砂塵(四)

 蔡文姫はすっかり取り乱していた。

 一人きりになっても胸が閉めつけられるような思いがする。

 我が子を捨てて中原に戻って何年になることか。

 さすがに王族の人間ゆえ邪険に扱われているということはないだろう。

 幸せに暮らしていると信じたい。

(子と別れた母親の気持ちは母親にしかわからない)

 いつも血涙の思いとともに生きている。

 砂塵の舞う辺境の地まで離れていても、夷狄の血を引こうとも、我が子は我が子。

 万感きわまってまたむせび泣いていると、兵士たちが近づいてきた。

「陛下がお呼びです」

 劉協とはつい先ほど別れたばかりである。

 何か言い忘れたことでもあるのだろうか?

 蔡文姫は兵士たちの後についていった。

(おや……?)

 先ほどまで劉協や曹節がいた部屋と方角が違う。

「陛下のおられる部屋とは方角が違います」

 蔡文姫が問うと、

「陛下がお呼びです」

 兵士たちが冷たい石のような声で返事するばかり。

 蔡文姫は怪しんだ。

 やがてとある部屋に着いた。

 先ほどまで劉協と曹節がいた部屋とは違う部屋だった。

 中に入ると誰もいない。

 なかの部屋をみると煌びやかな調度品があちこちに置かれている。

 しかし、劉協の部屋ではないだろう。

 蔡文姫は先ほどまで劉協といたが、

(どうも趣味が違うような気がする……)

 皇帝とはいえ、劉協はもっと質素な雰囲気であった。

 それに、部屋が悪趣味である。

 高価なものさえおけばいい、と言わんばかりである。

 こういう部屋に住む人物は、顕示欲がつよくて怪物じみているところがあるように蔡文姫は思う。

「この部屋はどなたが?」

 蔡文姫は問うが、兵士たちは一向に答えぬ。

 さらには蔡文姫にくっついたまま、離れようとしない。

 気味が悪くなってきた。

「陛下がおいでだ」

 やってきたのは劉協ではなかった。

 侍女と兵士を数名ずつ連れてやってきたのは、伏皇后であった。

 蔡文姫は伏皇后とは面識がない。

 いかなる尊い身分の人であろうかと思っていると、

「頭が高い」

 兵士が蔡文姫の脛を蹴り上げた。

 蔡文姫は悲鳴をあげてその場に倒れた。

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