第百三十六章 女神の価値

 冥界の道化師ジョーカが爛々と輝く目で私を見詰めていた。


 ――信じらんない!! マジでやるの!? 下着姿でいるだけでも恥ずかしいのに、ゴリラの真似なんて……!!


 ツヤツヤした黒毛のマウンテンゴリラが、檻の中に入っている私に構うことなく、お尻の辺りをボリボリと掻いている。


 い、イヤすぎる! だけど聖哉の言う通り、これは神界を救う為! やるよ! 私やります、イシスター様!


 勇気を振り絞って私はお尻を掻きながら、ゴリラの鳴き真似をしてみた。

 

「ウホウホ……」


 すると檻の外でジョーカの顔があからさまに落胆の色を帯びた。


「実際ゴリラは、そんなにハッキリ『ウホウホ』とは言わないよ。もっと良く観察して。独自のアレンジを加えないで」

「おい、リスタ。真面目にやれ」


 聖哉の冷たい声が響く。更にセルセウスまでもが声を荒らげた。


「そうだ、そうだ! 何、勝手にアレンジしてんだ! 誰もお前オリジナルのゴリラなんか見たかねえぞ!」

「!? このクソがああああああああああああああああ!!」


 セルセウスに言われて堪忍袋の緒が切れた。私はセルセウスを睨みながら檻を激しくガシャガシャと揺さぶる。ガヤが好き勝手言いやがってええええええええ!


「……ヒュウ。怖ぇえ」

「と、とても女神とは思えないね。分かった! じゃあオイラが指示出ししてあげるよ! 声通りに真似してみて!」 


 ジョーカはゴリラを見ながら、私に指示を飛ばし始めた。


「ほら。ゴリラと同じように檻の外周に沿って歩いて」


 私はゴリラの後に続き、広い檻の中を前傾姿勢で歩く。ゴリラは不意に立ち止まると両手を胸に当てて『ポコポコポコ』とドラミングし始めた。


 へ、へぇー。こんなに綺麗な音が鳴るんだ……。


「はい、女神様もドラミングして!」

「……」


 私も胸を両手で叩く。あまり良い音はしなかったが、オッパイは左右に揺れた。前に一度、魚人に変化して形態模写したことがあるが、今回ビジュアルは素の私のままである。だから余計に恥ずかしい。


 その後もゴリラは自由気ままに振る舞っていた。アクションを取る度、ジョーカの指示出しが続く。


「はい、そこでバナナ食べて!」

「もぐもぐもぐ……」

「はい、シラミ取って!」

「そんなん、ねえわ!」

『ブゥ』

「はい、屁をこいて!」

「こけるかあ!」

「もう一回、バナナ食べて!」

「もぐもぐもぐ……」


 バナナはおいしいのでしっかり食べていたのだが、ゴリラは途中で面倒臭くなったのか皮ごと丸呑みした。


「それじゃあ女神様も皮ごといって!」


 ――おい、マジか……!!


 どうして女神の私がバナナを皮ごと……そんな女神いる……? い、いや昔を思い出すのよ、リスタルテ! アナタはデスミミズだって食べたじゃない! あれに比べればバナナの皮くらい何てことない! いくわよ! モシャリ……ぐえぇぇぇ……渋っ!? バナナの皮、渋っ!!


 溜まらず吐き出してしまう。精神的に辛いのと相まって、涙が滲んだ。


 うう、下着姿で何でこんなこと……! 聖哉とセルセウス、私のこと見てバカ笑いしてるんでしょうね……!


 ちらりと様子を窺うと、二人は憐れ極まる目を私に向けていた。


「正視に耐えんな」

「まるで売れないヨゴレ芸人っすね……」

「!? そんな悲しい目で見るなよ!!」

「ちょっと女神様! ちゃんとゴリラの真似をして!」



 ……一体、何分経過しただろう。私は延々とゴリラの真似をし続けた。やがて自分が女神ではなく野生のゴリラなんじゃないかと思い始めた頃、ジョーカが柏手を打った。


「ふう! ありがとう! HPを沢山頂いたよ! とても良いゴリラだったね!」

「良いゴリラも悪いゴリラもあるかあ!! とにかくもう終わりなのね!? 檻から出ても良いのね!?」

「うん。準備はこれで充分さ。それじゃあこっちに来て」


 檻から飛び出し、急いでドレスを着る私にジョーカが手招きしていた。そんなジョーカの肩を掴み、聖哉が止める。


「おい、待て。何か勘違いしていないか? お前の技を覚えるのはソイツではない。俺だ」

「ええっ! なぁんだ! そうなんだ! じゃあ、女神様にあそこまで執拗にゴリラの真似をさせる必要は全くなかったね!」

「!? ウオォォォォォイ!!」


 大声で叫ぶ私をスルーして、ジョーカは聖哉の方に向かって歩いていく。


「人間に真似出来るかどうか分からないけど、とりあえず手本を見せるね」


 ぐうっ! 何なのよ、このピエロは! ってか、待って! 今から聖哉もゴリラの真似するの? 何だか見たいような見たくないような……!


「俺もゴリラの檻に入れば良いのか?」

「いや。あんな死ぬほどくだらないゴリラの真似なんてしなくていいよ」


 !? くぉの糞ピエロがあああああああああああああ!!


 しかし真似る必要がないと言いつつ、ジョーカは再度、檻に入り、私が真似たゴリラを連れて出てきた。笑顔のまま、腰の鞭を抜き、そして……


「えっ!?」


 大きくしならせた鞭をゴリラの腹に当てる! 激しい音と肉を切り裂く音がして、ゴリラが低い声で唸った! 腹部からは血がボドボドと滴り落ちている!


「ちょ、ちょっと!? アンタ、何てことすんのよ!! 可哀想でしょ!!」

「なら、治癒の女神様。治してやると良いさ」

「言われなくとも治すわよ!! ホント最悪ね、このピエロ!!」


 私は苦しそうにうずくまるゴリラに近付き、治癒魔法を発動する。


「もう大丈夫だからね……」


 いつの間にか隣にいたジョーカは、私と同じようにゴリラの傷口に手を当てていた。気付けばジョーカの体から、今まで見たことのない虹色のオーラが溢れ出ている。


「ふむふむ。覚えたよ」

「お、覚えたって……?」


 今、私の手から出る淡い光と同じものが、ジョーカの手から発せられていた。


 ――ま、まさか!!


 私はゴリラの治癒を一旦中止し……そして確信する。私が治癒魔法を発動していないのに、ゴリラの傷が徐々に癒えていく!


「噓……!! 神の技を真似るなんて……一体どういう原理!?」

「原理も何もこれがオイラの技さ」

「どうやら魔法理論を超越しているようだ。ヴァルキュレの天獄門が因果律を超えて発動するのに似ているな」


 聖哉の呟きにジョーカが大げさに手を上げて、感嘆の表情を見せた。


「へえー! 天獄門を知ってるのかい!」

「以前、神界の破壊神に教わった」

「すごいね! 人間だけど、君ならオイラの技を覚えられるかもね!」


 ジョーカは興奮していたが、私はジョーカが天獄門を知っていることに吃驚していた。ヴァルキュレ様って神界ナンバー2だし、やっぱり冥界でも有名なのかしら……?


「よし。それでは早速リスタの治癒を真似してみよう」

「えええっ! それは無理よ! いくら聖哉でも私の治癒魔法だけは使えないって! 昔アリアも言ってたじゃない!」

「冥界の技は神界のルールに当てはまらない。事実、シュル・ルシュの技で俺は対極の氷属性魔法も身に付けた」

「で、でも!」

「とにかく黙っていろ。ゴリスタ」

「!? 誰がゴリスタじゃい!! もうゴリラの真似してねえわ!!」


 ニコニコと微笑みながら、ジョーカは言う。


「その前にオイラのオーラを分けてあげるよ。まずはこの虹色のオーラをしっかり形成出来なくちゃあダメなんだ。教えるとしたら、まずはそこからだね」

「なるほど」


 聖哉は鋭い目を私とセルセウスに向けてきた。


「集中して修行したい。リスタ。明日また此処に来い。セルセウスと一緒にな」

「うん……」


 いつものように邪魔はすまいと、私は黙ってジョーカのもとを去ったのだった。






 翌日。

 私とセルセウスがジョーカのサーカステントに向かうと、聖哉はジョーカと向かい合って、座禅を組むようにして座り込んでいた。いんを作るように重ねた聖哉の手を見て私は驚いてしまう。既に七色の光が聖哉の手から溢れていたからだ。


「虹色のオーラ、もう会得したの!?」

「うむ。赤から青、緑と、徐々に色彩を増やす感じだ。コツを掴めば難しくはない」

「予想より何十倍も習得が早いよ。人間なのに凄いね、彼は」


 ま、まぁ聖哉って何でもすぐに覚えちゃうもんね。元々、物真似の素質があったのかも……。


「ようし、それじゃあ女神様も来たことだし、治癒魔法の物真似を実践してみよう!」


 鞭を持ってゴリラの檻に向かいかけたジョーカを聖哉が止めた。


「どうせなら、こちらのゴリラを使え」


 そして剣を抜くと、有無を言わさず『ズバッ』! セルセウスの背中を斬り付けた! セルセウスが叫ぶ!


「ギャアアアアアアアアアス!?」


 い、いきなり真剣で斬りやがったァァァ!? いくら神は死なないからってメチャクチャするわね!!


「痛い痛い痛い痛い!! リスタあああああああ、早く治してえええええええ!!」


 傷は放っておけば自然に再生する。それでも、セルセウスは憐れに泣き叫んでいた。


「し、仕方ないわね」


 私はセルセウスの背中に向けて治癒魔法を発動する。……うん? よく見たら背中の薄皮一枚、斬られただけじゃない。セルセウスって大げさねえ。


 呆れながら軽傷を治していると、私のすぐ傍、息の触れ合う距離に聖哉がいることに気付く。


「……メモライズド記憶した


 そう呟くと同時に、聖哉は私を軽く押した。私が治癒魔法を止めたのに、聖哉が手を当てるとセルセウスの傷が癒えていく!


「せ、せ、せ、聖哉が治癒魔法を使ってる……!?」

「おおっ! 痛くなくなった! すごいっすね、聖哉さん!」

「うむ。だが、もっと熟達したい」


 言うや、聖哉は何の躊躇もなくもう一度セルセウスを斬り付けた!


「ギャアッ!?」


 聖哉がそんなセルセウスの背中に手を向ける。淡い光がセルセウスの傷を癒した。


「あれ……痛くない……」


 聖哉が更にもう一度、セルセウスを斬る。


「ギャアッ!?」


 また手を向ける。


「あれ……痛くない……痛くないけど……もう止めてくれませんかねっ!?」


 セルセウスは懇願したが聖哉は何処吹く風で、ただ自分の手を眺めていた。


「む。これはどうしたことだ。虹色のオーラが消えてしまったぞ」

「物真似の発動は長くて数分程度さ。オーラが消えればもう一度、オリジナルの技を見て、覚えなきゃならない。虹色オーラの形成にもっと熟達すれば、発動時間を延ばすことも出来るだろうけどね」

「そうか。いや待て……。MPも信じられないほど激減している。通常時の三分の二程しか残っていない」

「きっと人間がオイラの技を使うと、魔力をたくさん消費しちゃうんだね」

「何ということだ。思ったより制約の多い技だな」


 苦虫を噛み潰したような顔で呟く。時間制限に加え、魔力の大量消費。特にMPがたったの10減っても嫌がる聖哉にとっては、憂慮すべき問題なのだろう。


「まぁいい。しばらくはジョーカと二人で虹色オーラの形成に集中。物真似の時間を延ばすことに専念するとしよう……」






 それから数日。聖哉はジョーカのテントに泊まり込みで修行を続けていた。


「聖哉、順調にやってるかなあ?」

「さぁな。だが、平和でいいじゃないか」


 台所でセルセウスがメレンゲを楽しそうにかき混ぜている。私とセルセウスはいつものようにウノ邸で過ごしていた。


「それでアンタは何してるのよ?」

「見りゃわかるだろ。ケーキを作ってんだよ。ようやく俺本来の職業に戻った気がする。出来れば冥界でも喫茶店を開きたいな」

「あのねえ。アンタの本業は剣士でしょ。それに今回はアンタも一緒に冒険に行くんだから、冥界でゆっくり営業してる暇なんかないわよ」

「はぁー。面倒くせえなあ。もうあの人、一人で勝手にやってくんねえかなあ」


 聖哉がいないので、あからさまに愚痴るセルセウス。しかしちょうどその時、台所の扉が音を立てて開き、聖哉がやってきた。


「あっ、聖哉さん! お勤めご苦労様です! おやつのケーキを作ってお待ちしておりました!」

「死ぬほどいらん。それよりジョーカのオーラを完全に習得した。後は実践だ」

「じゃあ聖哉。物真似する時間、増やせたんだ?」

「うむ。最大三分間の延長に成功している。その後も何回も試したが三分以上は延ばせなかった。三十年くらい延ばしたかったのだが」

「け、桁が違う……!! どんだけ延ばそうとしてんのよ!!」

「ええっと。それじゃあ俺、向こうでケーキ焼いてますんで……」


 そそくさと逃げるセルセウスを無視し、聖哉は眉間にシワを寄せていた。


「それにしても、実際なかなか厄介な技だ。MP大量消費もさることながら、そもそも前提として敵の技を喰らわなければ真似が出来んからな」

「あ。そっか」

「つまり戦闘で後手に回るリスクを背負っている。まぁこれに関しては既に対策を考えている。たとえば『セルセウスを肉壁にし、敵に先に技を発動させる』などが有効だ。他にも……」


 すると突然、向こうでガシャンと皿の割れる音がした。


「ケーキを焼いていたら物騒な会話が聞こえてきた!! 止めてくださいよ!!」


 聖哉はツカツカと台所に向かうと、そんなセルセウスを睨む。


「セルセウス。今から俺の修行に付き合え」

「げえっ!! また背中、斬るつもりっすか!?」

「リスタの治癒魔法は完全に模倣出来た。今日は違う修行だ。まずは魔神になって貰おうか……」







 更に翌日が経過した。


 ベランダで一人寂しく紅茶を飲んでいると、ウノが私に話し掛けてきた。


「聖哉様はどちらへ?」

「セルセウスと最終の仕上げに入ってるみたい。魔神化したセルセウスの剣技を真似ているの」

「……リスタ様。何だか元気がありませんね」


 見透かされて、私は大きな溜め息を吐く。


「だって聖哉ったら遂に私の治癒魔法まで使えるようになっちゃうんだもん。いくら短い期間限定の物真似とはいえ、何だか切ないのよ」


 もともと大して役に立っていなかったのに、唯一の特技まで真似られてしまい、私は酷く落ち込んでいた。それに何だかんだで私よりセルセウスの方が、聖哉の役に立っているのもまた悲しかった。


 すると、ウノが何かを思い付いたように微笑んだ。


「セルセウス様は魔神化して『魔神斬り』を覚えられたのですよね? リスタ様も今まで出来なかったことが出来るようになっているかも知れませんよ」


 そっか! アレ以来、試していなかったけど……ひょっとしたら何処かパワーアップしてるのかも!


「ようし! やってみるわ!」


 逆立ちしてシュル・ルシュに教わったタイプ・オポジット形態転換法を使って魔神になる。私は黒革のドレスに小悪魔っぽいセクシーな出で立ちに変化した。


「それではまずは治癒から試してみましょう」


 ウノは自らの指を口に当て『ガリッ』という鈍い音と共に噛み切った! 鮮血が腕を伝わり、滴り落ちる。


「う、ウノちゃん!?」

「お気になさらず。治癒魔法を発動してくださいませ」


 いきなり指を噛み切るなんて! ジョーカもそうだけど、冥界の住人って無茶するわね!


 それでも絶好のチャンスである。私は治癒魔法を使って、ウノの傷を癒してみた。


「普段と比べて治癒速度はどうでしょう?」

「うーん。あんまり変わってないような……」

「そうですか。それでは他にも色々試してみましょう」


 ウノに言われて私は重い物を持ったり飛び跳ねてみたりしたが、セルセウスと違い、身体能力も特に向上してはいないようだ。普段セルセウスのことをバカにしているが、腐っても剣神。私の能力値よりはずっと高い。ヒーラーの私が魔神になり、能力値が数倍になったところでたいしたことはないのだ。


「はーあ。やっぱりダメかあ」


 落ち込んで下を向く。大きく胸元の開いた黒革のセクシードレスから、胸の谷間が覗いていた。


 ――あ。オッパイはちょっと大きくなったみたい……って私、魔神化して乳デカくなっただけなんかい!!


 心の中、一人でツッコむ。豊胸サプリメント程度の効果に苛立ちながら、オッパイを見詰めていると何かが挟まっていることに気付く。


「これって、ニーナちゃんの……」


 それはニーナに貰った押し花だった。取り出そうと手に触れた刹那、私の脳裏に映像が流れ込んできた。



『ううっ……! お父さん……お父さん……っ!』



 ――えええっ!! な、何よ、コレ!?


 ウノ邸のベランダにいた筈の私の眼前に広がるのは、暗い部屋で一人、むせび泣くニーナの姿だった。

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