8.星霜のことづけ-2

 とんとん、という控えめなノックの音に、ルイフォンはベッドを飛び起きた。

 メイシアだろう。

 話したいことがある、と彼女は言っていた。

 どことなく思いつめた様子に見えたのは、昼間の――ユイランから聞いたことと関係があるからに違いない。

 表情のすぐれない彼女が心配で、今すぐ話してほしいと迫ったのだが、申し訳なさそうな顔で断られてしまった。夕方から夜に掛けて忙しくなるメイドたちの手伝いをしたい、とのことだった。

 メイシアは、この屋敷の正式なメイドではない。けれど、メイドの仕事に責任と矜持と、そして喜びを感じているらしい。そんな彼女のことは誇らしいし、尊重したいと思う。

 だから、手伝いが終わったら、と約束していた。仕事部屋か自室のどちらかにいるから、と。

 遠慮がちに扉が開かれ、メイシアが顔を覗かせた。

 片手で器用にトレイを持ち、片手でドアノブをひねっている。少し前の彼女には出来なかった芸当だ。

 無精者のルイフォンは部屋の扉に鍵は掛けないし、ノックされたところでまず出迎えることはない。気にしないから勝手に入ってきてくれ、という姿勢である。

 育ちの良いメイシアは初めこそ戸惑っていたが、今ではすっかり慣れっこになっていた。

「ルイフォン。寝ていたの?」

 ごめんなさい、と言わんばかりの、首をすくめた上目遣いで彼女はテーブルにトレイを置く。そこには、彼が食べはぐっていた、よもぎあんパンが載っていた。

 夜食にと持ってきてくれたのだろう。温め直してくれたのか、ほんのり湯気が立っている。その気遣いが嬉しい。

「いや、頭がパンクしかけたから、横になっていただけだ」

 寝転がっていたためか、いつも以上にくしゃくしゃになっている癖っ毛を乱暴に手で整えながら、彼は席に着いた。

 濃いめの緑茶を淹れるメイシアの、すっかり手慣れた動きを頼もしげに眺める。よもぎあんパンの皿はひとつしかないから、夜食が入り用なのは彼だけのようだ。

 遠慮なく手を伸ばし、「美味い」と率直な感想を言うと、いつの間にか真剣な眼差しで彼を見つめていた彼女の顔が、花のようにほころんだ。彼の胸にも、優しい温かさがふわりと花開く。

「メイシア。今日も一日、お疲れ様」

 思わず、そんな言葉が口をついて出た。

 彼女は驚きに瞳を瞬かせ、そして照れたように頬を染める。

「ありがとう。ルイフォンも、お疲れ様」

「ああ、そうだな。俺も、凄く疲れた」

 ルイフォンは微笑み、猫のようにぐっと伸びをする。金色の鈴が、彼の背中を滑った。彼らをひやかしているようでもあり、見守っているようでもある。

「どうしたの? 急に」

「『お疲れ様』ってさ、いい言葉だよな。なんか、無性に言いたくなった。――というか、こういうのは毎日、言うべきだな」

 とても些細なことだけれど、毎日、頑張っている彼女に感謝とねぎらいを――。

 今まで気づかなかったのが、愚かしい。まだまだ未熟者だと痛感する。

 そんなことを考えたのは、メイシアの花嫁姿を見たからだろうか? 日々、互いを認め合って生きていきたい、そう思ったのだ。

 柔らかな顔で目を細めるルイフォンを、メイシアは不思議そうに見つめている。

 和やかなひととき。永遠に続いてほしい時間。

 ――けれど、いつまでもこうしているわけにはいかない。

 この雰囲気を壊すのは本意ではないが、彼女が改まって『話がある』というほどの何かがあるのだ。

 おそらく、あまり良いことではないのだろう。彼女の口が緊張で固まってしまうよりも前に、彼のほうから水を向けるべきだった。

「それで、話というのは?」

 メイシアの表情が、一瞬にして凍りついた。そうなると分かっていたので、ルイフォンは何気なさを装い、平然を保つ。

 彼女はうつむき、手の中の湯呑みに視線を落とした。

「私……、ルイフォンに、謝らなければいけないの……」

「謝る?」

 予想外の言葉に、彼はおうむ返しに尋ねる。

「以前、私がルイフォンに『隠しごとはしないで』って、言ったの。覚えている?」

「え? あぁ……? ……すまん。まったく覚えてない」

 ルイフォンが困ったように前髪を掻き上げると、「そうだと思った」という苦笑混じりの声が、メイシアの湯呑みに緑色のさざ波を立てた。

「私が鷹刀に来た翌日、『私の実家が斑目と裏取り引きをしていた』という情報をルイフォンは隠したの。私が傷つかないように、って。でも、私はシャオリエさんを通して知ってしまって……」

「それで、『隠しごとはしないで』か?」

 こくりと、メイシアが頷く。

「身勝手な、一方的なお願いだったと思う。あのときの私たちは、まだ他人も同然だったのに。でも私は、あのときからルイフォンを好き……」

 メイシアが、はっと息を呑んだ。

 顔は伏せていても、黒髪の隙間から白い耳朶が染まっていくのがはっきりと分かった。顔はもっと真っ赤になっていることだろう。

「あっ、あの……。今、言いたいことは、そういうことじゃなくて……」

 自分で言っておきながら、慌てふためくさまが可愛いらしい。

「ありがとな、嬉しい」

 顔のにやつきが止まらない。恥ずかしがり屋のメイシアは、めったに甘い言葉を口に出してくれないから――。

 もともと、彼が半ば押し切るようにして、無垢な貴族シャトーアの彼女をかっさらった、という自覚がある。決して無理強いをしたつもりはないが、自信家のルイフォンだって、たまには不安になる。だから、青天の霹靂だった。

 浮かれ気分のルイフォン。――しかしメイシアは、彼の楽しげな様子を全力で否定するように、激しく首を横に振る。

「ごめんなさい、ルイフォン。本当に、ごめんなさい」

「どうしたんだよ?」

「私、ルイフォンには『隠しごとしないで』と言ったくせに、私自身が隠しごとをしたの」

 脅えた小鳥のように体を丸めるメイシアを、ルイフォンは困った顔で見つめた。

 どうせ彼女のことだ。隠しごとなどと大げさに言ったところで、彼にとっては本当にどうでもいいような、極めて些細なことに違いない。

「別に俺は気にしないけど、とりあえず言ってみろよ。そうすれば、すっきりするだろ?」

 苦笑交じりのルイフォンに、メイシアが頷く。

「……ルイフォンに内緒で、イーレオ様とお話したの」

「え?」

「キリファさんが亡くなったあとのルイフォンの行動に、違和感があったの。――ルイフォンが、お母様の仇を探そうとしなかったことが、私には奇妙に思えたから」

「……っ!」

 ルイフォンは耳を疑った。まるで想像もしなかった話が、メイシアの口から流れ出ていた。

「私は、キリファさんが〈天使〉の能力を使って、ルイフォンの記憶を改竄したのではないか、って考えた。ルイフォンが危険に走らないようにするために、お母様のキリファさんは、息子であるルイフォンの復讐心に蓋をした。――そのことに関して、イーレオ様にご意見を伺ったの」

 ルイフォンの唇は、驚きの形を保ったまま動きを止めていた。

 母の『手紙』を受け取ったとき、彼もまた母の死の真相を調べようとしなかった自分に、違和感を覚えた。その疑問が氷解していく。

「イーレオ様も、おそらくそうだろう、って」

「そう、か……。でも、どうして母さんは……?」

 それはメイシアに尋ねても仕方のない質問のはずだった。けれど聡明な彼女は、その答えも既に考えついていた。

「亡くなる直前のキリファさんがルイフォンの記憶を改竄したのなら、それはつまり、ルイフォンは見てはいけないものを見たんだと思う」

「俺は、母さんの仇の顔を見ている……!?」

「たぶん……。そして、イーレオ様はキリファさんを殺害した相手を知っている。けれど、イーレオ様には簡単に手を出せない相手で、手を出しあぐねている間に別の人が殺したって……」

「なんだよ、それ!? 何処のどいつだよ!」

 母の仇と、その仇を殺した相手。知らない情報が錯綜し、ルイフォンを翻弄する。

「ごめんなさい。教えてもらえなかったの。イーレオ様は、『触れてはいけないものに、触れてしまう』って」

「どういうことだ!?」

 ルイフォンはまなじりを吊り上げた。しかし、メイシアは苦しげに首を振る。

 そして、彼女はゆっくりと顔を上げた。

 長い黒髪が、さらさらと流れた。蒼白な表情があらわになる。いつもは凛と美しい黒曜石の瞳が、心細げに揺れていた。

「イーレオ様は『俺は〈神〉には逆らえない』とも、おっしゃった。それって、つまり……」

 メイシアは一度、息を止め、それから一気に吐き出した。

「――イーレオ様が〈悪魔〉だ、ってこと」

「!」

「イーレオ様のお話を繋ぎ合わせると、キリファさんは〈七つの大罪〉の頂点に立つ〈神〉という人に殺された。そして、〈悪魔〉のイーレオ様には仇を討てなかった――そういうことになるの……」

 言葉を、失う。

 かつて、母キリファが言っていた。

 ――〈悪魔〉は『契約』によって〈神〉に逆らえない。『呪い』が掛けられているから……。

 今なら『呪い』の正体が分かる。〈天使〉による脳内介入――逆らえば、捕虜にした巨漢のように死を迎えるということだ。

「記憶の改竄は、キリファさんの思い――願いだから、ルイフォンには隠しておくべきだと思ったの」

「メイシア……」

「でも、ひとつ隠しごとをしたら、イーレオ様とお話したことを――イーレオ様が〈悪魔〉と気づいたことも、隠さなくていけなくて。そうすると、その先も、きっともっと……。そんなの嫌。私はルイフォンには隠しごとをしたくない……」

 メイシアの細い指が、こぼれかけの涙を拭った。

 彼女はうつむき、長い黒髪がテーブルに落ちる。さらさらと、顔を覆い隠していく。けれど小刻みに震える肩が、彼女の泣き顔を如実に語っていた。

 ルイフォンはそっと席を立った。メイシアの背後に回り、すべてを包み込むようにして彼女を抱きしめる。

 腕の中にすっぽりと収まった彼女の体が、動きを止めた。けれど、それは安堵のためではなくて、緊張からくるものだと、筋肉の強張りから知ることができる。

「ルイフォン……。私はずるい、汚い。思っていることをすべて打ち明ければ、こうしてルイフォンに抱きしめてもらえるって、信じていた。そんなこと、考えていたつもりはないのに、でも、心の何処かで絶対に思っていた」

 ルイフォンは口元をほころばせ、メイシアにほんの少しだけ体重をかけた。頼るように、甘えるように、寄り添うように……。

 そして、静かにテノールを響かせる。

「別に、それでいいんじゃないか? お前がそれだけ思いつめていることに、俺はちっとも気づかなかった。だから、これは俺の後悔と感謝。結局のところ、お前が俺のことを好きだってだけだろ?」

 メイシアの華奢な肩が更に小さく縮こまり、細いうなじがわずかに首肯する。彼女の小さな意思表示をしっかりと受け止めたルイフォンは、猫のような目をにやりと細めた。

「ああ。でも、お前は気にしているようだから、罰は与えておこう」

「え?」

 急に声色の変わったルイフォンに、メイシアが身構える。けれど、彼は容赦しない。黒髪に顔をうずめ、首筋に唇を這わせながら耳たぶを探し出す。

 柔らかな耳朶を軽く噛み、声すら出せずに固まっている彼女にそっと囁いた。

「俺のことが好きなら、ちゃんと口に出して好きだと言ってくれ」

 華奢な体が、びくりと震えた。

 彼女の首元に回った彼の手に、白い手が触れる。彼にしがみつくかのように、細い指先に力がこもった。

「……す、好き。ルイフォンが、好き」

「俺も、メイシアが好きだよ」

 彼女の全身がかっと熱を持つのが、服越しにもはっきりと分かった。上気した肌が妖艶な香りを放ち、彼を眩惑げんわくする。高鳴る鼓動の波が響き渡り、彼も共に揺られていく。

 彼女が腕の中にいる興奮――けれど、心地の良い安らぎ。相反するはずのものが同時に存在する。それが、彼にとっての彼女だ。

「ずっと、ひとりで考え込んでいたんだろ? 辛かったな」

 ルイフォンは、メイシアの黒髪をくしゃりと撫でる。

「ごめんなさい……」

「謝ることないだろ?」

「…………どうして、イーレオ様はっ……!」

 震えるメイシアに、ルイフォンはくすりと笑みをこぼした。イーレオが〈悪魔〉だと知れば、彼女なら心を痛め、悩み、ふさぎ込んでしまうのも当然だ。

 けれど、彼には父の思考が理解できた。

「昔の鷹刀を考えれば、親父なら迷うことなく〈悪魔〉になる。俺が同じ立場でも、そうするからな」

「えっ!?」

 メイシアの体が跳ねる。

「〈悪魔〉になって内部にいたほうが、〈七つの大罪〉の情報を手に入れやすいからだ。奴らのことを詳しく知らなければ、奴らにどう対処したらいいのか分からないだろう?」

「あ……!」

「かといって、慕ってくれる部下に〈悪魔〉と知られたら、裏切られたと思われるかもしれない。だから、親父は秘密にしていたし、今も秘密にしている。そんなところだろう」

「あぁ……」

 触れ合った体から、メイシアの心がほぐれていくのが分かる。

「まったく、親父もひでぇな。母さんが〈天使〉だ、って話が出たときに、自分のほうは〈悪魔〉だと、言ってくれりゃあよかったのに。なんで黙ってやがった、あの糞親父!」

 変に隠したせいで、メイシアを不安にさせたのだ。吊し上げの機会を設けてやる、とルイフォンが息を巻く。

 そんな彼に押されながら、メイシアはおずおずと口を開いた。

「イーレオ様が黙ってらしたのは、そのときの私たちが『昔の鷹刀』を知らなかったからだと思う。私たちに疑惑の目で見られたくないから……。だから、あのお話のあと、イーレオ様は私をユイラン様に引き合わせたの。……たぶん」

「なるほどな」

 思えば、過去の鷹刀一族のことは、父イーレオをはじめ、年寄り連中はあまり言いたがらない。思い出したくないのだろう。だから、隠す。

 その頑なな気持ちを、メイシアが動かした。何を言ったか知らないが、彼女の言葉が父の心を動かしたのだ。

 ――さすが、俺のメイシアだ……。

 彼女が落ち着いてきたようなので、ルイフォンがすっと一歩離れれば、その背には見えない翼が見えた。

 鳥籠の中しか知らなかった彼女は、この翼を懸命に羽ばたかせ、すべてを捨てて彼のもとに飛び込んできてくれた。そして今も、彼と、彼の大切にしている者たちのために心を砕き、翼を広げて守ろうとしてくれている。

 彼も、彼女の家族を大切にしたいと思う。近いうちに、ハオリュウに花嫁衣装の礼を言いに行きたい。それから、メイシアの継母のお見舞いにもまた行きたい。

 けれども、その前に――。

 彼は、『彼のもうひとりの家族』のことをメイシアに言わなければならなかった……。

 ルイフォンは、メイシアの向かいの椅子に戻り、彼女を正面から見据えた。

「メイシア」

 不意に名を呼ばれ、彼女はきょとんと首を傾げる。

「〈天使〉のホンシュア。彼女は、たぶん〈影〉だった。だから、ホンシュアは死んでしまったけど、中にいた人物は別のところにいる」

「え? ええ……」

 それは分かっていたけれど、どうして急にそんな話を? と彼女の目が言っている。

「セレイエだ」

 メイシアは、瞳を瞬かせた。一度で飲み込むには、あまりに唐突な話だったようだ。

「ホンシュアは、セレイエだ」

「えっ!? ――あぁ……」

 セレイエは、ルイフォンの異父姉で、リュイセンの異母姉。ふたりに共通した『姉』。

 ルイフォンとリュイセンのふたりを知っていて、親しげに、懐かしげに話しかけてきたホンシュア――セレイエをおいて、該当する者など他にいない。

「母さんとユイランの仲が悪いと思い込んでいたから、セレイエとリュイセンに面識があることをすっかり失念していた」

「あ、うん。リュイセンとセレイエさんは、子供のころ一緒に遊んだって。レイウェン様やシャンリー様とも。とても仲の良い兄弟姉妹きょうだいだったみたい」

 シャンリーとセレイエがいたずらを仕掛け、レイウェンがそれを穏やかに受け止め、年少のリュイセンがおろおろする、といった構図だったのだが、そこまで詳しいことはメイシアは聞かされていなかった。

「なら、間違いない。……帰りがけにユイランが、セレイエを探せと言っただろ?」

「ええ」

「ユイランは、ホンシュアがセレイエだと気づいていたんだ」

「えっ!?」

 メイシアが鋭く声を上げ、目を丸くした。素直に驚く彼女は、なんとも可愛らしい。ルイフォンは小さく笑う。

「ユイランにとってはさ、母さんやセレイエは、今でもすぐに思い出せる大切な家族なんだ。俺とリュイセンに親しげに話しかけた人物なら、それはセレイエだ、って簡単に見破ったんだと思う」

 だから、それとなくルイフォンに教えてくれたのだ。はっきり言わなかったのは、確信はあっても、証明することができない。それに、自分が出しゃばる場ではないとの判断だろう。

 ユイランは人一倍、周りに気を配り、裏方に徹する。彼女の過去の話なんて、いい人過ぎて気味が悪いくらいだ。きっと母キリファも同じように感じたからこそ、苦手だったのだろう。

 けれど、キリファは間違いなく、ユイランに親愛の情を寄せていた。気の強いキリファは決して認めないだろうけど、知らずのうちにユイランの優しさに甘えていたはずだ。

 ――そうでなければ、最後の『手紙』を託す相手に選ばないのだ。

「ホンシュアの正体が分かったところで目的はさっぱり分からないし、それにホンシュアの『体』だった人物のことを考えると、なんとも言えない気分なんだけどさ……」

 貴族シャトーアと駆け落ちしたセレイエに、いったい何があったのか。

 そして〈影〉であるホンシュアが、〈悪魔〉の〈サーペンス〉だというのなら、セレイエもまた〈悪魔〉になっていたというのか――。

「母さんは、何か知っていたんだろうな……」

『女王の婚約が決まったら』――母は、そう言い遺したという。

 そして、ホンシュアが口にした『デヴァイン・シンフォニア計画プログラム』。

 このふたつの言葉を重ね合わせると、まるで女王の婚約を発端に――開始条件トリガーにして動き出すプログラムだ。

 ――そういうことなのか? すべては計画プログラムされていたとでも言うのか?

 つまり、〈七つの大罪〉の正体は……。

「ルイフォン、顔色が悪い。大丈夫?」

 鈴を振るような声に、はっと思索の海から飛び出すと、不安に揺れる黒曜石の瞳が、まっすぐに彼を見つめていた。

 ルイフォンは机に身を乗り出し、ぐっとメイシアに向かって手を伸ばした。彼女の細い指先をすくい取り、自分の指と絡め合わせる。

「ど、どうしたの?」

 彼女の戸惑いにも構わず、彼は強く手を握った。

 セレイエが引き合わせた――何もなければ、決して出逢うことのなかった、メイシア。辛い目にも遭わせた最愛の彼女。もう、悲しい顔などさせない。


 メイシアは、必ずこの手で幸せにする。


 ルイフォンは、にやりと不敵に笑った。

「お前が居るから、俺は大丈夫だ。――そばに居てくれて、ありがとうな」

 そして、告げる。

「愛している」

 メイシアの花のかんばせが、あでやかに咲き誇った。――と同時に、涙の蜜がほろりとこぼれる。先ほどの涙のためか、涙腺がとても緩くなっていたらしい。彼女は「あっ」と、声を上げてうろたえる。

 ルイフォンは、くすりと笑ってテーブルを回り込んだ。その流れのまま、前置きなしに、強引に涙を舐め取ると、彼女は更にくれないに咲き乱れる。

「あ、あのっ……。わた、私も……あ……」

 しどろもどろでありながらも、懸命に声に出そうとする彼女が愛おしい。

「あ、愛して、います……」

 想いを言葉にしてくれたメイシアに、ルイフォンは抜けるような晴れやかな笑顔をこぼし、ふわりと優しく抱きしめた。



~ 第一章 了 ~

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