月光
夜がきた。
昼がくれば夜がくる。当たり前のことである。
劉協は目を覚ました。
青白い月の明かりが部屋に入ってくる。
起き上がって外をみれば、雨は止んでいた。
まだ頭は重かったが、外に出ようと思った。
部屋を出ると警備の兵士が立っていた。今度は居眠りせず仕事を全うしていた。
「歩いてくる。護衛は不要」
「しかし……」
「というか、護衛はいる。おそらくいるはずだ」
「はあ……」
劉協は外を歩いた。
地面はぬかるんでいる。
(この様子では今日はいないかもしれんな……)
そう思いつつ、例の場所へやってきた。
いた。
曹節は地面に敷物を敷いて、蝋燭を並べて立てて書木簡を読んでいた。
「陛下ですか」
曹節はすぐに気がついた。
「今度は何を読んでいる。また屈原か?」
「兄の詩でございます」
木簡を手に取ると曹植の名が記されている。
曹植といえば曹一族のなかでも詩文の才をもって知られている。
あまりある才能の持ち主で、曹操の寵愛を受けている。
しかし……。
「奔放な性格だと聞いている」
「自由すぎる人なのです。詩人としては最高なのですが、政治家としては危ういところがあります」
「そうかね?」
「子建(曹植の字)兄さまは頭が良すぎます」
「頭がいいなら、政治家に向いているではないか」
「いいえ。よくありません」
「どうして?」
「周りが馬鹿に見えますから」
「なるほど」
「雄大といっていいほどの人柄なのですが」
「まるで仙人だな」
「世俗から離れて遊び暮らすつもりならいいのですが、当の本人は魏の後継者になるつもりなのですから始末に終えません。そもそも子建兄さまは文学は男の仕事ではないと思っていますから」
「魏は曹丕が継ぐのではないのか?」
曹節は口に手をあてて、
「これはいけませんわ。女が政治に口を出すなど……」
笑ってごまかそうとしたが、これは曹節らしくない発言だった。
なぜならば、これから後継者争いが起こる可能性があると言ったようなものだからである。
しかも、その後継者争いに曹植がくわわる可能性が高いと言ってしまったのだから。
「曹丕と曹植、もしも争えばどちらが勝つと思う?」
劉協は男の顔になっていた。
曹節は木簡をしまった。
めずらしく怒っている様子だった。
「どうした?」
曹節はしばらくの間を置いて、
「言っておきますが、私のその二人の妹なのですよ」
劉協を睨みつけた。
「怒ったか」
「怒ってはいません」
「そうか?」
「政治の話はやめにしましょう。文学の話も明日になれば山ほどするのですから今日は終わりにしましょう」
「もう寝るのか?」
「はい。ですが……」
曹節はにじり寄った。
「男と女の話をするのなら話は別ですが」
曹節の顔が、すぐ目の前まで近づいてきた。
劉協は唾を飲み込んだ。
心のなかまで覗き込まれているような気がした。
つい先ほどまで雨が降っていたためか、草の匂いが満ちている。
「そなたは不思議な女だ」
「そうでしょうか……?」
曹節は目をそらさずに言った。
「私のことをお嫌いなのは、父の娘だからでしょうか」
「そ、それは……」
「曹家の人間の子供を生ませたくないのですね」
あまりに図星だから、劉協も言葉を失った。
「それと、皇后様のせいですわね」
曹節はくすくすと笑った。
「宮廷にはいたるところに耳目がありますから」
そういって左右を顧みた。
「でもあの約束は守ってくださいませ。必ずでございますよ」
約束。
伏皇后の愛がなくなったら、曹節に己の子供を産ませると。
考えてみれば恐ろしい約束である。
しかし、と劉協は思い直した。
いかに曹節が大人びているとはいえ十七歳、いま思えば他愛のない口先ばかりの約束のような気がした。
愛は紙でできているわけではない。形がないのである。愛がなくなったとどうやって見分けをつけるのか。
まさか本人に訊ねるわけにもいくまい。
あの伏皇后である。
それに……。
「子供が欲しいといっても、そう簡単にはいかぬのだぞ。望んでも子供を授かることができぬ夫婦はいっぱいいるのだから」
「それは私が頑張って孕みますから」
「頑張るのか」
「はい」
とんでもないことをしれっとした顔で言う女である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます