第7話

 明後日、再び朝霞と会う約束を取り付けると真知子は会社へ戻った。

 ひとり大森がぽつねんと座っていたので、真知子はさっそく業務報告を入れた。大森はじっと手を組んだまま一度頷いただけだった。社長の仕事がどういうものか知らないが、ここぞという時に動くのがトップということなのだろう。

 

 定時と同時に大森が立ち上がる。飲みにでも誘われるかと期待したが大森は何も言わずに出て行った。ほんとに謎が多い人だ。というより真知子は同僚のことをまだ何も知らない。朝霞のプロジェクトが終われば新人歓迎会がある。その時にいろいろ話をしよう。

 真知子は朝霞の件と平行して【GB】についての勉強もしなければならなかった。【GB】とはゴルフ場経営で有名なギュネスグループが発行する冊子であり、六十年の歴史を誇る。過去六十年のブックに目を通し、チャレンジや記録を把握しておかねばならない。そこには、驚くような記録から笑えるような記録までさまざまあった。ここに朝霞が加わるのかと思うと残業を頑張る意欲が沸いてきた。

 二時間ほど眠ったあと、真知子も帰宅することにした。外はすっかり暗くなり、電車は家路を急ぐ人たちで嫌なくらい混み合っていたが、働いているという実感が沸いた。


 シャワーを浴びて髪を乾かすと、思い出したように冷蔵庫からチューハイを取りだした。今の私はちゃんと労働をしている。誰の目も憚ることなくお酒を飲むことができる身分だ。

 パソコンを開き、インターネットを立ち上げる。朝霞のバンドを検索してみるといくつかの映像がヒットした。真知子は、その内のひとつ【Oh! Food Ticket(おしょくじけん)】というタイトルのライブ映像を見ることにした。

 

 それほど広くはないライブハウスは客でぎゅうぎゅうだ。ステージ上の化粧した三人が長髪を振り乱すと、客の全員がそれに倣って首を振る。おそらくギターを持っている男が朝霞だ。その横では両目を絆創膏で塞いだ男が飛び跳ねながらベースを弾いている。ドラマーは、小柄ながらも引き締まった腕でダイナミックにスティックを振っていた。

 曲が終わると、盛り上がりの余韻を引きずったままに朝霞が火を噴き出した。客席後方から怒号とともに消火器が噴霧される。ライブは中断され、店員と思しき強面の男たちと朝霞たちがもみくちゃになっている。

 真知子は画面に釘付けのまま手許の缶が空になっていることに気づいた。一秒でも見逃すまいと大急ぎでもう一本を取りに行き、戻ってきた時に何度でも見られる映像なのだと気がついた。

 新たな缶チューハイを開けてふたたび再生ボタンを押した。近いうちにこの他のメンバーにも会うのだと思うと、よりアルコールが体中に浸透していくのがわかった。


 同じ頃、朝霞も缶チューハイ片手にテレビに向かって悪態をついていた。画面ではいちおう歌番組と謳っている番組が流れているが、ここに出ている奴らでミュージシャンと呼べる奴はどれほどいるのだろうか。

 アイドルが片手間で歌を出したり、ミュージシャンを名乗っていてもほとんどがタレント同然じゃねえか――。

 食べ終えたラーメンのどんぶりを見ながら朝霞はそんなことを考えた。今日のラーメンは卵を切らしていたので味気ないものだった。

 昨日の興奮を思い出す。真知子は間違いなく自分の音にグルーブしていた。昔は、あんな興奮が毎週のようにあった。真知子のように興奮してくれる人がすぐそばにいたのに……。

 朝霞は流しに溜まった洗い物を見ながら動き出すことを決めた。


 すっかり疎遠になってしまったメンバーたちに電話をかけてみた。メールの方が気が楽だったが、わざわざ電話をすることで自分の決意を示したかった。

 二人とも留守電だったので、一言だけメッセージを残した。


「天神降臨。レッツ、ヘッドバンギング」


 この言葉だけであいつらには伝わるはずだった。二時間後、いちおう伝わらないと困るので日時場所等の詳細をメールしておいた。

 明日の夜、久しぶりに【Lucky Inter Hospital】の面々が顔を合わすことになるはずだ。平日にも関わらず日付を明日にしたのは、一刻も早くという意気込みを示したかったこともあるが、一刻も早く友達と遊びたかったからだ。

 朝霞は久しぶりに自分のブログを更新した。数年前、バンドのためにと始めてはみたが、誰が見ているのか反響は何もなく、自然と更新は途絶えていた。わざわざブログに記すようなことが毎日の生活になかったことも確かだった。

 だが今回は記さずにはいられない。だって【天神降臨、いよいよ21世紀最後の大物バンドが動き出す】のだ。

 この記事だって誰にも見られないかもしれない。ただ、いつでも誰もが見られるようにしておくことが重要なのだ。

 

 もしも、誰かが自分のことを思い出してくれた時に、ちゃんと自分が存在してるってことに気づいてもらえるように。

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