3.すれ違いの光と影-3

 暗闇の中で、ルイフォンは息を潜めていた。

 先ほど、タオロンの気配を察知したリュイセンが照明を落とし、メイシアの父、コウレンを気絶させた。乱暴なやり方ではあるが、コウレンの混乱ぶりと、これからの修羅場を鑑みれば、解せないものを感じつつも正しい判断と認めざるを得なかった。

 ルイフォンはリュイセンの指示通り、コウレンを守るべくベッドの前で仁王立ちになっていた。そこから、扉の外へと意識を飛ばしている。

 敵の気配は、ふたつ――タオロンと、部下らしき凶賊ダリジィン

 リュイセンなら、同時にふたりの相手をすることも可能だろう。だが、一方がタオロンなら、部下のほうはルイフォンが引き受けたほうがよいかもしれない。

 そんなことを考えながら、ルイフォンはタオロンの突入をじっと待っていた。

 ――不意に、物凄い闘気が膨れ上がるのを感じた。

 間髪おかず、扉が開く。

 廊下からの逆光に、タオロンの巨躯が浮かび上がった。

 刹那、リュイセンとタオロンが斬り結んだ。重く、それでいて鋭い、金属の不協和音がルイフォンの肌を震わせる。

 予想通りの展開――しかし、次の瞬間、ルイフォンは我が目を疑った。

 タオロンが、コウレンのベッドに向かって一直線にはしっていた。

 暗がりでもはっきりと分かる、鬼の形相。リュイセンをまるで無視し、無防備といえるほどに背中はがら空きだった。

 彼の大刀が狙う先は、貴族シャトーアの当主、コウレン――。

 侵入者たるリュイセンよりも、コウレンを優先する理由は分からない。だが、ルイフォンは直感的に守るべき相手の危機を悟った。

 掲げられた幅広の刃が、廊下の照明をぎらりと反射させ、無音の雷鳴を轟かせる。

 嵐の如き暴風を纏った大刀が、ひと息に振り下ろされた。

 ――その直前で、ルイフォンはベッドに飛び乗り、コウレンもろともベッドの反対側に体を落とした。

 間一髪……。

 タオロンの凶刃はルイフォンのシャツの端を刻むにとどまり、代わりに犠牲となったベッドがマットの中身を撒き散らす。

 武に自信のないルイフォンならではの、防御の動き。もし、武器でもってタオロンを迎え討とうとしたのなら、ルイフォンはコウレン共々、大刀の一刀で斬り裂かれていただろう。

 ルイフォンは素早く起き上がり、今落ちてきたベッドに再び飛び乗った。思い切りマットを蹴りつけ、スプリングのばねの力で高く飛び上がる。

 巨体のタオロンよりも、遥かに上の目線。タオロンの太い眉を見下ろしながら、ルイフォンは袖に隠し持った菱形の暗器を打ち出す――!

 タオロンは……ルイフォンの刃を、愛刀で弾くことはしなかった。

 彼は横に飛び退き、そのまま体を半回転させて大刀を振るう。そこに、煌めくふたつの刃があった。

 リュイセンである。――背後の憂いを取り除くため、リュイセンは、まずタオロンの部下を蹴り倒してから走った。そのため、わずかに出遅れたのだ。

 すなわち、ルイフォンの派手な動きは、陽動。

 回転の勢いを得た大刀が、双刀の片割れと激しく火花を散らす。

 薙ぎ払うというよりも、叩き落とすようなタオロンの猛攻。重い衝撃に、リュイセンは肘まで痺れを感じた。押し返されるような威力に、神速が鈍る。続くもうひとつの双刀がタオロンの脇腹を捕らえようとしたが、あと少しのところで取り逃がした。

「化物か……」

 タオロンは、貧民街で利き腕を負傷している。

 平気なふりをしていたが、あれはかなりの深手だった。動きからして、傷口はふさがっているようだが、漏れ聞こえる呼吸の乱れから、痛みを隠しているのが分かる。

 もとより手加減などするつもりのないリュイセンだったが、やはり心の何処かで奢りがあったらしい。

 手負いの獣も全力で――。リュイセンは、かっと目を見開き、タオロンと対峙した。

 動いたのは、両者同時だった。

 タオロンの大刀が、リュイセンを一刀両断にせんばかりの猛撃を叩き込む。対して、リュイセンの双刀も、凛とした鋭い一閃を打ち込む。

 高く、玲瓏れいろうとした金属の調べが響き渡った。

 細く優美な双刀が、悲鳴を上げる。がっしりと噛み付いて来るかのような、大刀の重厚な一太刀が、腕が千切れそうなほどの衝撃をもたらす。

 リュイセンは全身の筋力を使い、辛うじて半身をずらした。地表に向かう流星の如く愛刀を下に滑らせ、タオロンの豪刀を受け流す。

 初めからリュイセンは、タオロンに力で挑む気はなかった。

「……!」

 勢いに乗ったままのタオロンが、誘い込まれるように体勢を崩す。

 その瞬間が、リュイセンの狙いだった。待ち構えていた双刀の片割れが、神速の一刀を披露する。

「ぐ……っ」

 タオロンが鈍い声を上げた。血臭が、辺りに漂う。

 よろめきながらも、彼の足は膝をつくことを堅く拒み、倒れることを良しとしなかった。引きずるように体を移動させ、壁に背を預ける。

 リュイセンは、唖然としていた。

 確実に捕らえたはずだった。致命傷とまではいわないまでも、身動きできないほどの傷を負わせたはずだった。

 しかし、手の中の感触は想定よりも軽く、タオロンの闘気は未だ失せることはない。

 瞬きすらも許されないような、わずかの時間の切れ目の中で、タオロンはリュイセンの渾身の一刀から直撃を避けたのだ。

 もし、奴が負傷していなかったら、こちらがやられていたかもしれない。――リュイセンの背を冷たい汗が流れる。それでいて、顔は上気していた。戦闘では久しくなかった経験だ。

「勝負あったろ? 俺はこれ以上、お前を攻撃しない」

 リュイセンは内心を隠し、努めて冷徹な声で言った。彼は、その言葉を証明するかのように、ふたつに分かたれた双刀を、廊下から差し込む光に反射させながら、ひとつに合わせて鞘に収める。

 ちん……と、澄んだ鍔鳴りの音が響いた。

「何故、刀を収める?」

 タオロンが、驚きの声で問いかけた。

「俺は無駄なことをするのが大嫌いだ。面倒臭い。……それに、お前が斑目にいるのは本意じゃないって、知っちまったからな」

 どことなく罰が悪そうに、リュイセンは答えた。ルイフォンがリュイセンに示した大量の情報。その中には、タオロンの事情も含まれていた。

 交渉は苦手だと、リュイセンはルイフォンに目で訴える。ルイフォンは頷き、ベッドの上から下りてきた。

「ファンルゥに会ったよ。パパがチョコをくれる約束を守ってくれない、と文句を言っていた。――お前の娘のくせに可愛かったぞ」

 タオロンの反応を探るように、ルイフォンは最後のひとことで少しだけ声を落した。刹那、タオロンの纏う雰囲気が、がらりと変わる。

「お前ら――! あいつに何かしたのか!?」

「何もしてねぇよ。あの子に見つかっちまったから、見回りのふりして少し話しただけだ」

「どうして、お前らが、あいつの存在を知っている!」

 強い語気だった。ファンルゥは、タオロンにとって大切に隠しておきたい掌中の珠。できるだけ触れてほしくないのだろう。想像していた通りだった。

「鷹刀の情報網を舐めるなよ」

 ルイフォンは、にやりと笑う。――今は余裕の顔をしているが、タオロンの過去を知ったときの衝撃は、筆舌に尽くし難いものがあった。

 タオロンは、かつてファンルゥの母親である女性と共に一族を逃げ出した。

 しかし、彼が働きに出ている間に彼女は見せしめに殺され、ファンルゥを人質に取られた。

 ――タオロンは、服従を誓うしかなかった。

 現在、父娘が同じ屋敷での生活を許されているのは、タオロンひとりでは一族を相手に娘を守り切るのは不可能だということを、彼も一族も承知しているからである。斑目一族としては寛大さを見せているつもりなのだろう。

 事情を知ってしまえば、戦いたくない相手だった。

「あの子のために、お前とは極力、戦わない。これが俺たちの方針だ」

「……っ」

 タオロンが、言葉にならない呻きを上げた。暗がりで表情は見えないが、うなだれた影が苦しげに揺れる。

「お前ら……。――ったく……」

 彼は抜き身のままだった大刀を鞘に収めた。

 傷が痛むのであろう。ふぅと、息をついてから、ルイフォンとリュイセンの顔を交互に見やる。この暗闇の中で、煌めく星々を見つけたかのように、タオロンは眩しそうに目を細めた。

「お前らは、いい奴だな……」

「当然だろ」

 ルイフォンが口の端を上げ、胸を張る。すると、タオロンは相好を崩し、豪快に笑った。

「鷹刀ルイフォン。お前みたいな奴、俺は好きだぜ」

「男に好きだと言われても、気持ち悪いだけだ」

 ルイフォンが軽口を叩く。

 だが、その次の瞬間、タオロンの纏う雰囲気が急速に張り詰めていった。

「だから……、俺が悪役になるほうがいい」

 轟くような声が、空気を優しく震わせた。

「タオロン!?」

 ルイフォンが叫ぶ。

 タオロンの全身から発せられる、緊迫した気配は消えなかった。それどころか、『鬼気迫る』とすら表現できそうなほどの気迫が高まっていく。

 タオロンは、もぞもぞと体を動かし、懐をまさぐった。

「何をしている!?」

 リュイセンが鋭く言葉を発する。

「自分でも馬鹿だと思う。でも、俺は馬鹿なのがいいらしいからな……」

 外から漏れ入る、わずかな光の中で、タオロンが穏やかに笑っているのが見えた。

 かち、という小さな音がした。

 それが撃鉄を起こす音であることを、普段から銃に接しているわけではないルイフォンとリュイセンは知らなかった。

 傷を負いながらも、タオロンが壁に向かったのは、コウレンを狙える位置に自然に移動するため。壁に背を預けることで、慣れない拳銃がぶれるのを少しでも減らすため――。

 暗闇の中で、タオロンの銃口がコウレンを捕らえた。

 不穏な空気を感じつつも、ルイフォンとリュイセンは気づかない。

 タオロンが引き金を引いた――その瞬間だった。

「何やっているんですか!?」

 銃声と同時に、驚愕の叫びが上がった。

 タオロンの部下だった。リュイセンが蹴り倒した相手だったが、咄嗟の踏み込みが甘かったのか、もう目覚めたらしい。

 だが、今回はそれが幸いした。部下の声に驚いたタオロンの弾丸は、明後日の方向に射出され、天井に穴を開ける。

「……っ!」

 タオロンにとって、絶対に外してはならない一撃だった。

 現実を前に、ただ呆然と銃口から立ち上る薄い煙を見つめる。そんな隙だらけの彼の腹に、リュイセンの鋭い蹴りが入った。タオロンの巨体は、あっけなくその場に倒れた。

「なっ……」

 暗がりの中で伏したタオロンを見て、部下の男が一目散に逃げ出そうとする。その背を、リュイセンの双刀の峰が捉えた。

「がっ!」

 悲鳴すら満足に上げることもなく、男の身体は床に落ちた。

 リュイセンが忙しなく動き回る一方で、ルイフォンは、半ば放心状態だった。

 ――タオロンが、メイシアの父の命を狙った。

 その事実に、ルイフォンは衝撃を受けていた。

 タオロンには、好意的な感情を持ちつつあった。それが、裏切られたような気持ちだった。

「ルイフォン」

 リュイセンが、ルイフォンの肩を叩く。

「あ……」

「今の銃声で、敵が集まる可能性がある。さっさと脱出するぞ」

「あ、ああ」

 ルイフォンは、リュイセンを見やった。

 顔の反面だけが外からの光を受け、残りは影。光と影の強いコントラストの中でも、一分の隙もない、作り物めいた完璧な美貌。リュイセンは、普段は文句が多いが、必要なときには必要なことだけを確実にこなす。

「……すまん」

 リュイセンがいてくれてよかったと、心底思う。

「あの貴族シャトーアが途中で目覚めたら厄介だ。薬を打っておけ」

「そうだな……」

 気乗りしないが、リュイセンの言う通りだろう。ルイフォンは、のろのろと動き出した。

 いつも以上の猫背で作業をするルイフォンの後ろで、リュイセンのためらうような息遣いが聞こえた。

「ルイフォン、お前は俺とは違って、生まれたときから凶賊ダリジィンとして生きてきたわけじゃない。……だから、分からないだろう」

 低い声が、闇に響いた。否定的な言葉に思わず反発心がもたげ、ルイフォンは不快げに眉を寄せる。

「分からない、って、なんのことだ?」

「コイツの覚悟」

 リュイセンがタオロンを顎でしゃくった。その仕草は、暗闇かつ背後での動きであり、当然のことながらルイフォンに見えたわけではない。

凶賊ダリジィンが己の肉体と、その延長の刃物以外を使うのは、お前が思っている以上に『恥』だ。――俺たちは、見栄で生きているようなものだからな」

「どういう意味だ?」

「コイツは、俺と同じく生粋の凶賊ダリジィンだろう? コイツほどの男が、凶賊ダリジィンの誇りを捨てて拳銃を使った。しかも、俺に負けたあとで、だ。どれほどの屈辱か、分かるか?」

 ルイフォンは思わず振り返り、横たわっているタオロンの巨体を凝視する。

「コイツには、まだまだ俺たちの知らない事情がある。だが、俺たちにだって、俺たちの事情がある。――そうだろ?」

 魅惑的なリュイセンの声が、ルイフォンを包み込むように闇に溶けた。

 気になることは山ほどある。しかし、この潜入作戦の目的は、あくまでもメイシアとハオリュウの父、コウレンの救出。

「……そうだな。――行こう」

 そう言ってルイフォンは、小さく「ありがとう」と続けた。


 あとは、脱出するのみ――。

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