第六十七章 勇者の誤算
聖哉の要望で、ブノゲオス屋敷近くの小屋の中に私は門を出した。ブノゲオスに化けた聖哉は、そろりと門を開き、中に入るのかと思いきや、胸元から細長いものを取り出した。それは聖哉の手を離れると、スルスルと地を這い、門の向こうに入っていく。
「もしかして、それって土蛇?」
「うむ。偵察に特化したオートマティック・ナーガだ。土蛇の目は俺の目と連結している」
聖哉は目を閉じ、しばらく黙っていたが、
「よし。小屋の中、またその周辺に獣人のいないことを確認した。では行くぞ」
安全を確保した後、ようやく私達は門を潜ったのだった。
門を消した後、聖哉は薄暗い小屋の窓から外の様子を窺いつつ、私に念を押す。
「リスタ。今からは人語を喋るんじゃないぞ。分かったな?」
私は「ウオ」と頷いた。
すると、今までの慎重さから一転。聖哉は大胆にドアを開き、ガルバノの町を大股で闊歩し始めた。のっしのっしと歩く様はまさにブノゲオス。私もなるべく魚人っぽく、ひょこひょことその後を追う。
やがて犬の獣人二体が私と聖哉に気付き、駆け寄って来た。
「ぶ、ブノゲオス様! こんなところにおられたのですか!」
――だ、大丈夫だよね? バレないよね、絶対……!
私の心臓はバクバクと鼓動するが、聖哉に動揺は全く見られない。
「ああ。勇者は殺したが、怪我をしちまってなあ。今までちょっと手当をしてたんだあ」
間延びした声でそう言って腹をさする。気付けば、聖哉ブノゲオスの体には至る所に傷が付いていた。呪縛の玉が入っていた左目からも血を流している。勇者と戦った後、無傷というのはおかしいという、聖哉らしい用心深さだった。
犬の獣人達はまるで疑うことなく、聖哉と会話を続けていた。
「それでグランドレオン様はまだ町に来てないのかあ?」
「ええ。まだいらしてないようですが」
「そうかあ。ならグランドレオン様を招く準備でもするかあ。おい、お前ら。もしグランドレオン様を見かけたら俺の屋敷に来るように言っておくんだぞお」
「分かりました」と頭を下げた獣人達を残し、聖哉は歩き出す。私はブノゲオスのお付きの者を装い、ひょこひょこと後に続いた。
……ふう。全然バレなかったわね。やっぱ凄いわ、変化の術!
町中で何人かの獣人に出会うも、全く感づかれず、私達はブノゲオスの屋敷に辿り着いた。屋敷内をくまなく調べた後、聖哉は部屋の中心で目を瞑った。おそらく偵察の土蛇を放ち、遠隔で辺りの様子を探っているのだろう。
やがて聖哉は私に近寄り、耳元で囁く。
「よし。小声でなら喋ってもいいぞ」
そして私の肩を抱いて引き寄せた。
ちょっといいシチュエーションなのだが、かたやオークに、かたやマグロ頭。ロマンスなど微塵もないのであった……。
「グランドレオンが町に来るまで、まだ時間はあるようだ。俺はこの間に屋敷の周りに土蛇を配置しておく。いつでも攻撃出来るように、な。……リスタ。お前はある程度、部屋の片付けをしておけ。だが、あまり片付けすぎても白々しい。適度に争った後は残しておくのだ」
私が部屋を整理していると聖哉は外に出て行った。しばらくした後、何と、鎖に繋がれた若い男女を連れてくる。聖哉ブノゲオスは、怯える男女を、それぞれ部屋の端にペットのように括り付けた。
に、人間の奴隷まで連れてきた! ここまで徹底して準備するんだ……!
「リスタ。この奴隷だが……いや、待て……」
不意に聖哉の動きが止まった。私の方をちらりと見て、無言で頷く。
――ま、まさか……! つ、遂に来るのね……! グランドレオン……!
私達の正体が獣人にバレないことは証明済み。しかし、何故だか胸の鼓動が治まらない。私の女神としての勘が警鐘を鳴らしていた。
やがて、ドッドッドッ、と。馬の蹄よりも大きな音と振動が耳朶を揺らす。割れた窓の向こう、ドラゴン二匹が引く竜車に乗ってやってくる大型の獣人の姿が見えた。
山羊の獣人に竜車を操縦させ、自らは背もたれのある座席にどっかと座り、肩肘を付いている。長い金色のたてがみを風になびかせた獅子の頭部、屈強そうな体躯には漆黒の鎧をまとっている。剣は装備していないが、代わりに両手の黒い爪がナイフのように伸びている。そして、その手に焦げた人間の腕らしきものを持ち、口元に運んでいた。
――う、うわ……人の腕、囓ってるよ……! あれが獣皇グランドレオン……!
遠く離れていても威圧感が存分に伝わってくる。今までイクスフォリアで見たどの獣人よりも、ドス黒いオーラを放っているように思えた。
私の隣で同じように様子を窺っていたブノゲオスに扮した聖哉が、
「ぐ……!」
突然、振り絞るような声を出した。
「何だ……あの能力値は……!」
どうやら聖哉はグランドレオンのステータスを透視したらしい。それにしても聖哉がこんなに驚くなんて、一体どれ程の能力値だと言うのだろう?
私も能力透視を発動。グランドレオンを見た……。
獣皇グランドレオン
Lv99(MAX)
HP1200044 MP0
攻撃力856121 防御力819637 素早さ807711 魔力58754 成長度999(MAX)
耐性 火・水・風・雷・氷・土・光・闇・毒・麻痺・呪い・即死・眠り・状態異常
特殊スキル 邪神の加護(LvMAX)
特技
性格 凶悪
「攻撃力……85万……!? 何よコレ……!!」
私は震える手で聖哉ブノゲオスの肩を揺する。
「こ、こ、こんなことある筈ない!!
「大きな声を出すな。今見えているのは、疑いなく奴本来の能力値だ」
「だって!! 攻撃力も防御力も魔王アルテマイオスを超えてるよ!?」
「落ち着け。当初の予定通り、今回はグランドレオンの視察を凌ぐことのみに集中して行動する。ただ、それだけだ」
そして鋭い目を私に向けた。
「詳しく説明する時間はもうない。とにかく、今から何が起こっても黙っていろ。いいか。何が起こっても、だ。それが出来なければ俺達は死ぬ」
「わ、わ、分かったよ……」
そうは言ったが、内心はパニック状態!! 部下が魔王の能力値を超えている――こんな異常なことってある!?
動揺は治まらない。だが、部屋の外からは足音が近付く。
気持ちの整理もつかない状態で、扉がゆっくり開かれ――獣皇グランドレオンがその威容を現した。
「……荒れ果ててんな。勇者がテメーの住処まで乗り込んで来たって訳か」
ぐるりと部屋を見渡し、そう呟く。内臓に響いてくるような、低くて貫禄のある声だった。
グランドレオンは聖哉ブノゲオスを見た後、背後にいた私にも視線を投げた。一瞬、どきりとするが、すぐに目をブノゲオスに戻す。この町の支配者であるブノゲオスがお付きの獣人を連れているのは珍しいことではないのだ。
「ブノゲオス。傷を負ってるようだが、平気か?」
「へえ。ゆ、勇者の野郎、どうにか倒しましたが……な、なかなか厄介な奴でして……」
「倒したか。まぁ、たかが人間にお前が負ける筈はねえよな」
だが、聖哉ブノゲオスはフラフラとして、壁に手を付いた。苦しそうに唸る。
「おいおい。大丈夫か?」
「ぶ、ブヘヘヘ。な、何とか」
「ずいぶん、やられちまってんな。怪我のところ悪りぃが、視察は続けなきゃあならねえ。まぁすぐに終わらせるからよ」
……私は聖哉の行動に感心していた。
うまい! 重傷を負っているように振る舞えば、より気付かれにくいわ! 普段と違う所作があったとしても怪我のせいということで誤魔化せる!
「それで、この視察の目的だが……」
グランドレオンがガルバノ視察を決めたのは二日前、聖哉が獣人達を
そしてグランドレオンの次の台詞に私の背筋は凍り付く。
「ハッキリ言うぜ。この視察はブノゲオス。テメーがテメーであることを確かめる為だ」
――な……な……何ですって……!?
「まだら髪の悪魔が俺に進言してきやがった。『勇者がお前を倒し、お前に化ける可能性がある』とな」
ま、また『まだら髪の悪魔』!! そして……マズい、マズいよ!! 私達の行動、見通されちゃってんじゃんか!!
「悪りぃが、二、三、調べさせてくれや。テメーが本物のブノゲオスだって分かりゃあ、すぐに切り上げるからよ」
グランドレオンはゆっくりと聖哉に近付き、睨むような目を向ける。
そして息の触れるような距離で――無言。十数秒の時が私にはものすごく長く感じられた。
「匂い、オーラ、能力値……ブノゲオスに間違いはねえな」
「と、当然じゃないですかあ」
愛想笑いする聖哉ブノゲオスに、グランドレオンは質問する。
「テメーが殺した勇者の死体はどうなった?」
「それが粉々になっちまいまして。生け捕りにしたかったんですが」
「強敵だったんだろ。それは仕方ねえ。だが……本当か? テメーのことだ。食っちまったんじゃあねえだろうな?」
「ま、まさかそんなあ。ぶ、ブヘヘヘ……」
「ケッ。なら、次の質問だ。前に水晶玉で俺と会話した時の話だが……覚えてるよな? その時の答えを聞かせて貰おうか」
「へ、へえ? 答え、ですかあ?」
「前に言っただろが。『正確な数』だ。何の数かは言わなくても分かるだろ?」
押し黙る聖哉に対し、グランドレオンが射抜くような目を向ける! だが……それでも私は安堵している! グランドレオンが聞いている数――それは『勇者によって殺された獣人の総数』だ! ブノゲオス屋敷の真下にいる時、聞き耳を立ててリサーチ済! そう、あの辛いモグラ生活はこの時の為だったんだ! ブノゲオスを倒す前からブノゲオスになりきることを考えていたなんて……流石は聖哉! 抜かりはない!
「おい。どうした? テメーは前に調べるって言ったよな?」
「へ、へえ……」
「言えや、ブノゲオス」
痺れをきらしたように凄むグランドレオンを見て、私は一転、焦り出す。
ど、どうしたの、聖哉!? まさかこの状況にテンパって、ド忘れ!? 退治した獣人はピッタリ300体!! それを言えば嫌疑は晴れるのよ!!
「どうして言えねえんだ? おい」
「そ、それが……えぇと……」
汗がタラタラとブノゲオスの顔を垂れる! そんな中、グランドレオンから溢れ出す凶悪なオーラ!
「言え……ドカス野郎……言わねえと……殺すぞ……!」
えっ、えっ、えっ!? な、何で!? どうして答えないの!?
緊迫した状況に狼狽え、呼吸を乱す私! だが、
「……ケッ。やっぱり把握なんざしてねーか」
やがてグランドレオンは、今にも飛びかかりそうだった獰猛な顔を僅かに緩めた。
え……! こ、これは一体……?
「テメーらしいな。ブノゲオス」
「す、すんません……」
そ、そうか!! ブノゲオスの性格を考え、知ってるのにあえて答えず、知らない振りをしたんだ!! か、完璧!! 完璧すぎるっ!!
「まぁ……どうやら十中八九、本物に間違いねえらしい……」
「や、やだなあ。最初から俺は俺ですってえ」
「ああ。だが、あのドカスのまだら髪が言うには、だ。勇者の動向を見ていた水晶玉に数日前からノイズが映っていやがるらしい」
数日前……それは聖哉が向こう見ずから慎重になった時! つまり、聖哉は敵に自分が見られていることを予想し、
「そのノイズはまだ晴れてねえ。まだら髪に言わせりゃあ、それは勇者が生きていて妨害を続けている……そういう可能性もあるってことらしい。あのドカスの悪魔は『うまくブノゲオスに化けているかも知れないから根掘り葉掘り聞け』と、この俺にそう言う訳だ」
グランドレオンは忌々しげにテーブルに拳を叩き付ける。驚異の膂力でテーブルは一瞬で跡形もなく崩れ去った。
「ドカスが! まどろっこしいんだよ! もっと簡単に分かる方法があるだろうが! 人間と魔物を区別する簡単な方法が、よ!」
そしてグランドレオンは部屋の隅で震える奴隷の女性を指さす。
「ブノゲオス。これで最後だ。あの女を……殺せ!」
途端、「ひいっ」と女性が小さく叫んだ。聖哉ブノゲオスも、心なしか上擦った声を出す。
「い、いいんですかあ? この町じゃあ殺人は御法度で、」
「今日は許す。殺せ」
私の体中からブワッと汗が吹き出る。
そ、そ、そんな!! いくら何でも人間を殺せる訳がない!! ブノゲオスらしさの演出の為に連れてきた奴隷が、自らの首を絞めてしまった!!
「殺せるだろ。てめえが勇者でなけりゃあよ」
グランドレオンがブノゲオスの肩に手をやる。すると、
「ま、全く。し、仕方ねえなあ……」
聖哉ブノゲオスは背中の斧を抜いた。
――その斧は、実は斧じゃない! 変化しているプラチナソード! こうなったら、もう仕方ないわ! 奴隷を殺すように見せかけて、それでグランドレオンに不意打ちを! そして、どうにかこの場から逃れて……
だが! 私の思惑は大きく外れる! 奴隷女性に近付いた聖哉ブノゲオスは斧を振りかざし、有無を言わさず、女性に叩き付けた! 強力すぎる攻撃は、轟音と共に女性もろとも床を砕き、床下に大きなクレーターを形成する!
その光景に私は絶句し、金縛りにあったように固まった。
――う、嘘でしょ……!! 聖哉が奴隷を……人間を……殺した……!?
聖哉ブノゲオスは平然と喋る。
「どうせなら食っちまいたかったなあ。おっとと! な、何でもありませんよお! 今のは、ブヘヘヘ、単なる冗談で!」
「ケッ。ようやく調子が出てきたじゃあねえか、ブノゲオス」
楽しげに話す二人。だが私は震えが止まらない。
せ、聖哉が人殺しなんかする筈ない!! 殺した振りよ!! そうに決まってる!! でも……でも……!!
私の網膜には奴隷女性に攻撃がヒットする瞬間が焼き付いていた。そしてクレーターに飲み込まれる寸前、四肢がバラバラに破壊される姿も……。
自分の意思とは無関係に、私は聖哉の背後へと近寄っていた。
「せ、せぃゃ……」
呼びかけた途端、聖哉ブノゲオスが振り返り、私の腕を握る。そして、目を大きく見開いた。
『黙れ! 静かにしろ!』――聖哉は無言で私にそう告げていた。
グランドレオンが私に不審そうな顔を向ける。
「おい。何だ、この魚は?」
「あ……ああ、身の回りの世話をさせてるんですわあ」
「今、何か喋らなかったか?」
私に近付こうとしたグランドレオンだったが、途中で、しかめ面をして首を横に振る。
「チッ。魚臭え」
私はとりあえず頭をポリポリと掻き、魚人らしい言葉を発する。
「う、ウオウオ……」
「ったく。魚人って種族は何を考えてるのか、さっぱり分かりゃあしねえ」
そしてグランドレオンはブノゲオスに向き直る。
「怪我してるところ悪かったな。視察はこれで終わりだ。俺はターマインに戻る」
……二言、三言、聖哉ブノゲオスと会話した後、グランドレオンは踵を返した。聖哉ブノゲオスが一礼するのに習って、私も頭を下げる。
やがて、ドアが閉まる音。頭を上げると獣皇グランドレオンはもう部屋にはいなかった。
私は聖哉に話しかけようとするが、聖哉は無言で首を振って、目を瞑った。空気を読んで黙っていると、ようやく聖哉が頷く。オートマティック・ナーガで、グランドレオンが確実にこの場から去ったことを確認したのだろう。
「ね、ねえ、聖哉!! あ、アンタ、さっき奴隷を、こ、こ、殺し、」
溜まりかねた疑問をようやく口にした刹那、聖哉ブノゲオスが私の胸ぐらを掴んだ。
「ひえっ!?」
同時に、まばゆく輝く光。私と聖哉の変化は解け、普段通りの姿に戻る。そして今――鷹のような鋭い目で勇者は私を睨んでいた。
「何が起こっても黙っていろと言っただろうが」
「だ、だって……!」
「お前がグランドレオンに疑われなかったのは単に運が良かっただけだ。奴の注意がお前に向けられれば、取り返しのつかないことになっていた」
そして聖哉は『ドン』と私を乱暴に突き飛ばす。私は床に尻餅をついた。
「で、でも! だって、せ、聖哉が奴隷を……!」
聖哉は部屋隅で震えるもう一人の男の奴隷に近付き、手をかざす。
「えっ……!」
光が消えた後、男性は
「土魔法と変化の術との合わせ技だ。グランドレオンが俺を疑い、人間の殺傷を命ずる可能性を考え、土人形を二体、部屋に配置しておいたのだ」
「こ、こんなことも出来るんだ……!」
「簡単な動きに加え、一言程度なら人語を喋らせることが出来る。更に偽装のスキルを用い、能力透視されても、一般的な人間のステータスが映る仕様にしてあった。無論、偽装ステータスは俺やお前にも発動している」
「そこまで考えて……!」
「そうだ。だが、どれ程、俺が入念に準備をしていても、お前がボロを出せば全ては水泡だ」
「ご、ごめん……」
小さく舌打ちした後、聖哉は独りごちるように言う。
「魔王に至近した能力値を持つ敵の存在は無論、想定内だった。だが正直なところ、この序盤で、しかも魔王を超えるステータスを持つ敵が現れるとは思わなかった。今後の予定を大幅に修正せねばならん……」
常に『想定内』と言う聖哉にしては珍しいことだった。口調も少し荒々しい。
だが聖哉の苛立ちは、もっともだ。想定外の能力値を持つ敵の出現に加え、またしても私は聖哉の足を引っ張るところだったのだ。グランドレオンに私の正体がバレれば間違いなく二人共、殺されていた……。
辺りに漂う重苦しい空気に、私は居たたまれない気分だった。
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