第百四十五章 限りなく透明に近い女神

「ぷわっぷ!!」


 ロザリーに泉に落とされた私は這々の体で水辺に這い上がる。ドレスはぐっしょり、そして予想通り肌が透けている。だが私はロザリーと違い、下着を身に着けていた。安心したのも束の間、私の背後にロザリーが迫る。


「女神様! 世界を救う為、下着を脱ぎましょう!」

「そ、そんな!! もう充分透けてるでしょ!?」

「いいえダメです! それでは全く透けていらっしゃらない!」


 変な敬語と共にロザリーは猛然と私の下着を剥ぎ取ろうとした。必然、私の胸はロザリーに鷲掴みにされてしまう。


「や、やめてよ、ロザリー!」

「さあ、早く濡れた乳房を見せるのです!」

「いやあっ……!」


 涙目で訴えるがロザリーは私に体を密着させたまま、全く手を緩めない。人間とは思えない力で私の体の自由は奪われてしまう。


 ――だ、誰か助けてえええええええええええ!!


 そんな窮地の私とは裏腹に泉のほとりでは、セルセウスとスラウリがゲスい笑みを浮かべていた。


「ヒヒッ! 肌の透けた女同士のもつれ合い! ええのう、ええのう!」

「はっはっは。チラリズムとはまた違った趣がありますねえ」

「趣なんかあるかあ!! このアホ男神!!」


 怒って叫んだ途端、ブチブチッと音がして私のブラはロザリーに引き千切られた。


「ヒィ!?」

「さぁ隠さないで手をどけてください!!」

「やだってばぁ!!」

「女神様、ご覚悟を!!」


 馬乗りになったロザリーが胸をかばう私の手をどけようとしたその瞬間、今まで黙って腕組みをしていた聖哉が呟いた。 


「おい、スラウリ。HPは今どんな具合だ?」

「ああ、もう充分じゃよ」

「そうか。ならばロザリー。ハウスだ」

「はっ!」


 聖哉に言われてロザリーは私から離れた。そして聖哉の元へ駆けていく。いや忠犬かよ! け、けど、どうにか助かったわ!


 スラウリはどうやら私とロザリーが半裸でワチャワチャやってるのを見て満足したらしい……変態エロジジイめ!


「それではスラウリ。改めてお前の透明化を教えて貰おうか」

「いいじゃろう。じゃがその前に……」


 そしてスラウリは私の方へ近付いてきた。


「何よっ! まさかまだイヤらしいことさせるつもりじゃないでしょうね!」


 だがスラウリは先程とは打って変わって、穏やか極まりない賢者のような表情になっていた。水に濡れてボロボロのドレスを着た私に、麻の服を差し出す。


「これを羽織りなさい」

「えっ?」

「さあ早く。女性がかような淫らな格好をしてはいけない」

「!? おどれが見たい言うたんやろがい!!」


 掴みかかってやろうと思ったが、スラウリの周りには水色の清涼なオーラが漂っていた。


「な、何なのコレは?」

「HPが溜まった今、ワシの心は明鏡止水。もうお主の艶姿になんぞにこれっぽちも興味はない。むしろ目障りなくらいじゃ」

「テメー、ブン殴るぞジジイ!! 欲望発散した後、あからさまにクールダウンしてキャラ変えてんじゃねえ!!」

「り、リスタ。落ち着けよ。お前、一応女神なんだからよ」

「アタシャ、アソコ見られて乳、透けてんだぞ!! 落ち着けるか、ボケェ!!」


 猛り狂うがスラウリも首を横に振る。


「まったく。そんな様子では透明化には程遠いぞい」

「はあっ!?」

「透明化はその者の精神状態で大きく左右する。感情が乱れれば、透明の度合いもぐらついてしまうのじゃ」


 深呼吸するように息を吸い込むと、スラウリは私の顔近くに手を伸ばした。


「今からワシのオーラをお主らに分け与える」

「お、オーラ? それって透明化の?」

「そうじゃ。オーラを得た後、練習を積み重ねれば、きっと透明化は可能じゃろうて」


 スラウリが私に手をかざす。水色の爽やかな気のようなものが私の全身に浸透していく感覚だった。


 ――これが透明化のオーラ……?


 スラウリは聖哉、セルセウス、ロザリーにも同じようにしてオーラを分け与えた。


「さぁ透明になることを念じつつ、ありとあらゆる欲望を無くすのじゃ。だが言うは易く行うは難し。雑念を除去することは存外に難しい」

「わ、分かったわ! やってみる!」

「時間はある。これも何かの縁じゃ。出来るだけ詳しく教えてやるからのう」


 遂にスラウリの修行が始まる……その筈だったが、


「これで良いのか?」


 私は聖哉の声のした方を見る。しかし聖哉の姿は何処にもない。


 ……スラウリの修行前から、聖哉は既に消えていたのだった。


 驚いたのは私よりスラウリだ。せっかく静かになっていたのに、長髪に隠れた目をひん剥いて大声で叫ぶ。


「いやワシ、まだオーラ授けただけじゃけど!? 何一つとして教えてないけど!?」

「うむ。だが、出来た」


 す、す、すごすぎる! 聖哉の学習能力ってどんどんパワーアップしてるみたい!


「お、驚いたわい。しかもちゃんと透明な状態を維持出来ておる……」


 その後、聖哉は透明になったり戻ったりを数度繰り返していたが、やがて納得したのか透明化を止めた。


「お前らも試してみろ。今までの修行で一番容易い。心を無にし、透明になることを強く念じる。ただそれだけだ」


 聖哉に言われた通り、深呼吸した後、私なりに強く念じてみる。しかし体に変化はない。聖哉の顔が落胆の色を帯びた。


「おかしい。リスタは普段からいてもいなくても良いくらいに陰が薄い。故にすぐに透明になれると思っていたのだが」

「どういう意味よ!!」


 憤る私とは逆にセルセウスが自信に満ちた顔で呟く。


「なんだろうな。俺、何となく出来そうな気がするぜ」


 ま、マジで!? でもセルセウスって剣神だからそういうセンスは私よりあるのかも!? ううっ、先を越されたくない!!


 だがしばらくするとセルセウスの腕や顔が色褪せ、透明になっていく!


「き、消えた!! 消えたぞ!!」


 セルセウスは歓喜に満ちて叫ぶ。確かに顔や手足は透明で見えない。だが、腰から下はくっきりと残っていた。


「セルセウス!! アンタ、下半身だけ残ってるよ!! 何だか不気味!!」

「ええっ!? そうなのか!?」

「……おい。ふざけているのか、セルセウス」

「ふざけてませんよ! けど何で上だけ消えて、下は残ってるんだろ?」

「ふむ。お前さんの場合、下半身に欲望がみっちり詰まっておるのかも知れんのう」

「!! 人聞きの悪いこと言わないでくれる!?」


 ふふふ! 焦ったけど、セルセウスはまだマスター出来ていない! 今がチャンスよ、リスタルテ! 大丈夫、セルセウスだって上半身を消せたんだ! 私にだって出来る筈!


 自信の付いた私は集中しながら目を閉じ、透明化を願う。しばらくして目を開けて……右手をかざしてみる。


「み、右手が消えてるわ! やった! 成功よ!」

「ダメじゃ。お主はお主で右半身だけじゃな」

「……へ?」


 泉に自らの姿を映してみると、右半身のみ消えて左半身がしっかり残っていた。まるで剣で脳天から真っ二つに切られたかのようである。セルセウスが私に近付いてきて叫ぶ。


「うわっ! 横から見たら気持ち悪っ! 断面から内臓、見えてる!」

「!? ちょっとセルセウス!! 勝手に女神の断面、見てんじゃないわよ!!」

「……おい。お前は遊んでいるのか、リスタ」

「遊んでないよ!! 頑張ってるよ!!」


 一方、ロザリーは真剣極まりない表情で呪文のようにブツブツと呟いていた。


「勇者様の役に立ちたい、勇者様の……ああ、勇者様ぁっ!」

「欲望の固まりになっておる。全く消えておらん」

「バカな!!」


 聖哉はすぐにマスターしたが、私達は何だか時間が掛かりそうだった。ふと気付くと、聖哉はスラウリと話している。


「……は可能か?」

「ふむ。ワシ以外の者となると難しいじゃろうな」

「試してみたい」

「あっという間に透明化を会得したお主なら素質はありそうじゃの。分かったわい」


 大事なところは聞き取れなかったが、話の流れからどうやら透明化の応用技術を身に付けるつもりらしい。


 こうして冥界の泉で聖哉の、というより私達の透明化修行が始まったのだった。






 一日目。


 私とセルセウス、そしてロザリーはスラウリの指導のまま、泉のほとりで座禅を組んだりして精神集中を続けていた。


 どうやら聖哉はスラウリの小屋にいるようだ。透明化はマスターした筈なのに、スラウリと一緒に何の修行をしてるんだろう。あ……ダメダメ! こんなこと考えてちゃあ透明になれないわ! 集中しなきゃ!


「よう、リスタ! 見ろよ! 出来たぞ!」


 不意にセルセウスの声がして振り返る。だが姿はない。


 ――げえっ、マジで!? 遂にセルセウスに先を越された!!


「ははは! やはり俺は剣神! センスの固まりだ!」


 かなりショックだった。だがよく見るとセルセウスは完全に透明になれてはいない。前回と違い、上半身はもちろん足も消えている。だが……男性自身の部分だけがくっきりと残っていた。


「!? 出来てねえわ!! アンタ、股間だけ残ってるよ!!」

「ふおっ!? 何故だ!?」

「いやらしいことばっか考えてるからでしょ! スラウリも言ってたけど、アンタは下半身に欲望が凝縮してるの! センスの固まりじゃなくて欲望の固まりよ!」

「ぐっ! 言いたいこと言いやがって! ならお前は出来るのかよ!」

「見ていなさい! 難度S以上の異世界を救済すること二度! 今や上位女神になった私の実力を!」


 私は深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。

 

 ――全神経を研ぎ澄ますのよ、リスタルテ! そして心を無に……そう、たとえるなら穏やかに流れる春の小川のイメージ……!


 極度に集中していると、やがて周囲の雑音が私の耳に一切届かなくなった。


「な……っ!」


 セルセウスが驚き、絶句している。私は目をゆっくりと開き、下に向けた。上半身、下半身、目に映るところは全て完全に消えている。


「ふふ……どう、セルセウス。これが透明化よ」


 しかしセルセウスは声を荒らげる。


「これが透明化よ、じゃねえ!! お前、顔だけ残ってるぞ!!」

「はぁっ!? 噓でしょ!! そ、そんな筈は!!」

「頭部が宙に浮かんでるみたいで気持ち悪いんだよ、この生首女神!!」

「!? うるせえわ、股間男神!! お前と喋ってるとアソコと会話してるみたいなんだよ!!」


 生首の私と股間だけのセルセウスが言い争う姿は不気味極まりないものだったと思う。だがいつの間にかスラウリが私達の傍にいて、満足そうに頷いていた。


「ヒッヒヒ。何だかんだでお前さんらも上達しておるな。体の残りの部分はしっかり消えておるのじゃから」

「えっ! ほ、ホント?」

「この分だと今日、明日には完全に透明になれるじゃろうて。やはり神々は筋が良いのう」

「おい! 筋が良いってよ、リスタ!」

「うん!」


 イヤなエロジジイだが、そう言われてセルセウスと一緒に喜んでしまう。するとスラウリはニヤついた顔を少し厳しくした。


「透明化は維持することの方が難しいのじゃ。心が乱れれば途端に姿も露わになってしまう。まぁアンタんとこの勇者に関してはそうした心配は無用のようじゃが」

「なるほどね。……それでその聖哉は今一体何を?」

「頑張っとるよ。じゃが、修行の内容は言えん。お主らには秘密にと言われておるのでな」

「で、出た! また秘密主義!」

「ヒヒヒ。まぁ、お主らの為にもなることじゃ。いやはや……それにしても用心深い勇者じゃわい」


 そう言い残して、スラウリは小屋に戻って行った。






 二日目。


「どうだ! 俺の股間は?」

「ええ! もう跡形も無いわ! 私の頭部は?」

「ああ、何処にも無い!」


 ……とまぁ他人が聞くと危なっかしい台詞と共に、私とセルセウスはどうにか透明化をマスターした。スラウリが言った通り、私とセルセウスはコツを掴み、今や完全に透明になることが出来たのだ。


 泉の前に立って確認するも、自分の姿は見えない。しかし「やった!」と喜んだ瞬間、透明化は解けてしまった。あっ、ホントだ……透明化って続ける方が難しいかも……。


 気を抜くとすぐ解けてしまう。どうやら、もう少し修練が必要のようだ。それでも私とセルセウスはそれなりに順調。しかし、


「……くそっ!」


 隣で地を踏む音と悔しげな声がする。見ればロザリーが顔を歪めていた。体は半透明にもなっていない。


「ロザリー。あんまりイライラすると逆効果よ」


 ロザリーに襲われた日以来、私は彼女と距離を取っていた。しかしロザリーの様子が気になったので近寄ってみる。


「女神様……」


 ロザリーは私を見て、気まずそうに頭を下げてきた。


「先日は本当に失礼なことをした。どうしても世界を救いたいあまり、つい……」

「いや、それは別にもう。とにかくこうして透明化の修行が出来た訳だから。それより、ちょっと休憩したら?」

「そう、ですね」


 私とロザリーは泉のほとりに腰を下ろした。しばらく黙って澄んだ水面を見ているとロザリーも落ち着いてきたようだ。


「女神様。私はアナタのいた世界ではどうなっている?」


 ふとロザリーがこんな質問をしてきた。捻曲世界についてハッキリとは理解出来ていないようだが、私と聖哉が此処とは少し違う世界から来た、ということは朧気ながら認識しているようだ。


 私は考えた後、正直に言う。


「ロズガルドでマッシュとエルルちゃんと一緒に暮らしているわ」

「し、神竜王と私が……! そして……エルル! 聖天使教のご神体が生きているのか……!」

「今の現状から考えれば信じられないわよね」

「い、いや。女神の言うことを信じぬ訳にもいくまい。それに……そうか。エルルが生きていたのなら確かに未来は変わっていたのかも知れぬ」


 何やら思案していた風なロザリーは、またも私に聞いてきた。


「父上はご存命だろうか?」

「えっ。えーと、戦帝は、」

「正直に言って欲しい」


 で、でも流石に魔人になった後、聖哉に殺されたなんて言えないし!


「びょ、病気で亡くなったらしいわ。でも穏やかな最後だったって聞いてる」


 穏やかな最後というのは本当だ。聖哉との死闘の後、戦帝はロザリーに看取られ、安らかに息を引き取った。


 眼帯を指で調節しながら、ロザリーは感慨深げに頷く。


「運命とは不思議なものだ。まるで夢物語のようだが、その世界の私は今よりずっと幸せなのだろうな」

「ロザリー……」


 しんみりとした空気が流れる。だが、ロザリーは不意に立ち上がって笑顔を見せた。 


「今なら透明化が出来そうな気がします」

「ホント? 見せてみて!」


 その言葉通り、しばらくしてロザリーは体をうっすら透明にすることが出来た。後は練習を重ねれば完全に姿が消えるだろう。


「ありがとう。女神様」


 そう言ってにこやかに笑う。こうしてロザリーと私は仲直りしたのだった。 

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