妹ごっこ

蒼井拓

妹ごっこ

 サンマの旨い季節、皆さんいかがお過ごしでしょうか。

 俺、突然ですが、隣の家に住む年下の幼馴染と同棲することになりました。

 まるでゲームめいた展開だ。

 いや、別に唐突な話ではない。うちの親と、隣の家のご両親が旅行に出かけるから、その間俺の食事の面倒を、幼馴染がしてくれるという話である。いや、別に泊まりに来る必要はないのかもしれないが、防犯上の理由だ。年頃の娘をひとりきりにするのは不用心だってこと。

 旅行期間は二泊三日。話はひと月前からあるので急な話ではなかった。まあ確定事項だったのだ。

 俺が隣の家にいかないのは、娘さんの部屋に俺をあげるのは「さすがにそれはどうなの?」という配慮かららしい。

 うちに来るのだってたいして変わらないと思うんだが……。

 まあ分からないでもない。俺の通う大学はまだ夏休みだが、幼馴染は高校生で、二学期が始まっている。幼馴染が学校へ行っていない間に、俺が彼女の家にいるというのはまずい。そういうことなんだろう。水曜の朝に出て、金曜の夕方。ド平日に二泊三日だ。しかもその後土日はしっかり休むつもりなんだから、いい身分だ。あやかりたい。

 が、それはそれとして、この扱いはやはり遺憾である。

 確かに俺だって男なので変なことをするかもしれないが家族同然の付き合いをしている相手の下着を広げてみたりとかしないでしょ。しません。

 ともかく、期間限定ながら、年下の幼馴染と一つ屋根の下で暮らすことになった。

 本当に、まるでゲームめいた展開だ。

 けれども、もっとゲームめいていたのは、彼女がやってきてからだった。


『おっ、おにいちゃ、だめっ、わたし、なんかへんっ!』

「お兄ちゃんもなんか変だよハァハァ」

『なんか、くるっ、くるの、きちゃうのっ! おにいちゃっ、おにいちゃん、わたし、どうか、なっちゃいそう、こわい、おにいちゃ、ぎゅっ、ぎゅってしてっ!』

「ハァ、ハァ、……ウッ、妹かわいい……妹かわいすぎるよ妹……! ハァ、お兄ちゃんは、もう、ハァ、ハァ……お兄ちゃんももうダメです! ウッ!!」

 動きが大きくなりすぎてヘッドホンのケーブルがジャックから外れる。

『あっあっ、あっ……んんーーーーーーーーっ!!』

 大音量の嬌声が室内に響き渡る。

 だが、構うことはない。今この家には誰もいない。

 慣れた動作でティッシュを抜き取る。

 シュッシュッ。紙が擦れる音。

 ふわりとやわらかな感触に包み込まれ、こみあがる種の存続本能(※比喩表現)を解き放つ。

 ほとばしる生命の源(※比喩表現)がティッシュに受け止められる。天使に抱かれているような心地だ。

「……ふう」

 両親は旅行に出かけてしまっている。つまり俺の王国である。俺の王国の国民は俺ひとりだ。つまり俺が国でもある。

 俺が国自身になることだ。

 だから昼間っからゲームに勤しんでいても……いや、そろそろ夕方なのか。日が傾いてきている。

「まあどっちも一緒やな!」

 ガチャリ。

 ガチャリ?

 ドアが開いて、誰かが入ってくる。

 この家は無人のはずだが。

みなとく……って、ちょ、ちょっと何してるの!」

 そこにいたのは小春子。

 隣の家に住む俺の幼馴染だ。三つ年下で、今年高校一年。リアルJKだ。

 リアルJKの証拠に、高校の制服を着用している。

 まごうことなきリアルJKである。

『おにいちゃ……こんなに……いっぱい……』

 天使のさえずる声が聞こえる。

「こ、こういうことは人がいないところでやってよ!」

「いやいやノックしようよ」

「したよ!」

「したの?」

「しました! 家に上がるときにおじゃましますもちゃんと言ったし!」

『わっ、おにいちゃんのまたおっきくなってるよ』

 スピーカーからゲームの音声が流れっぱなしだった。

「だから聞こえなかったんだな。しょうがないね」

「しょうがなくないよ! っていうか、それっ、それ消して! 画面と声!」

「ええー」

 しょうがない。ディスプレイの電源を切り、ヘッドホンをジャックに繋ぐ。

『こんなに大きいの……』

 架空の妹が闇の向こうへと飲み込まれ、言いかけた言葉は虚空に消えた。後でちゃんと続き聞いてあげるからな。

「これでいいか」

「これでいいかじゃないでしょ! それ! 隠して!」

 手で目を覆いながら、指を差す。

 指し示す先にあるのは……視線を下に向ける。

「おう」

 マイサンがハローワールドしていた。

 パンツをあげて、ズボンを履き直す。

「こんにちはしちゃってたな」

「こんにちはじゃないよ!」

「まあ、なんだ。わるかった」

「べ、べつに怒ってないよ、びっくりしただけで」

 普通はこんなもの見せられたら怒ると思うんだが……。

 いつになく優しい。

「でも」

「でも?」

「湊くんって、そういうの好きなんだね、知らなかった、そっか、妹かあ……」

 なんか様子が妙だ。

 いやな予感がする。

「あのね、俺は妹ものは好きだけど、これはゲームだからね? あくまで架空の妹。わかる?」

 はたして、その予感は正しかった。

 牽制も虚しく、彼女は宣言する。

「じゃ、じゃあさ。わたしが、妹になってあげるね?」

「え?」

「今日から三日間、ここで暮らすんだし」

「え? あ、あれ?」

 いや、そうだ。そうだった。うちの親と小春子の親が旅行に行くからその間の食事なんかを小春子が作ってくれるとかそういう話だった。そうだった。

 いやそうじゃない。

「というわけで、三日間よろしくね。湊くん……ううん、呼び方も変えなきゃだね。妹だし。ね、

 現実の妹……だと……。

 思わず頭を抱えそうになった。

 明日から彼女と一緒に暮らすことになるのだ。


 ***


 この年下の幼馴染のことが、俺は少し苦手である。

 むかしは、素直でかわいらしかったのだが。

 簡単なもので夕食を済ませた後、自室でのんびりしている

と、ノックもなしに部屋のドアが開かれる。

「おにいちゃんおにいちゃん!」

「ノックしような。あと、おにいちゃんって呼ぶのやめよう? な?」

「わたしね、せっかくおにいちゃんの妹になったんだから、兄妹らしいことしようと思って」

「勝手に妹になるな」

 まず、人の話を聞かない。

「じゃーん!」

 なにやら紙を広げてみせる。手書きのかわいらしい文字が紙面を踊っているのが見える。

「それ、なに」

「わたしが妹らしい振る舞いをしたら妹マイルがたまっておにいちゃんリワードがもらえるシステムです!」

 思わず頭を抱えた。

 その二、発想が飛躍していてついていけないことがある。

「妹マイル……」

 紙には、妹マイルがたまる妹らしい振る舞いが一覧になって記載されていた。

「この妹マイルがたまれば、おにいちゃんは妹にまいってしまう寸法です!」

「もうまいってるよ」

 その三、ていうか発想が飛躍していてついていけない。

「メロメロ?」

「だ~れがメロメロじゃ」

 こつんと頭にげんこつを落とす。

「あいたっ」

 十数年前から家族ぐるみで付き合いがあったし一緒に旅行にも行ったし小さい頃は一緒に風呂入ったりもしたもんだから、ほとんど家族みたいなもので、もちろん異性は異性なんだが、そういう対象として見れるかっていうと無理だ。

 だから、ある意味では確かに妹みたいなものなんだが。

「おにいちゃんは妹きらいなの?」

「妹は好きだぞ。だが小春子は妹ではない。そもそも俺が好きなのは架空の妹だ」

「擬妹も架空の妹みたいなものだし」

「義妹みたいな言い方するな。偽妹め」

 架空の妹っていうか架空請求しそうな妹だし。欺妹だ。

「でもいまの会話兄妹っぽかった! おにいちゃんリワードください!」

「そんなもんねーよ!」

「えー、ケチ」

 ほんとに架空請求された。

 というか、どのへんが兄妹っぽい会話だったんだろう。

 その四、独特な発想についていけない。

 つまり何が言いたいかって、俺は彼女のことがすこし苦手だってことだ。


 ***


 だが、その認識さえも甘かったのかもしれない。

 翌朝から、小春子による妹攻勢が始まったのだ。

『妹モーニングコール! さあおにいちゃんリワード!』

『妹手作りブレックファスト! さあさあおにいちゃんリワード!』

『妹ただいまアタック! リワード!』

『リワード!』

『妹手作りディナー! 相手は死ぬ! リワード!』

『リワード!』

 もうほとんど押し売り詐欺である。後半カードゲームのドローコールみたいになってて、ずっと妹のターンってやつだ。だいたい合ってる。

 小春子が学校へ行っている間だけが心休まる瞬間だった。

 夜更かししてるせいで昼はほとんど寝てるんだが。

 ゆうべ架空の妹と二回(それぞれ別人と)結婚したからな。眠かった。昼寝して起きたら妹帰ってきてた。俺の休まる時間体感で一瞬だった。かなしいね。

 夕食のサンマをたいらげても「おいしかった? ねえおいしかった? リワードだよ? おにいちゃんリワード!」と詰め寄られる。もちろんサンマはおいしかった。

 が。

「だ、だいたいおにいちゃんリワードってなんなんだ。俺に何を要求する。か、身体か? 身体はだめだぞ、結婚するまで清い身体を」

「おにいちゃんの身体なんていらないよ。ばっちいし」

「ばっちい……」

「わたしにあんなの見せつけておいて、なーにが清い身体よ!」

「その節はご迷惑をおかけしてしまいまことに申しわけ」

 平謝りするしかない。

 だが、それで許してくれるわけがなかった。というか、今こいつの前で弱みを見せてはいけなかった。

「慰謝料!」

「は?」

「だからね、慰謝料! 一ペコリーにつきなでなで五分!」

 謎単位出てきた。

「ペコリー……?」

「おにいちゃんの謝罪単位だよっ! ほらほら、なでなでしてっ」

 腑に落ちないが、なでて済むのなら……。


 この後滅茶苦茶頭をなでなでさせられた。

 腕がしびれている。

 ……意外と五分って長いんだねえ。


 ***


 受難はなお続く。

 風呂に入っているときのことだ。


「おにーいちゃんっ」

 ガラッ、と浴室のドアを空けて入ってきたのは、言うまでもない、小春子だ。

 バスタオル一枚を羽織っているだけという、たいへん目に毒な格好をしている。

「――!!」

 慌てて視線を逸らす。

「おにいちゃん、えっちなゲームで遊んでる割には、はずかしがりやなんだね」

「うっ、うるっ、うっせうっせ!」

「おにいちゃん噛んでるー!」

「だまっ、だまらっ!」

 三次元と二次元は別なんだよ!

「ねえおにいちゃん、ちゃんとこっち。ほらー」

 浴室に小春子の甘ったるい声が反響する。

 み、見ないぞ、俺は!

「こっち見てってばー」

 強い心だ。

「あっ、あータオル落ちちゃ」

「ファッ!?」

 思わず振り返ってしまった。

 だが思い返すまでもなく棒読みだった。

 見え透いた罠だったのだ。

 弱い心だ……。

 って。

「裸だと思った? 残念、スクール水着でした!」

 小春子が来ていたのは、紺の……ムム、これは旧スク!

 残念か残念じゃないかで言うとスクール水着も充分しかも旧スク! いや、やめよう。やめやめ!

「べ、別に裸が見たかったわけじゃないんだからねっ!」

「……おにいちゃん、気持ち悪い……」

 ドン引きだった。

 でも、気持ち悪いはやめようよ。

 俺、ショック。


 その後無理やり背中を流そうとしてきた小春子をなんとか追い出し、浴槽につかって瞑目めいもくし、自分自身との対話に集中した。いや変な意味じゃなくてね。真面目にね。


 ***


「これはなんとかせんとですよ」

 昨日からこっち、小春子の様子がおかしい。

 もちろん、もともと一度スイッチが入ると際限がなくなるところはあった。

 でもこれは度が過ぎる。

 原因は分からないでもない。俺もちょっと調子が狂っている。無理もないことだ。

 ただ、だったらどうなのかというと、これもまた難しい。原因がわかっているからといって、それを解決するのはまた別の話だ。

 原因がわかってれば解決できるんなら苦労なんてないもんな。

 ふと、ノックが響く。

「おにいちゃん、起きてる?」

「きみにおにいちゃんなんていません」

「もー、すぐそういうこと言う」

 言いながら小春子が部屋へ入ってくる。

 まるで昔から妹だったみたいな振る舞いである。

「どう? パジャマだよおにいちゃん!」

「パジャマだな」

 子供っぽいデザインなのに、パジャマってなんで妙にエロい感じするんだろうな。いや、小春子に対してそういう感情はわかないぞ。断じてだ。

「生地が薄手で、身体の……主に胸部と臀部のラインが…‥それでいて腰まわりは分かりにくいので、かえって想像力をかきたてるというか……胸部と臀部から、頭の中でウェストラインを描き出して……」

「おにいちゃん声に出てるよ」

「はっ!?」

 両手で自身の身体をかき抱くようにしながら、じりじりと後ずさる小春子。

「やめて、そういうちょっとえっちっぽい仕草やめて!」

「え、えっちじゃないもん! 変な目で見てるのおにいちゃんだもん!」

 こいつわざとやってるだろ。

「えっと……つぎ何だったかな。そうだ! い、妹を性的な目で見るなんて、おにいちゃんの変態!」

「それを言いたかったのか」

「うん」

 脱力する。

「はあ、用が済んだなら帰りなよ。夜に男の部屋にふらふら来るんじゃありません」

「えっ、ち、ちがうの、まだ用済んでないから! おにいちゃんに用あるから!」

「じゃ、ぱぱっと済ませちゃうから。ほれ」

「えっと、パジャマは見てもらったし、次は……」

 今考えるんかい。

「そ、そーだ! ま、枕が変わって寝付けないから、おにいちゃん一緒に寝」

「嘘つけ。昨日すやすや寝てただろ」

「うぐ……って、おにいちゃんなんでそれを……もしやゆうべわたしの部屋に……?」

「実は起きてたんなら知らんけど、図星でしょ」

「は、謀ったわね!」

「はいはい。用済んだ? いや、むしろ気が済んだ? ならはやく自分のお部屋帰って」

「むー、ま、まだだもん。そ、添い寝がだめなら、お、おお」

「お?」

「おやすみの」

「おう、おやすみ」

「そうじゃなくて!」

 ぶんぶんと頭を振る小春子。真っ赤な顔で、俺をじっと見る。お、おう……。

「お、おお、おやすみの、キ、キキ、キスを……妹はごしょもーです!」

「ちょっと落ち着け」

 こつんと頭にげんこつを落とす。

「あいたっ」

「できもしないことを言うんじゃないの」

「で、できるもん!」

「はいはい。分かったからもう寝ような」

「わかった! キスじゃ足りないんだ! い、いいよ!」

「いいって何が」

「キスだけじゃなくて、その。その先も、いいよ」

「その先って、お前」

 わかって言ってるのか?

 いや、わかるだろう。

「わたし、セックスだってできるもん! おにいちゃんだって、妹とえっちなことしたいって思ってるもん!」

 ……はあ。

 俺は盛大に溜息をつく。

「……俺をからかって楽しい?」

「え? あ、ちが」

「違わないだろ」

「ちがうったら、ちがうんだから」

「からかってるんじゃなかったら、なんだ。あてつけか? 俺がああいうので遊んでるがいやで、こういうことしてるのか?」

「ちっ、ちが! そんなことわたし」

「あてつけじゃないなら、やっぱりからかってるんじゃないか。そうだろ。一緒に風呂に入ろうとしたり、添い寝を要求したり、キスを迫ったりして。それともあれか、俺がお前に手を出して、それをうちの親に告げ口でもするつもりか? 昨日の復讐のつもりか?」

 そこまで言うと、小春子は俯いて押し黙ってしまった。

 ちょっと言い過ぎただろうか。

 いや、そんなことはない。

 ちゃんと言わないと分からないこともある。

 が。

「わたし」

「ん?」

 突然だった。

 小春子は俯いたまま、わなわなと肩を震わせ。

 唐突に、堰を切ったように。

「わたし、そんなつもりじゃなかったのにーっ!!」

 泣き喚いた。

 びええええ、びええええ、と喚いて、喚く。

 びえええ。

 びええええ。

 ど、どうすんだこれ。

 びええ。おにいちゃんのあほー! びええ。

 びええええ。

「わ、わかった。わるかった。俺がわるかったから。ちょっと落ち着こう、な?」

「びええええ、びええええ!!」

 どうすんだこれ……。

 びええがぐすんぐすんになるのに三十分かかった。

 先は長い。


 ***


 結局、小春子をなだめてるうちに日付が変わってしまった。正味三時間かかった計算になる。疲れた。

「あのな、小春子」

 なるほど疲れてるなと自分で実感できる疲れた声だった。

「はい」

 返事をする小春子もさんざ泣いてすっかり声が枯れてしまっている。

 だが、疲れたからと先延ばしにするわけにはいかない。

 また繰り返すことになる。

 だから俺は言う。

「妹とは一緒にお風呂入ったりしないし、一緒の布団で寝たりもしない。キスもしないし、セックスもしないし、もちろん結婚だってできない。だってそうだろ? 兄妹なんだから」

「でもウィリアム・ワーズワースは結婚した後も妹と同居して爛れた生活送ってたって」

「その変な知識はどこから仕入れてくるの。俺は英国詩人じゃないしここは日本だよ。だから結婚しないの」

「しないの?」

「しません」

「セックスも?」

「しない」

「じゃ、じゃあキスは? 家族でもキスくらいするよね?」

「日本人はふつうしないでしょ」

「ふつうじゃなかったら」

「俺はふつうがいいの」

 しゅんとする。

 自分が変わってるという自覚はあるのかもしれない。

「おにいちゃんふつうなのが好きなんだ……がっかり」

 撤回。

「お前は俺に一体何を期待してるんだ」

「革命かな」

「俺の中で小春子に対する印象の革命が起きたよ」

「そうそれ。そういうの。おにいちゃんと話してるとやっぱり楽しいんだよね。おにいちゃんだけだもん。こんな話できるの」

 そりゃ、十数年来の付き合いだ。もはや兄妹同然なのだし、会話の呼吸みたいなものがわかっている。

 そうだよ。

 わけわからんやつだってずっと言ってるけど、わかってるんだよ。何を考えてるのかもわかってるし、何を言ったらいいのかもわかるんだ。

「あのな。確かに小春子は俺にとって妹みたいな存在だし、俺も性癖として妹ものが好きではある。でも、趣味や嗜好と現実の生き方は別だ。だってそうだろ。いくらおしっこするのが好きでも、四六時中おしっこは出ないし、おしっこするために利尿剤服用するようになったら病気だぞ」

「おしっこ好きすぎて利尿剤買うなんて発想わたしにはなかったわーさすがおにいちゃんだわー」

 うるさいよ。

「それにふつうそういうときって、好きなことだけして生きていけないとか、仕事するようになったら好きじゃないことでもやらないとだめだとか、そういうたとえをしたほうがいいと思うな。おしっこって。女の子に向かっておしっこって」

 いや「おにいちゃんセックスしよ!」とか言い出すよりマシでしょ……。不服すぎる。

「ともかくな、あくまで妹みたいな、であって、妹じゃないんだよ。だいたいさっきも言ったけど、妹だったら妹以上の関係になれないだろ」

 だから妹は二次元に限るんだよ、と続けようとして。

「えっと……? もしかしておにいちゃん、妹やめてって、そういう意味……?」

 あ、なんかまずい。まずい気がする。

「そっか、そうだったんだ。そっかそっか」

「いや、何がそうなのかは分からんが、これは、ちゃうねん。いや違うんです。違うんだよ」

「じゃあもう妹やめるね! 妹やめます! はーい妹終了! お疲れ様でした!」

 そういって小春子は部屋から軽やかに去っていく。

 呆然と見送るしかできなかった。

 ふと我に返って、俺は思わずため息をつく。

 けれども、妹をやめてもらえたのだ。

 とりあえずよかったことにしよう。

 これでよかったのだ。


 ***


 翌朝。

 目が覚めて、喉が渇いて、飲み物を求めてリビングに顔を出すと、何やらキッチンからいい匂いがする。まな板をトントンと叩く包丁の音。朝の光景だ。

 おふくろが帰ってきたのかなと思ったけど、帰ってくるのは今日の夕方だ。

 じゃあ誰が?

 そんなのひとりしかいない。

「あ、湊くん。おはよう。朝ごはん作ってるからね」

 キッチンを覗き込んで、俺はお茶の入ったコップを取り落としそうになった。

「お、おま、なんちゅうかっこを」

「えへへ、新妻っぽい?」

「新妻でもそんなかっこしねえよ!」

 肩口にはフリル。肩甲骨から腰にかけてを布地が覆う以外むき出しの背中。腰にはリボン。お尻から太もも、ふくらはぎまで、何もまとっていない。

 後ろから見るとほとんど全裸である。

「どう? どう? 湊くんの好きな裸エプロンだよ!」

「いいから服着ろ」

「えー」

「えーじゃないの。おかしいでしょ」

「おかしくないよ、だって湊くんとわたし結婚するんだもん」

「は?」

 今なんて?

「結婚だよ結婚。湊くん、昨日言ったよね? 妹はやめてくれ、妹だと妹以上の関係になれないって」

「え? あ」

 ちょっと待って。

「いや確かに言ったけどあれはそういう意味じゃ」

 いやそういう意味になるのか?

「そっかそっか、湊くん、わたしのことをそういうふうに……」

「見てないよ小春子は妹みたいなもんだよ」

「みたいな、でしょ? ほら、わたし妹じゃないから。合法。結婚も合法。結婚を前提にしたお付き合いも合法。婚前交渉も合法だね! やったね!」

「勘弁してくれ!」


 ……という具合に、妹をやめたことによって、むしろ彼女はより一層こじらせてしまったのだ。


 俺と小春子のテンションが変だった理由?

 そりゃ幼馴染で家族同然に過ごしてきたって言っても俺はもう大学生だし向こうも高校生で、親の同意さえあれば結婚だってできる年齢、お互いに子供ではないのだ。子供でない男女が、一つ屋根の下でって、まるで意識するなという方が難しい。

 これがもっと歳が離れていれば違ったのかもしれない。あるいは、もっと距離感が近ければ……。

 仮定の話をしてもしょうがない。

 ともかく、俺たちは中途半端だったのだ。いろいろと。

 それが、中途半端ではなくなったので、たぶん小春子は吹っ切れたんだろう。

 あのまま妹を続けないで済んでよかった。

 と思いたい。

 え? もちろん滅茶苦茶後悔してるけど。

 テンション狂ったままだし。


「ねえ、ところでさ」

「ん」

「みんな帰ってくるのって、夕方だっけ」

「そうだけど」

 あ、待て。

「せっかくだから、こっちで皆で夕飯にしちゃったほうがいいよね。帰りに材料買ってこなきゃ」

「ちょっと待って。ひょっとして何もしなくても明日から妹やめて普通に戻ってた?」

「だって、明日から家に帰るし」

 がくりと膝をつく。

 もしかしなくても、俺がやったことってただの藪蛇だったのでは?

「でも、妹やってよかったなー湊くんの気持ちよく分かったし。うんうん」

「うんうんじゃないよ誤解なんだよ」

「またまたー。あ、そろそろ行かないと遅刻しちゃう。じゃ、また夕方にね。あっこれもなんかいいね、新婚っぽい! なんてね! なんてね! きゃっきゃっ!」

 手で顔を覆って恥ずかしそうにしながら、軽やかな足取りで去っていく。

 呆然と見送るしかできなかった。

 この後どうなったかって?

 前にもましてベタベタするようになって困ることになったに決まってるでしょ、ってことなんだけど。

 それはまた別の話だ。

 やれやれ。


 ~おわれ~

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