十月桜編〈サラファン〉

 ※鬼畜展開です。苦手な方はご遠慮ください。


 ――ブルーフィーナスの大島護を訪れた時、やはり細川は緋織を霞さくらのリバイバルアイドルとして利用する事を考えていて、それを売り込むために訪れたのであった。

 当初は緋織を見て驚いていた大島護だが、すぐに落ち着きを取り戻し、緋織を取り巻くプライベートな事情を根掘り葉掘り聞いてきた。

 それについて細川は、オフィリヤとの事を国と身分違いによる障害で結ばれない悲恋のように語り、ようやく緋織を引き取る事が出来て、さらには祖父と連絡を取ったが冷たく拒絶された事を、あたかも自分の苦労話のように滔々とうとうと語った。

 緋織は息を吐くようにウソを語るそんな実父の言葉を、唇を噛みしめながら聞いていたが、その表情を読み取った細川はすかさず反応して、この子も悔しい思いをしたんです、などと言って自分のウソを補完するのに抜け目なく利用した。

 緋織はしまったと思いながら、さすがに女で食ってきた男の真価を垣間見て、背筋が震えるのを感じた。

 大島護は細川の即興の悲恋話にじっくり聞き入り、話が終ると深く考えるような様子を見せた。

「興味深い逸材をお抱えになっておられる。採用に当たっては児童福祉法じふくほうの兼ね合いもあります。なので即答はできかねますがお許しください」

 大島護は慎重に答えを返した。

「そうですか。まあこうしてお会い頂いた経緯からお判りでしょうが、自分も少々薄暗い部分のある仕事なので、もし差支えなければこの子を大島社長の下で働きながら社会勉強させてやって下さると、この子の将来も明るいと思います」

(売られる!!)

 緋織は幼いながら細川の言葉の真意を敏感に感じ取った。

 細川は譲ってやるから囲って好きなようにしろ、と言っているのだ。

「……検討いたしましょう」

 大島は身構えるような目つきで答えた。

 そして最後に、大島護は折り返し連絡をするとだけ言って、その場は帰された。


 さらに大島護と面会して一月後。

「ちぃ! あの野郎ちっとも返事をよこしやがらねえ!」

 緋織に酒を用意させグラスを煽りながら、細川が吐き捨てる。

 緋織はそれを無表情で見つめながら、細川を刺激しないようにキッチンの方へそっと下がる。

 細川は最初、大島護の反応を見て手ごたえを感じていたようだったが、リアクションのないまま二週間が過ぎると、次第にいら立ちを見せ始めた。

 さらに一週間が経ち、緋織はもう呼ばれる事はないかもしれないと思い始めた時、かすかな安堵感を覚えていたが、その考えが甘い事を思い知らされる。

「十分ぐらいしたら浴室に来い」

 学校が夏休みに入り、自室で宿題をしていると細川に言いつけられた。

 また背中を流させるのかと思いながら、濡れてもいいように白のTシャツと薄いブルーの短パン姿に着替えて、素足で浴室に入る。

「来ました」

 細川の住む高級マンションの浴室は、八畳ほどの広さで、円形の浴槽にジャグジーがあり、簡易サウナもついている本格的なものだった。

 窓側はオープンでテラスに通じていたが、大きな一枚窓と出入り用の引き戸はマジックミラーになっていて、外側からは見えないようになっていた。

 中に入ると大きな湯船にはお湯が張られ、ジャグジーがごうごうと音を立てて浴槽をかき回していて、細川はその湯船の縁にバスローブ姿で腰を下ろし、酷薄な笑みを浮かべながら衝撃的な事を言い放った。

「服を脱いで裸になれ」

「え!?」

 これまでも細川の背中を流させられた事はあったが、全裸を強要された事はなかったので、緋織は驚いて声をあげた。

 怯んで立ちすくんでいると細川がにこやかに話し始めた。

「この間行った芸能事務所から返事があった」

「……はい」

 にこやかに話す細川に、緋織は不安に駆られながら返事をする。

「『残念ですが、今回お嬢さんを芸能人として育成する件は見送らせていただきます。ですが、可能性は十二分にありますのでデビュー時期を検討しつつ、関係者と協議を重ねますので、今しばらく健やかにお育てになってお待ちください』だってよ」

「そっそれは……」

 本心としては胸を撫で下ろす所だが、そう言った細川の表情には、明らかに落胆と怒りが見て取れたので、緋織は見せる表情に困ってしまう。

「ちっ、これじゃあ若頭に払った仲介料口利き代にもなりゃしねえ」

 一人ごちる細川の言動に、これから細川がしようとする事に、緋織は本能的に恐怖を覚えた。 

(……まさか!)

「このフロいいだろう? 丸くてジャグジーがついてて広さも十分、それがどういう事か分かるか?」

 細川が薄く笑いながら脈絡なく聞いてくる。

「……」

 広くてゆったりできるなどと言う、ありきたりな答えではないだろう事が分かって答えに詰まる。

「何度も言わねえ、脱げ」

 細川の恫喝はどこまでも静かで水辺に潜むワニのように冷酷な殺気を放っていて、緋織は逆に硬直してしまう。

(どっ、どうしよう、アレは今は無いし……)

 立ちすくみながらもこの事態にどうすべきか、思考だけは必死に巡らせる

 それまでも施設では性的対象として男子や職員のセクハラは受けてきたが、二度以上受けた事はない。だがその方法は今は使えない。

 裸になるだけなら問題ないか、それ以上の事はされないか、瞬時に考えるがそのゆとりは与えられなかった。

「しょうがねえ……」

 細川が立ち上がりゆっくり近づいてくる。

「ひ!!」

 緋織が後ずさる。

 だがその瞬間、細川が思いがけないほど俊敏にダッシュして、緋織の胸倉を掴んで軽々と持ち上げた。

「いっ、いやあ!」

「へへへ、オフィリヤの遺骨をジジイに渡してから死んだ魚みてえな目をしてたが、やっぱりまだ壊れてなかったな」

 細川が恐怖する緋織を見てサディスティックに笑う。

「う、ううっ!」

 緋織を持ち上げたまま細川が浴槽へ向かう。

「俺ぁ肉体労働は好かねえんだ。だから手っ取り早く済ませちまうぞ」

「なっ何を……」

 緋織が喘ぎながら聞き返す。

「こうするのさ」

 細川は緋織の背中側を掴み直すと、そのままドボンと緋織を浴槽に沈める。

(――!!)

 緋織はいきなり沈められた恐怖からパニックになり、手足をばたつかせてもがくが、大きく丸い浴槽は掴みどころがないうえに、背中を掴まれて沈められていたので、細川の手を振りほどく事も出来なかった。

 さらにジャグジーのジェット水流が顔をかき回して、ますます緋織のパニックを助長した。

(うっ! ……ぐっ! ……がはっ!)

 必死にもがくが細川は、容赦なく緋織の体を押さえて浴槽に沈め続ける。

(がふっ!…………)

 ついに息を止められなくなり、肺の自律運動を押さえられなくなると、鼻と口から一気に肺の空気が抜けて、入れ替わりにお湯が肺に侵入してきた。

 お湯が侵入した肺は、鉛でも飲み込んだかのように横隔膜の伸縮が鈍くなり、さらには喉や鼻や胸に針で刺すような痛みが走った。

(あ……、かっ…………)

 しかしその痛みもすぐにぼやけ始め、酸素が途絶えた四肢は力を失い、急速に視界は暗くなり始めた。

 そうして沈められ息もできず気が遠くなりかけた頃、ふいに持ち上げられた。

「よっと。――それっ!」

 細川は力の抜けた緋織の体を、うつ伏せで肩に担ぐようにすると、軽くジャンプを繰り返した。

「うっ、ゲホッ、ゲホッ……」

 すると逆さまになった緋織の喉から、肺に流れ込んだお湯が一気に抜けて流れ出した。

 しばらくせき込みながら細川の肩でゆすられ、肺のお湯が抜けきった頃、床のマットの上に寝かされる。

「はっ、はっ、はっ、はっ、……」

 緋織は小動物のように、短く浅い呼吸を繰り返すが、四肢には力が入らず起き上がる事も出来なかった。

「あーあ漏らしやがってしょうがねえガキだな。俺ぁソッチのプレイは好きじゃねえんだよ」

 いまだ霞んだ視界の隅で、細川が肩の匂いを嗅ぎながらぼやく。

「まあ、二度目は出ねえからいいか」

 そう言うと、再び緋織の背中を猫のように掴んで持ち上げる。

「あっ!」

 呼吸を整える間もなく再び浴槽に沈められる。

(ぐっ!! ……)

 二度目以降になると理性はすぐに消し飛び、ただただ生命反応しか示せなくなり、三回目にはついに完全に意識を失った。

 どれくらい経ったのか、朦朧とした視界がはっきりとしてきて、貪るように酸素を求めていた肺と心臓が落ち着き、ゆっくりと意識を取り戻し始めた。

(……終わっ…………た?)

「俺ぁフェミニストだからな。女をケガさせるような事はしたくねえんだ」

 いまだ四肢には力が入らないので目だけを動かすと、細川がいつの間にかTシャツに着替え、浴槽の縁に座った細川が笑いながら喋り始めた。

 緋織は横たわったまま答える事も出来ず、実の娘にこんな事をする細川に心底恐怖を覚えた。

 さらに意識がはっきりとして体の自由が戻って来てノロノロと起き上がると、細川はグラスを片手に酒を飲んでいた。

「よーし、起きれるようになったな? ちょっと手を握ったり開いたりしてみろ」

 言われた通り手を動かす。

「足の指を動かせ」

 足の指を動かす。

「あいうえおって言ってみろ」

「あいうえお……」

「おし。オツムは大丈夫だな、やりすぎると酸欠でアッパラパーになっちまうから気をつけねえとな」

「……」

 そんな恐ろしい事を聞かされても緋織はもはや驚かなかった。

 それどころか外傷を負わせない上に、人間をこの短時間で絶対服従させる方法を知っているこの男に心底身震いした。

「それじゃあもうする事は分かっているな?」

 グラスを持った右手の指を緋織に向け、ふたたび命令する。

「……はい」

 そうしてずぶ濡れた服を脱いで全裸になる。

「足を開いて俺に見せろ」

「はい」

 細川に苛烈な苦痛を脳裏に焼き付けられると、ただの一度で隷属れいぞくを確立され、思考が止まった緋織は無条件に足を開いた。


 ――それから数日経ち、どうにか隙を見て逃げ出そうと思う事もあったが、最初の水責めの後、緋織の首には改造GPSチョーカーがはめられてしまっていた。

「こいつは子供用のGPSとワイヤレスマイクが内蔵されててな、俺からある程度離れたり、決められた操作をしないで外されたり壊れたりすると、即座に俺に判るように改造もしてある。可愛いお前が誰かに誘拐されたり、変な奴に絡まれたりしないかって心配性の俺の親心ってやつだ、あっはははは……!」

(ああ、そんな……)

 退路を断たれ、緋織の心には氷のような冷たい絶望感が広がってきた。

 肉体にダメージがない虐待に加え、法的に無理のない根拠のある鎖で縛られ、緋織は心身共に身動きできなくなってしまった。

 それからは通常通り掃除や洗濯、勉強など、普通に家の中では生活できたが、何の前触れもなく、いきなり細川に痴態を要求されたり、性的な奉仕までさせられるようになった。

 最初こそ、実父のモノを口に含むのは嫌がったが、再び容赦なく水責めをさせられてると、二度はイヤと口にできなくなった。

 それに最初の水責め以来、ジャグジーの流水音や、お湯を湛えた風呂そのものがトラウマになってしまい、それらを見聞きするだけで細川の命令に逆らえなくなってしまっていた。

「とりあえず裏デビューするまで俺ので男の勉強をさせてやる。だからしっかり扱い方を覚えろよ。いい子にしてりゃ、その内俺よかいいモノ咥えさせてやっからな、あーっはっはっは!」

 緋織が泣きながら指示通りに事を終えると、細川が満足そうに高笑いした。

 幸いと言うか、目的は不明だが、細川は緋織の処女を奪おうとしなかったが、良からぬ理由があるのは想像に難くなかった。

 しかし今の緋織には自身の処女性の有無よりも、人として心を保つ事と、生命の安全の方がはるかに重要であった。


 そんな風に小学生最後の夏休みを、汚辱にまみれた時間に費やされ、いつしか緋織の目からは完全に生気が失われていた。

 そしてひと月近い夏休みが終わりに近づき、新学期まであと三日となったある日、部屋で勉強をしていたところへ細川が入ってきた。

「さすがに義務教育を受けさせねえと、うるさい連中が騒ぎ始めるからな。学校へは普通に行かせてやる」

「……ありがとうございます」

 自動音声のように緋織が答える。

 無計画な暴力を振るう男ではなかったが、底知れぬ冷酷さと陰謀をまとっているこの男の前では、いつしか感情や言葉遣いさえも、能面のように平坦になってしまっていた。

「時期が来たらどっかで撮影するが、逃げたりサツに垂れ込もうなんて思うなよ?」

「はい。心配はありません」

「よーしいい子だ。黙って言うこと聞いてりゃあ、ちゃんと分け前は渡してやるし、自由に遊ぶ事も許してやる」

「はい」

「お前は運がいい。そもそもどうしてオフィーリヤを孕ませたか判るか?」

「いいえ」

「俺の家系は内臓疾患が多くてな。男は大抵早死にしちまうんだ」

「そう……ですか」

 話が見えないのと、意図が読めないので曖昧な相槌で返す。

「もしお前が男で年頃になったら、そのまま東南アジアの裏の臓器プラントへぶち込んで、培養装置に繋いで俺が死ぬまで臓器ストックとして、余分な臓器を売り払いながら何十年か生かしておく予定だったんだ」

(……!!!!)

 緋織は鬼畜の所業の告白に目を見開く。

「おお、やっぱりちゃんと生きてる目をするじゃねえか。ヤクでイッてたり、オフィーリヤみたいに壊れた女じゃ高く売れなくてなあ」

 やはりヤクザなんだと痛感しつつ、この男の元で生き延びるのは至難の技だと思い知らされた。

「――てことで最後の仕上げだ」

「なっ……んでしょう?」

 細川は黙って立ち上がると、下半身を露出させた。

 そして自身を緋織にいきり立たせると、緋織に裸になって背を向けてテーブルに手を突くように命じる。

「万が一出先で抵抗でもされちゃあメンツ丸つぶれだから、女が一番守りたいものは最初に取り上げておく方が、あとあと扱いやすくていいんだ」

 そう言うと緋織のまだ未成熟な腰に手をかける。

(ああ、ママ……)

「いくぜ、――おりゃ」

「あああっ!!」

 狭いクロークルームに緋織の短い悲鳴が響き渡る。

 それから容赦のない攻めが続く中、緋織が歯をくいしばって耐えていると、細川がふいに口を開いた。

「おっ、ふっ、なんだ。サラファンの服気に入ったのか?」

 細川がラックの正面にハンガーでかけられた、以前ブティックで買った服を見つけて聞いてくる。

「くっ……いっ……はっ、はい……」

 緋織はテーブルの端を掴んだまま、痛みに耐えながら答える。

「ははは、そう言えばオフィリヤの親父、お前宛てに山ほど荷物を送ってよこしてきたぞ」

「うう……くっ……なっ……何を?」

「中を見たら古びた女物の服ばっかりだった。多分オフィリヤの服だったんじゃねえのか? おりゃ!」

「ああっ! いっ痛っ!……」

 一段と激しくなる責めに、必死に耐えながら想いを巡らす。

 もしそれが事実なら、遺骨すら失った緋織には、かけがえのない形見になると思われた。

「あのジジイ、なんだかんだ言っても結局、お前を見捨てたのが心苦しかったんじゃねえのか? ほっ!」

「ぐっ……そっそれは……いっ今、どっどこに?」

「ああ? あんなもんそのまんま古着屋に持っていったに決まっているだろ?」

「えっ!……ああっ!」

「おほう、いい締めだな、服はかさ張るっきりで大した金にゃならなかったが、それでもアンティークのハンドメイド品だったから、全部で百万くらいにゃなったな」

「そっそんな……」

 緋織はテーブルに頭を置くと、痛みとは別の涙を流し始めた。

「さて、無駄話はこれくらいだ。そろそろいくぞ。ちゃんと口を開けろよ」

「くっ……!!」

 スパートをかけ始める細川に対し、以前に緋織の心に灯り、消えたと思っていたドス黒い怒りが怒涛のように沸いてきた。

 そうしてテーブルを掴んでいた手を上げ、拳を握りしめて顔を上げると、目の前にノートと筆記用具が目に入った。

 半分無意識にその一つを逆手で掴むと、振り返らないまま後ろに全力で振るった。

「ぎゃあぁぁぁぁーーーー」

 硬いものを貫通した手ごたえを感じ、パキッという軽い破壊音のあと、掴んでいたものから手を離す。

 同時に細川の悲鳴が聞こえ、下半身に苦痛を与えていた、おぞましい物体の喪失を感じた。

 下半身の痺れにも似た痛みを、こらえながらよろよろと振り向くと、右目の後ろのこめかみあたりに、折れたシャープペンを深々と刺した状態で、細川が激しくのたうち回っていた。

 細川はそれを、なんとか引き抜こうとしているようだが、血で滑って抜けないうえ、右目と鼻からも血を流していて、尋常でない激痛が襲っているのが容易に見て取れた。

「おおっ!……ぬっ抜けなっ!……がっガキっぐあああ……」

 細川は不自然に裏返った右の眼球を向けながら、まともな左目で睨み、ろれつの回らない口で意味不明な呻きを上げる。

 細川に怒りのオーラを感じた緋織は、報復の恐怖を覚えた。

 そして助かる方法はないかとあたりを見回し、もう一度テーブルの上を見ると、あるものを見つけて手に取る。

「がっ! あっっ!」

 細川は緋織の手に取った物を見て、こめかみを押さえて腰をついたまま、後ろ手で下がり始めるが、狭いクロークルームではすぐに壁に遮られる。

 三歩で追いついた緋織は、手に取ったそれを数回、細川の首の急所に向けて左右に振った。

 何度か左手で防がれたが、最後に細川の生命線を切る事に成功すると、真っ赤な飛沫を全身で浴びた。

「……さようなら。パパ」

 緋織は無感情に最初で最後の言葉で呼ぶ。

「かっ………………はっ………………」

 ビクついてゆっくりと動かなくなっていく父親を見ながら、緋織はぺたんと腰を落とす。

 何もかも終わった虚脱感に全身を支配されると、全裸で唯一首に掛けられていたチョーカーの存在が大きくなってきた。

 そのいましめを解くべく、柔らかい部分にカッターの刃を、内側から差し入れて切ると、勢い余って押さえていた左手も切ってしまう。

「痛っ……」

 すると目の前の細川の懐から、けたたましいアラーム音が鳴り、バイブレーションが激しく振動する。

 緋織は痛みをこらえながら、細川の懐からスマホを取り出して、アラームのスイッチを切る。

 ふたたび静寂が訪れ、切れて血の流れた左手を呆然と見つめると、左手だけでなく体中が朱に染まっていて、どれが自分の血かわからなかった。

 そして、目の前に転がる鬼畜のような父親と、自分との差が血の色では判別できないのだと知ると、ふいに口元が緩んできた。

「ふっ……ふふふっ…………うふふふっ…………ふっ………………」

 笑いがこみあげて来て止まらなくなったが、同時に涙も止まらなかった。


「ふっ…………ふえっ…………マっ……ママぁ………………」

 母親を呼びながら、緋織は幼児のように泣き続けた。

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