1.飄風の招来-4

 ハオリュウが、衣装の依頼の件で、草薙家を訪れた日の晩。

 ルイフォンは、この家の二階にある作業場に来るよう、ユイランに呼ばれていた。彼が『仕立て屋の助手』になるための服を見繕うためである。

 あの話し合いのあと、ミンウェイやクーティエなどは、すぐにもルイフォンの女装が見られるものだと期待していたようだが、当事者であるルイフォンが断固として拒否した。

 誰がこのんで、見世物などになりたいものか。

 険悪になりかけたルイフォンだったが、そこにメイシアがさっと割って入り、『ファンルゥちゃんと、おやつの約束がありますから』と、うまく話題を切り替えてくれた。さすが、最愛のメイシアである。

『ルイリン』の写真を大切にしている彼女が、本心では彼の艶姿あですがたを見てみたいと思っていたことは、ひしひしと伝わってきたが、それでも、気持ちを抑えてくれたことには感謝せねばなるまい。……どうせ、王宮に行く当日には、彼女に『ルイリン』を披露することになるのだから。

 ルイフォンは深い溜め息をつきつつ、作業場の扉を開ける。

 その瞬間、色鮮やかな衣装を身に着けた人形模型トルソーたちによる、華麗なる群舞が視界に飛び込んできた。賑やかな舞台に、思わず息を呑む。

 この部屋のことは、先ほどメイシアから聞いてきた。

 ユイランの作業場では、人形模型トルソーたちが生き生きと踊っている。しかも、その人形模型トルソーたちは、必ずしも恵まれた体型をしていない。太すぎたり、細すぎたり、高すぎたり、低すぎたり……。

 しかし、ユイランのデザインした衣装を身にまとえば、体型など些末な問題になる。絶妙な位置に切り替えが施され、あるいは優美なギャザーが加えられ、どんな素材の持ち主も、自然のままで、お洒落を楽しめる。

 それが、ユイランの目指すデザインなのだ――と。

「だからって、なんで、『男物のワンピース』なんてもんがあるんだよ!?」

 ルイフォンが部屋に入ってきたことに気づいたユイランが、うきうきと銀髪グレイヘアを揺らしながら現れ、さっそく花柄のワンピースを寄越してきた。その際に語られた能書きに、ルイフォンは間髪をれずに突っ込む。

「いつだったか、そういう依頼があったのよ」

 ユイランは、ふふっと笑いながら、誇らしげに答えた。とても喜ばれた仕事だったらしい。

「ああ、こんな需要もあるのね、と思って、それ以来、いろいろ研究しているの」

 楽しそうに衣装箱をあさり、ワンピース以外にも華やかな女性服――のように見えるものを次々に出してくる。

「それじゃあ、ここにある服を順に試してね」

「……俺が……着るのか?」

 分かりきっていることだが、問わずにはいられなかった。

「当然でしょう?」

「…………だよな」

「ほんの一時いっときの変装だし、王宮に行く日まで時間もないから、新調するのではなくて、既に仕立ててある服をルイフォンに合わせて直すのでよいわよね?」

「当たり前だ!」

 既製のものを手にしている今でさえ、鳥肌が立っているのだ。自分用に仕立てられたワンピースなど、考えただけでもおぞましい。

「ねぇ、ほら見て。その服、素敵でしょう? 実は、飾りボタンに工夫があってね」

 尻込みするルイフォンの様子は、火を見るよりも明らかなはずだ。しかし、ユイランは、にこにこと試着を強要する。

 その眼差しは無邪気な少女のようでいて、決してそんな可愛らしいものではなかった。上品な初老の婦人に見えるのは上辺だけ。彼女は、母キリファも一目いちもく置いた、まぎれもない鷹刀の血族なのだ。底知れぬ圧に押し切られ、ルイフォンは不承不承、袖を通す。

「ああ、可愛いわ!」

「『可愛い』って、なんだよっ!」

 ルイフォンは猫の目をとがらせた。だが、ユイランが瞳に涙をにじませていることに気づき、その先に続くはずだった文句を飲み込む。

「やっぱり、キリファさんに似ているわね……。その目と髪……、キリファさんにそっくりだもの。……懐かしいわ」

「ユイラン……」

 正妻と愛人という間柄でありながら、その実、ユイランがキリファを猫っ可愛がりしていたという話は本当だったのだろう。怒鳴って悪かったと、ルイフォンは素直に反省する。

 それに、この女装は、ルイフォンが無理を言って、助手として連れて行ってもらうための変装だ。王宮やら王族フェイラやらが関わる案件のため、下手をすればユイランの身に危険が及ぶことだってあり得る。彼女も好きでやっているわけではないのだ。

 ルイフォンが心を入れ替えていると、それまで、ハンカチで目頭を押さえていたユイランが、今度はワンピースと同じ花柄のヘアバンドを出してきた。ルイフォンが『何を?』と思っているうちに、彼の癖の強い前髪がまとめられる。

「目と髪は、キリファさん譲り。だから、ルイフォンは、本当にキリファさんによく似ているんだけど、顔全体の造りは、結構、鷹刀の顔立ちなのよ。……ほら、これでセレイエちゃんにそっくり。セレイエちゃんは鷹刀エルファン似だったものね」

「……」

 鏡を見せられて、ルイフォンは絶句する。

 セレイエにそっくり――というのはまごうことなき事実であった。しかし、それ以上に、鏡の中の我が身が……。

「可愛いでしょう!?」

「……」

「ヤンイェン殿下に、ひと目でセレイエちゃんの血縁だと気づいてもらえれば、話がスムーズだと思うの。ね? これなら、いけるでしょう? だって、凄く可愛いもの!」

 銀髪グレイヘアに負けず劣らず、ユイランの瞳がきらきらと輝く。

「ルイフォンが、こんなに可愛くなるなんて! デザイナー冥利に尽きるわ」

「……」

 間違いない。

 ユイランは完全に自分の趣味で、ルイフォンを玩具に楽しんでいる。

「…………」

 もう、どうにでもなれ。

『可愛い』なら『可愛い』ほど、潜入作戦の成功率は上がるのだ。――良いことのはずだ。

 服装については、ユイランに任せるのが一番。更に当日は、彼女と仲良しの美容師が、化粧と髪型を整えてくれるらしい。何も心配は要らない。専門家プロに任せればいい。余計なことを考えてはいけないのだ。

 ルイフォンは心を無にして、嵐が過ぎるのを待った。



 苦行から、やっと解放されたとき、ルイフォンは精根尽き果てていた。

 結局、何着試したのかも覚えていない。

 一方のユイランは、結い上げられた銀髪グレイヘアは乱れ、決して若くはない美貌には、濃い疲れが見えていたが、遊び倒したかのような満足げな笑顔を浮かべていた。

 ユイランの作業場をあとにして、ルイフォンは居候をしている部屋に向かう。シャンリーの手伝いをしていたメイシアも、きっと、もう戻っていることだろう。

 衣装合わせは屈辱であったが、ひとつだけ収穫があった。

 昼間、密かに思いついた、メイシアに婚約指輪を贈る件について、ユイランから良い助言アドバイスを貰えたのだ。

 指のサイズが分からなくても、あとから直せるので、サプライズで贈ることが可能らしい。もと貴族シャトーアのメイシアなら、おそらく贔屓の宝飾店があっただろうから、そこを当たってみるとよいだろう。ハオリュウに、それとなく訊いてみるといい。来店の際の服装ドレスコードなら任せてほしい。高級店であることは間違いないはずだから――などなど。

 何故、そんな話になったのかといえば、メイシアが『お守り』と思い込まされていたペンダントがきっかけだ。

 あのペンダントは、ルイフォンの中に眠る『ライシェンの記憶』への目印として、ホンシュアがメイシアに持たせたものだった。本来の持ち主はセレイエであるため、家宅捜索が行われる鷹刀一族の屋敷に置きっぱなしにするのは危険かもしれないと、草薙家に持ってきていたのだ。

 セレイエが、いつも身に着けており、彼女の胸に抱かれた赤子のライシェンも知っているもの。そして、『ヤンイェンが、セレイエに贈ったもの』だ。

 ヤンイェンにとって馴染みの品であるなら、今回の王宮行きで使わない手はない。

 セレイエに似た容姿の『仕立て屋の助手』が、セレイエのペンダントを着けて現れれば、ヤンイェンに対して、『セレイエの縁者が会いに来た』という無言の合図メッセージになるだろう。

 そんなルイフォンの提案に、ユイランは「ならば、当日に着る上衣トップスは、少し襟ぐりの広いものがいいわね」と相槌を打った。

「メイシアさんが着けていたペンダントなら、見覚えがあるわ。私と初めて会ったとき、がちがちに緊張していた彼女が、気持ちを鎮めるように必死に握りしめていたのよ。――それは、『お守り』と思い込まされていたからだったのね」

 ユイランは得心したように呟き、それから、切なげに瞳を陰らせた。

「本当は、ヤンイェン殿下からセレイエちゃんへの贈り物……。たぶん、婚約指輪の代わりだったんだと思うわ」

「え?」

「あの石は、かなり高価なものよ。ペンダントじゃなくて、指輪にして贈りたかったはず。でも、殿下には、お立場があったから……」

 湿っぽいことを言ってごめんなさいね、と、ユイランは静かに付け加えた。その言葉に、ルイフォンは、なんと返したらよいのか分からなかった。

 ルイフォンとメイシアの間にも、身分の差があった。

 けれど、彼女がすべてを捨てて、彼のもとに飛び込んできてくれたから……。

 ――メイシアに、指輪を贈ろう。

 改めて、そう決意する。

 独占欲からではなくて、彼女への愛と感謝を込めて。

 そろいの指輪の交換は、メイシアが婚礼衣装を着たときに。

 だが、その前に、想いの証を彼女に贈る――。



「おかえりなさい、ルイフォン。……その、お疲れ様」

 足音を聞きつけたのか、彼が扉を開けるよりも先に、メイシアが部屋から飛び出してきた。

 彼女は、鷹刀一族の者たちのように、気配に敏感ということはない。おそらく、ずっと聞き耳を立てて待っていたのだ。

 気遣うような、遠慮がちな上目遣いで、彼女が見上げてくる。不本意な女装をする羽目になった彼を心配しているのだろう。黒曜石の瞳が、不安げに揺れていた。

「ただいま」

 すべて顔に表れている彼女が可愛らしくて、ルイフォンの口元が自然に、ほころぶ。

 彼の笑顔に、彼女は戸惑いを見せた。彼の口からは、文句や愚痴のひとつも出てくるに違いないと、身構えていたのだろう。実際、彼自身、少し前までは不平不満の塊だったと思う。けれど、彼女を前に、そんな感情は吹き飛んでいた。

「今回の王宮への潜入作戦。準備は万端だ。俺はヤンイェンに会って、きっちり話をしてくる」

「ルイフォン……?」

「ちょっと、外の風に当たろうぜ?」

 きょとんと目を丸くするメイシアの肩を抱き寄せ、ルイフォンは夜の庭へといざなう。

 星空に支配された世界は、夏の虫たちの歌声で彩られているにも関わらず、どこか静けさが漂っていた。軒の風鈴の音色が涼やかに響き、空調に慣れた素肌には、蒸し暑く感じるはずの外気を冷涼なものに変えていく。

「あの星のどれかが、クーティエの弟か妹なんだよな」

 草薙家に厄介になって少し経ったころ、ルイフォンとメイシアは、シャンリーにそんな告白をされた。ちょうど今と同じような、星降る夜の庭でのことだ。

 流産亡くした子供の代わりにするわけではない。けれど、もし運命が巡ってきたならば、『ライシェン』は草薙家うちの子になるといい。うんと可愛がってやる。――シャンリーはそう言ってくれた。

「オリジナルのライシェンもさ……、きっと、あのへんにいるんだろうな」

 ルイフォンは、空に向かって大きく手を伸ばす。

 唐突な彼の仕草は、メイシアにとって疑問でしかなかっただろう。しかし、彼女は静かに「うん」と頷き、彼に倣うように両手を広げて星空をいだいた。

 星明かりに照らし出される、彼女の細く、まろみのある姿シルエットに、彼の心臓がどきりと高鳴る。

 彼とはまるで違う、華奢な肢体はもろく、儚げで。

 けれど、彼女は見えない翼で、天上の世界から、たったひとりで、地上の彼のもとに舞い降りてきてくれた。――彼だけの戦乙女だ。

 綺麗だ。

 この目に幾度、彼女の姿を映そうとも、そのたびに魅了される。

「なぁ、メイシア」

 彼の呼びかけに、空を仰いでいた彼女が、ふわりと振り向く。不思議そうに小首をかしげながら、花のかんばせが淡く微笑む。

「俺は、凄く恵まれている。お前がそばに居てくれて、俺は幸せだ」

 深いテノールが夜闇に解けた。

 その声色だけで、メイシアには伝わってしまったらしい。彼女は、肌が触れ合う距離にまで近づいてきて、細い声で尋ねる。

「ルイフォン……。ヤンイェン殿下と……、セレイエさんのことを考えていた?」

「ああ」

 言い当てられた驚きと共に、さとい彼女を腕に抱きしめ、ルイフォンは肯定する。

「セレイエも、ヤンイェンも、今の状況なんか望んでいなかったはずだ。――けど、起こっちまったことは、もう変えられない。だから、俺は、『ライシェン』とヤンイェンに、少しでも幸せな未来が訪れるように……」

 そこまで言ったとき、メイシアの手が言葉を遮るように、ルイフォンの髪をくしゃりと撫でた。そして、彼女は凛と告げる。

「『私たち』は、『ライシェン』とヤンイェン殿下に、できる限りのことをするの。――ふたりで、一緒に」

「そうか。……そうだよな」

 虚をかれたようなルイフォンの呟きのあとで、ふたり同時に破顔する。

 澄んだ風鈴の音が重なり、葉擦れのざわめきが連なる。揺れる枝葉が、鷹刀一族の庭のあるじである桜の大樹を彷彿させた。

「よし、決めた」

 好戦的に口角を上げたルイフォンに、『どうしたの?』と、メイシアの目線が問う。

「『デヴァイン・シンフォニア計画プログラム』の決着は、できるだけ早くつける。遅くても、来年の春に。桜の花が咲くよりも前に、だ」

「……え?」

「『ライシェン』に幸せを贈って、そして、俺たちも幸せになる」

「!」

 メイシアが息を呑んだ。黒曜石の瞳が見開かれ、長い睫毛まつげが震える。

「ハオリュウが、お前の婚礼衣装をユイランに頼んでいるだろ? 親父さんの喪が明けたら、鷹刀の桜の下で式を挙げるように、ってさ。――そのとき、約束していた指輪の交換をしよう」

 それよりも前に、婚約指輪を贈るつもりであるが、そちらは秘密サプライズである。

 けれど、そんなルイフォンの内心を知らないメイシアは、さっと顔色を変えた。

「私が昼間、ミンウェイさんと緋扇さんの指輪に動揺していたから、ルイフォンは気にして……」

「違う、違う! そうじゃなくて、俺も正直、あのときは動揺というか、先を越されたと思った。――けど。俺たちは、『ライシェン』のことが落ち着いたあとで、『皆に囲まれた中で』が、ふさわしいんじゃねぇかと考え直してさ」

 ルイフォンが癖の強い前髪を掻き上げながら弁解すると、がら空きになった彼のふところにメイシアがそっと体を預けてきた。

「うん。私も、それがいいと思う」

 自分から抱きつくことに、ほんの少し照れながら、彼女が彼の背に手を回す。腕の中から向けられた極上の笑顔に、彼の心が満たされていく。

「ありがとな」

 ――俺のそばに、居てくれて。

 ふたりでいる幸せが、星空の果てにまで広がっていくのを感じながら、ルイフォンはメイシアに口づけた。

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