十月桜編〈オフィリヤ〉

 ――2016年、春。

 夕闇迫る時間、茜色の日差しが差し込むとある高級マンションの一室で、少女が部屋を掃除していた。

 ロングストレートの黒髪は漆黒で、キューティクルが天使の輪を作り、背中の半ばまで伸びていて、数年前に大ブレイクしたが、わずか三年の活動期間で事故死した歌手、『霞さくら』を彷彿とさせる顔立ちであった。

 その部屋はモノトーンの配色で構成され、一種モデルマンションのような整然と並んだインテリアからは生活感はなく、サイドボードには高級酒が並び、書棚には純文学や哲学、経済専門書がきれいに並べられていて、大きな絵が豪華な額に入れられて壁に掛けられていた。

 少女が隣りの寝室へ行くと、見知らぬ女性がベッドで裸で寝ていて、床には上着と下着が散乱していた。

 少女はそれを拾い上げ、検分してからクローゼットを開けて、違うイメージの洋服一式を出してハンガーポールにかけ、下着をソファの上に並べて置いた。

 そして先ほど拾い上げた洋服一式を洗濯機に入れ、スイッチを押して洗い始める。


 少女の名は緋織・クコリニク。

 母親は物心がつく前に亡くし、現在は父親とソープ嬢である愛人と共に、このマンションに住んでいる。

 母親が死んですぐに施設に預けられていて、父親の存在すら知らずにいたが、ほんの半年ほど前父親に引き取られて以来、この家の家事や洗濯、出入りする愛人の世話をさせられていた。 

 母と父は結婚しておらず、本来であれば内縁関係の父親では子を引き取る事は出来ないが、DNA鑑定書を家庭裁判所に提出されて、正式に引き取る事を認められたのだ。


 動き始めた洗濯機を回すその間にダイニングキッチンに向かい、簡単にサンドイッチを作って半分をカウンターの上にラップをして並べて、残りの半分を皿に盛って自分の部屋へ行く。

 そこは三畳ほどの空間で、左右に長いポールが伸び、大きな鏡が壁に据えられていて、元がクロークルームであった事が伺えた。

 そこには折りたたみの机と、ホームセンターで売っているようなカラーボックスがあり、自分の洋服は針金ハンガーにかけられ、肌着類は段ボールをに収められていて、女性の寝ていた部屋とは明らかに粗末なインテリアで、ここでの少女のヒエラルキーを顕著に示していた。

 部屋のカラーボックスの上には、白い無地の納骨袋に収められた骨壷が、淋しげにポツンと置かれていた。

 骨壷の主は母親で、死と同時に施設へ自分と共に預けられていたが、退所と共に自分に返されたのだ。

 母親の名はオフィリヤ・ネストーレ・クコリニク。

 ロシア人で不法滞在していた外国人と言う事しか分からず、緋織が生まれた時の同居人であった父親は当時、緋織の認知を否定して養育を拒否。さらに母親は客死扱いで自分が遺棄児童として登録され、日本国籍を取得して施設へと送られたと聞いた。

 そうして施設で過ごしていたある日、緋織に面会人が訪れてきた。

 痩せぎすで浅黒く、まぶしがりなのか日差しの下では目を細め、あたかも周りを警戒する狐のような印象を与える男だった。

 その男は細川勉と名乗り、自分の父親だと言った。

「――ほう。霞さくらがデビューした時は、オフィリヤに似てると思ってたが、お前もやっぱり母親に似てきたなあ、こりゃ楽しみだ、ははは!」

 緋織の顎を持ち上げ、品定めするようにそんな事を呟きながら、自分を引き取る事を決めると、ここに連れてこられた。 

 その時、どうして自分を手元に置かなかったのかと聞いたら、

「男の俺がガキの面倒なんて見られるかよ、それに認知なんかしてりゃあ、オフィリヤのロシアでの戸籍を洗い出さなきゃならねえから、しちめんどくせー事になってたし、下手すりゃお前はロシアへ送還なんて事にもなって、日本国籍を取れなかったんだぞ? だから俺には感謝しろよ?」

 と、細川は現在の仕打ちを棚に上げ、自分を引き取った暗い野心を隠しつつ緋織に恩着せがましく吹聴した。

 そんな怪しげな人物の元に行くことを決めたのも、それまで過ごしていた施設では、自分の容姿を妬まれて陰湿ないじめや、同居している男子、はては職員からのセクハラまで受けていたからだが、いざ同居して見ると父親はホストでインテリヤクザでもあった。

 その上そもそも施設に預けられたのも、金づるにしていた母親が死に、世話をしたくなくてさっさと施設へ預けていたが、労働力として使えそうな年齢になったのと、オフィリヤが霞さくらに似ていた事を思い出し、さらに緋織が新たな金づるになると踏んで引き取ったと言う訳だった。

 その事を思い出してため息をつくと、骨壷に手を合わせて無言で目を閉じる。

(……………………私が大人になったらきちんとお墓に入れるからね)

 しばらく祈り、顔を上げて骨壷に向かう。 

「はぁ……それでもお金には困らないし、今の所は身の危険もないからマシなのかな? ね、ママ」

 ため息をつきながら骨壷に語りかけるが、もちろん答えなどない。

 気持ちを切り替えてランドセルを開け、教科書とノートを広げて宿題をやり始め、右手でノートに文字を書きながら、左手でサンドイッチをほおばる。

 食べ終えて水を一口飲んで息をつくと瞳がすこし潤む。

 自分を救うのは自分自身だと、幼いながらすでに知ってしまった緋織は目頭を拭うと、ノートに再び視線を落として一心不乱に文字を書き始めた。

 

 父親と愛人の下働きとして暮らし始めて二か月。

 梅雨入りを目前にしたある日、細川が珍しく洋服を買いに連れ出してくれた。

「へへへ。こいつを霞さくらみたいに仕立ててくれや」

 高級ブティックの店員にそう告げると、色々と服をあてがわれ、着せ替え人形のように扱われた。

 その間、店員はしきりに細川の現在の女性関係を聞き出そうとしてきた。

 どうやら細川に好意を寄せているようだが、思うようにいっていないらしく、愚痴を交えながら聞かされる羽目になった。

 緋織はそんな空気を読んで、付き合っている女性はいるが、特定の女性に好意を寄せていないとだけ言い、後は詳しくは知らないとぼかして答えた。

 そうして店員にチョイスされた服は、白い長袖に赤金のリング状の刺繍が入り、袖がキュッと絞られてフリルのついたブラウスに、赤をベースに金の帯状の刺繍が入ったジャンパースカートと、頭には赤いスカーフを三角にしてうなじで結び、白い靴下に赤くて丸い先の靴をあてがわれた。

「ロシアの民族衣装のサラファン風にしてみたわ。名前が緋織って言うならイメージにピッタリだと思うの」

「あっ! ……ありがとうございます」

 自分の細かい素性を知らない店員にそう言われると、まさしく名前の由来がそうなのだと気付かされ、意外な所で母親の愛を知って胸が熱くなる。

「お! なかなかいいじゃねえか、お礼に今度アフターで付き合ってやるよ」

「ほんと? うれしい!」

 細川の言葉に店員が飛び上らんばかりに喜ぶ。

 そうして身だしなみを整えられて家に帰ると、それまで同棲していた女性がマンションのロビーで待っていて、細川に食って掛かってきた。

「ちょっといきなり出て行けってどういう事よ! おまけに暗証番号まで変えてあって部屋にも入れないじゃない!」

「ああもう! 大事な客が来るから、しばらく店の方にでも寝泊りしてろって言ったじゃねーか! お前がいちゃ邪魔なんだよ!」

「しばらくっていつまでよ! 客って誰よ! まさか女じゃないでしょうね!」

「ちげーわ! オフィリヤの親父が見つかって連絡がついた。そんでこれから来るってだけだ!」

 そう言って緋織を指差す。

「――えっ!?」

 二人から何歩も引いて、顔を曇らせて聞いていた緋織が驚く。

「本当!?」

 女性が聞き返す。

「ああ。どうやら結構な家柄だったらしい。そんでこいつを育ててやった事をネタに金を引き出すんだ。だから少しの間出てってくれ。金が入ったら店から足洗わせてやっから、……な?」

 細川が女の肩に手を回し、耳元に甘く囁く。

「……そう、そういう事だったの。それじゃあしばらく店の待機室で寝泊まりしてるわ」

 女が嬉しそうに緋織をチラ見すると、細川にキスをして嬉しそうにロビーから立ち去る。

「……ちっ。図々しくなりやがって、誰がてめえみたいなブス身請けするってんだ。最近指名も減ったし、ありゃもういらねえな」

 細川が舌打ちしながら毒づく。

「あの……おじいちゃんが見つかったの?」

 エレベーターに乗り込んでからおずおずと聞いてみる。

「あぁ!? ……ああ、まあな。だから場合によっちゃあお前はヤツに売り……ロシアに一緒に行く事になるかもな」

 イラつく素振りを一瞬見せるが、それでも緋織しょうひんの機嫌を損ねないようぶっきらぼうに答える。

「ロシア……に?」

 緋織も突然の事に戸惑う。

 部屋に戻るとテーブルの上に霞さくらの関係の雑誌や写真集、新聞記事の束が置かれていた。

 緋織がそれを手に取ってみると、確かに当時の彼女によく似てると思う。

 だが似ている事で苦労した事が多かったせいか、彼女に対していい印象を持っていなかったのが本音だ。

「そういやさくらがデビューした年と同じになったんだな。つかホント似てるぜ。霞さくらは出自は公表されてねえから、もしかしたらお前と血が繋がってるのかもな」

 来客を待つ間、ソファにどっかりと座ると、緋織にグラスとウォッカを用意させて飲み始める。

「ママ……とはどうして知り合ったの?」

 酔いが回り細川の顔が緩んできたのを見計らって緋織が聞いてみる。

「ふん、日本語もろくに話せなくて少し頭が弱かったうえ、ふらふら錦糸町の裏路地で娼婦たちんぼしてたんだが、それを俺がスカウトしてマシな店を紹介してやったんだ」

 相手が十二才の子供であるからとか、相応な倫理観が皆無な細川は、それでも自分がいい事をしたかのように緋織に話す。

「――っ!! どっ、どうしてママを?」

 細川が言うマシな店とはソープランドの事である事を認識しつつ、さらには母親が娼婦でもあった事にも衝撃を覚えた。

「へへ、俺は実は大学でロシア文学を専攻してたんだ。そんでロシア語が話せたからオフィリヤと仲良くなった。それに加えてオフィリヤが上玉だったからな。あとはあいつは頭が弱かったから何でもさせられたんだよ」

「そっ……」

 緋織が言葉を失う。

「まあ、それまでどうやって生きてきたかは話さなかったが、立ちんぼしてたくらいだからロクな暮らしぶりじゃなかったんだろうな。お前を産んだらあっという間に死んじまったぜ」

「ママ……」

 細川もオフィリヤに無理をさせただろう事は容易に想像できたが、今更反論しても仕方がないとあきらめた。

 だがこの時緋織は、この男と血が繋がっている事で漠然と感じていた反感が、心底おぞましい嫌悪感へとシフトしたのを強く感じた。

「そんな母親から生まれて施設で育ったお前が、父親のこの俺の元に来て、まともな暮らしができて、さらに肉親が見つかってこれから会おうってんだ! ちっとは嬉しそうにしろやクソガキ!」

 細川がテーブルを叩きながら、殴らんばかりの勢いで怒鳴りつけてくる。

「……はい。すいません」

 緋織は従順でしおらしい態度を見せつつ、俯いた顔で唇を噛みしめてゆるぎない反抗の決意を心に刻んだ。


 そうして緊張しながら待つ事三十分、インターホンが鳴り来客がマンションのロビーに到着した事を告げた。

 細川はそれまでとは打って変わった口調と態度でインターホンに応じ、パネルを操作してセキュリティーを解除する。

 しばらくすると今度は玄関のインターホンが鳴る。

 細川が玄関に赴き、来客を迎える。そして来客を伴いリビングに案内してくると、緋織を促して立たせる。

 来客は二人で一人はサングラスをかけた、いかにも訓練された挙動をしたボディーガードで、もう一人は背が高く立派な体格だが、少し歩き方に衰えの見える杖を突いた初老の老人だった。

 ボディーガードは入り口に控えたので、細川が初老の男性の方を緋織の前に案内した。

『こちらが私の娘であなたの孫にあたる緋織・クコリニクです』

 細川が自慢げにするだけあって、意味不明ながら流ちょうにロシア語を話しているのを感じたが、自分を紹介しているようなのは理解できたので、ぺこりと頭を下げた。

『ふん、オフィリヤによく似ている。間違いはなさそうだな、だが……』

 老人は自分の方は名乗らず、不機嫌そうに何かを呟いて緋織に近づいてくると緋織の髪の一房を無造作につまんだ。

『……美しかったあの子の銀髪が、こんな不吉な黒に変わってしまった』

『お義父さん』

『気安く呼ぶな日本人。オフィリヤをたぶらかし、こんな異国で死んでしまった悲惨な運命を与えたお前らが儂は大嫌いだ!』

『オフィリヤを最初に日本に連れて来たのは私ではありません。ですが……』

 細川が言葉を押さえて、怒りを見せる老人をなだめようとする。

『貴様の事も調べてある。卑しいジゴロ風情がこの娘を使って、儂から金をふんだくろうと企んでいるのだろう?』

 老人が杖を突きつけて細川を糾弾する。

『このジジイ! 言わせておけ――』

 細川が拳を固めて振り上げかけるが、入り口にいたボディーガードが懐に手を入れてすかさず割って入る。

『儂の望みを聞けばそれなりの謝礼はしよう。だが貴様の好き勝手にはさせん』

 老人がボディーガードの背後から落ち着いた声で話す。

『……何が望みだ?』

 細川が手を下げて静かに聞く。

『オフィリヤの遺品はあるか?』

『遺品……』

 細川が考え込み緋織を振り返る。

「おい、骨壷を持ってこい」

「え!?」

 これまでのやり取りから、自分の存在が喜ばれていないのだと察し、さらに遺骨を要求してきた事で、緋織は強い不安に襲われた。

「さっさとしやがれ、クソガキ!」

 細川は相手に交渉が通じないとわかった途端、本性をさらけ出して緋織に怒鳴る。

「はっ、はい!」

 言われた通り、部屋に戻って骨壷を持ってきてテーブルに置く。

『これは?』

 老人が聞く。

『これがあんたの娘のなれの果て。……遺骨だよ』

 細川が侮蔑を込めて言い放つ。

『おおお! なんてことだ、オフィリヤ……』

 老人が骨壷を手に取ると、その場にへたり込んだ。

「ざまあねえな」

 細川が嘲笑気味に日本語で吐き捨てる。

 するとボディーガードは通訳も兼ねていたようで、それを聞いて再び懐に手を入れる。

「悪かった、取り消すよ」

 細川がホールドアップの姿勢をとる。

『他にはあるか?』

 老人がへたり込んだまま呟く。

『こいつだけだ』

 そういって緋織の背中をどんと押す。

『……そうか』

『それで? どんな謝礼をくれるって言うんだ?』

 細川が忌々しそうに聞く。

『……おい』

 老人がボディーガードに声をかける。

『……』

 ボディーガードはユーロ紙幣の札束を二つ懐から取り出すと、無言でテーブルに置く。

『おいおい、これっぽっちかよ、これじゃあ手数料にもならねえぜ?』

『ふん。腐り切った奴め。それじゃあ天国への足代を追加するか? もっとも貴様は地獄だろうがな』

 ボディーガードが今度こそ懐から拳銃を取り出す。

『――くっ! ほっ骨はともかく、人間一人の値段がそれじゃあ安くねえかって言ってるんだ!』

 細川がビビりつつも食い下がる。

『この娘か? いらん』

『なんだと?』

『例えあの子の血を受け継いでいるとしても、自分の娘をレイプしてできた子供を愛せる訳がない』

『たぶらかしたって自分でも言ってたじゃねえか! それにレイプじゃねえ!』

『嫌いな人間との間にできた子供なぞ、娘親にしてみたら同じ事だよ。貴様のようなクズには理解できんだろうがな』

『けっ……わかったよ。それじゃあそれ持ってとっとと出てってくれや』

 細川が右手を振って追い返す仕草をする。

『それに儂は老い先短い。たとえ儂が許しても一族の反感は抑えられんだろう。だからその子にとってはこの国にいる方が幸せなんだよ』

『ふん、金になんねえこいつの将来なんて知った事かよ!』

 細川が緋織を見て吐き捨てる。

『本当に腐っておるな』

 そんなやり取りを見ていて、緋織は自分が邪魔者扱いされている事だけを感じとった。

『さあオフィリヤ帰ろう、お前の好きだった風の吹く丘へ連れて行ってやる……』

 そうして振り向きもせず、オフィリヤの遺骨を抱きしめ、ひとまわり小さくなった老人が帰ろうとするので、緋織が骨壷ははおやを惜しんで手を伸ばすが、ボディーガードに遮られてしまう。

 そのまま緋織は言い表せない空虚感で胸を満たして廊下に立ち尽くす。

「ち、拳銃あんなもんまで持ってたなんて、ただの落ちぶれ貴族の金持ちじゃなかったか、甘かったぜ。……おいガキ!」

 見送った後ろで札束を数えていた細川が、緋織に向いて怒鳴る。

「はっ! はい……」

 現実に引き戻され怯えた返事をする。

「その服は大事に取っとけ。まだ使うからな」

「はい、わかりました」

「……こうなったらもうひとつの手か」

 細川が顎に手を当て考え込みながらぶつぶつ言い、おもむろにスマホを取り出してどこかへ電話をする。

 操作しながら緋織を見ると、手を振って追い払う仕草をする。

「…………」

 俯いてそれに従い、自室へ行く背中に細川の声が聞こえてくる。

「――あ、若頭。お世話様です、ちょっと紹介して渡りつけて欲しい組があるんですが、…………ええ、この間お話しした九頭竜組です。…………はい、お願いします」

 部屋に戻り、空いたカラーボックスの上を見つめ、ギュッと手を握りしめると、とめどなく涙が溢れてきた。

「ふえぇ……マ……ママァ…………」


 ――数日後、再び同じ服を着て細川の運転する車に乗ると、とある大きなビルに連れて行かれた。

「着いたぞ。降りろ」

「…………」

 母親の遺骨を失った緋織は、あれ以来表情を無くし、返事すらしなくなってしまっていた。

 ビルの入り口の脇には〈ブルーフィーナス〉と書かれた看板があった。

 ビルに入ると、いかにもやくざ風な細川を見て、受付の女性が眉をしかめる。

 だが、緋織の顔を見ると少し驚いた表情をした。

「ね、あの子霞さくらに――」

 そんな囁き声が聞こえてくる。

(ああ、やっぱりこの顔を利用されるんだ)

 そんな直感が緋織の脳裏をよぎった。

 細川が受付でアポイントメントの事を伝えると、カードキーを渡されて階数と部屋番号を教えられる。

 そうして華やかな男女とすれ違いながら、警備員が控えるゲートをカードキーでくぐり、エレベーターに乗って目的の部屋へ向かう。

 エレベーターの隣の案内表示には、普通のオフィスビルのように経理や総務といった部署に混じり、レッスン場、撮影場、衣装室、メイクアップと言った部署名も並んでいたので、ここが芸能関係のビルだと推測できた。

 最上階の社長室と秘書室、会議場と応接室1と名前が並んでいた階のボタンを、細川が押してエレベーターが閉まる。

「いいか? これから会う奴にゃあ愛想よくしてろよ?」

「……(コクン)」

 細川がクギを刺すが、緋織は小さく頷くだけに留まる。

 最上階に着くと、まずは秘書室のドアをノックして秘書を呼ぶ。

 部屋から人並み以上の容姿の秘書が出て来るが、秘書は緋織を見るなり一瞬目を見張り、その様子を見て細川がニヤリと笑う。

 秘書に応接室へと案内されると、豪奢ごうしゃなソファに座るよう促されて座る。

「こちらでお待ちください。只今社長を呼んでまいります」

(どうせソックリさんとかでバラエティーに出されるようになって、みんなからいいようにつつかれるんだわ)

 緋織はこれから起こる未来にそんな不安を覚え、深くうつむいてしまう。

 数分後、ドアがノックされて秘書がまず入ってくると、それに続いて中年男性が入ってきた。

 細川は立ち上がると強者にへつらうように、へりくだった様子で面会の約束のお礼を言い、緋織を小突いて立たせた。

「私がブルーフィーナス社長の大島護です」

 男はそう名のったが、緋織は関心を示さず俯いたままでいた。

「おい緋織、顔を上げてちゃんと挨拶しろ」

 いら立ちを滲ませた細川が注意する。

 仕方なく顔を上げて中年男性の顔を見あげると、そこにはまだ若そうな

 、しかし年不相応に深い愁いを帯びた精悍な男性が立っていた。

 緋織は場違いにも、(こんな人が父親ならいいかも……)と思ってしまい、少し照れる。

「……初めまして。緋織・クコリニクです」

 小声でそう自己紹介する。

 だが大島護と名のった男性は、緋織の顔を見るなり驚愕の表情を浮かべて小さく叫ぶ。


「――さくらっ!」










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