第14話

 朝のミーティングが始まると、真知子はさっそく声を上げた。


「突然ですが、報告があります。あの肥溜めの糞虫から生まれた豚の案件ですが、中止することになりました。あのゲス野郎、ケツまくりました」

 皆が真知子に目を向けていたが、矢口は顔を伏せほくそえんでいるように見えた。真知子にはそう見えた。

「人の本心なんてわからないですよね。あのポンスケは予想以上のクズでした」

 真知子は矢口に対して、素直に自分の負けを認めた。

 矢口は顔を伏せたままだが笑わないように自分の足を抓っているように見えた。真知子にはそう見えた。

「結局、ああいうピンテープ野郎は……」


 真知子は思いつく限りの罵詈雑言を並べあげ報告を続けた。それほど悔しかった。自分は朝霞に心を許していた。朝霞もそうだと思っていたのに、また裏切られた。自分は朝霞の毎日を幸せにしてあげていたのではなかったのか。


『笑顔と素顔は≒』

 

真知子は再びこの言葉を深く心に刻みつけることとなった。

「川崎さん、そういうわけなんで、キャンセルできますか?」

「できないことはないけど、本当にいいの?」

 川崎の言うことももっともだ。こんな簡単に諦めていいのかと真知子も思う。しかし、その言葉は朝霞にぶつけてほしい。私だって理解ができないが、本人が止めるという以上、どうすることもできないのだ。

「んじゃキャンセルしとくわ。お金の取り立てだけは頼むよ。グダグダ言うようだったらすぐに言ってね」

 川崎は呆気なく了承し、ミーティングは何事もなかったように終了した。

「かかった経費だけまとめといてよ」と真知子に告げ、川崎は親会社へと出向していった。

 矢口も鞄を片手に立ち上がる。真知子は少し身構えたが矢口は何も言わずに外へと出て行った。「ほら見たことか」と腹の中であざけ笑っているはずなのに。

 真知子はなんだかわからない感情が混ざり合い、怒りに震えていた。それなのに、泣きそうだった。


 大森と真知子が部屋に残された。ひとまずいつもどおりに事務所の清掃に取りかかる。

 古臭いリノリウムの床を箒で丁寧に掃いていく。自分は新人なのだから文句はないのだが、掃除をしている自分とビル清掃をしている朝霞が重なり、つい箒を叩きつけてしまった。

 大森の視線が気になったけれども、どうせサングラスの奥の真意はわからないので気にしないことにする。呼吸を整え再び掃き始めてみたものの、どうにも首筋の辺りがチクチクと痛んだ。自分が思う以上に、体がいらついているようだった。

 ひと通り箒を掃き終えチリトリでごみを集めていると、入り口の扉が開いた。真知子の視界の端に太った男の姿が映る。

「朝霞か?」

 真知子は振り向いた。そこにはデブはデブだが、ロックにはほど遠いつるんとした肌のポッチャリがいた。

その後ろには似たようなポッチャリが二人続いている。三人ともにお揃いの女の子がプリントされたTシャツを着ていた。

「すいません、【GB】に載りたいんですけど……」

 なんでこんな時に――。真知子の胸のざわめきは最高潮に達し、今すぐにでも髪の毛を掻き毟り叫びたかった。

 しかし、相手は客だ。大森が席を外している今、自分がプロとして丁寧に接客しなければならない。

「あんたの誰にも負けない特技は何よ」

「はい? すいません?」

「ポッチャリ三兄弟が雁首揃えていったい何ができんのよ!」

 真知子の勢いに三兄弟が尻込みする。先頭のキャップを被ったポッチャリが、背中を押され口を開く。

「すいません。チャレンジするのは僕らじゃなくて、『姫』なんですが……」

 三兄弟があくまで控えめにTシャツのプリントを伸ばし真知子に向けた。そこには悩ましげな目をした少女が口をすぼめている。真知子はこういう顔を知っている。今まで何度も見てきた異性に媚を売る女の顔だ。

 とつぜん降って沸いた嫌悪感は真知子を逆に冷静にさせた。

「その女が【GB】にチャレンジするってこ――」「女じゃないです。『ざくろりん』もしくは『姫』です」

 急に目が据わったポッチャリ三兄弟の指摘を真知子は無視することにした。

「なんでもいいけど、本人はどこにいらっしゃるんですか?」

「どこって……」三兄弟が顔を突き合せて答えをまとめている。「きっと今頃はチャットルームで待機中じゃないかと」

「じゃあ今日は本人は来ないんですか?」

「はい。来ないです。来るわけありません」

「本人がいないのにどうやって面接するんですか?」

「え、本人じゃないと駄目なんですか」

「当たり前じゃないですか。まさか私のことを馬鹿にしてます?」

 いちばん奥にいた坊主頭のポッチャリが顔をのぞかせて口を挟んできた。

「来ないのも当たり前なんだな。だって、本人はまだ何も知らないんだからな」

 そして、その横の眼帯をつけたポッチャリと手を叩き笑い合っている。

「ふざけてんのか!」

 真知子の声に三兄弟は沈黙へと戻る。

「悪戯ならさっさと帰ってよ!」

「すいません。本人には言えない事情がありまし――」

「ほら、帰れ!」

 真知子はチリトリの中身を三兄弟へと降りかけた。慌てふためく彼らに箒をお見舞いし出口へと追いやる。

キャップを被ったポッチャリが最後まで粘っていたが真知子はなんとか三人を追い出した。床を見るとホコリカスが散乱している。

 またやりなおしか――。しかたなく箒を拾い上げた時、入り口の扉が開いた。引っぱたいてやろうと箒を振り上げると立っていたのは大森だった。

 真知子は眉間に皴をよせたまま「すいません」と顎を下げ、掃除の続きを始めた。大森は買い物でもしてきたのか紙袋を抱えている。

 真知子は二度目の掃き掃除をしながら、新人だからという理由だけでは納得できない気持ちを抱えていた。

「大井……」

 珍しく大森が声をかけてきた。

「なんですか」

 真知子の声はだいぶ低い。

 大森は紙袋から雑誌を取り出して真知子へと差し出した。その雑誌は今時の若い娘たちが好きそうなファッション誌だった。最近よく見かける、雑誌自体より高価な付録を内包しているあのタイプだ。中身が飛び出さぬよう厳重に紐でくくられている。

「いりません」

 真知子はその手の流行にまったく興味がなかった。寡黙な大森なりに真知子の機嫌を直そうとわざわざ買ってきてくれたのかもしれないが、真知子はこの男の底の浅さにほとほと嫌気がさしてきた。

 憤慨する新人社員に対して、モノで機嫌を取ることしかできないのだ。まがりなりにも社長の地位にある男が、だ。

「……開けてみろ」

 大森は雑誌を持った手を引っ込めない。真知子は仕方なく手に取った。雑誌のわりにずっしりと重い。ほとんどが付録の重さである。真知子は力任せに紐を引きちぎった。中にはなんのブランドなのかド派手に装飾された手鏡が入っていた。

「……どうだ?」

 どうもこうもない。鏡などに興味はない。この雑誌にも全く興味がない。

 真知子が黙っていると、大森は言葉を続けてきた。

「本来、オマケっていうものは――」

「社長」しかし真知子は遮った。「すいませんけど、今、口を開くと、言ってはいけない不満が爆発してしまいそうなんで、話しかけないでもらえますか」

「……わかった」

 大森は真知子の申し出をすんなりと受け入れ腰を下ろした。

 真知子は切れた。

「なんでそんな簡単にわかっちゃうんですか? どうしてどいつもこいつも人の本心に深入りしないんですか!?」

 真知子の切なる叫びだった。

 大森が立ち上がる。しかし真知子の問いに答えることなく再び部屋を出て行った。大森は睨みつける真知子の視線に気づいていながらも気に留めることはなかった。

 真知子は手鏡をきつく握り投げつけたい衝動を耐えた。どれだけの力で握ったのか、両手の爪の中が白く変色していた。


 自分が求めすぎなのだろうか――。

 ひとり真知子は誰もいない部屋で考える。今までだって、誰も真知子の本心をわかろうとしてくれなかった。悩む真知子に対し、したり顔して相槌を打つ人は可哀相な人を慰めている自分に酔っているだけだ。その証拠にこっちがわがままを言ったり、向こうの実生活に少しでも迷惑がかかるとなるとさっさと離れていった。

 真知子は薄笑いを浮かべ、雑誌を手に取ってみる。高校生くらいのいわゆるギャルがド派手なメイクで笑っている。大森がこの雑誌を手にレジに並んでいる姿を想像すると笑えてきた。周りの目には援助交際をしたがっている変態中年として映っていたことだろう。

 そう思うと、わざわざこの雑誌を買ってきてくれたことには感謝しても良かったのかもしれない。

 手鏡を覗いてみる。そこには誰にも興味を持ってもらえない女が映っていた。

 このド派手な手鏡に比べてなんと元気のないことか。真知子は元来オマケのはずの手鏡の存在感に苦笑した。きっと若い娘たちは、鏡が欲しくてこの雑誌を買うんだろう。完全に主従が逆転している。

「オマエ、でしゃばりすぎだよ……」

 真知子は鏡に向かってツッコミをいれた。そこにはお笑い芸人を真似たような口元の真知子が映っていた。

 その瞬間、お尻から凍った棒を突っ込まれたように背筋が凍りついた。

 そうか、そういうことだったのか……。真知子はすぐさま立ち上がり部屋を飛び出した。


 大森は真知子のことを真剣に考えてくれていた。言葉ではなく態度で示してくれたのだ。その真心には絶対に応えなければならない。

 真知子は階段の中段から一気にジャンプした。高校時代、真知子は幅跳びの選手だった。それだからこその跳躍は滞空時間の長い美しいものだった。

 外に出た。周囲をぐるりと見回し、大森の形跡を探す。時間的にもまだそんなに遠くに行ってはいないはずだ。

「何がなんでも見つけ出して見せる!」

 決意を宣言した瞬間に大森を見つけた。入り口のすぐ脇でタバコをふかしていた。

「社長!」

 溌剌とした顔で真知子が呼びかける。元気の良さが真知子の一番の売りだ。

「社長もあたしもオマケなんですよね。あの雑誌みたいにオマケが出過ぎちゃ駄目なんですよね!」

 大森は深く煙を吐いた。足元には吸殻が二本転がっている。もしかしたら真知子を待っていたのかもしれない。

「……大井」

「はい!」

 真知子は溌剌とした眼差しで大森を見た。切り替えの早さも真知子の売りだ。

「なぜ、ウチの会社がお前を採用したかわかるか。お前なら、我が社にすがる人の気持ちを思いやることができるからだ」

「気持ちを思いやる……」

 なんかその言葉は心にズンときた。

 

 私は朝霞を思いやっていただろうか。朝霞のためと称して自分の満足を充たしていただけではなかったか。そうだ、今の朝霞はあの時の私と同じなんだ――。


「社長、わたくしあくまでオマケとして引き立てまくってきます。貴重なお言葉、ありがとうございました」

 真知子は自分の顔が一回りスリムになったような感覚を覚えた。

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