砂塵(五)
蔡文姫の顔は苦痛に歪んでいる。
伏皇后は蛇の目のような不気味なまなざしでそれを眺めている。
「蔡文姫とはそなたのことか」
伏皇后は笑った。
悪意の塊のような笑みだった。
「噂にたがわぬ下品な顔をした女よの」
「わ、私がなにを……?」
「なにを? 胸に手をあてて考えてみよ。そなたはもともと衛仲道の妻であった。が、死別したのち匈奴に拉致された。年頃の女が匈奴の男どもに拉致されてただで済むということはあるまい。そういう場合、婦人の取るべき道はただ一つ」
兵士たちが近寄り、蔡文姫の髪を引っ掴んで顔を起こした。
「自害することよ。それが婦人の操をたてる道というものよ」
兵士は、蔡文姫の腹を蹴り上げた。
蔡文姫はさらに悲鳴をあげた。
「それが匈奴の左賢王の側室となって、二人の子を置いてのうのうと中原に帰ってくるとは。しかも、曹操の娘の曹節、いや、曹操本人とも交流があると聞いている。曹操ともすでに何かあったのではないのか?」
言いがかりも甚だしい。
たしかに蔡文姫は曹操と交流がある。
二人で著名な学者であった父の著作の復旧にあたったこともある。
しかし、曹操が身代金を払ってまで蔡文姫を中原に取り戻したのはその教養と楽曲の才を愛してのことである。
曹操は、蔡文姫が中原に戻ると同郷の董祀に嫁がせた。
曹操ほどの権力者ならば、蔡文姫をそのまま側室にすることも容易いはずなのである。
だが、伏皇后はそうは思っていない。
「そなたは琴に巧みだと聞いているが、一番得意なのは男の前で股をひらくことではないのか?」
伏皇后は蔡文姫を人間とは見ていなかった。
禽獣以下の存在とみていた。
「こやつを暴室へ連れていけ」
伏皇后は兵士に命じた。
暴室、とは蔡文姫も知らない言葉であった。
しかし、それがおぞましい場所であることは蔡文姫にも察することができた。
「お、お許しを……」
「殺しはせぬ」
伏皇后は言った。
「この獣にも劣る女を本来の姿に戻してやるだけじゃ」
兵士たちは蔡文姫の腕をつかんだ。
そして嫌がる蔡文姫を強引に暴室へと連れていった。
抵抗しても泣いても、しょせんは非力な女の力。
蔡文姫の華奢な身体は静かな闇へと消えていく。
それを眺める伏皇后の表情はとても幸せそうで満たされていた。
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