第8話

 真知子は朝霞の弱点を熟知した上で、対策を考えた。

ポイントは二つ、高さそのものを克服するのか、もしくは手汗をいかに抑えるかだ。

 朝霞は今頃、バンドのメンバーと練習に打ち込んでいるはずだ。ならば自分もそれに見合う努力をするのみだ。自分の頭と足を使って解決法を見つけ出してみせる。

 誰もいない会社で一人、真知子がネットサーフィンをしていると耳慣れぬ声がした。

「お疲れさん」

 真知子が顔を上げるといつの間にか入室した初老の男が親しげに笑いかけてきた。男は珍しげに社内を見回すと、真知子の前の席に座った。この人は誰だ?  

 男は川崎のデスクに手を伸ばしファイルなどを勝手に手繰っている。頭のおかしい客だろうか。 

「あの、何か御用でしょうか?」

 真知子は警戒心をあからさまにせぬよう声をかけた。見るからにバレバレのカツラをつけているところなど怪しさは満載の男だ。

「何って。自分の会社に出社して何がおかしい?」

 自分の会社? 真知子は初日の矢口の言葉を思い出す。「君は先着二番目だから」

 そうか、この男は自分の前に入社した新人か。新人? どうみても目の前の男は新人というよりも定年という言葉のほうがしっくりくる。

「ああ、そういうことですか。その歳で入社できてラッキーですね」

 しかし、仲間とわかれば警戒する必要はない。真知子は素直に笑いかけた。

「君が大井君か。ずいぶんと真綿で首を絞めそうな子だな」

 男は値踏みをするように真知子を眺めている。その視線は気持ちのいいものではなかった。確かに彼よりも自分のほうが遅く入社した。でも、時期で見れば同期であろう。年齢が上であることには敬意を示す。しかし、同期である以上、失礼があれば正すべきだ。

「あのね、あなたが年上なのは見ればわかるけど、立場は私と同じはずでしょ? こっちだってカツラのことに触れる気はないんだから、あなたも礼儀くらいはちゃんとしてもらわないと」

 真知子の正論にぐうの音も出ないのか、男は薄ら笑いを浮かべている。照れ隠しの薄ら笑いほど哀れなものはない。しかも、目の前の男はハゲだ。

「わしは堀之内徹。この会社の平社員だ。来月からは出社できるようになると思うわ」

「だから、平社員が何を偉そうにしてんのよ、って言ってんの!」

 このハゲが! 真知子はひっぱたいてやろうかと腕を振り上げると、堀之内はすかさず両手で頭を覆った。

「まあいい。あんたがわしに勝てるのは若さと元気ぐらいだろうからな!」

 そう言って、堀之内は逃げるように部屋から出て行った。

 何なんだあの男は? そもそも何なんだこの会社は? なぜ、平日の昼間っから誰もいないんだ? 

 みんな、いろいろあるのさと怒りを押しとどめ、真知子は目星を付けた雑貨屋へと出向くことにした。

 真知子が考える朝霞の高所克服作戦にはけっこうな数の小道具が必要となる。その中のいくつかを真知子は手作りするつもりでいた。その方が気持ちが伝わるだろうし、自分にとってもやりがいを味わえるはずだ。

 私は口で多くを語らない。背中で皆に頑張りを伝えるのだ。

 そんな言い回しを思いつくと怒りはすっと完全に消え去った。

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