第六十五章 変化の神
今回、私が門を出したのは統一神界の広場だった。
邪気の蔓延するイクスフォリアから、清らかなオーラに満ちた神の園への移動。そのギャップは凄まじかった。
「あー! やっと帰って来たわねー!」
大きく背伸びして、新鮮な空気を肺に入れた時、
「リスタ!?」
聞き慣れた声がして振り向く。広場の一画――パラソル付きのガーデンテーブルのもと、アリアが目を丸くしていた。椅子から立って、私に駆け寄ってくる。
「ずっと心配してたのよ!」
イクスフォリアで一週間近く帰って来なかったということは、こちらでは二年程、時間が過ぎていることになる。私も含め、神界に住む神々は永遠の命がある為、時間の感覚がルーズであり、数年などたいした時間経過だとは思わない。それでもアリアは目に涙を溜め、私との再会を喜んでいた。
「水晶玉じゃイクスフォリアの様子は見えなくなっちゃうし、敵がチェインディストラクションを宿した武器を持っているとも聞いたし……とにかく私、アナタ達が気がかりで!」
「ありがとう、アリア! でも何とか大丈夫よ!」
笑顔を繕うが、私と聖哉を交互に見て、アリアは訝しげな顔をする。
「ホント? アナタ達、ボロボロよ?」
目線を下げて自らの体を眺める。長い土中生活のせいで私は泥に塗れ、真っ黒だった。すると、
「ホントだ。女神とは思えん」
「に、臭いも、ひ、酷いぞ。り、リスタ……」
またしても聞き覚えのある声。顔を上げればセルセウスとアデネラ様だ。示し合わせたように互いに鼻をつまんでいる。
「い、いやこれは土の中でずっと暮らしてたから!」
私の言い訳を聞かず、三人は聖哉を眺め始めた。聖哉も私と同じように汚れているのだが、
「聖哉は……何だかワイルドね!」
「う、うん。か、かっこいい」
「リスタとは全然違うな。渋みが増したように感じるぞ」
「!? 何でだよ!!」
私は叫ぶ。
同じように土中生活して、何で私だけ臭くてボッロボロになってんの!? 全く意味が分かんないんですけど!?
怒る私にセルセウスが湯気の立つコーヒーカップを勧めた。
「まぁ飲め。エスプレッソだ」
ふと私は、セルセウスの出で立ちが違うことに気付く。ベストを着て、襟元に蝶ネクタイを付けている。
「ど、どうしたの? その格好?」
「ああ、これか! 実はお前達がいない間、紆余曲折あってな! 遂に念願のカフェを始めたんだ! 此処が『カフェ・ド・セルセウス』だ! 皆の憩いの場として使ってくれ!」
「そ、そーなんだ……」
よく見れば周りにはガーデンテーブルが数脚あり、オープンカフェの様相だった。
だからアリアもアデネラ様もこの一角に集まってたんだ……ってかセルセウスって、確か剣神よね? なんでカフェのマスターになっちゃってんの? ま、まぁ本人がそれでいいなら別にいいけど……。
熱いコーヒーを啜る私に、セルセウスは木の枝のような物をズイッと差し出してきた。
「新作のチュロスだ! うまいぞ!」
いや、手で握って出されても!! 皿に入れて出しなさいよ!!
普段なら絶対に食べないところだが、今の私はとんでもなく空腹だった。奪い取るようにしてチュロスに食らいつく。
「ど、どうだ? うまいか?」
「おいしい! おいしいわ!」
「本当か!!」
「うん! デスミミズより、おいしいよ!」
「そうか、よかった……って、何だ、デスミミズって!? よく分からんが全然嬉しくないぞ!!」
腑に落ちない顔のセルセウスだったが、気分を変えるように咳払いすると、聖哉に皿に載せたチュロスを差し出す。
「お腹すいてない? よかったら食べてみてくれないかな?」
だが聖哉は冷めた目で一蹴する。
「デスチュロスなどいらん」
「!! どうして『デス』付けたの!? 普通のおいしいチュロスだよ!?」
叫ぶセルセウスを無視し、聖哉はアリアに視線を向ける。
「アリア。以前、頼んでおいた神と稽古がしたい。今すぐ、いけるか?」
「え、ええ。随分前に話は通してあるけど……」
「では行こう」
「ちょ、ちょっと待ってよ、聖哉!! 着替えは!? お風呂も入らないの!?」
「そんなことは後回しだ」
チュロスを食べて貰えず悲しそうなセルセウスと、もっと話したそうにしているアデネラ様を残し、聖哉はアリアを連れて歩き出したのだった。
「ほんのちょっとくらい休憩してもいいと思うんだけど……」
わざと聞こえるような声で愚痴ってみるが、当然のように無視される。
今。アリアを先頭に、私と聖哉は勾配のなだらかな山の斜面を登っていた。
私達が向かったのは統一神界にある『
神殿から威容を見ることはあっても、実際に登ってみたことはなかった。『隠遁神山』は仙術に
小石を踏みならしながら、しばらく歩くと、山の麓にログハウスのような小屋が見えてきた。
アリアが小屋の扉をノックする。
「ラスティ。アリアよ。入るわよ?」
アリアと聖哉に続き、小屋の中に入った私は……腰を抜かす程に驚いた。
小屋の中に、
「ええええっ!? な、何で神界に魔物がいるの!?」
だがサイクロプスは本棚の上にある本を手にした途端、眩く光り輝いた。すると大きな体は一瞬で収縮。光が収まった後は、小さな女の子が本を片手に立っていた。絹のローブをまとい、大人びた格好だが、希望の灯火のアイヒちゃんのように幼い少女である。
驚く私に女の子が説明する。
「本棚が高くて背が届かないなの。だからサイクロプスに
アリアがニコリと笑って紹介する。
「こちらが
「変化の神……?」
訳が分からず聖哉に視線を泳がすと、面倒臭そうに説明し始める。
「イクスフォリアは魔物がのさばっている世界だ。よって元々、此処で変化の術をマスターしてから冒険に出発する予定だった。魔物に化ければ、安全に行動出来るからな。まぁ……誰かのせいでその計画は台無しになったのだが」
気まずくて黙っていると聖哉が私をジッと見詰めていた。
「『誰か』とは――リスタ。お前のことだ」
「わ、分かってるわよ!! わざわざ言わなくたっていいじゃんか!!」
話題を変えたくて私は目の前の少女に近寄り、膝を屈めて笑顔を見せる。
「ええっと、初めまして、ラスティちゃん! 私、リスタルテ! リスタって呼んでね!」
すると少女は眉間にシワを寄せた。
「お前、バカにするんじゃあないなの。私はお前より格上の女神なの」
「……え」
「リスタ! ラスティは何万年もの時を過ごす女神なのよ!」
「そ、そうなの!? す、す、す、すいませんっ!!」
いや、だって分かんないよ! 見かけも声も幼稚園児みたいなんだもん!
ラスティ様は私をジト目で見ていた。
「臭いし、真っ黒で汚いなの。ひょっとして、お前は『不潔を司る女神』なの?」
「ち、違います!! 治癒の女神です!!」
必死で否定する私の背後から、
「邪魔だ、どけ。不潔の女神」
声がしたと同時に臀部に衝撃!
「おっへぇっ!?」
聖哉にお尻を蹴飛ばされ、私は小屋を転がった!
「ええっ!? アナタ達、仲良くなったんじゃないの!?」
「それが……色々あって……雑草以下になりました……」
絶句するアリアに、尻をさする私。そして聖哉はラスティ様に話しかける。
「質問だ。変化の術で透明にはなれるか?」
「それは無理なの。今まで見たことのある人物やモンスターにしかなれないなの。そして、もちろん変化したからといって能力やステータスも本人のままなの」
「フン。まぁいい。では早速、その変化とやらを教えて貰おうか」
「オーケーなの。まぁ勇者の素質がある者なら、一週間あれば、それなりに可能と思うなの」
「ダメだ。十時間以内に習得したい」
途端、ラスティ様の顔が曇った。
「変化を舐めるんじゃあないなの。変装と変化は違うなの。声、匂い、体格、気配――相手そのものに化ける神技なの。一朝一夕にはいかないなの」
そしてラスティ様は細い腕を私達に掲げた。
「見てるなの。自分が見たモンスターを潜在意識から掘り起こすように思い出し……そして、この変化の呪文を唱えるなの……」
呪文の詠唱が終わると、ラスティ様の腕は輝きを放ち、瞬く間に屈強なサイクロプスの腕に変化した!
「これが出来るまで最低でも三日はかかるなの。簡単に思えても、実際やるのは、相当の努力を必要とするなの」
しかし、
「こうか?」
聖哉の腕はラスティ様と全く同じ、サイクロプスの腕になっていた。
「お、お前……今までに変化の法を学んだことがあるなの?」
「いや。初めてだが」
「じ、実は声を変えるのが難しいなの! 相手の声を思い出しながら、この呪文を唱えるなの……すると、このようにサイクロプスのような野太い声に、」
途中から、低く轟くサイクロプスの声となって話していたラスティ様だったが、
「ほう。要するに、こういう感じか?」
そう相づちを打った聖哉の声は、既にサイクロプスの声となっていた。
「な、な、な、な……なんなのーーーーーっ!?」
……私とアリアは安心して小屋を出た。歩きながら互いに微笑み合う。
「今回も習得は早そうね!」
「うん! 十時間もいらないかも!」
私とアリアからしてみれば、もはや驚くに値しない聖哉の恐るべき習得能力だった。まぁラスティ様は目玉が飛び出そうなくらい驚いていたけれど……。
「あっ。そうだ、リスタ。後でイシスター様のお部屋に行きなさい。アナタにお話があるようよ」
「え? 何だろ?」
「悪い話じゃないと思うわ。お風呂に入って身なりを整えてからでいいから」
山を下りた後、神殿に戻り、風呂場で熱いシャワーを浴びた。清潔なドレスに着替え、髪を整え、私はイシスター様の部屋に向かったのだった……。
「リスタルテ。無事で何よりです」
大女神イシスター様はいつものように椅子に腰掛け、編み物をしながら微笑みを讃えていた。
「ご心配をお掛けしました」
「アデネラから聞きました。イクスフォリアでは序盤から敵が、チェイン・ディストラクションを有する武器を持っているということ……」
言った後で、イシスター様は表情を少し引き締める。
「もう一つ、気になることがあります。アナタ達が呪縛の玉を破壊したことで一瞬だけ、イクスフォリアを覆う靄が晴れたのですが、その時、魔王アルテマイオスの気配をまるで感じなかったのです」
「そ、それってどういうことですか?」
「分かりません。今ですらどうしようもない状態ですが、更に恐ろしいことが起こりそうな予感がするのです……」
そして、ゆっくり椅子から立ち上がった。
「イクスフォリア攻略はやはり、処罰の範疇を超えているように思います。今から一緒に最奥神界に向かいましょう。罰を軽減して貰えるように私からお願いしてみます」
「あ……ありがとうございます!」
私はイシスター様のご厚意に深く感謝した。やっぱりイシスター様は母親のように優しい。だけど……はたしてうまくいくのだろうか?
最奥神界――存在は知っていても、今まで行ったことはない。またそれが何処にあるのかすら私には分からなかった。
イシスター様が向かった先は『時の停止した部屋』だった。永遠の時を生きる神々の魂の保管場所であり、イシスター様以外、許可が無くては入れない場所である。
イシスター様が呪文を唱え、扉の封印を解く。足を踏み入れるや、ふわりとした不思議な感覚。
「こちらです」
イシスター様の後を静かに歩く。淡く光る魂が並べられた棚が幾列も続いている。しばらく歩いていると、やがて列が終わり、目前に大きな絵画が飾られていた。曲がりくねった道が、崖の上にある神殿へと繋がっている神秘的な絵だ。
「此処が最奥神界です」
「へ?」
イシスター様が私の手を握る。そしてその絵画に向かって歩き出す!
「うわわわわ!?」
カンバスに突っ込んだ――筈が、気付けば私は曲がりくねった道の上に立っていた。向こうには崖の上にそそり立つ神殿が見える。私達は絵の中に入り込んだのだった。
神殿の前の石段まで道なりに歩くと、イシスター様は足を止め、その場に
「最奥神界三柱――創造の神ブラーフマ様、理の神ネメシィル様、時の神クロノア様……統一神界最高位イシスター、お願いがあって参りました……」
やがて神殿の奥まった所から、姿は見えないが、荘厳な男神の声だけが響く。
「何の用だ……イシスター」
「これは理の神ネメシィル様。願いというのは他でもありません。この女神リスタルテが罰として受けた難度SSイクスフォリアの救済について思うところがありまして……」
……イシスター様はイクスフォリアの敵が神の魂を破壊するチェイン・ディストラクションを誘発する武器を持っていること、このまま救済を続けることは魂を破壊される危険をはらむ旨を懇々と訴えた。しかし、
「イシスター。裁きは絶対だ。変更など出来ん。リスタルテと竜宮院聖哉はこのままイクスフォリアを救済せよ」
厳しい声に、イシスター様はおっとりとした口調で返す。
「それでは、せめてリスタルテの女神の力を使えるようにはして頂けませんでしょうか?」
「ダメだ。それを許しては罰にならん」
バッサリと否定されるが、その時。
「ネメシィル。それはあまりにも、あんまりではなくて?」
神殿から今度は女神の声がした。
「私達は神々の親として、子供を守る義務があるでしょう。イクスフォリア救済が変更不可能とはいえ、敵が神を殺せる武器を敵が持っている以上、多少の譲歩は必要よ」
「時の神クロノアよ。お前は理の神である
「なら、ネメシィル。アナタは私達の子供が殺されてしまっても良いというの?」
「そうは言っておらん」
「言っているも同然じゃないの」
何だか口論になりそうな雰囲気だったが、不意に中性的な声が響く。
「二神とも、落ち着きたまえ」
するとネメシィル様もクロノア様も水を打ったように静まりかえる。
イシスター様が耳元で囁く。
「最奥神界三柱の長、創造の神ブラーフマ様ですよ……」
こ、このお声の主が最高神――創造の神ブラーフマ様!!
全ての神の親神様であるブラーフマ様のお声を聞き、緊張が走る!!
――い、一体、ブラーフマ様の意見は!? 私の味方になってくださるの!? それともやっぱり、ネメシィル様を……!?
ブラーフマ様の声が最奥神界に響き渡る。
「ネメシィル、クロノア。よく聞きなさい。実はオーダーさえしなければ、リスタルテの治癒の力は薬草並みのショボくれた力なのだよ」
!! ブラーフマ様あああああああああああ!?
最高神の言葉に私は泣きそうになった。そして、クロノア様とネメシィル様は、ざわざわとした。
「薬草並み……ですって?」
「女神なのにか……?」
ネメシィル様がブラフマ様に尋ねる。
「本当にそれ程までにショボい力なのですか?」
「うん。めっちゃショボい」
!? 最高神に『めっちゃショボい』言われた!!
しばらくの後、理の神ネメシィル様の言葉が響く。
「よかろう。ならば、オーダーによる神力解放を除いた、女神リスタルテのショボ……治癒の力を使用可能とする……」
最奥神界から帰ってきた私の肩に手を置くと、イシスター様は無言で頷いた。山ほど言いたいことがあったが、治癒の力が使えるようになったことは感謝しなくてはならない事実だし、私はどうにか気持ちを押し殺したのだった。
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