1 「先生辞書貸して」事件

 最初に、ぼくが教員になって初めて赴任した学校での出来事を紹介します。

 この学校の名前はA校としておきます。A校は、自治体の教育委員会において教育困難校と名づけられているいわゆる底辺校で、その頃ぼくは、赴任して2年目でまだA校のような学校にはあまり慣れていなくて、いろいろと驚くことがありました。

 その中の一つを紹介します。

 それは、2年生のあるクラスで起きた出来事で、そのクラスの名前は2年B組としておきます。

 その日の2年B組の授業は、4時間目でした。

 この時間帯は腹が減る生徒が多く、授業中に弁当を食べる通称「早弁」というのを始める生徒がけっこうな数いるので、それは注意して止めさせないといけません。それだけでもけっこう時間を取られていました。

 また、このクラスは特に、油断しているとすぐに学級崩壊状態に陥るので授業中は生徒が答えやすい発問をしてできたら認めてあげたり、私語する生徒を注意したり、いろいろと忙しく、他の先生に聞くと、みんなあのクラスは大変だと言っていました。

 授業開始後10分くらいして、一番真ん中の列の1番前、教師のまん前に座っている三橋君(仮名)が突然しゃべり始めました。

「先生、この単語の意味がわからない」

「今そこをやっているわけじゃない。そこはもう終わったところだから、授業が終わった後で聞きに来てください」

「うーん、でもどうしても気になる。教えてくれないんですか」

「それは、授業終わってからでもいいでしょう」

「先生は生徒の質問に答えないんですか」

「そうじゃない。まあ、どうしても気になるんだったら自分で辞書を引いて下さい」

「わかりました」

 そう言うなり、三橋君は教卓に置いてあった辞書を勝手に持って行って引き始めました。

「こら、人の辞書を勝手に持って行くな」

「だって自分で辞書を引けって言っていたでしょう」

「人の辞書を勝手に持って行かないで、自分の辞書を使って下さい」

「辞書なんか持ってないんだもん」

「辞書を持ってこないのは自分が悪いんだよ」

「それじゃあ、先生は生徒に辞書を貸してくれないんですか」

「そうじゃない。断らないで人のものを勝手に持って行くのがよくないことだと言っているんだ」

「わかりました。じゃあ、断るのが後になりましたが『借りました』」

「うん。用が終わったらちゃんと返せよ」

 少しして三橋君は、辞書を教卓の上に返しました。

 でも、しばらくすると三橋君は、「辞書を借ります」と言うなり辞書を持っていきました。

「こら、『辞書を借ります』と言うなり持って行くな。『いいですよ』とか言われてからにしろ」

「それじゃあ、先生は辞書を貸してくれないんですか」

「そうじゃなくて、人から物を借りる時は、相手が『いいよ』と言ってから借りるのが常識だろう。他人のものを借りるには相手の許可がいる」

「でも、貸してくれるに決まっているんだから、ちゃんと言えばいいじゃないですか」

「うーん、でも自分のものじゃないんだから、許可を得てから借りるのが原則だ」

「ふーん」 

 三橋君は不満げにふてくされてしまいました。

 三橋君は、入学当時、入って辞めて入って辞めてを5つのクラブで繰り返し、どこのクラブにも入れなかった子で、クラスでも友達ができないで浮いていました。時々他の男子生徒にからかわれたり軽いいじめに合ったりすることもあり、担任の栗山先生(仮名)も苦労しているようでした。


〈どうも変な生徒がいて調子が狂うなあ〉

 ぼくは、むしゃくしゃしながら職員室に戻ってきました。

 このケースは、1章に書いた公式の中では、「公式1 意外性+不利益=怒り・イライラ」があてはまりまりそうです。三橋君という意外な言動をする生徒がいて、授業がスムーズに進まなくなるという一種の不利益があることで、怒り・イライラが生じています。

 また、「公式4 不安感が強い=怒りやすい・イライラしやすい」とも関連が深いと思います。ばくはその頃、まだこうした学校に慣れていなくて、「やっていけるだろうか」という不安があったので、怒ったりイライラしたりしやすい状態になっていました。

 隣の席にいる沢田先生(仮名)は同年代の男性の先生でわりあい話しやすい人だったのでこの出来事を話すと、沢田先生は笑いながら言いました。

「まあ、こういう学校ではよくあることだ。確かに慣れないと腹が立つかもしれないけど、じきに慣れるよ。やはり慣れが肝心だ」

「そうですか」

「そんなもんだよ。それと、やはり気になった出来事には名前をつけたり、ノートかなんかに概要を記録したりしてできるだけ自分なりにちょっとした事例研究をすると気持ちが落ち着いてくるかもしれない。まあ、学校には変な生徒もいれば、変な先生もいれば、変な校長・教頭もいる。もしかしたらそう思っている自分が一番変かもしれない。俺は『どんな人間にもバカにすべき点はある』という格言を作って座右の銘にしているんだ」

 沢田先生は、A校に赴任したばかりでしたが、その前にいた学校もやはりA校のような底辺校でした。

 沢田先生の話を聞いてばくはその事件を「先生辞書貸して事件」と名づけ、当時学校の仕事に関することを記入する雑記帳を作っていたので、簡単に出来事の概要をノート書きました。

 それと、「本当に慣れれば当たり前のことになるのだろうか」とC先生の言っていたことを疑いつつも頭の片隅に置いておいたのですが、確かにその後1~2年したら、この出来事のようなことにも慣れて当たり前のことになり、あまり気にならなくなりました。

 やはり、A校に一定期間いたことによって「高校生という概念」が、自分が不愉快に思わないで教員の仕事ができるような方向に変化したのでしょう。

 今でも、沢田先生の言っていた「慣れが肝心だ」というのは、なかなかの名言だと思っています。

 また、物事を対象化・客観化するためには名前をつけるという行為は大切なことで、ノートなどにレコーディング(記録)するということも、自分の感情に向き合うためにとても有効な方法だと思います。

 「事例研究する」という態度も、物事とうまく距離をとるのに有効な方向性だと思いますし、沢田先生が笑っていたのも大切なことで、笑うことでも物事との距離がうまくとれていく場合があります。

 それと「どんな人間にもバカにすべき点はある」という奇妙な格言みたいな言葉ですが、これも沢田先生らしいなかなか味がある言葉です。自己啓発書とか心理学本に書いてある「欠点のない人間はいない」とか「相手に完璧を求めるのは甘えである」といった言葉よりも平易でわかりやすく独特の趣きがあります。

 今、この時の沢田先生の態度や語っていた言葉を思い起こすと、感情のコントロールとか自己認識といった視点から見てかなり大切なことが並んでいたことに気がつきます。後に本を読んだり、出合った出来事や人物などについていろいろと考察してわかったことの最も中心的な部分は、だいたいこの時に沢田先生の態度や言っていたことに含まれると思います。心理学や哲学などで用いられる定番の専門用語などを使わずあまりにも平易な言葉で話していたので、言われた時はどうもありがたみがなかったのですが、後で思い出すとずいぶんと大切なことを言っていたんだなと思います。

 沢田先生はいつもニコニコしている温厚な人物で、先生からも生徒からも慕われていました。

 教員になってすぐにいい同僚に巡り合えてよかったなと今も感謝しています。

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