1.飄風の招来-2
女王と
その話を聞いたとき、エルファンも随分、変わったものだと、ルイフォンは感嘆の息を
今回の依頼は、『王宮から、
「それで、ハオリュウが明日、
レイウェンから知らせを受け、ルイフォンは尋ねた。
「ああ。ハオリュウさんはまだ、私との決闘の傷が癒えていないし、身分からしても、
ルイフォンはともかく、表向きは死んだことになっているメイシアは、実家に近づかないほうがよいと、ハオリュウは判断したのだ。……もっとも、自分が草薙家に出向けば、クーティエに逢える、という思惑もあるだろう。
「ハオリュウの奴、まだ車椅子なんだよな? その体で来てもらうのは、ちょいと悪い気がするけど、正直なところ助かる」
ハオリュウは『この負傷は、決闘の証。僕にとって大事なものですからね』と言って、シュアンの怪我の完治に使った〈
「私は、もう少し、手加減をするべきだったかな?」
「そんなことはねぇだろ。あいつは満足だったと思うぜ」
顔を曇らせるレイウェンを、ルイフォンは笑い飛ばす。
ハオリュウを買っているからこそ、レイウェンは、後遺症の残らないギリギリのところまで相手をしたのだ。それが分からないハオリュウではないだろう。
そして、翌日となり、ハオリュウが草薙家を訪れた。
待ちかねていた呼び鈴に、「私がお迎えに行くわ!」と、クーティエが軽やかに身を翻した。両脇で結い上げた髪が、流れるようにあとを追う。その根本を彩るのは、
クーティエが席を立つのと同時に、メイシアとシャンリーが、冷たい飲み物を取りに台所に向かう。
ルイフォンは、応接室の端のソファーで待機である。
ヤンイェンについて話をしたくて、うずうずしているところだが、まずは
故に、部屋の中心にいるのは、社長のレイウェンと、仕立てを任されたユイラン。
やがて、和気あいあいとした幾つもの人の気配が近づいてきて、クーティエの「どうぞ」という声と共に扉が開かれた。廊下からのの熱気と、軒に吊るした風鈴の澄んだ音色が、客人を先導するように流れ込んでくる。
「ようこそ。お待ちしておりました」
レイウェンが席を立ち、深々と頭を下げた。
「いえ、こちらこそ。お会いできるのを楽しみにしておりました」
車輪の
「!」
ルイフォンは息を呑んだ。
手押しハンドルを握るシュアンの左手に、白金の指輪が光っていたのだ。
思わず声を上げそうになったが、すんでのところで、口を大きく開けるだけに
「……」
先を越された。
ハオリュウ一行のあとから、案内をしてきたクーティエと、廊下で一緒になったらしいメイシア、シャンリーが入ってきた。
どうやら、女性陣の間では、既に白金の指輪は話題になっていたようで、華やかな興奮に包まれた、妙な空気が漂っている。そして、メイシアのトレイの上では、アイスティーに浮かべられたミントの葉が、落ち着きなく揺れていた。
メイシアの背後のシャンリーが、ルイフォンに向かって意味ありげに口角を上げる。
「……っ」
指輪なら、メイシアと贈り合う約束をしているのだ。だが、いろいろあって、先延ばしになっているだけで……。
……ひょっとして、交換する用とは別の指輪を贈ってもよいのではないだろうか? いわゆる婚約指輪というやつだ。豪華な宝石の付いた……いや、普段から身に着けてもらいたいから、それよりもメイシアに似合う、清楚でシンプルなものを……。
それまで、ヤンイェンのことで、いっぱいだったルイフォンの頭が、メイシア一色に染まっていく。
思考が異次元へと飛んでいき、彼にとって退屈なだけと思われた、ハオリュウとレイウェンによる仕事上のやり取りは、まったく耳に入ってこなかった。彼はただ、隣に座ったメイシアの左手を無意識に引き寄せ、まるでサイズを測るかのように、指先で彼女の薬指の付け根を挟み込んでいた。
「ルイフォン?」
耳元で聞こえたメイシアの声に、ルイフォンは、はっと我に返った。気づけば、皆がルイフォンに注目している。
「お待たせしてすみませんでした。レイウェンさんとの契約は終わりましたよ」
快活に告げたハオリュウの目線は、メイシアの薬指を摘まむルイフォンの手に落とされていた。その眼差しには、どことなく憐れみが混じっている。
ルイフォンは反射的に視線をそらし、気まずげに手を引っ込める。
ともかく、今はヤンイェンとの接触についての相談だ。「こほん」という、わざとらしい咳払いと共に、意識を現状へと戻し、ルイフォンは口火を切った。
「『ライシェン』の未来を決めるため、俺はずっと、ヤンイェンと話をしたいと思っていた。けど、
ルイフォンの前置きに、皆が思い思いに頷く。
「それが今回、衣装の依頼を受けたことで、仕立て屋のユイランが、王宮でヤンイェンと対面できることになった。この
そこまで言うと、名を挙げられたユイランが、すかさず口を開いた。
「私が手紙を預かって、そっとヤンイェン殿下にお渡しするのでどうかしら? メイシアさんの話では、ヤンイェン殿下は、意図的に私を指名した可能性が高いのでしょう? ならば、手紙を渡されても、騒ぎ立てることはないと思うの。そもそも、殿下は私が『鷹刀』であることをご承知のはずだし、私とセレイエちゃんは似ているから、信用してくださると思うわ」
仮縫いなどの衣装の進捗に合わせ、ヤンイェンとは何度も顔を合わせることになる。だから、その後も手紙の受け渡しはできる。あるいは、携帯端末の番号を交換できれば、直接、ルイフォンとヤンイェンとで話し合うことができるだろうと、ユイランは続けた。
ユイランの意見は、素直な策だ。
少し前であれば、無理のない、堅実な案として採用していたかもしれない。
しかし、ルイフォンは「すまん」と、ユイランに頭を下げた。
「申し出は有り難いし、初めは俺も同じように、ユイランに橋渡しになってもらうことを考えた。――けど、ここは、やはり、俺自身が王宮に乗り込み、ヤンイェンと会うべきだと思う」
好戦的なテノールが響き、応接室が一瞬、静まり返る。
だが、次の瞬間には、ざわめきが場を支配した。例外は、あらかじめルイフォンと話し合っていた、メイシアだけだ。
「ルイフォン、それはつまり、何かしらの理由をつけて、ユイランさんに同行したいということですか?」
ハオリュウの問いに、「そういうことだ」と、ルイフォンは首肯する。
「『ヤンイェンは、俺たちの『敵』になるかもしれない』って、お前に指摘されてさ。確かに、その通りだと思った。――そういう相手なんだ。だから、この目できちんと、彼の人となりを確かめておきたい」
セレイエは、死んだライシェンの記憶を手に入れるために命を落とした。けれど、〈天使〉のホンシュアが死に、メイシアを〈天使〉にするつもりがない以上、ルイフォンの中に眠るライシェンの記憶は、永遠にそのまま――つまり、無駄になる。
それを知ったとき、ヤンイェンはどんな反応を示すのか。
『ライシェン』にオリジナルの記憶がなくてもよいと言うのか。それとも、どんな手段を使ってでも、『ライシェン』に記憶を入れようとするのか。
ヤンイェンの出方で、ルイフォンの今後も変わる。
「瀕死のセレイエから、ヤンイェンが何を聞いたのかは分からない。けど、『デヴァイン・シンフォニア
ルイフォンは、ぐっと拳を握りしめた。
セレイエの我儘のために、メイシアの父親は死んだ。シュアンの先輩も、名も知らない巨漢も、〈
セレイエには命を掛けて、ルイフォンとメイシアに『デヴァイン・シンフォニア
けれど、ふたりは決して、セレイエの願いを叶えない。
「ヤンイェンは、『デヴァイン・シンフォニア
「重要な話だから、多少の無理や危険を犯してでも、ルイフォン自ら、ヤンイェン殿下にお会いしたい――ですか」
ハオリュウの口調は重かった。仕立て屋ならともかく、それ以外の者を王宮に連れていくのは困難だということだろう。そんな
「ハオリュウ。本当は私も、ルイフォンと一緒に行きたいの。けど、死んだことになっている私は、顔を知られている王宮に足を踏み入れるわけにはいかない。だから、ルイフォンだけでも同行させてほしいの。あなたは『仕立て屋を仲介した
訴えかけるメイシアに、ルイフォンも続く。
「ちょうどいい、って言ったら悪いんだけどさ。今のお前には、車椅子が必要だ。だから、シュアンの代わりに、俺を介助者として連れて行ってほしい」
これが、メイシアとふたりで話し合った方法だ。
正直に言えば、ルイフォンが介助を務めるのは、多少の無理がある。
いくら一人前のつもりでも、年齢的には、ルイフォンはまだ『子供』だ。
「姉様、ルイフォン……」
ハオリュウが目を
そして、なんとも困惑の表情で告げる。
「今回、僕は『王宮に出向かなくてよい』と言われています」
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