2.凶賊の総帥-2

 ちゅんちゅんと、雀のさえずりが聞こえる。

 楽しそうに鳴き交わす数羽の雀。満開の桜の枝に集まり、蜜を吸っているのだろう。木の根元に五枚の花弁を付けたままの花が手折られて落ちているのは、彼らの仕業だ。

 ――そんな、窓の外での様子が伝わってくるほどに、室内は沈黙に包まれていた。

 ちゅんちゅんちゅん……。

 やがて、二羽の雀が連れ立って飛び立つ。

 彼らの翼の影が、窓辺に届く光を僅かに明滅させ、部屋の空気に刺激を与えた。

 そこでやっと静寂が破られた。

「何をおっしゃるんですか?」

 執事が軽く首を傾げながら、穏やかに言った。低く渋い声。終始にこやかな顔をしている彼が、少しだけ困ったような表情をしている。

「私に何か問題があったのでしょうか。主人と間違えられてしまうとは……。そのような言動を取ったと知られれば、私はイーレオ様に叱られしまいます」

 白々しいほどの間があったにもかかわらず、彼の物言いがあまりにも自然であったため、メイシアはその先を言いあぐねた。

 彼女には、確信に近い自信があった。

 けれど、執事の誠実そうな顔を見ていると、どうにも物怖じしてしまう。端正な顔を困惑色に染めて、優しくメイシアを見る彼は、とても凶賊ダリジィンの総帥には見えなかった。

 言いがかりをつけてしまったような気がしてきて、頬がにわかに紅潮してきた。言おうとした言葉は口の中で押し殺され、メイシアは黙り込んでしまった。

「おい」

 ルイフォンがソファーの背にもたれながら、半身をメイシアに向けた。

「お前は、どうしてこいつが親父だと思った?」

 それは意外な助け舟だった。

 ルイフォンは、口元に楽しそうな笑みを浮かべていた。この先の展開に期待をしているらしい。

 そんな彼に後押しされるように、メイシアは目の前にすらりと立つ偉丈夫を、再び見上げた。

「理由は、ふたつあります」

 今までどうして、この貫禄に気づかなかったのだろう。メイシアはそう思う。

 思い返せば、この部屋に来るまでの間、ミンウェイは使用人たちに軽く声をかけることをしなかった。使用人たちもまた、畏まって頭を下げるだけだった。

「……ひとつ目は、この部屋の扉です。私には専門的なことは分かりませんが、この部屋の扉には開けるには、何か仕掛けがありますよね。名前を確認される、といった感じの……」

「それ、『虹彩認証』な」

 ルイフォンが横から口を挟んだ。

「扉の前にいる者の瞳を――虹彩をチェックして、入室の許可を出している。家紋の彫刻の目にカメラを隠すとか、いい雰囲気が出ているだろ?」

 どことなく自慢げに言いながら、ルイフォンはソファーの座面に足を乗せ、完全に体を後ろに向けた。そして、メイシアに顎で続きを促す。

「扉を開けたのは――その、『虹彩認証』というのをしたのは、私を案内してくださった執事のあなたではなく、ミンウェイ様でした。執事なら主人の部屋の入室くらい許可されていそうなものなのに……」

 メイシアは、あのときに感じた違和感の正体がやっとわかった。今から考えれば、執事とミンウェイの行動は明らかに不自然だった。

「あなたが部屋の外で待機していて、ミンウェイ様だけが私を案内して部屋に入るのだったら、単にあなたに入室の許可がないのだと解釈できました。しかし、扉を開けなかったあなたが、一番最初に部屋に入りました。それを誰も咎めない……」

 そして、ミンウェイの『嘘』という花言葉。

 あのタイミングで教えてくれたものに意味がないわけが、ない。

 すなわち、執事というのは『嘘』なのだ。

「それはつまり、あなたがイーレオ様で、私に名前を明かすわけにはいかなかったから、ミンウェイ様に扉を開けさせた、ということではないですか?」

 ルイフォンが、ぴゅう、と口笛を吹いた。

「それで、ふたつ目は?」

「ふたつ目は、簡単なことです。……イーレオ様が私を屋敷に入れてくださった理由が、『からかうため』なら、私をからかえる位置にいなければ意味がないではないですか」

「くっ、く、くく……」

 押し殺した笑い声が響いた。

 ――執事が、笑っていた。

 彼は、さきほどまでの気品すら感じられた、にこやかな仮面をかなぐり捨てた。眼光は鋭く、口元には不敵な笑みを浮かべている。

「たいした洞察力だ」

「では、やはりあなたが……」

 喜色を上げたメイシアを、しかし彼は押し止めた。ルイフォンの座るソファーの背もたれに手をついてぐいと身を乗り出す。

「確かに俺が執事だというのは嘘だ。凶賊ダリジィンの屋敷に執事なんて貴族シャトーアめいた役職はない。――だが、もうひとつだけ、お前は答えなくてはいけない問題がある」

 実に愉快だと言わんばかりの声色で男は言い、更にどこか揶揄を含んだ眼差しで畳み掛けた。

「ルイフォンが初めに言った通り、『鷹刀イーレオは六十五歳という高齢だ。接客は体に障る』――この俺が、そんな年寄りに見えるか?」 

 ルイフォンが、がっくりとうな垂れていた。

 それを見て、メイシアは自分の推測は正しかったことが確信できた。

 だが……。

 この返答に困るような質問にどう答えればいいのであろうか。

 目の前の美丈夫は、意地の悪い笑みを浮かべてメイシアの反応を楽しんでいる。決して若くはないが渋く魅力的と言える顔貌に、理知的な印象を与える細身の眼鏡。黒く豊かな長髪を背中に蓄え、緩くまとめている。洒落者だ。

 これは……思った通りに答えるしかない――メイシアは、そう腹をくくる。

「見えません」

「だろう?」

 上機嫌で彼は頷いた。そして、ふっ、と端正な顔をほころばせた。これがまた驚くほど絵になる。

「なかなか鋭かったが、すべては、お前の思い込みだったのだ!」

「おい!」

 ルイフォンが鋭く遮った。

「いい加減、観念しろよ、糞親父! 茶番は終わりだ」

 げんなりしたような呆れ顔で、ルイフォンは父を――鷹刀一族総帥、鷹刀イーレオを睨んだ。

 イーレオは心外だとばかりに肩をすくめた。

「お前だって、こいつをからかうのに乗り気だったじゃないか」

「引き際が肝心だ! さすがに見苦しすぎる」

「まぁ……、そうかもしれんが、なぁ……」

 彼は未練がましくメイシアを見やった。

 それから腹いせのように、座っているルイフォンの頭を小突く。ルイフォンは反射的に右手を拳の形にしたが、父に反撃の隙がないのを悟ると、何事もなかったかのように自分の編んだ髪を指先でくるくると弄んだ。青い飾り紐の中央で金色の鈴が煌めく。まるで、狩りに失敗した猫が平常を装っているかのようであった。

 メイシアは、ほっとして肩の力が抜けた。

 ふらりとよろけそうになったところをイーレオに支えられた。六十五歳というが鍛えられた筋肉は逞しく、まだ衰えを見せない。異性として意識してしまった彼女は、急接近に思わず小さな悲鳴を漏らす。けれど、彼は愉快そうに眉を動かしただけで、ソファーに戻るよう、彼女を優しく促した。

「さて、改めて。俺が鷹刀一族総帥、鷹刀イーレオだ」

 イーレオはきっちりと留められていた立ち襟のボタンをはずした。軽く息をついたところを見ると今まで窮屈であったらしい。

 彼はルイフォンのソファーに回り込み、座っている息子の足を、立てとばかりに軽く蹴り上げた。ソファーは大の大人が優に三人は座れるサイズであり、ルイフォンは肘掛のある端に座っていたのだが、イーレオは中央に一人でふんぞり返りたかったらしい。

「なんだよ?」

 ルイフォンはあからさまに不快な顔をする。

「年長者に席を譲れ」

「若いんじゃなかったのか?」

「年寄りに見えるか、と訊いただけだ」

 ルイフォンとイーレオが睨み合う。不毛な争いが勃発せんとするところに、ミンウェイの咳払いが割って入った。

「二人とも、客人の前よ」

 ミンウェイの一睨みで父子は押し黙る。メイシアは彼らの力関係をおぼろげながら理解した。

 結局、ミンウェイの采配でイーレオとルイフォンが並び、メイシアの隣にミンウェイが座った。

 チャオラウと呼ばれた護衛の男はミンウェイの勧めを断り、皆を護るように立っている。その際に彼が「私はルイフォン様と違って日々鍛えておりますから」と言ったのは何かの含みがあったに違いない。ルイフォンが顔をしかめていた。

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