第百十四章 不吉な予感

「行くぞ」


 ぼそりと聖哉が呟く。 


「遂に……行くのだな?」

「うむ」


 しばしの沈黙が訪れ、私、ジョンデ、キリコは息を呑む。そして聖哉は私を振り返った。


「リスタ。門を出せ。神界に行く」

「!! 魔王城に行くんじゃないのかよ!?」


 ジョンデが叫ぶと同時に、私の肩の力は抜けてしまった。


 い、いや、まぁ……やっぱり聖哉だもんね。このままストレートに最後の決戦に行くなんてなかったんだわ……。


「お前、以前は『魔王の隙を突いて攻め込みたい』みたいな話してただろ!!」

「戦況は刻々と変化している。悪魔神官は『もはや魔王を止めることは出来ん』と言っていた。ならば万全の状態の魔王に対し、こちらもより一層の万全を期して戦う。つまり神界での修行だ」

「神達との合同練習で、ほぼ全ての適職をマスターした筈だ!! 後は一体、何を、」

「リスタ。早く門を出せ」

「俺の話を聞けよ!!」 

「まぁまぁジョンデ! 神界での修行が役に立つこと、アンタだって見てきたでしょ? ここは聖哉に任せましょ!」

「それにジョンデさん! 神界に戻れば、連撃剣の練習の続きが出来ますよ!」


 ジョンデは私とキリコの顔を交互に見て、少し黙った後、


「……分かった」


 渋々と頷く。


 こうして私達はまたも神界に戻ったのだった。




 

 セルセウスのカフェに着くなり、アリアが私達に駆け寄ってきた。珍しく血相を変えた顔を聖哉に向ける。


「聖哉! 隠れて! 今、此処にいるとマズいわ!」

「ど、どうしたのよ、アリア!?」

「拳神アルクスが久し振りに神殿に戻って来たの! それで何だか聖哉を逆恨みしてるみたいで探してるのよ!」

「ええっ!! どうしてアルクス様が聖哉を!?」

「話は後よ! とにかく急いで、」


 しかし。


「……こんなところにいやがったか!」


 私とアリアの背後から聞こえた低い声にギクリとする。道着の胸元をいつも大きく開いて神界を闊歩する、古風で強面こわもての男神の姿が脳裏を過ぎった。


 ――間違いない! 拳神アルクス様だわ!


 恐る恐る振り返る。すると……そこには、リーゼントに黒い革ジャンを羽織り、口に煙草をくわえたアルクス様がいた。


「!! いや誰だよ!?」


 まるで聖哉の世界の古い不良のような出で立ちに私は叫んでしまう。 アルクス様は地面に煙草を吐き捨てると足で踏み消す。 


「オメーらの゛ツラ゛を見ると思い出すぜ……! ゛災難トラブル゛と゛バトル゛っちまったあの日のことをよ……!」


 ――え……ちょっと何言ってんのか分かんない……!


 アルクス様は、こんな喋り方や外見じゃあなかった筈なのに!? 愕然とする私にアリアが耳打ちする。


「リスタ。以前、アナタと聖哉が神界に死神を連れてきたことがあったでしょう?」

「死神……? それってひょっとして、ゲアブランデのクロスド=タナトゥスのこと?」


 召喚術師キルカプルが命と引き替えに呼び出したクロスド=タナトゥスは物理攻撃、魔法攻撃などあらゆる攻撃が通らない恐るべき魔物だった。聖哉は破壊の女神ヴァルキュレ様をけしかけ、防御不能の対象直撃破壊術式『ヴァルハラ・ゲート天獄門』によって、どうにかタナトゥスを倒したのだが……


 思い出していると、アルクス様が私と聖哉にメンチを切ってきた。


「あの死神に俺の必殺技゛超絶無敵拳゛を破られた日から、俺は゛自分テメー゛を許せねーんだ……! だから今まで修行に゛特攻ブッコ゛んでたっつー訳よ!」


 相変わらず何言ってんのか分かりにくいけど……そっか! あの時、神殿に攻めてきたタナトゥスにやられた神の中に、アルクス様も入っていたんだわ!


 聖哉がつまらなそうな顔で呟く。


「つまりタナトゥスに負けて、グレてしまったということか。気の小さい神だ」

「だ、黙りやがれ、オラァーーーー!! 誰に゛上等゛くれてやがんだ!! オメーの頭、゛スイカ゛みてーに゛カチ割って゛やんぞ!?」


 ガラ、悪っ!? やっぱ『けんしん』って名前の神にロクなの、いないのね!!

 

 だが憤っていたアルクス様は、ふと遠い目をして「クックック」と含み笑った。


「今、考えると笑えるぜ。何が゛超絶無敵拳゛だよ。なぁリスタルテ。オメーもそう思うだろ?」

「え、ええ! 名前がまたダサイですよね! あっ……゛超絶ダサイ゛ですよね!」

「言い直してんじゃねえ!! ゛ブッ殺され゛っぞ!!」

「ヒイッ!? そっちから言ってきたのに!?」


 私は聖哉の背中に隠れる。アルクス様は聖哉の顔に自らの顔を近付け、激しく睨むが聖哉は何処吹く風だ。


「どちらにせよ都合が良い。武闘家スキルを磨く為、拳神との修行はやるつもりだったからな」

「いい度胸だ。゛吐いた唾゛呑み込むんじゃねーぞ……」


 そしてアルクス様は拳を大きく引いた!


「゛くしゃくしゃ゛に゛ボコって゛゛ふくれ゛まくった゛パンパンのあんパン゛みてーにしてヤンヨォォォォォォ!!」

「!! 一体どういう意味ですか!?」


 私は叫ぶが、昭和の不良――いや拳神アルクス様は既に聖哉に殴りかかっていた! しかし聖哉もバーサークを発現! ひらりと拳をかわすと、代わりにジャブのようなパンチを数発、アルクス様の頬に当てた!


「チッ!」とアルクス様が舌打ちした刹那、またも聖哉の拳が入る。ちょんちょんと鼻先を突くように軽く当てている。アルクス様は余裕の表情だ。


「何だァ、その゛スポンジみてーに軽い拳゛は! そんなのいくら当たっても効かねーんだよ!」


 だがその直後! 『ゴッ』と鈍い音を立てて、狙い澄ましたような聖哉の強烈な拳が顔面にヒットする!


「ぐふぅ!?」


 アルクス様が唸った。


「……あ、アルクスめ。ば、バカな奴だ」


 私の隣ではアデネラ様がコーヒーを飲みながら呆れた顔をしている。


「さ、最初の拳は、よ、様子見。せ、聖哉は奴との距離を、は、測っていたんだ」


 アデネラ様の言った通り、距離を把握した後は強烈な打撃が雨あられのように拳神に降り注ぐ! アルクス様は腕でガードするのが精一杯の様子だ!


「や、や、やるじゃねーか! だが、あんま゛チョーシ゛くれてっと、゛すり潰して挽き肉゛に……って、うごっ!?」


 えぐるようなボディに、アルクス様が悶絶する。そんな光景を目の当たりにして私は苦笑いしてしまう。


 あはは……最初っから拳神より強いじゃんか。聖哉ってば元の世界にいる時、ボクシングでもしてたのかな? どっちにしても、これじゃあ修行にならないわね。


 ……その後もアルクス様は聖哉の連打を浴び続けた。聖哉の拳が、顔、脇腹を殴打する。やがて不遜な態度だったアルクス様が、


「も、もう……やめてくれ……!」


 片手を上げて、そう漏らした。しかし、


「神は死なないのだろうが」


 聖哉は攻撃を止めない。いや、これまでより一層激しいラッシュを開始した。


 ……数分後。聖哉とアルクス様の戦いを私と同じように見ていたジョンデとキリコが、ざわざわとし始める。


「お、おい。まだ続けるのか?」

「そ、そうですね。相手の神様、もうグッタリしています……!」


 全身をしこたま殴られ、自然と下がったアルクス様の頭部を、聖哉が髪の毛を掴んで引き戻す。そして、またも顔面に拳を叩き付ける。私の隣でセルセウスがコーヒーカップを落として割った。


「こ、こ、怖すぎる……! 俺との修行でもあそこまで酷くはなかった……!」

「助け……助けて……くださいぃ……」


 涙目でアルクス様が懇願している。殴られすぎて顔が腫れたアルクス様を見て、『ああ、これが【パンパンのあんパン】なんだ』と思ったが……いやいや、流石に笑えないわ!


「聖哉!! やりすぎよ!! マズいって!!」


 背後から叫ぶ。それでも聖哉は殴るのを止めない! ……ええっ? 聞こえてないの?


「聖哉ぁっ!!」


 私は聖哉の背中に飛びつき、後ろから羽交い締めにした!


「ストップ、ストップ、ストーーーーーーーップ!!」 

「……む」


 まるで夢から覚めたようにハッとして、ようやく聖哉はラッシュを止めた。珍しく少し息を切らせている。


「ど、どうしたの、聖哉!? 何だか、らしくないよ!?」

「……何でもない」


 聖哉はヘロヘロになって地面に伏したアルクス様をちらりと見ると、胸元から薬草を取り出し、放り投げた。い、いや、そんな薬草一つじゃ絶対治らないくらい、顔パンパンだけど……!


「疲れた。少し休む」


 そう言い残し、聖哉は神殿の方に歩いていってしまった。




 聖哉がいなくなってから、私は気を失ったアルクス様に治癒魔法をかけた。その後はセルセウスにカフェ奥の一室を借り、アルクス様を運んで貰う。


 オープンカフェに戻ると、キリコが心配そうに呟いた。


「聖哉さん……どうしたのでしょうか?」

「うん。何だか『疲れた』って言ってたけど……」

「おおかた、腹が立ったんだろうよ。確かに見ていてイラつく神だったからな」


 ジョンデの言葉を聞いて、隣のアリアが神妙な顔をする。


「きっと魔王戦のことを考えていたんじゃないかしら。それで周りが見えなくなっていたんだと思うわ」

「な、なるほど。さ、流石は聖哉。す、すごい集中力だ……」


 アデネラ様は頷きながら感心していたが……本当にそうなのだろうか? 確かに他のことに気が囚われ、目の前にいるアルクス様が見えていなかったのは間違いない。


 ――でも……それがアルテマイオスじゃないような……。


 何故だか、私は漠然とそう感じたのだった。






「……お前は付いて来るなと言うのに」

「イヤよ! 私は聖哉の担当なんだから!」


 翌日。聖哉が向かったのはイシスター様の部屋だった。昨日のことが気になった私は、聖哉が休んでいる召喚の間の前で待機。朝、出てきたところを捕まえたのだ。


「来るな」と言われ続けてもしつこく食い下がり、とうとうイシスター様の部屋前まで付いていく。ドアを開き、イシスター様の部屋に入ると開口一番、


「時の女神、クロノアと話がしたい」


 聖哉はイシスター様にそう告げた。


「せ、聖哉!! も、もしかして……今度は時の女神と修行をするつもりなの!?」

「そうだ」


 ほ、本気!? 最奥神界の神に教えを乞うなんて、考えもしなかった!! でも……もし仮に時の女神の技を会得して、敵の時間を止めてしまえば、アルテマイオスがどんなに強かろうが関係なく倒せるわ!!


 聖哉に言われて、イシスター様は少し困ったような顔をした。 


 ――いや、やっぱりそんなのチート中のチートよね!? そもそも最奥神界の神に教えて貰うなんて出来るの!?


「クロノア様は優しいお方です。会って話をすることは可能でしょう。ただ良い結果は期待できないと思います」

「ばあさんは案内してくれればいい」


 聖哉の言葉にイシスター様は黙って頷いた。


 私と聖哉はイシスター様と一緒に『時の停止した部屋』に向かい、そこにある絵画から最奥神界へと入ったのだった。



 イシスター様に呼ばれ、最奥神殿の扉が開く。時の女神クロノア様は微笑みながら優美な姿を現された。


「クロノア。相談があるのだが……」


 聖哉が言ったその時、再び神殿の扉が開け放たれて巨躯の男神が現れる!


 ――理の神ネメシィル様!! 前にリスタ・ババアソード……もとい、ホーリーパワー・ドレインソードでおじいちゃんにさせられて以来だわ!! ぜ、絶対、怒ってるわよね!?


 しかしネメシィル様は聖哉を見て「また貴様か……」と、ぽつり呟いただけだった。


「貴様が前回リスタルテを呪いから救う為、最奥神界に訪ねてきたところまでは覚えている。だが、その後の記憶が曖昧なのだ。クロノアに聞けば、われが貴様に時を遡ることを許可したらしいのだが……」


 !! ネメシィル様、おじいちゃんになってた時の記憶がないんだ!?


 話を聞いて、聖哉は当然のように言う。


「そうだ。あの時、快く協力してくれたことには感謝している」

「むう。そうか。やはり我は許可したのか……」


 うーわ! 涼しげな顔で嘘ついちゃってまぁ……!


 あの時の事情を知っているクロノア様が、楽しげに聖哉に話しかける。


「ふふ。それで竜宮院聖哉。今回の相談は何でしょう?」

「うむ。時を止めたり、進めたりする技を俺が会得することは可能だろうか?」

「……残念ですが、人間は時を操ることは出来ません。止めることも戻すことも、そして進めることも」


 や、やっぱりそうだよね。『時を操る』だなんて。そもそもクロノア様以外の神様にだって出来ないことを人間に出来る訳がないんだわ。


 私は落胆するが、それでも聖哉は引かなかった。


「今まで人間に技を教えたことはあるのか?」

「いいえ。でも、それが不可能だということは火を見るよりも明らかですから」

「俺は自分の目で確かめねば納得できない主義でな。一緒に修行して、本当に不可能かどうか試してみたい」

「なるほど……」


 クロノア様は、しばし考えた後、にこりと笑う。


「いいでしょう。なら修行をしてみましょうか」


 だが、その途端、


「いかん!! いかんぞ!! 最奥神界の神が人間如きに協力するなど!! そもそも世界救済の為とはいえ、時を操作するのは神の理に反する!!」


 怒号のような理の神ネメシィル様の声が最奥神界に木霊する! すると聖哉は不思議そうな顔をした。


「おや。この間は協力してくれたではないか?」

「いや、この前のことは、」

「以前がダメで今回もダメというのなら話は分かる。だが前回は良くて、今回はダメというのは一体どういう了見だ。理の神なのに理にかなっていないぞ?」

「ぐうっ……!」


 唸った後、沈黙。やがてネメシィル様は苦虫を噛み潰したような顔で言う。


「い、いいだろう。修行しようが、しまいが結果は変わらん。天地が引っ繰り返ろうとも、人間が時を操作できる筈はないのだからな」


 ――や、やった! ネメシィル様を言いくるめたわ!


 私は心の中で歓喜した。クロノア様もネメシィル様も不可能って思ってるみたいだけど、一億人に一人の逸材、大天才勇者の聖哉ならもしかしたら……!


 期待に胸を膨らませる私に、聖哉が言う。


「という訳で、しばらく此処でクロノアと修行する」

「うん、分かったわ! 頑張ってね!」

「とりあえず期限を区切り、最長三日間としよう。この間、ジョンデとキリコには連撃剣の練習をさせておけ」

「そ、それで、えっと……私は?」

「お前は遊んでいろ」

「!? またかよ!!」


 叫んだのだが、聖哉はそんな私をいつものように無視したり、バカにしたりはしなかった。


「リスタ。たまにはゆっくりするといい」

「えっ」


 その言葉がほんの少し優しさを帯びていたことに気付き、激しい違和感を感じる。呆然とする内に、聖哉はクロノア様の方に歩いて行ってしまった。


「それではリスタルテ。私達は統一神界に戻ると致しましょう」

「は、はい!」


 私はクロノア様にお辞儀して、イシスター様と一緒に最奥神界を出たのだった。





 イシスター様と神界の通路を歩きながら、先程の聖哉の言葉を回想する。


 ――うーん。あんな感じのこと言われたのって、確か前にもあったような……それって、いつだっけ?


「……リスタルテ」


 考えていると、イシスター様が私に話し掛けてきた。


「あっ、はいっ!」

「クロノア様との修行がうまくいくかはさておき、強力な加護を邪神から受けているイクスフォリアの魔王アルテマイオスの討伐です。やり過ぎるということはありません。魔王が覚醒するまで、まだ時間は残されています。竜宮院聖哉にはその間、精一杯頑張って欲しいと思います」


 聖哉のことをイシスター様も気に掛けてくれているようだ。ふと気になって尋ねてみる。


「イシスター様。邪神が魔王に加護を与えるのは何故なんですか?」

「邪神もまた力が欲しいのでしょう。勇者を倒すことで生じる負のエネルギーを、魔王と共に得ようとしているのです」


 なるほど。だから魔王に荷担するんだ……。


「考えたくはありませんが、もしも竜宮院聖哉が再度、アルテマイオスに負けることになれば、イクスフォリアに救う邪神の力は絶大なものとなる筈です」

「せ、聖哉は負けませんっ!」

「ええ。無論、私もそう信じています」


 少し沈黙した後、イシスター様はぽつりと言う。


「リスタルテ。アナタも充分、気を付けてください。アナタがもし魔王によって倒されれば、邪神は勇者を倒したと同様の力を得るでしょう……」


 私達はイシスター様の部屋の前に辿り着いていた。頭を下げ、クロノア様に会わせてくれたお礼を言って、イシスター様と別れる。


 ――そっか。私が死んでも邪神は大きな力を得られるんだ。……ん? 私が『死んでも』……?


 一人で神殿を歩きながら、私の心はざわついていた。

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