3.揺り籠をさまよう螺旋-2

 王宮でのヤンイェンの様子を脳裏に浮かべ、ルイフォンは静かに口を開いた。

「これは、ハオリュウへの報告書にも書いたんだけど、『デヴァイン・シンフォニア計画プログラム』のせいで、メイシアの親父さんが亡くなったことを、ヤンイェンが深く詫びていた」

「――っ」

 メイシアの呼吸が半端に途切れ、白い喉がこくりと動いた。

「ハオリュウの足の怪我も、彼が若くして当主として立つ羽目になったことも、メイシアのお継母かあさんが心を壊したことも……藤咲家を襲った不幸のすべては自分に責任があると、彼は頭を下げた」

 メイシアの父の死を伝えたとき、ヤンイェンは驚愕に震えていた。

 胸元に手をやり、端麗な顔を悲痛に染めていた。

「前にメイシアが言っていた通り、ヤンイェンは親父さんのことを特別に思っていたみたいでさ。『何故、コウレンさんが……』、『私は、あの方のことが好きだった。……尊敬していた』――そんなことを繰り返し呟いていたよ」

「殿下が……そんなふうに……」

 細い声が重く沈み、メイシアは、何かをこらえるように唇を噛みしめる。

「ヤンイェンは、周りの反対を押し切って平民バイスアと再婚した親父さんに、憧れていたと言っていた。自分にも、そんな強さが欲しいと願ってやまなかった、って……」

 その言葉の裏に、セレイエの存在を描いていたことは言うまでもないだろう。

 瞳を潤ませるメイシアの髪に、ルイフォンは、くしゃりと手を伸ばす。彼女は、彼の指先に身を委ねるように、透明な涙をこぼしながら、そっと目を閉じた。

「ヤンイェンは、俺たちに負い目を感じている。……だから、『セレイエの命と引き換えに得た、ライシェンの記憶を無駄にする』と、俺が明言しても、何も言わず、あえて触れずにいたのかもしれない。――なんて、今、思った」

「うん……」

 メイシアの頭が、こくりと相槌を打つ。

「なんかさ……。俺の中では、ヤンイェンと敵対することは、決定事項になっていたような気がする。俺は『ライシェン』の記憶は、俺の中に封じたままにするのが正しいと思っている。けど、ヤンイェンは絶対に怒り出す。――そう信じていたみたいだ」

「それは、ハオリュウが、そう言ったから……」

 温厚そうな容貌とは裏腹に、気性の激しい異母弟おとうとが、強い口調で主張したことをメイシアは気にしているらしい。申し訳なさそうに、眉尻を下げる。

「いや。確かに、初めに言いだしたのはハオリュウだけど、俺も、まったくその通りだと思っていたからさ。……だから、ヤンイェンに『君に会ったら、罵倒されることを覚悟していた』なんて、穏やかに言われたときは予想外で、……正直、調子が狂った」

 麗らかな微笑で、ルイフォンを迎えてくれたヤンイェン。

 しかし、典麗な美貌は諦観を含み、親しげであるのに、どことなく心の距離が感じられた。

「ヤンイェンはさ……。凄く不思議で、掴みどころがなくて、俺には分かりにくい人だった。自分が先王を殺したのが発端だったって、――すべての罪は自分にあると、そんなふうに考えていて……、うーん、『かたくなな感じ』って、いうのかな……?」

 ヤンイェンの印象を正確に伝えるのは難しく、ルイフォンは眉間に皺を寄せる。優しいメイシアは「無理しないで」と、やんわりと気遣いの眼差しを送ってくるが、これは重要なことだと思うのだ。

「どうもな、その発端だっていう『先王殺し』の件も、ちょっと訳ありっぽくてさ」

「え?」

「ヤンイェンが言うには、先王は、ヤンイェンに殺されるのが分かっていて、あえて抵抗しなかったらしいんだ」

 ルイフォンは、陰りを帯びたヤンイェンの面差しを思い返し、できるだけ忠実に再現できるよう、細心の注意を払いながら口を開いた――。



「私が、先王陛下を殺したことは事実だ。言い逃れをするつもりはないよ」

 蠱惑の音律で、ヤンイェンは、はっきりと告げた。

「だけど、先王陛下は……父は、私にわざと殺された。そうとしか考えられないんだ」

「なんっ……!?」

 ルイフォンは思わず大声で問い返しそうになり、慌てて口を押さえた。『ルイリン』として王宮を訪れている以上、驚愕の地声が隣室まで響くのは、絶対に避けねばならない。

 そんな彼に、ヤンイェンは微苦笑を漏らす。

「だって、そうだろう? 父は『〈神の御子〉の男子』だ。彼には、私の心が筒抜けなんだから」

「……!」

「あの力は、神話などではなくて、事実だよ。父にはいつも、心を見透かされているのを感じていた。……父も、自分が望む、望まないに関わらず、相手の心が読めてしまうことに苦しんでいたように思う。実際、王族フェイラの『秘密』を知る者たちからは恐れられ、疎まれていたからね」

「……」

 それは仕方のないことだろう。誰しも、心の内など読まれたくはあるまい。

 ルイフォンがそう思った瞬間、「ああ、そうだ」と、それまで苦しげだったヤンイェンの表情が、ほんの少しだけ和らいだ。

「そういえば、唯一の例外がイーレオさん――君の父君だと言っていた」

「はぁ? 親父?」

 何故、ここで父の名前が? と、首をかしげるルイフォンに、ヤンイェンは「ほら、〈悪魔〉の〈獅子レオ〉だったイーレオさんは、かつて教育係として、先王陛下に仕えていただろう?」と補足する。

「イーレオさんは『言葉を尽くさずとも、お前は、俺の考えを寸分の狂いもなく、正確に理解してくれる。これほど便利な力など、あるものか』と、よく父に言っていたそうだよ」

如何いかにも、親父らしいな。それ、親父にとって都合のいい点を挙げているだけじゃねぇかよ」

 なんともいえない顔でルイフォンが溜め息をつくと、ヤンイェンは、わずかに目元を緩めた。

「けれど、父は『その言葉に救われた』と笑っていたよ。そして、イーレオさんが、どれほどの思いで、鷹刀一族を〈冥王プルート〉の〈にえ〉となる運命から解放したいかを理解したから、イーレオさんのその願いを叶えたのだと言っていた」

「え……?」

「本当は、とうの昔に、技術の力で〈にえ〉は不要にできたんだよ。なのに、王家がいつまでも鷹刀一族を解放しなかったのは、王家だけが古い因習に囚われ続けるのは癪だから――という、非常に身勝手な理由だったんだ」

「それは、どういう意味だ?」

「王家は、如何いかなる手段を用いてでも〈神の御子〉を生み出し続ける。鷹刀一族は、〈冥王プルート〉のために〈にえ〉を捧げ続ける。――この国を支えるために、両家は共に等しくごうを負う……」

 ヤンイェンは唱えるように告げ、ふっと首を振った。

「すまない。話が横道にそれたね」

「あ、いや……」

 本題から離れているのは事実であるが、王族フェイラ側から聞く、王家と鷹刀一族の話は、それはそれで貴重だ。

「ともかくね、他人の心を見抜くという力は、人間を傲慢にする。歴代の王たちは、程度の差こそあれ、皆、横暴な気質の持ち主だったらしい」

 そこで、ヤンイェンは唐突に目線を上げた。話の途中で、いったいどうしたのかと、ルイフォンが訝しんでいると、天を仰ぐような仕草でヤンイェンは続ける。

「けれど、父は極めて異例な優しい気性だったと――母が言っていた。……母は、少なくとも父と、その前の王である彼女の父親、ふたりの王を知っている。まるきりの嘘ではないと思うよ」

 天空の住人となった亡き両親に向けて、ヤンイェンは切なげに笑う。

「……だからね。……父は、私にわざと殺された。私の怒りを、絶望を受け止めるために」



 そこまで語り終え、ルイフォンは、ぽつりと呟いた。

「ヤンイェンはさ、先王を殺したことを後悔しているんだろうな……」

「うん……」

 黒曜石の瞳を陰らせ、メイシアも静かに頷く。

「ごめんな、こんな話をして。……けど、ヤンイェンが現状をどう考えているのかの断片ヒントみたいな気がしてさ」

「ううん。とても大事な話だった」 

 メイシアはそう答えたが、彼女の顔を曇らせてしまったことに、ルイフォンの胸は痛む。

 彼はかぶりを振り、強制的に思考を切り替えた。できるだけ明るいテノールで「メイシア」と呼びかけ、王宮から帰ってから、ずっと考えていたことを打ち明ける。

「今回、王宮に行ってさ。俺は初めて、王族フェイラというものを間近で見た。……『見た』っていうか、『感じた』かな?」

 国の頂点に立つ、誰もが羨む立場であるはずの王族フェイラ。しかし、彼らとて、安寧な暮らしを送っているわけではなかった。

「今まで、ちっとも考えたことがなかったんだけどさ。実のところ『ライシェン』の選ぶ未来によって、一番、大きく運命が変わるのは、女王だ」

 白金の髪、青灰色の瞳の女王。

 まさに神の化身のような容姿を持ちながら、中身はただの女の子だった。

「女王には、威厳の欠片かけらもなかったけど、悪い子じゃなかった。一度、本人に会っちまったから、ってだけかもしれないけど、あの子に不幸になってほしくない――と思う」

「うん」

「彼女がこのまま、ヤンイェンと結婚するのかどうかは分からない。でも、誰と結婚しても、彼女には次代の王となる〈神の御子〉が必要だ。ならば数年後、成人して、摂政の庇護を離れた彼女に『ライシェン』を託す、というのも、ありなんじゃないかと思った」

「あ! 凍結保存されている『ライシェン』は、歳を取らないから……」

 メイシアの言葉に、ルイフォンは深々と頷く。

 何年も凍結状態のままというのは少し可哀想な気もするし、どのくらいの期間、凍結が可能なのかをミンウェイあたりに確認する必要はある。だが、悪い考えではないはずだ。

「あの女王なら、『ライシェン』を大切にして、可愛がってくれると思う。今は頼りないけど、将来に期待してさ。……それにな――」

 ルイフォンのテノールが、急に一段、音を下げた。にわかに険しい顔となった彼に、メイシアは、ごくりと唾を呑む。

「間近で女王を見て思った。先天性白皮症アルビノという外見は綺麗だけど、目立つ。この国で、『ライシェン』が平凡な子供として暮らすのは、はっきり言って難しい」

 現在、硝子ケースの中で、目をつむったまま眠っている産毛のライシェンは、色白の赤子といった感じだ。しかし、成長したら、明らかに『異色』となるだろう。常に、目と髪の色を隠さねばなるまい。あるいは、外国で暮らすことを検討すべきか。

「けど、女王の子供として生まれれば、『ライシェン』は外見を気にせず、のびのびと生活できる。彼のためには、そのほうが良いかもしれない。――勿論、まだまだ、よく考える必要はあるけどさ……」

 養父母を選ぶのなら、その相手はレイウェンとシャンリーで決まりだと考えていた。だが、女王に会って、気持ちが揺らいだ。

 ……とはいえ、未知数の女王に期待を掛けるのは無責任ともいえるため、ルイフォンの歯切れは悪い。おそるおそる、といったていでメイシアの反応を窺うと、彼女は、つぶらな目を見開き、白磁の肌をほのかに薔薇色に染めていた。 

「その案、素敵だと思う。だって、『ライシェン』が幸せになることを、一番に考えているもの」

「本当か!?」

 予想以上の手応えに、ルイフォンは腰を浮かせ、同時に胸を撫でおろす。

「女王陛下のお人柄が『普通の女の子』というのは、驚きだけど。……でも、そうよね。陛下は、まだ十五歳なんだもの。私の知っている、玉座に黙って座ってらっしゃるだけの陛下よりも、ルイフォンから聞いた陛下のほうが、ずっと自然だわ」

「ああ。かといって、摂政に萎縮して従っている、というわけでもないらしい。婚礼衣装は老舗の仕立て屋に任せるべきだ、と言った摂政を退けたくらいだから、我は強いんだと思う。そういう奴のほうがいいよな」

 帰りの車では、ユイランが『あんな娘が欲しかったわぁ』と、うっとりと溜め息をついていた。素直で、無邪気で、可愛いとのことだ。

 手放しで仕事を褒められたのだから、ユイランの機嫌が良いのは当然かもしれないが、女王が純粋であることは、ルイフォンも認める。

 ちなみに女王が最後に着ていた青いワンピースは、ヤンイェンの私費ポケットマネーによって買い取られた。

 ユイランは、見本サンプル品をサイズ直ししたものなどを陛下にお渡しするわけにはいかないと、断ったのだが、女王はユイランと楽しい時間を過ごした、記念のその服が欲しいのだと言い張った。同じデザインで新たに仕立て直すことも提案されたが、最終的には、公費を使わず、ヤンイェンの『異母妹いもうとへの個人的な贈り物』とすることで落ち着いた。

 そばで、やり取りを見ていたルイフォンとしては『ああ、面倒臭ぇ……』という、ひと幕であった。

「ルイフォン」

 鈴の音の声に呼ばれ、彼は、はっと思考を戻す。

 気づけば、向かいに座るメイシアが、凛とした眼差しで彼を見つめていた。

「今回の王宮行き、想像していたのと、だいぶ違った。でも、ルイフォンの話を聞いて思ったの。私たちは、確実に前に進んでいる、って」

「えっ……?」

 急に改まった様子の彼女に、ルイフォンは戸惑う。

「確かにね、ヤンイェン殿下とお会いしたからといって、今後の方針が決まったわけじゃない。でも、お話をしたことによって、私たちの視野が広がって、選択肢が増えた。これは、とても重要なことだと思う。――ルイフォンのお陰なの。ありがとう」

「いや。俺は、何も……」

 思わぬ感謝に虚をかれ、ルイフォンは慌てて首を振る。

 今日のことは、どう考えても満足な結果ではなかった。メイシアは気遣ってくれているのかもしれないが――と思ったとき、彼女は「ううん」と、鋭い声を響かせた。

「ルイフォン、胸を張って。思った方向ではなかったとしても、私たちは、ちゃんと『前に進んだ』の。その事実を認めなきゃ」

「!?」

 強い口調に、ルイフォンの猫の目が丸くなる。

「私たちは、もともと、セレイエさんの願いをそのまま叶えるつもりはなかった。……今日、ルイフォンが王宮に行って、それでいいんだと、心から思えるようになったの」

 細く高く、けれど、落ち着いた、まろみを帯びた声が彼を包む。

「だって、私たちは、これから、もっといい道を見つけていくんだから……!」

 遥かな高みを目指すかのように、彼女は、ぐいとおとがいを上げた。

 長い黒絹の髪がつやめき、さらさらと流れる。その姿は、あたかも、風を受けながらも毅然と前へと突き進む、戦乙女のよう。

 ……どんな結果であれ、常に、前へ前へと――未来へと進んでいるのだ。何故なら、過去に戻ることは、決してできないのだから。

「メイシア……」

 ルイフォンは、まるで惹き寄せられるように立ち上がり、椅子に座る彼女を背中から抱きしめた。

「……俺は、家を出たあとのセレイエのことを、何も知ろうとしなかった」

 唐突に落とされた言葉は、彼女には脈絡なく聞こえただろう。けれど、彼女は薄紅の唇を結び、黒曜石の瞳を伏せ――静かに耳を傾けてくれた。

「何かの情報を得ていれば、セレイエに手を差し伸べられた。子供ガキだった俺の力なんて、たかが知れていたけど、皆無ゼロじゃない。……俺には、『デヴァイン・シンフォニア計画プログラム』を――セレイエを止められる可能性チャンスがあったはずなんだ……」

 これは、心の何処どこかに、ずっと刺さっていた棘だ。今日、ヤンイェンと語ったことで、はっきりと意識した。

「過去は変えられない」

 後悔を吐き出すように、ルイフォンは告げる。

「だから、俺は未来を創る」

 彼を支えてくれる戦乙女に誓う。

 彼女の言う通り、最高の未来みちを選ぶと――。

 遠くで、風鈴が、ちりんと鳴った。

 軒先を抜ける風に乗り、ちりん、ちりんと繰り返す。

 涼やかな音色に鼓舞されるように、ルイフォンは覇気を込め、好戦的に口角を上げた。

「ヤンイェンの反応が、思っていたのと違うからって、ごねている場合じゃねぇよな。ヤンイェンの状況が分かったなら、それを踏まえて、更に次の道を模索する。――それが、俺のやるべきことだ」

「うん。ルイフォンは、ちゃんとそうしている。――でも」

 突然、彼女が意味ありげに語尾を強めた。心当たりのない彼は、「え?」と、うろたえる。

「ルイフォンは、ひとりじゃなくて、私も一緒なの」

 腕の中の彼女が、くるりと振り返り、ねたような上目遣いで口をとがらせた。

「あ、すまん。――『俺たち』のやるべきこと、だな」

 素直に謝る彼に、メイシアの顔は一瞬にして、極上の笑顔へと変わる。

「ルイフォン。今日は本当に、お疲れ様」

 澄んだ声が響いた。

 それから、不意をき――。

 薄紅の唇が、そっと彼のそれに重ねられた。



~ 第三章 了 ~

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