1.花咲く藤の昼下がり-2

 料理長の心づくしに舌鼓を打ったあと、食堂はそのまま会議場となった。給仕の者たちが手際よくテーブルを片付けていき、メイドが茶を振る舞う。

 香り立つ茶器を差し出してきた相手が、自分とたいして歳の変わらぬ少女であることに気づいて、ハオリュウは目を丸くした。貴族シャトーアの世界ではあり得ぬことだからだ。

 彼女が一礼をして、ふわりとしたスカートをなびかせながら下がっていく。なんとなく、その後ろ姿を見送ってしまったハオリュウだったが、彼女が厨房へ消えていくと同時に、気持ちを入れ替えた。握りしめた拳に、当主の指輪が食い込んだ。

 隣に座っていたイーレオが目配せをしてきた。ハオリュウは、それに頷きで返した。

「鷹刀一族の方々、藤咲の無理なお願いを快諾いただき、ありがとうございます」

 ハオリュウは立ち上がり、頭を下げた。堂々たる様子に、誰もが彼を藤咲家の名代と認める。イーレオが第一声をハオリュウに譲ったことも、彼の立場を後押ししていた。

「改めて、僕……私からのお願いを申し上げます。父の身柄を斑目一族から取り戻していただきたい。――まずは、これまでの経緯をご説明いたします」

 そう言って、ハオリュウは一同を見渡した。

 彼から左回りに、鷹刀一族総帥イーレオ、無表情で底の読めない次期総帥エルファン。何かと世話になっているミンウェイに、妙技で危機を救ってくれたリュイセン、むかつくばかりのルイフォンと続く。

 そして、ぐるりと回って戻ってきた左隣には、最愛の異母姉メイシアがいて、テーブルから少し離れたところに護衛のチャオラウが控えていた。

「ことの始まりは、私が斑目一族に誘拐されたことですが……そもそも根底に、我が藤咲家と同じく貴族シャトーアである厳月家との不仲があり、そちらの鷹刀一族と斑目一族の敵対があります。今回のことは厳月・斑目が手を組んで、藤咲・鷹刀を陥れようとした、とも言えます」

 少年のハスキーボイスに似合わぬ、冷静な物言い。母親が平民バイスア出身という理由だけでハオリュウを蔑む親族は、愚かとしか言いようがない。あるいは有能であるが故に彼が疎ましいのか――。

「きっかけとなったのは、我が藤咲家と厳月家が、とある案件についての役職を争い……」

「ハオリュウ」

 ――と、ルイフォンが言葉を遮った。ハオリュウが、むっと眉を寄せる。

「回りくどい言い方をしなくても、その件は知っている。女王の婚礼衣装担当家の話だろ?」

「何故、それを! 箝口令だぞ! 僕だって、問い詰めるまで知らなかったのに!」

「情報網の差だ」

 目を細め、ルイフォンがにやり、と笑う。

 風呂でさっぱりとしてきた体に、いつも通りの一本に編んだ髪。その先は真新しい青い飾り紐で留められており、中央を金の鈴が飾っていた。

「俺たちは手を組んだんだ。一方的な話じゃなくて、情報のすり合わせで行こうぜ。その鬱陶しい喋り方もやめろよな」

「貴様……!」

 ルイフォンの横柄な態度に、ハオリュウが歯噛みする。それを見て、リュイセンが呆れたようにルイフォンを肘でつついた。

「喧嘩売るなよ」

「別に、売ってねぇよ」

「ええ、私も気にしていませんよ」

 ルイフォンの反論に、ハオリュウも感情を押し殺した声で続ける。

 彼は、ルイフォンに冷ややかな視線を送った。

「そうですね。私はずっと囚えられていましたから、知らないことも多いでしょう。――ではルイフォン、あなたに話を進めてもらいます」

 ルイフォンが「了解」と軽く手を上げて応えると、ハオリュウは会釈して席についた。

 歳は下でも立場は上なのだ、との意味合いをこめて、『ルイフォン』と呼び捨てにしたのだが、気づいていないどころか友好の証と捉えられたような気がする――ハオリュウは不快げに顔をしかめた。

 ルイフォンは着席のまま、とん、と人差し指の先でテーブルを叩いた。皆の注目が集まり、ルイフォンがテノールを響かせた。

「発端は、女王の結婚話。そして、婚礼衣装担当家が藤咲家に決まったこと。それが面白くないライバルの厳月家が、斑目を雇って藤咲家の息子――つまり、ハオリュウを誘拐して、担当家を辞退するよう脅迫した。ここまでは、よくある話だ」

「よくある話じゃないぞ!」

 ルイフォンの口ぶりに、声を震わせてハオリュウが激昂する。進行役を譲った途端だが、聞き流すことなどできなかった。

「この脅迫は『究極の二択』なんだ! 跡継ぎの僕の死か、家の没落か、だ」

「おい、待ってくれ」とリュイセンが手を上げた。

「なんで、『家の没落』?」

 純粋な疑問として首をかしげるリュイセンに、ハオリュウは、はっとした。

 彼らは凶賊ダリジィンなのだ。貴族シャトーアの感覚なら当たり前であることも、彼らにとっては違う。

 協力を願うのなら狭い視野ではいけないのだ。――同じ台詞を言ったのがルイフォンだったなら反発したであろう彼も、異母姉を助けてくれたとの思いが強いリュイセンには素直だった。

凶賊ダリジィンの皆様には、ご理解いただけないかもしれませんが、名誉ある役を辞退するということは、王族フェイラを侮辱したにも等しいんです。貴族シャトーアの地位の剥奪は必須でしょう」

 言いながら、ハオリュウはその事実を知ったときのことを思い出し、身を震わせた。

 囚えられていたときは、ただの身代金目的の誘拐だと思っていた。貴族シャトーアの子女なら、よくある、とまでは言わないものの、あり得ることだ。不安ではあったが待遇が悪いということはなかったから、いずれ解放されると高をくくってもいた。

 それが、解放されて家に戻ったときには、父も異母姉もいなかった。まさか、家名を賭けた壮大な陰謀だったなんて、想像だにしなかった。

 事実を知ったときの、あの、臓腑が煮えくり返るような思い――。

「けれど、どっちも選択できなかった父は、多額の身代金を持って斑目一族を訪れた。厳月よりも高い値をつけて、斑目一族を買収しようとした。しかし交渉決裂して、父もまた囚えられた……」

「ちょっと待て、ハオリュウ。もう一段階、話は複雑だ」

 ルイフォンの鋭い声に、ハオリュウは「え?」と目を見開く。

「お前の父が斑目に行く前に、厳月家が動いている。それと、お前の父は呼び出された可能性が高い」

「なんだって!?」

 ルイフォンが考え込むように眉間にしわを寄せ、癖のある前髪をくしゃりと掻き上げた。

「お前が解放されたのって、今日の午前中だっけ?」

「そうだ。それより厳月が動いたとか、父が呼び出されたとか、僕は知らないぞ! 説明しろよ!」

 悔しいが、情報網の差というのは確かなようだった。

 ハオリュウは、ルイフォンのひと癖ありそうな顔立ちを、苛立たしげに睨みつける。端正と言えなくもないが、ひと目で直系と分かるリュイセンなどとは比べるべくもない。

 裏を返せば、直系ではないのにルイフォンは一族の中心にいるということで――ハオリュウは実家での自分との違いに、奥歯を噛みしめた。

「あとでちゃんと順を追って説明する。――で、お前は、メイシアが鷹刀にいる、って聞いて、すぐに家を出たんだな?」

「当たり前だろ! 姉様が凶賊ダリジィンのところにいるんだ! しかも、警察隊が救出に向かっているけど、その警察隊内部に別の凶賊ダリジィンと通じている者がいるんだぞ! そんな危険な状況で、異母弟の僕が現場に駆けつけなくてどうする!?」

 ルイフォンは半ば呆れ顔で溜め息をついた。

「あぁあ……了解。お前が母親から聞いた話は、だいぶ端折られている。というか、詳しく聞く前に、お前が飛び出していったんじゃないか……?」

「……母は…………」

 ハオリュウは言いかけて、隣に座るメイシアを見た。綺麗で優しくて、儚げな異母姉――。

 母が正気を失ってしまったなどということは、彼女の耳には入れたくなかった。いずれ知られてしまうとしても、今は、まだ。だから、話は伯父から聞いたのだということを、あえて言う必要もない。

「……そうかもしれない。だから、詳しい情報を頼む」

 急におとなしくなったハオリュウに、ルイフォンは不審な目を向けたが、倭国に行っていたエルファンやリュイセンにも説明しておく必要があったので、話を戻すことにした。

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