第百五十六章 神性

 町の宿屋に着いた後、聖哉は慣れた様子で私とセルセウスの部屋を手配した。その後すぐにスタスタと自分の部屋に向かう。


 聖哉を追おうとしたのだが、ぐいっとセルセウスに肩を掴まれてしまった。


「リスタ。行くなって」

「私だって随分我慢したわよ!! けどもう限界!! 無茶苦茶すぎるわ!!」


 溜まった鬱憤をぶつける。だが珍しくセルセウスは真面目な顔付きで私を見詰めていた。


「ウノもドゥエも言ってたろ。聖哉さんは正しいって」

「正しい!? 仲間を見殺しにして、町の人を肉壁にして……何処の世界にこんな勇者がいるのよ!!」


 セルセウスはどこか遠い目をして言う。


「ロザリーを殺した時、思ったよ。つくづくあの人の真似は出来ないって」

「誰だって真似できないわよ、あんな冷血勇者の!」

「そういう意味じゃなくてさ。純粋にすげえと思ったんだよ。だって出来るか普通? 幻と分かっててもあんな酷いこと。多分、覚悟が違うんだろうよ」

「覚悟?」

「必ずこの世界を元に戻すっていう覚悟だよ。一見、冷血に見えるけど、本当は今一番やるべきことを分かってるんじゃないかな」

「あ、アンタまでそう思うの?」

「この世界を救うにはマッシュを殺すことに変わりはないんだろ? だったら俺達は黙って見てりゃあ良いんだよ。お前だって、早く神界を元に戻してアリア殿やイシスター様に会いたいだろ?」


 柔和に微笑むイシスター様の顔が脳裏に浮かんだ。そしてアリア、アデネラ様……仲の良かった神々を思い出すと、聖哉に対する怒りは徐々に薄れていく。代わりに悲しく切ない気分になった。


「そう……ね」


 私は一人、トボトボと部屋に向かう。力無く扉を開くと、隅の机に腰掛けた。


 ――分かんない。私は本当にただ黙って従っていれば良いの?


 セルセウスの言う通り、聖哉はいつだって真剣だ。非情とも思える慎重さで先を見据え、神域の勇者とメルサイスを倒そうとしている。それは分かる。でも……


 私は荷物袋からマッシュのバンダナを取り出す。下界で魔神化するとハッスルしてしまい醜態を晒す怖れがあるのと、精神的に疲労するのでなるべく残留思念は読み取りたくない。


 ――今は一人だし……平気よね?


 深呼吸し、覚悟を決めた後、魔神化する。近くに誰もいないこともあってか、私の精神はさほど乱れなかった。バンダナをきつく握りしめ、マッシュの思念を読み取るべく集中する。




 ……今、私の眼前に焼け野原のような光景が広がっていた。逃げ惑う竜人達。その頭上には、巨大な蝿の怪物達が雲霞の如く空を埋め尽くしていた。次々に下降するや、竜人を担ぎ上げて地上へ落としている。 


「……俺の神竜化だけじゃダメなのか?」


 ふと私の良く知るマッシュの声が聞こえる。マッシュは崖の上で空を見上げながら歯を食い縛っていた。隣には幼いエルル、そして竜王母もいる。


 ――エルルちゃん……まだ無事だわ! ま、待って! この場所……これってもしかして……!


「短期間で神竜化をマスターしたのは素晴らしいことじゃ。じゃが蝿共は既に竜の里内部にまで侵攻してきておる。それだけではとても防ぎ切れんじゃろう」


 エルルは俯いて震えていたが、やがて意を決したように顔を上げて微笑む。


「わ、私、やるよ! 聖剣イグザシオンになる! だからマッシュ……世界を救って!」

「エルル……!」


 意を決したエルルを竜王母が崖の頂上まで連れて行く。谷底を見下ろせば暗黒の奈落が広がっていた。そう……エルルを落とし、その身をイグザシオンに変える聖剣の儀が始まろうとしていたのだ。


「さぁエルル! 死してイグザシオンとなるのじゃ!」

「や、やっぱり俺、イヤだよ……! こんなこと……!」


 マッシュは苦しそうに頭を振った。エルルはそんなマッシュの手を握る。


「勇者はゲアブランデに来てくれなかった。でもね。私にとってはマッシュが勇者だから!」


 エルルの手と体がマッシュから離れる。


「マッシュ……世界を救ってね……」


 目に涙を滲ませながらも気丈に笑顔を繕い……エルルは谷底へとその身を投げ入れた。


「エルル!!」


 マッシュは絶叫し、泣き崩れた。しばらく竜王母はマッシュの肩に手を当てていたが、やがて怪訝な表情を浮かべる。


「何故じゃ。イグザシオンが現れぬ。まさか……」


 

 崖を伝うようにしてマッシュと竜王母は谷底へと進んだ。やがて奈落の底に輝く魔法陣が見えてくる。そして……その隣に何とエルルが倒れている! 血だまりの中、手足があり得ない方向に曲がっていた!


 ――う、噓!! エルルちゃん……まだ生きて……!?


「あぐ……ぎ……」


 エルルは血塗れの体を痙攣させて、ひゅうひゅうと掠れた呼吸を繰り返していた。


「おお、何という事じゃ! エルルは未だ死にきれておらぬ!」

「こ、こんな……!」

「マッシュ! 早くトドメを! エルルを殺して差し上げるのじゃ!」

「で、出来ないよ、俺には! それよりエルルの手当てを!」

「馬鹿な! もはや助かる筈がなかろう! エルルを思うなら今すぐ首を切り落とし、楽にさせてやるのじゃ!」

「だ、だって、」

「見よ、苦しそうなエルルを! エルルはお主を勇者と言っておったのじゃぞ!」

「う……う……」


 マッシュは震える手で竜王母から剣を受け取る。そして、


「うわああああああああああああ!!」


 絶望の入り混じった叫び声と共にマッシュは剣を振り下ろす。エルルの小さな首が胴体から切り離された。やがて分かたれた首と胴体が不思議な力で魔法陣に吸い込まれていく。


 エルルの遺体が完全に消え去ると、魔方陣が一際強く光を放った。そして光のオーラに包まれた聖なる剣が浮かび上がる。


「おお! これこそがイグザシオン! 魔王を倒す最強無敵の聖剣じゃ! さぁ、マッシュ! 手に取るが良い!」


 マッシュは浮遊するイグザシオンを力なく掴む。気色ばむ竜王母とは対照的にマッシュは顔面蒼白だった。


「俺は……俺は何てことを……!」


 大きく見開かれた目は焦点が定まっていない。だが、そんなマッシュの背後から突如、小さな腕が現れる。


『マッシュ……私なら此処にいるよ……』

「え、エルル……? エルルなのか!」


 私にもハッキリと視認出来る。幼いエルルがマッシュの傍でいつものような無垢な笑みを見せていた。


「エルルの声が聞こえるのかえ? そうじゃ! イグザシオンは命ある聖剣! エルルは死んではおらぬのじゃ!」

「そ、そうか! エルルは剣になっても生きて……!」


 マッシュの目に涙が滲む。少しだけ救われた気がしたのだろう。だが、エルルの幻影は急に呻いてうずくまる。


『あ……ぐ……っ!』

「エルル!?」

『い、痛い! 痛いの、マッシュ! 体が張り裂けそうなの!』


 ぼたぼたとエルルの顔から血が垂れ落ち始めた。やがて手足も血に塗れ、地面に伏せる。エルルはいつしか、奈落に落ちた時のような凄惨な姿へと変貌していた。


『痛い痛い痛い痛い痛い痛い!! マッシュ、お願い!! お願いよ!! 魔族を……魔族を殺して!』

「マッシュ。どうしたのかえ? エルルは何と言うておる?」

「い、痛いって!! 魔族を殺してくれって!!」

「成る程。ならばイグザシオンに魔族の血を吸わせて差し上げるのじゃ。そうすればエルルの痛みも和らぐじゃろう」


 まさにその時。上空から一体の蝿の怪物が飛来する。それは、数多いる巨大蝿とは違う人型のモンスター。聖哉が弓の女神ミティス様の技で葬った、蝿の怪物ベル=ブブである。ベル=ブブはマッシュの手に握られた七色に輝く剣を眺めていた。


「妙な光が見えたんで来てみりゃあ……ジジジ! そうか! それが聖剣イグザシオンか!」

「ちょうど良いところに来やがったな」


 そう言ってマッシュはイグザシオンを構える。だが、グリップを持った手から白煙が立ち上っていた。マッシュの苦しそうな顔を見てベル=ブブが笑った。


「バカが! 聖剣の力に負けてやがる! 勇者でもない小僧にゃあその剣は扱えねえんだよー!」

「……ゲアブランデに勇者なんかいらねえ」

「ああ、観念したかー?」


 途端、マッシュの手の甲に刻まれている竜の紋章が光を放つ! 紋章が腕を伝い、入れ墨のように広がっていく!


「勇者の代わりに……俺がお前ら魔族を一匹残らず殺してやる!!」


 猛然と向かうマッシュの大振りの剣をベル=ブブは飛翔してかわす。数メートル宙に逃げて、そこから嘲るように笑った。


「ジジジジジ! 遅せえ、遅せえ! 俺の速度は魔王軍最速! テメーの剣なんざ掠りもしねえよ!」


 かつて聖哉はベル=ブブの速度を驚異に感じ、近接戦闘を避ける為、神界で弓の修行をした。だが……


「……フルヘイスタ聖天速


 呟くと同時にマッシュの姿が私の視界から消える! 凄まじい跳躍と速度で中空を舞い、気付けばベル=ブブの目前だ!


「な……っ!?」


 驚愕の表情のベル=ブブにマッシュは縦横無尽に剣を振るう。その所作はどことなく聖哉のフェニックス・ドライブを彷彿とさせた。ベル=ブブはあっという間に細切れの肉片と化して空中で飛散する。竜王母が感嘆の声を上げた。


「何と素晴らしい! マッシュ、お主は竜族の誉れじゃ!」


 竜王母が讃えるマッシュの隣では、血塗れのエルルの亡霊がキャッキャッと楽しそうに笑っていた。


「エルル! お、お前、痛みは?」

『ありがとう、マッシュ! 気分が良い! とっても気分が良いわ! ねえ、これからもイグザシオンに血を吸わせて! もっともっと魔族に苦痛を与えて! 私みたいに手足も折って、肺も潰して、殺し尽くすの! あははは……きゃははははははははははははははははははははははは!!』






「……っ!!」


 エルルの狂笑に耐えられず、私は残留思念の読み取りを解除した。今見た光景が恐ろしくて私はガタガタと震えていた。


 ……この時からマッシュは変わった。おそらくエルルの亡霊は四六時中、現れてマッシュの耳元で囁くのだろう。マッシュはエルルの苦痛を取り除く為、魔族を滅ぼした。しかし、魔王を倒してなお、エルルの痛みは消えなかった。エルルが救われるのは竜族以外の種を全て滅ぼした時。そう……つまり人間も。


 ――マッシュ。辛いよね? 苦しいよね? そうだよ。手段はともかく一刻も早くマッシュをこの地獄から救ってあげなきゃ。聖哉は正しいんだ。


「……リスたん」


 不意に私を呼ぶ懐かしい声。私の隣に幼いエルルが佇んでいる。だが私は今回、さほど驚きはしない。


「消えて。アナタは私の妄想なのよ」

「リスたん。聞いて、リスたん」

「本当のエルルちゃんは激痛で自我が崩壊した亡霊。それを認めたくなくて私がアナタを考え出したんだわ」

「違うの。リスたん」


 エルルの幻影は目を擦りながらさめざめと泣き出した。


「このままじゃあ聖哉くんはゲアブランデを救えない。そしてこれから先の世界もきっと」


 私はエルルの幻を睨む。


「消えなさい!」

「お願いリスたん……マッシュを……助けて……!」

「き、消えてって言ってるでしょ!!」


 私はベッドの上にあった枕をエルルに投げつけた。枕は幻を貫通して壁に当たる。


 気付けば、床には転がった枕のみ。エルルの姿はもう何処にもなかった。







 翌日。


 聖哉は朝から町の人々を広場に集め、最後の調整をしていた。太陽が真上に昇る頃、聖哉は町外れに老若男女を呼んで軍隊のように美しく整列させる。そして鋭い目を民衆に向けた。


「今から神竜王マッシュ=ドラゴナイトとの聖戦が始まる。死を恐れるな。勝つのは我らだ」


 聖哉の声に応ずるように男達は歓声を轟かせ、腕を振り上げる。女子供ですら、戦闘の恐怖など何処かに置き忘れたように目を輝かせていた。


「うーん。これがマインドコントロールってやつなのかなあ」


 私の隣、小声でセルセウスがぼやく。昨日今日の洗脳で住民達は聖哉の意のままに動く人形と化しているようだ。


「それでは各々、配置に付け」


 みんな散り散りバラバラに駆けていき、建物の陰に隠れたりして身を潜めた。こうして先程まで騒がしかったイグルの町は一見、人気のないゴーストタウンと化す。セルセウスが聖哉に近付いて、おずおずと尋ねる。


「せ、聖哉さん。それでマッシュを町中に誘き寄せるってのはどうやってやるんすか?」

「造作もない。既にマッシュはこの町近辺にいるのだからな。派遣した竜王母の軍勢がどうなったか偵察に来ているのだろう」

「へ? どうして分かるんです?」

「この大陸には俺の放ったオートマティック・フェニックスが旋回している。そして遙か上空からマッシュを監視しているのだ」


 マッシュと初めて出会った時に大量に出したオートマティック・フェニックス。意味がないと思っていたが、どうやら監視用だったらしい。おそらくゲアブランデ中に飛び散り、聖哉にマッシュの居場所を俯瞰で伝えているのだろう。


「竜王母クラスの幹部や兵を数万体、バハムトロスより率いてくるのではないかと予想していたが……何度見ても一人だ。何という浅はかで愚かな奴だろう。これで勝率がより一層上がったぞ」


 マッシュの周りに護衛の兵がいないことを知って、聖哉は余裕ぶった表情で呟く。


「それでは今からイグルの結界を解除する」


 聖哉が何やら手を合わせ、呪文のようなものを唱え始めたので私は驚いてしまう。


「か、解除って聖哉が出来るの!?」

「うむ。町長からやり方を聞いてマスターしている」


 一体いつの間に……と驚愕している内に、地響きのような音が鳴り響いてイグルの町を囲う障壁にヒビが入った。十数年もの長きに渡り、町を竜人の侵入から守ってきた鉄壁の結界――それが硝子の割れるような破砕音と共に解除される。途端、今まで見えなかった周囲の光景が見えるようになる。眼前には魔族と竜族が戦った後の焼け野原が広がっている。


「神竜王! イグルを覆う結界は今、解けた!」


 珍しく聖哉が声を張り上げる。聖哉の視線の先にはぽつんと人影があった。


「テメー……!」


 ――ま、マッシュ……!!


 聖哉はオートマティック・フェニックスの目を通じ把握していたのだろうが、私とセルセウスは驚愕する。こ、こんな町の近くにまで近付いてたんだ! 


 距離は僅か十数メートル。マッシュは聖哉に淀んだ目を向ける。


「鬱陶しい火の鳥で俺の行動は筒抜けってか。癪に障る野郎だぜ」

「今度は逃げも隠れもしない。決着を付けよう」

「上等だ……!」


 ザッと足音。マッシュはイグザシオンを腰の鞘から抜き、こちらに向けて歩き出す。聖哉がぼそりと独りごちるように言う。


「奴は直情的な性格。ましてや、俺に逃亡されてかなり頭にきている。町中に誘い込むのは容易だ」


 マッシュとて『何かあるかも』と頭では分かっているかも知れない。それでもようやく解除されたイグルの結界……目の前には憎き勇者……止めてくれる参謀の竜王母は既に討伐済……。全てが聖哉の思惑通りに運んでいた。


「来い、マッシュ。この町がお前の墓場だ」


 凄まじい自信だと思った。住民による肉壁に病原体――いいや、聖哉のことだ。私とセルセウスに隠している策もきっとある。今や、このイグルの町は完全無比なトラップと化しているのだろう。


 ――い、いいのよ! マッシュが死ねばこの捻れた世界も消える! だから、これで……


 自分に言い聞かせながら、鬼気迫る顔付きで迫ってくるマッシュを眺める。するとマッシュの背後に人影が見えた。大人になったエルルの亡霊は、血塗れの折れ曲がった腕をマッシュの肩に絡めている。


『マッシュ……殺して殺して殺して殺して……痛い痛い痛い痛い痛い痛い……』


 エルルの声は常にこうしてマッシュの頭の中で木霊しているのだろう。こんなの、通常の神経じゃとても耐えられない。マッシュの心は年を経る度、蝕まれていったのだろう。


 ――マッシュ……。エルルちゃんの歪んだ幻想に絶えず囁かれて、自責の念をずっと抱いて……心を壊して、人間を殺して……。


 凶悪な人相の変わり果てたマッシュ。それでも私の目にはあの無邪気で幼いマッシュが重なって見えた。


『なぁリスタ。お願いだ。助けて。助けてくれよ』


 私の良く知るマッシュが泣きじゃくっている。それを見て、胸がきつく締め付けられた。同時に私の子供の頃の記憶が再び蘇る。


 ……他の神にいじめられて泣いている私の頭を撫でながら、アリアはあの時、こう言った。


「いいリスタ。女神にはもっと大切なものがあるの」

「大切な……もの?」

「アナタは生まれながらに、いえ女神として生まれる前からそれを持っているわ」


 アリアは私ににこりと微笑む。


「優しい気持ちを忘れないでね」





  聖哉の背後には隠れた人民軍。町には多数のトラップ。招き入れればこちらの勝利は100%揺るがない。


 それでも私はマッシュに向けて大声で叫んでいた。


「マッシュ!! 来ちゃあダメ!! 罠よ!!」

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