1.舞い降りし華の攻防-2

 ミンウェイは引き締まった腰に帯刀はしておらず、その身を無防備に晒している状態だった。暗器を隠し持っている可能性はあるが、これだけの人数に囲まれていては焼け石に水だろう。

 そんな凶賊ダリジィンの女を前に、虚勢の大声を出す上官を、シュアンは後ろから冷めた目で見ていた。

 まるで、格が違う。

 ひとことで言って、見苦しい。 

 警察隊の権限を餌に、勢力拡大を図る凶賊ダリジィンどもや、権謀術数を巡らす貴族シャトーアどもと裏で繋がり、おこぼれを集めて私腹を肥やす豚上官。

 彼は、目の前の女の威圧感を、高慢な自尊心からくるものだと履き違えているらしい。我欲まみれの男には、一族を預かる彼女の役割が見えてないのだろう。だからこそ御し易く、シュアンにとって便利な存在なのであるが、間近で見ていたいか否かは別問題である。

 シュアンは、傍目には眠そうに見える瞼の下から眼球を動かし、逮捕状を確認しているミンウェイの姿を捉えた。神妙な顔で文面に目を走らせているが、腹の中ではこの愚物の指揮官をどうあしらうかの算段を立てていることだろう。

 ふらり、とシュアンの体が動いた。指揮官の影から外れ、ミンウェイの美貌がよく見える位置に立つ。彼の血走った三白眼が鋭く光った。

 彼の右手は迷いもなく懐から拳銃を取り出すと……そのまま引き金を引いた。

 響き渡る轟音――。

 その場の空気が凍りついた。

 氷像と化した警察隊員たちは、息をすることさえままならずに目を見開く。

 焦げた毛髪と火薬の臭いが混じり合い、悪臭が漂った。

 ……だが、血の臭いはしない。

 弾丸はミンウェイの頬をかすめ、彼女の髪をひと房、焼き払っていた。

 シュアンは特別、狙いをつけた様子もなかったが、列になって並んでいた警察隊員たちに流れ弾が当たるようなことはなかった。

「な……!?」

 指揮官が背後のシュアンを振り返り、唇をわななかせるが、人語を忘れたかのように言葉が出ない。

「つい、指が滑ってしまいました」

 シュアンは、銃口から立ち上る煙にふっと息を吹き掛け、証拠を隠すかのように拳銃をホルスターにしまった。ぼさぼさに絡みあった頭髪を掻き、参った参ったと首を振る。

 ――これで主導権は、警察隊側に移った。

 別に彼は、頭髪に行くべき栄養分を腹部に回しているかのような指揮官の昇進に協力したいわけではない。ただ、こちらの優位を確立しておきたかっただけである。

 いつものシュアンなら、凶賊ダリジィンの女をためらいもなく撃っていた。それをしなかったのは、ミンウェイに価値を見出していたためである。凶賊ダリジィンに属する者がどうなろうとも、眉ひとつ動かす用意もないシュアンにとって、これは破格の扱いといえた。

「始末書は、あとで書きますよ、上官殿」

「……あ、ああ……。いや、お前は任務に忠実だっただけだ」

 放心状態だった指揮官が、やっと口を開いた。

 彼にとって、毎度毎度、突破口を開いてくれるシュアンは、扱いにくいが役に立つ、お気に入りの部下である。多少、派手な行動をしても、すべて揉み消すつもりだ。

 シュアンにしてみても、「上層部のことは気にするな」などと、恩着せがましく言ってくる態度は気に食わないが、この上官のおかげで随分と動きやすくなっている。大事な手駒として丁重に扱われているうちは、存分に利用させてもらうつもりだった。

「指揮官の方」

 ミンウェイが指揮官に呼びかけ、それから、その後ろに立つシュアンにちらりと視線を向けた。

 たった今、生命の危険に直面したはずの彼女は、ほとんど表情を変えなかった。それどころか、わずかに細めた目が、かすかに笑っているようにも見える。

 気の強そうな女だから、眉を吊り上げて文句を並べるに違いない。そう身構えていたシュアンの頬に緊張が走る。隈の目立つ目で気だるげに彼女を見るふりをしながら、張りつめた空気の音さえ聞き漏らさないように、耳をそばだてた。

「逮捕状を確認いたしました。ですが、こちらには貴族シャトーアの令嬢などおりません。何かの間違いでしょう」

 発砲された事実などなかったかのように振る舞うミンウェイに、指揮官は咄嗟に言葉を返すことができなかった。口を半開きにしたまま、阿呆のように彼女を見返している。

 もしミンウェイが怒りをあらわに食ってかかっていれば、指揮官は警察隊の権限でもって彼女を逮捕することができたかもしれない。しかし、彼女はそれを鮮やかに回避したのだ。

「ふ、藤咲家から、正式に要請が出ている。間違いなど、ない!」

 長過ぎる間を置いてからの返答は、間抜けなだけである。シュアンは頭を抱えたくなった。

 だが、ミンウェイは恭しく頭を下げた。

「承知いたしました。では、我々の疑いを晴らすためにも、捜査にご協力いたします」

「はっ! 初めからそう言え! 家宅捜索だ!」

「ただし! 屋敷には、親を失い引き取った、身寄りのない子供もおります。か弱き者たちに乱暴なことをなさいませんよう、くれぐれも、お願い致します」

 つやのある声が響く。

 ミンウェイは、ぐるりと警察隊員たちを見渡し、最後にシュアンに目を留めた。

「そちらも、お役目でしょうから、私の髪については不問にします。ですが、屋敷の者たちを傷つけたら、それ相応の報復をご覚悟ください」

 斬り込むような言葉の鋭さと同時に、一族を守る強い意志が、そこにあった。



 ミンウェイ自らが屋敷の扉を開くと、玄関ホールには刀を床に置いた屈強な男たちが、壁に沿って並んでいた。彼らは、ミンウェイの姿を確かめると、一斉にこうべを垂れた。その中を、数人の班に分かれた警察隊員たちが、地に足のつかぬ様子で各部屋へと進んでいく。

 団体行動のできない性質のシュアンは、指揮官のはからいによって、初めから単独行動を許されていた。お気に入りの特権である。彼は壁に寄りかかり、体は微動だにしなかったが、三白眼の中の眼球だけは右に左に忙しなく動かしていた。

 無表情に立っていたミンウェイの肩を、指揮官が「おい、女」と掴んだ。

 壁際の凶賊ダリジィンたちが色めき立ったが、ミンウェイはそれを目で制した。

「鷹刀イーレオのもとへ案内しろ」

 指揮官の合図で、一個小隊ほどの警察隊員が勢いよく闊歩する。

 その中のひとり――先頭から二番目にいた男には、頬から首筋にかけて、まだ生々しい刀傷が走っていた。名誉の負傷と言いたいところだろうが、つい最近、凶賊ダリジィンと警察隊員が衝突したという報告をシュアンは聞いていない。

 更に言えば、警察隊内部に精通しているシュアンが、警察隊の制服を着ている男たちの中から見知った顔をひとつも見出すことができなかった。

 指揮官の言い分に、ミンウェイは柳眉を寄せた。

「先ほども申し上げましたとおり、祖父は高齢ゆえ、面会は体に障ります」

「何を言っておる。重要参考人だ」

 指揮官が、にやりと嗤う。歪んだ額の皮脂が、吹き抜けの高窓からの光をてらてらと反射させている。勝ち誇ったような指揮官に、ミンウェイは「仕方がありませんね」と静かな声を上げた。

「……我々は凶賊ダリジィンであり、世間からは無法者と呼ばれております。けれど、我が鷹刀は法を守る者には敬意を払い、一般の人々には決して害を加えません」

 彼女は一度、言葉を切り、女性としては長身の彼女より遥かに高い目線の男たちを見渡した。

「あなた方は、法の秩序を守る警察隊です。我々は従わざるを得ません。……ですが、万が一にも祖父に危害を加えようとした場合には、こちらも法に則り、正当なる防衛手段を取らせていただきます」

 緩やかに波打つ髪を揺らし、肩に置かれた指揮官の手を自然に振り落としながら、ミンウェイは背を向けた。ついてくるように言っているのだろう。

 すらりとした背筋を伸ばして彼女が歩き出すと、香水とは違う干した草の香りと……焦げた毛髪の臭いが入り混じって漂った。

 指揮官は、にやりと嗤い、「続け」と指示を出した。

 毛足の長い絨毯の廊下をミンウェイが滑るように歩く。その後ろにふんぞり返った指揮官。一歩置いて、いつの間にか紛れ込んでいたシュアンの知らない男たちが、まるで訓練されていない動きでぞろぞろとついていく。

 シュアンは充分に距離を取りながら、その一団のあとをつけていった。

 いくつか角を曲がり階段を登り、奥の部屋に着いたところでミンウェイが振り向いた。

「こちらです」

 ミンウェイがそっと横に動き、目の前の扉を示した。

 扉には大きく翼を広げた鷹の彫刻が施されていた。羽の一枚一枚は刀と化している。遠目に見ているシュアンにも、それが鷹刀一族の紋章だと、すぐに分かった。

 ミンウェイは再び扉に向き直り、そっと触れる。

 次の瞬間、彫刻の鷹の眼球が動いた。そして、ミンウェイの瞳を捉える。

〔ミンウェイ様ですね〕

 流暢な女声の合成ボイスが流れた。

 目を丸くする一同をよそに、扉が小さな機械音を立ててスライドし、道が開かれる。つんとした薬の匂いが流れてきて、その場にいた者たちの鼻孔を刺激した。いわゆる病院の匂いであった。

「お入りください」

 ミンウェイが横にすっと動いて、右手で部屋の中を示す。

「……今のは、なんだ?」

 泥臭いと侮っていた凶賊ダリジィンの屋敷に、先進的な技術が使われていたことに驚いたのか、部屋に踏み込む前の確認をするかのように指揮官が尋ねた。

「扉のセキュリティです。虹彩を登録した者だけが開けることのできる仕掛けです」

「はっ、厳重なことだな」

 要するにガードの堅い鍵だと思い直した指揮官は、威圧的な態度を取り戻す。

「さすが凶賊ダリジィンの総帥。常に命を狙われているというわけか!」

 指揮官の嘲笑混じりの言葉に、中から「いえ、いえ」という低い声が響いた。穏やかで、どこかのんびりとしていて、更にいたずらな子供のような茶目っ気が混じっている。

「これは機械いじりの好きな、末の息子のお遊びですよ。『凶賊ダリジィンの親玉の部屋なんだから、このくらいしないと箔が付かないからな』だそうで。なかなかの孝行息子です」

 こぼれんばかりの笑いを堪えているかのような、魅惑的な響き。白いベッドに寄りかかるようにして半身を起こした壮年の男が、部屋の中から手招きをしていた。

「私が鷹刀イーレオです。どうぞ、お入りください」

 整った容貌に細身の眼鏡。部屋着と思しきゆったりとした服装に、上着を肩に羽織るという出で立ちが、凶賊ダリジィンの総帥というよりも、病床について引退した往年の舞台俳優といったほうがふさわしかった。

 ベッドの脇には、腕っ節の強そうな護衛の男がひとりいるのみ。

 背後に屈強な男たちを従えた指揮官は、にやりと嗤った。

「ミンウェイ」と、イーレオは孫娘に声を掛けた。

「ご苦労だった。お前は下がっていなさい」

「はい」

 ミンウェイが一礼して、扉から離れるのと入れ替わるように、指揮官が意気揚々と足を踏み入れ、男たちがそれに続いた。

 ミンウェイと、離れた位置で一部始終を見ていたシュアンを廊下に残したまま、扉は小さな施錠の音を鳴らした。

 総帥のいるフロアだからだろうか、人払いをしてあるらしく他に人影はない。屋敷中を捜索しているはずの警察隊員たちも、指揮官が向かった先は自分たちが行くまでもないと――下手に行って、手柄を奪いでもしたら不興を買うだけだと――こちらには来ていない。

 扉のすぐ向こうには一個小隊ほどの男たちがひしめいているというのに、防音が効いているのか物音ひとつなかった。

 そんな静寂の廊下で、ミンウェイとシュアンの視線が交錯した。

「あなたは祖父のところへ行かなくてよかったのですか?」

 ミンウェイが綺麗に紅の引かれた口を動かした。

 シュアンはその問いには答えず、無言で彼女に近づいた。そして、彼女の目前まで来ると、おもむろに懐に手をやり、次の瞬間にはミンウェイの豊かな双丘の狭間に拳銃を押し当てていた。

 ミンウェイの顔が驚愕に震える……ということは、なかった。

「やっと、あなたとお話できそうですね」

 整った眉を下げ、にこやかに微笑んだ彼女に、シュアンのほうが驚愕した。

「……大した胆力だな」

 呼気と共に吐き出すように、シュアンが漏らした。

「あなたには、まるで殺気がありません」

「殺気、ね。さすが凶賊ダリジィンということか」

 見抜かれていては無用の長物。シュアンは拳銃をしまう。

 ミンウェイは、彼の腫れ上がったような三白眼をじっと見据えた。隈が深く、血走った目をしているが、決して狂人のそれではなかった。

「あなたは、緋扇シュアンですね。凶賊ダリジィンたちに『狂犬』と呼ばれている――」

 凶賊ダリジィンどもが付けた蔑称を口にされ、シュアンは不快げに鼻を鳴らした。

「あんたらが俺をどう呼ぼうが、俺の知ったことじゃない」

「噂では、突拍子もない言動を繰り返すということでしたが……間近で見ていると、あなたの動きは狂人のように見せかけて、実はとても計算高い。目的のためには、手段を問わないようですけれどね」

 シュアンは一瞬、息が詰まった。そして、この只者ではない凶賊ダリジィンの女にどう話を切り出したものかと思索する。

 そんな彼の思いを知ってか知らずか、ミンウェイの張りのある声が静かに水を向けてきた。

「単刀直入にお尋ねします。あなたの目的はなんですか?」

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