見えていないのだが、私はウノとドゥエに手を振る。こうして私達はようやく捻曲イクスフォリアの門を潜ったのだった。

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