第22話

 よりによってなんで今日なんだ……。大きくはためくテントを見ながら朝霞は舌打ちした。

 手元には三人分の誓約書がある。その不吉な文面を見ていると、これから自分のすることにリアリティを感じた。

 当然、サインはするつもりでいる。ただ、今すぐサインする必要もないだろう。本番まではまだ時間があるのだから。

 

 なんとなく心に余裕ができた朝霞は、テント小屋全体に目を這わしてみる。目の前に並んだ長机とパイプ椅子を見ていると、運動会の役員席を思い出した。偉い人しか座れなかったあの場所に自分がいるのがなんだか新鮮に思えた。

 しかしすぐに解決していない心配事が頭をよぎる。川崎が勘ぐったように実はまだドラマーの準備ができていなかった。

 チャレンジ開始まで、残りあと一時間少々。最悪の場合の準備はしているが、本当にそれは最悪の時にしかしたくないような対処法だった。

 朝霞は携帯を確認する。しかしウンともスンともいった形跡はない。いつ鳴っても気づくように机に電話を置いて、ナイロンのショルダーバックを膝の上に移す。

 軽く周りを窺い、中を確かめるように覗き込む。そこには本番で使う高所対策グッズなど真知子が朝霞のために用意してくれたものがたくさん入っている。いちばん目立つのは、クマさんの人形だ。そのクマは両手にドラムスティックを持っている。

 眼の端でなにかが光ったような気がした。朝霞は慌てて携帯を手に取った。しかし、相も変わらずウンともスンともいった形跡は無かった。

 考えたって仕方がない。なるようになるしかない。朝霞はギターをケースから出し、チューニングを始めた。隣でトゲトゲマスクはイヤホンを装着し、リズムを刻んでいる。

 二人はあまり会話を交わさない。時折、トゲトゲが朝霞に耳打ちをし、朝霞はジェスチャーで「OK」と親指を上げる。

 このトゲトゲは自らをイマチと名乗った。それが名前なのか愛称なのかも朝霞は特に気にしていないようだ。イマチのベーシストとしての力量は未知数だが、もともとそんなに期待はしていない。とりあえずバンドの体裁が保てればいいのだ。


 十一時を過ぎた頃、朝霞の元に来客があった。

 ハンチングハットに黒ぶちメガネ、立派なヒゲを蓄えているわりに帽子からはみ出る髪の毛は少なく、ギョロっとした目を見開いたその男は、黒岩と名乗った。雑誌のライターをしているのだという。

 黒岩は特に断ることもなく朝霞たちの前に腰を下ろすと「お話、伺ってもよろしいでしょうか?」と目を見開いた。

 話を聞くと、黒岩は屋敷の知り合いのようで、「なにかのネタになるかもしれないから行ってみたら?」と新橋のキャバクラで笑いながら言われたそうだ。

 屋敷は黒岩にとって仕事上、逆らえない力関係にあるらしく、まったく興味はないが仕方なく来たのだ、と黒岩は嘘のないテンションで言った。

 朝霞は自分を見世物のように扱う屋敷に対して怒りがこみ上げたが、話題になるのだから悪いことではないとポジティブに考えることにした。他人にインタビューをされるのはそう悪い気もしない。

 そうするとうまく屋敷を利用したような気になって少しばかり溜飲を下げられた。

 黒岩は声のトーンを上げることもなく、バンドは何年続けているのか、その髪型を作るのにどれだけ時間がかかるのか、月の整髪料代はいくらなのか、などと他愛もない質問を繰り返した。

 さらにはバンド名を聞かれた時には「そんくらい調べてこいよ!」と思ったが、朝霞は丁寧にひとつひとつの質問に答えていった。

 十年前にもインタビューを受けた経験が何度かあったが、あの頃は、何一つまともに答えなかったものだ。インタビュアーの苦笑いを見るのが楽しかったし、そういう振る舞いがロックだとされていたからだ。

 当時は文句があんなら答えねえぞ、のスタンスだったが、今では文句があっても答えさせていただきます、だ。

「見かけによらず穏やかなんですね」

「まあ、年齢も年齢ですしね。若い頃には想像もしなかったですけど」

「ですよね。僕も昔はとんがってましたけど、成長なのか諦めなのか段々と丸くはなりますわね」

 

 気がつくとインタビューの枠を越え、朝霞は黒岩と普通に話しこんでいた。

 同年代であり、会社に属さずフリーのライターとして生計を立てているところに親近感が沸いた。きっと彼も朝霞と同じように将来に不安を抱き、迷っているに決まっている。

「【GB】にチャレンジするということは、まだ一発逆転を狙っているってことですよね。素直にうらやましいですよ。僕なんかも気づけば与えられた仕事をこなしてるだけですもん」

「……まあ」

 朝霞は歯切れの悪い返答をした。なぜだろうか。

「そのテンションというかモチベーションは見習いたいですよ。この仕事を辞めようとまでは思わないけど、やっぱり惰性でこなしてるところはありますからね」

「……はあ」

「実際のところいつまでバンドを続けるつもりなんですか? お互い潰しが利く仕事じゃないし大変ですよね」

「……うん」

 朝霞は自分の歯切れが悪い理由がわかった。

 黒岩も自分も現在の立場に納得がいっていない。なんとか現況を打破しなければとは思っている。しかし、黒岩の場合は不満を抱えつつもプロとしてライターという土俵に上がり金を稼いでいる。

 一方の朝霞にとって音楽はアマチュアであり趣味である。なぜなら一円も稼いではいないからだ。

 朝霞の心境の変動を見抜いたのか、黒岩はかすかに眼を細めた。

「朝霞さん、まさかこれって、……最後の大花火ですか?」

 そう言われて初めて朝霞は考えた。今までそんなことを考えたことはなかった。だから黒岩の問いに対する答えはない。

 朝霞の本音を捕まえた感触があったのか、黒岩は身を乗り出してきた。

 ゆっくりと口ひげをさすると何かの楽器のような硬い音がした。

「朝霞さん、あなたの目の前にある扉は、入り口ですか? それとも出口ですか?」

 朝霞は黒岩から視線を外せなくなった。朝霞の瞬きの回数が増えるにつれて、黒岩の口元は不敵に歪んでいく。

「ソンナノ関係ネー!」

 突然のひと昔前の流行語に朝霞が我に返る。そのオウムのように甲高い声の主はイマチだった。イマチが顎をしゃくる方向に顔を向けると、矢口がビデオカメラを構えていた。

「……撮ってるんですか?」

 朝霞が矢口に声をかける。

「楽屋のシーンから撮影しておいた方がドキュメンタリー感が出せるかな、と思いまして」

「ってことは、この場面も向こうに送るんですか?」

「その方が心情的に、審査に有利だと思いますんで」

「ソンナノ関係ネー!」

 イマチに肩叩かれ振り返ると、「お前もなんか言え!」と顎をしゃくっていた。そうだ【GB】に名を連ねようというロッカーがしみったれた顔をしているわけにはいかない。

「Fuck you!」

 朝霞は立ち上がりカメラに向けて中指を立てた。その声はイマチに劣らず甲高く耳が痛いほどだ。うるさげに顔をしかめる黒岩に、朝霞は大見得を切った。

「いいか、バンドに辞めるも辞めねえもねえんだよ! バンドってのは職業じゃねえ、生き様なんだ!」

「オメエモ蝋人形ノ蝋ヲ垂ラシテヤロウカー!」

 朝霞とイマチは大満足のハイタッチを交わし、思い出したようにカメラに向けてもう一度ポーズを決めた。


「……いいな、あんたら」

 黒岩の口ひげの頂点部分が湿っていた。

「職業と生き様か……。マンガで見た台詞をまさか丸パクリで聞くとは思わなかったよ」

 黒岩はメガネを外し手を差し出した。

「ああ、『代紋TAKE2』の台詞、丸パクリだよ」

 二人は固く握手を交わした。

「朝霞さん、この不肖黒岩、きっちりと見守らせてもらうよ」

「屋敷の野郎にも今のやり取りのくだり、ちゃんと伝えてくれよ」

「もちろん。屋敷さんの言うとおりしっかりと記事にするから。正直、最初はウチに載せれるネタじゃないと思ってた、申し訳ない」

 黒岩は直立し直角に腰を折った。

「そんなん、やめてよ~」朝霞は余裕の言葉を投げかけ「そういや、黒岩さんの雑誌ってどこなの?」と深々とパイプ椅子を軋ませた。

「『R–三十路』っていうフリーペーパーです」

「……それって、駅とかに置いてあるヤツ?」

「ご存知ですか?」

「マジかよ……」

 朝霞が驚くのも無理はなかった。『R–m』の愛称でおなじみのそのフリーペーパーは公称70万部を誇るメジャー雑誌だ。

「屋敷さんが載せろってゴリ押ししてきたんですよ」

「屋敷が? 『R-m』に?」

「はい。あの人が一円も得しないことに動くなんて珍しいですよね」

「……ったく、あいつも余計なことしやがって」

 朝霞は憎々しげに吐き捨てた。本当に迷惑な話だ。これ以上、いろいろな人に期待をかけられても感謝しきれないじゃないか――。

 朝霞は鼻をグズつかせ、「風が強いと意外と冷えるね」と大げさに両肩をすくめた。その横でイマチがトゲトゲマスクをつけたまま盛大なクシャミをかました。

「イツマデ撮ッテンダ、コノヤロー!」

 そうだ、まだ撮影されている。気を抜くわけにはいかないのだった。咄嗟に声を出せなかった朝霞は、丸まった背すじを伸ばすと、腕を組みカメラを睨み付けた。

 矢口はカメラを下ろすと、なにか気になったのかじっとイマチを見ていた。イマチは矢口に背を向けると顔を隠すように下を向けきトゲトゲマスクをずらした。密閉性が強い形状だけに、自分のクシャミが篭り臭くて仕方なかったのだろう。

「ドラムの方はまだいらっしゃいませんか」

 矢口は朝霞に声をかけるが、視線はイマチに向いたままだ。

「ああ、もうそろそろ、来ると思うけど……」

「もう時間ですよ」

 時計を見ると、時刻は十一時半になろうとしていた。先ほど川崎に告げられたタイムリミットである。朝霞の頬が三度ばかし細かく震えた。

「いや、あの、ホントに、もう今にでも来ると思うんで。でも、もし来なかったりしたら、俺がギター弾きながらドラムもやっちゃうのもアリ、かな~、なんてね!」

 朝霞はおチャラけて言うのだが、矢口はクスリともせずに朝霞を見据えている。

「朝霞さん、現実的な話をしましょう」

「いや、だから現実的にギターは手でドラムは足で――」

「ドラマーはいない。違いますか?」

 矢口は前振りもなくいきなり凄いのをぶっこんできた。朝霞は息を呑むのが精一杯で言葉が出ない。矢口はさらに畳み掛けてくる。

「そのこととウチの大井の所在がわからないことは関係ありますか?」

「な、な、なななんですか、急に……」

「その『急に』はどっちですか? ドラマーが来ない、ことか、大井の所在のことなのか」

「だから、急に、な、なんだよ、そんな言葉責めされても困るよ」

 やっぱりこのタイプの男は苦手だ。なんでも理詰めで追い込んでくる。きっと何か不用意な発言をすればあっと言う間に揚げ足を取ってくるに決まっている。

「僕は、責めてもなければ攻めてもないですよ。じゃあ順番にいきましょう。ドラマーは百パーセント来ない、そうなんでしょ?」

「そんなこと……」

 朝霞は口ごもる。だって実際に来ない確率は百パーセントではない。

 視界の端でイマチが苛立たしそうに足を踏み鳴らしているのが見えた。世界中のロッカーの誰もが理屈っぽい男など好きではない。

「わかりました。それじゃ大井の無断欠勤の件につい――」「ソンナノ関係ネー!」

 とうとうイマチの我慢が限界に来たようで、バッグからクマさん人形を取り出すと朝霞の頭越しに勢いよく机に叩き付けた。

 その衝撃でスイッチが入ったのか、クマさんはポコポコとドラムを叩き始めた。

「コレデ両方、問題ネー!」

 イマチは身を乗り出し矢口を睨み付けている。

「朝霞さん……」すっかり外野になっていた黒岩が朝霞に口を寄せる。「ドラマーがこれって、アヴァンギャルドすぎませんか?」

「バレナキャ問題ネー!」

 イマチは相当な怒りなのか、サングラスをずらし直接矢口を睨み付けている。

 矢口はその迫力に負けたのか、フ~ッと息を吐くと自分から目線を切った。

「……まあね。まあ、それは別にいいよ。でもドラマーが人形ってのはさすがに無しですよ。あのドラムセットとそれ用のスタッフ借りるのにいくら掛かってると思います?」

 朝霞は促されるままステージに目を向ける。完全にライブセッティングは終わっており、スタッフがドラムの試し打ちをしていた。

 

 今、朝霞の感情は空っぽだった。数値でいうとプラスでもマイナスでもないゼロ。ニュートラルな状態ともいえるだろうか。思えば最近もこういう状態になったことがあった。逸子に別れを告げられた時だ。

 どうやら自分の努力では取り返しのつかない失敗を犯してしまった時、悔やんでも悔やみきれないことがあった時に出る自己防衛症状なのだろう。

 ただ、気持ちがまっさらな分、冷静なアイディアが浮かぶこともある。

「閃いた!」突如朝霞の目に光が宿った。「ドラム、いるぞ……。ドラム、いる!」

「どこにですか……」あきれ気味に矢口はあたりを見回している。

「ここに、いる!」

 朝霞は片言の日本語ながらもしっかりと黒岩を指差した。

「え、私?」黒岩が驚く。そりゃそうだ。

「おまえ、やる! ただ座ってりゃ、いい!」

「そんなこと言われても、ドラムスティックもなにもないですよ」

「ここに、ある!」

 朝霞はクマさんの手からスティックをもぎ取ると黒岩に手渡した。ただ、そのスティックは黒岩の小指ほどの長さしかない。

「これじゃいくらなんでも、短いんじゃないかな……、ってそういう話じゃないでしょ!」

「じゃあ、これ!」

 朝霞は自分の髪の毛を二本束ねて引っこ抜いた。器用に両手で擦りあわすと、カチカチに固められた髪の毛は棒のような形になった。言うなれば『髪棒』だ。

「いや、朝霞さん……」

「……こんなもんはなんだっていいんだよ」

 朝霞は必死の形相で髪棒を黒岩に突きつけている。黒岩は、そんなもの触りたくもないといった顔で手を伸ばさずにいる。

「ただ、中止だけは困る! 俺は、どんな結果になろうとチャレンジだけはしなきゃいけないんだ!」

「ソンナノ必要ネー!」

 大外からイマチが声を上げる。振り返った朝霞は、ついその手から髪棒を落とした。棒といっても所詮は髪の毛だ。音もなく地面に落ちると風に乗りコロコロと転がっていく。

 その転がる先に、男が立っていた。

 走ってきたのか息を切らし、その引き締まった大胸筋と腹筋は膨張と収縮を繰り返している。汗で覆われ光を放つその肉体、明らかにブルース・リーに似せてきた前髪、それはまさしく上海渡辺以外の何者でもなかった。

「ゴメン、寝坊した上に携帯止められててさ……」

「上海……」

 よく見ると、渡辺の体中に真っ赤なミミズバレが浮かび上がっている。それはストイック系ドラマーとして鳴らした渡辺のお得意のパフォーマンスだ。

「お前、その格好でここまできたのか?」

「うん。寝坊したからミミズバレ作る時間がなくてさ」

「マジか!?」

「だけど、チャリンコで林の中に突っ込んだら一発で完成したよ」

「ストイックすぎるべ!」

 朝霞と上海は大きく笑った。なんなんだこのこみ上げてくる感情は。安心感か、信頼感か、それとも自分がまだ言葉にできない未知なる感情なのだろうか。

「そういえば、これ」黒岩が鞄をまさぐっている。「屋敷さんから、渡しておいてくれって」

 これは――。受け取ったものは、昔、朝霞が屋敷に貸した外タレのバンダナだった。

「まあ、なんだかんだ屋敷さんも応援してんでしょうね」

 朝霞の手の中でバンダナが湿り気を帯びていく。ただ、その手汗はいつもとは違う種類のものだった。不安や恐れではない、期待からくるワクワクした手汗だ。


 朝霞は湿ってない手の甲の方で、両目を拭った。「別に泣いてるわけじゃねえからな!」誰にともなく言い訳した。

 自分でも泣いてしまったのかと思っていたのだが、その液体は引っこ抜いた髪の毛のところから流れ落ちる鮮血だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます