第百五十七章 魂の記憶

「……信じられん」


 聖哉がぽつり、愕然とした声を漏らす。


「お、おい、リスタ!! お前どっちの味方なんだよ!?」


 そしてセルセウスが大声を張り上げた。それでも私は目の前にいるマッシュに視線を定めている。マッシュは歩みを止め、訝しげに私を見ていた。


「罠だと? そんなこたあ言われなくても分かってんだよ。構いやしねー。速攻で切り刻んでやる」

「聖哉を甘く見ないで! アナタが思っている十倍……いや百倍のトラップがある! 町の中に入れば確実に殺されるわ!」

「どうして敵のお前がそんなことを俺に教えんだ?」

「そ、それは……」

「何なんだ、テメエは?」

「マッシュが……マッシュが可哀想だから!」


 叫んだその時。私の体は思い切り後ろに弾き飛ばされる。聖哉が私を尋常ではない力で引いたのだ。


「もういい。黙れ」


 私の方も見ず、冷たい声を出す。背中から地面に打ち付けられ、あまりの衝撃に言葉が出ない。セルセウスが聖哉に駆け寄る。


「せ、聖哉さん! どうするんです?」

「流石にマッシュも疑心暗鬼になっている。もう町には入って来るまい」


 ようやく聖哉は振り返り、私に蔑みの視線を送った。


「多少の邪魔をしてくるだろうとは予想していた。だが、流石にここまでのバカとは思わなかった」

「うう……っ」

「捻曲世界攻略にお前は不要だ。今後は門を出した後、宿屋で待機しろ」


 言葉こそ荒げないが、聖哉が激怒しているのがひしひしと伝わってくる。聖哉は冷静さを保ったまま、セルセウスに語る。


「だが問題はない。マッシュを町に誘き寄せられず、町外で戦闘になるパターンも無論、想定している」

 

 聖哉が指を鳴らす。すると突然『ガサガサッ』と音を立て、左右の草むらからイグルの町の住人が現れた!


 ――なっ!! こ、これってつまり、結界を解除する前に、町の外に既に伏兵を忍ばせていたってこと!? 


 人魔連合の幹部には魔法使いもいる。その者の力を借りて、移動魔法陣を使い、配置していたのだろうか。詳細は分からないが、聖哉の用心深さに改めて震えた。確実に勝つ為に様々なパターンを念入りに考えてある。マッシュが、そしてイグザシオンがいくら脅威でもやはりこの勇者の敵ではないだろう。


「セルセウス。町で待機している者達を此処に集めろ。戦場は町の外に変更だと伝えるのだ」

「は、はい!」


 従順な部下のようにセルセウスが駆け出す。その間に隠れていた伏兵六名が聖哉を守るように囲う。鎖帷子を着込んだだけの民兵を見てマッシュが笑った。


「町の人間を盾にするのか? 勇者が聞いて呆れるぜ。ゲアブランデ危急存亡のときでなく、今更のこのこ現れたのも魔王を倒す自信が無かったからなんだろ?」

「ゲアブランデには来た。そして俺は世界を救った」

「救ってねえよ」

「救った」

「そもそも来もしなかっただろが」

「来た」

「……テメーは!」

「救ったし、来た。此処とは違う本当の世界でな。この世界は幻。そしてお前は存在する価値もない歪んだ幻影だ」

「ふざけたことをぬかしやがって!!」


 言い合っているうちにセルセウスが数十人の人々を率いて駆けてくる。武装した男性はもちろん、ニーナの姿やインフェクト・ラヴァーを施された女性達もいた。聖哉は続々と集結する人々を見て、静かに頷いた。


「チッ。くだらねえ会話は時間稼ぎってか。だが弱そうな奴らを何匹かき集めたって、どうしようもねえ。バカ女のせいで計画は狂ったようじゃねえか。そんなんで俺とイグザシオンに勝てるのかよ?」


 嘲るようなマッシュに対し、聖哉は鋭い眼差しを向ける。


レディ・パーフェクトリー準備は完全に整っている

「……テメー、マジでグチャグチャにしてやるからな」 


 マッシュは地面に「ベッ」と唾を吐いた。途端、背後から血に塗れた細い腕が現れ、エルルの亡霊がマッシュに絡み付く。


『殺してマッシュ……! 人も神も……そして勇者も……!』

「ああ、分かってる」


「ひひひ」と笑うと亡霊は空間に溶けるようにして消える。凄まじい覇気を撒き散らしながらマッシュが聖哉に歩み寄る。


「テメーに見せてやるぜ。小細工なんぞ通用しねえ圧倒的な力――俺の極竜化をよ」


 竜王母のようにマッシュも極竜化を!! け、けど一体、どんな変化を!?


 一方、聖哉はマッシュに注意を払いながらも狼狽えることなく、民衆に檄を飛ばしていた。


「お前達。世界の為に今こそ、その命を捧げよ」

「「「はっ!!」」」


 住民達の顔が引き締まる。対峙するマッシュと聖哉。二人の間に見えない憎悪が激しく渦を巻いているように思えた。


 私はたまらなくなって、傍にいたセルセウスの肩を揺さぶる。


「良くない!! やっぱりこんなの良くないよ!! 聖哉とマッシュが憎しみ合うなんて!!」

「リスタ! お前、もうジッとしとけって!」


 駆け出そうとしてセルセウスに腕を掴まれる。だが私はそれを振り払った。頭の中、夢で見たエルルの声が木霊していた。


『このままじゃ聖哉くんは世界を救えないの』


 私の妄想かも知れない! けど……それでもやっぱり聖哉は間違ってる! でもそれが何なのか私にも分からない! 私だって真実を知りたい! 伝えたい、聖哉に真実を! でも、一体どうすれば……!


 二人に駆け寄ろうとしている途中、不意に事切れる寸前のロザリーの言葉が脳裏を過ぎった。


『それでもアナタは女神なのだと思う』


 ――ロザリー……!


 聖哉とマッシュから少し離れた場所で私は立ち止まる。そして微笑みながら死にゆくロザリーの顔を思い出し、拳を強く握りしめた。


 ――私に……私に女神の力があるなら……! お願い、今こそ……!


コンヴァージョン属性転換!!」


 ほぼ無意識に私は叫んでいた。魔神化してから目を閉じ、祈るように手を合わせる。


 ――アリア……イシスター様……!! 聖哉を……マッシュを助けて……!!



 

 ……ふと。辺りの喧噪が遠ざかった。立ち籠めていた殺伐とした空気とは打って変わった穏やかな気配が漂う。何処かでチチチと鳥が優しくさえずる音がする。私はゆっくりと目を開けた。


「あれ……っ!?」


 広大な草原でマッシュと対峙していた筈の私と聖哉は今、二人きりで狭い部屋の中にいた。安そうなベッドや簡素なテーブルが置いてあり、いつか何処かで見たことのある風景だった。


 ――これは……宿屋……?


「バカな……」


 聖哉はキョロキョロと忙しなく辺りを窺っている。普段、物事に動じない聖哉が明らかに狼狽していた。


「おい、リスタ。これはどういうことだ?」


 そして私を見るなり、掴みかかってくる。


「お前の仕業か? 一体、何をした? 此処は何処だ?」


 聖哉は私の胸ぐらを摑んでいる……つもりなのだろうが、かなり動転しているらしく私の片方のオッパイをギュッと鷲掴みにしていた!


「ほおっ!? お、オッパイ、触っちゃってますけどおおおおおおお!!」

「ふざけるな! 此処から戻せ! 一刻も早くだ!」

「フォォォォォォ!! ふざけてないし、オッパイ痛いいいいいいいいい!! もげちゃううううううううううう!!」


 感情を剥き出しにした聖哉が怖く、そして握られたオッパイが痛すぎて泣きながら絶叫すると、


「あはははははっ!」


 楽しそうな笑い声が聞こえた。聞き覚えのある声の方を振り返る。部屋隅にあるベッドの上にいつしか小さな赤毛の女の子がちょこんと座っていた。


 エルルは聖哉と私を見て微笑む。


「大丈夫だよ、聖哉くん。此処はゲアブランデとは世界が違うの」

「……エルルか?」

「安心して。向こうは時間が止まってるよー」


 私の胸を摑む力が緩む。聖哉はしばらくエルルを見据えた後、話し掛けた。


「お前は……いや……此処は一体、何なのだ?」

「んー。私、バカだから上手く言えないんだけど……マッシュの心の中のもう一つ奥かなー」


 無言で眉間にシワを寄せ、何やら思案している様子の聖哉に代わって私はエルルに尋ねる。


「心の奥――つまり深層意識ってこと?」

「うん。此処に来られたのはリスたんの力だよー」

「私……の?」

「リスたんがマッシュを救おうとしてくれたから」


 エルルが指さした先に、いつの間にか人影があった。先程まで誰もいなかった筈のテーブルの椅子に、私達の良く知るマッシュが腰掛けている。マッシュは席を立って、泣きながら私達に近付いてくる。


「ごめんよ、師匠。ごめん、リスタ。ああ、みんなごめん。俺、とんでもないことを……」


 聖哉は用心しつつもマッシュを見据えていたが、不意に振り返って私を睨み付けた。


「いや待て。これらは全て、リスタが俺に見せている幻覚……」

「ち、違うってば!」


 訝しげに聖哉がマッシュに近寄っていく。


「おい、マッシュ。確認だ。リスタは知らない俺とお前だけの」

「し、師匠?」

「以前、お前に戦闘の心構えを教えた筈だ。『目に入るもの全てを疑え。親兄弟ですら敵だと思え。そして俺はお前のことも疑っている』……覚えているか?」

「あ、ああ! 勿論!」

「ならば、その続きを言え」


 ――ええっ!? あれに続きがあったの!? 一体どんな!?


 マッシュは少し躊躇った後に言う。


「『当然リスタのことも疑え』!」

「!! いやなんつーこと教えてんの!? わたしゃ女神やぞ!!」


 ツッコむが聖哉は真剣な表情で納得したように頷いていた。


「ふむ。リスタの妄想という訳では無さそうだ」


 その時だった。マッシュの背後から血に塗れた腕がぬっと現れる! 幼いエルルの顔が絶望に満ちた。


「そんな……こんな時に現れるなんて……!」


 マッシュの後ろには暗闇が広がり、そこから手足の折れ曲がったエルルが肩越しに絡み付いていた。


 ――エルルちゃんが……二人!?


『マッシュ……殺して……人も神も勇者も……!』

「い、イヤだイヤだイヤだイヤだ! もう止めてくれ!」


 耳を塞ぎ、泣き叫ぶマッシュ。聖哉はじっとその様子を眺めていた。


「リスタ。あれが以前、お前の言っていたエルルの意識体か?」

「見えるの、聖哉!?」

「うむ」


 この空間内ではどうやら聖哉もエルルの亡霊が見えるらしい。幽鬼のようなエルルは自らが這い出てきた深い暗闇の中にマッシュを引き摺り込もうとしていた。


『マッシュうううううう! 早く! 痛い痛い痛い痛い痛いの痛いのよ!』

「た、助けてリスタ……! 助けて師匠……!」


 マッシュが私達に向けて手を伸ばす。だが体はもう半分以上が暗闇に同化してしまっていた。幼いエルルが悔しそうに俯く。


「あれが現れたら……もう私にはどうしようも出来ない……あれは私達とは居る世界が違う。触れることすら出来ないの……」

「そ、そんな!」

「誰にも……どうしようもないの……」


 マッシュの体が暗闇に引き摺り込まれていく。為す術もなく私達はその様子を見てることしか出来なかった。しかし……鞘走る金属音が私の耳に入る。


 聖哉が眩く輝く刀身を暗闇に向けて薙ぐように一閃。最初、何が起こったのか分からなかった。だが……漆黒の闇が切り裂かれ、そこからマッシュの体が引き離される!


「これは……せ、聖哉っ!?」

「空間を切り裂く光子フォトンの刃――ディメンション・ブレイド次元裂光斬


 聖哉が見据えている切り裂いた暗闇の奥から、怨嗟に満ちたエルルの叫び声が聞こえる。


『おおおおおおおおお……おのれおのれおのれおのれおのれ!!』


 耳をつんざくような絶叫。しかしやがて声は遠くなり、暗闇は渦を巻くようにして消失した。


「……マッシュ!」


 幼いエルルがマッシュに駆け寄る。マッシュは苦しそうに息を乱しているが、無事そうだ。エルルはポロポロと涙を流しながら聖哉を見上げた。


「聖哉くん……デスマグラに捕らえられた時みたいにマッシュを救ってくれるんだね。そして……私のこともまた救ってくれるんだね……」

「あの時の記憶があるのか?」

「聖哉くんとの冒険は覚えているよ。もちろんマッシュも。現実に戻れば忘れちゃうけど」

「こんなことが……」


 呆然と呟く聖哉の胸に、マッシュが泣きながら飛びついた。


「師匠! ごめん、ごめん、ごめんよう! 俺さぁ、こんなつもりじゃなくってさぁ! 十年間ずっと苦しくって、辛くって!」


 ――マッシュ……!


 歪んだエルルの亡霊に取り憑かれ、マッシュの深層意識……いや魂はずっと叫び続けていたのだろう。エルルも涙を手で拭きながら微笑む。


「でも聖哉くん、ピンチの時にはいつも助けてくれるから」

「ありがとう、師匠! ありがとう!」

「……違う。俺ではない」


 泣きじゃくる二人を前に、聖哉は静かに首を振った後、私をちらりと一瞥した。


「たとえ幻でも救って欲しいと言ったのはコイツだ」

「あはは。リスたんは優しいもの」


 私から目を逸らして、聖哉は大きく息を吐き出した。しばらく無言の後で静かに呟く。


「捻曲ゲアブランデに潜む諸悪の根源を見誤る所だった。そして……」

「聖哉?」

「『無限に存在する世界の中に於いても、魂は時空を超越し、全てを同時に知悉する』――か。そういった可能性も考慮して行動すべきだったな」


 聖哉はエルルとマッシュに歩み寄る。そして……何と! 信じられないことに頭を下げた!


「すまなかった」

「!! せ、せ、せ、せ、聖哉が謝ったああああああああああああああ!?」


 初めて見る光景に私は絶叫する。私同様エルルも驚いて叫ぶ。


「えーっ! 聖哉くんが謝るとか珍しいー!」

「ロザリーにも悪いことをしてしまった。魂が傷ついただろうか……」


 いつになく、しおらしい聖哉にエルルが微笑む。


「何も悪くなんかないよー。だって聖哉くんなりに万全を期して、ゲアブランデを救おうとしてくれたんでしょ?」

「うむ。しかし、」

「謝る必要なんてない。でも……」


 エルルは無言でマッシュを眺めた。マッシュが申し訳なさそうに頭をぺこりと下げる。


「どうか、この世界の捻れを……」


 そしてエルルは満面の笑みを浮かべる。


「マッシュをよろしくお願いします」





 ……ぶわっと風が吹いて、私の髪の毛が棚引く。気付けば私は元通りの草原に立っていた。私から離れたところで聖哉とマッシュが対峙している。


「くくく! イグザシオンの力を全開だ!」


 体内から溢れる凄まじい覇気により鎧が壊れ、マッシュの体が変化する。口からは牙、そして身体中に刻まれていく入れ墨のような竜の紋章。背中に翼を背負ったその姿はもはや悪魔のようだった。深層意識の中で見たマッシュの面影は微塵もない。邪悪な気配と、より一層戦闘に特化したビジュアルを見て私は戦慄する。


 ――これがマッシュの極竜化!! 竜王母の変化とは全然違う!!


「神のオーラをもまとう……これがゲアブランデ最強の力だ! 反動はすげーが、なぁに……テメーをブチ殺せるのなら明日のことなんざ構いやしねー」


 神竜化の更に上――極竜化。攻撃力と防御力の向上、無敵のオーラに速度も兼ね備えた変化を経て、マッシュが高らかに笑う。


「ヒャハハハ! 覚えてるか? 俺は有言実行するタイプだからよ! 今からテメーの連れの目鼻刳り抜いて、口の中に放り込んでやるぜ!」


 聖哉の周りの民衆が変貌したマッシュに狼狽えていた。


「な、何という禍々しい……!」

「だ、大丈夫だ! 我らには女神が付いている!」

「そうだ! 死を恐れるな!」


 聖哉と私を守ろうと周囲を囲う人民軍。だが、聖哉は片手を上げる。


「……下がれ」

「ゆ、勇者様?」

「町に戻っていろ。ここから先は俺一人でやる」


 きょとんとした顔の民衆から離れ、聖哉はマッシュに近付いていく。セルセウスが不思議そうに呟く。


「あれ? 聖哉さん……何か感じ変わった?」


 少しの距離を取って、一対一で向かい合う。マッシュが聖哉を睨み付ける。 


「護衛を下げただと? テメー、今度は何を企んでいやがる?」

「神竜王マッシュ=ドラゴナイト――お前は俺が直接ブチ殺す」

「!? いや、やっぱり全然変わってねえや!!」


 セルセウスが大声で叫んだ。い、いやそう! 歪んだ世界を戻すにはマッシュを殺す、そのこと自体に変わりはない! けど……!


 剣を構え、用心深くマッシュを見据えながら、聖哉は一瞬だけ仲間に話し掛けるような穏やかな表情を見せた。


「……マッシュ」

「ああ?」

「待たせたな」

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