十月桜編〈桜吹雪〉

 ――みんなが風呂に行って、酔って寝相の悪いさくらの様子を見ながら、青葉、咲耶姫さくやひめ、黒姫と女子部屋でみんなの帰りを待っていた。


「う……ん……」

 そうしてさくらが寝返りを打って、苦しそうなら直す動作を繰り返す。

「……ったく、体はまだ未成年なんだから、あんなに飲むなよ」

 泥酔した人間が嘔吐おうとした場合、吐しゃ物が気管支から逆流して肺に入ってしまい危険な状態になる。と、ママが泥酔した親父を介抱しながら愚痴っていた事を覚えていて、さくらの傍に着いたが、そもそも体は未成年なんだと言う事を思い出して、やれやれと息を吐きながら思わず呟く。

「いいじゃない、今日の事は目覚めてからベストスリーに入るくらい嬉しかったんだもの」

 青葉が俺を見ながら、自分の事のように嬉しそうに言う。

「う、……つか、主人マスターの飲酒量の管理はDOLLおまえたちの仕事だろ?」

 暗にからかわれているのを感じて、照れながら言い返す。

「しょうがないじゃない。私は途中居なかったし、すみぞ……咲耶姫はママが嫌いだったんだもの」

「そう……なのか?」

「まあね、十二単衣トゥエルブレイヤー黒姫姉さんアルファPrimitiveプリミティブとの関係は知ってるのよね?」

 咲耶姫が聞いてくる。

「ああ、確かお前たちは無垢なる魂ヤタノカガミと言う特殊AIシステムで、十二単衣トゥエルブレイヤーが俺みたいな適合者の捜索と感情データの収集をして、黒姫アルファが適合者との親和を深めて、Primitiveプリミティブの覚醒に協力させる……だったな」

 黒姫を見ながら答えると、黒姫は少し困ったような笑い顔をしたので、責められたように感じさせてしまったと気付く。

「そう。……でもまあ結果的には黒姫姉さんの方が、使命より強くあなたを好きになったようだけれどね」

「そりゃお互い様だ」

 フォローするつもりで、俯いていた黒姫の顔を指で持ち上げて笑いかける。

「……裕貴おにいちゃん」

 黒姫が嬉しそうに答える。

「で、逆に言えば、覚醒後はPrimitiveプリミティブの記憶や経験は私達にもフィードバックしていた。と言う事なの」

 咲耶姫がさくらのおでこを撫でながら説明する。

「なるほど、じゃあ咲耶姫はさくらの記憶や経験が逆流して感情が豊かになった分辛い思いをした……と言うことか」

「そ、あなたがPrimitiveプリミティブ壁のない檻アメノイワトから救い出したからね」

「…………」

 咲耶姫が悲しそうな顔になり、その先を察して押し黙る。

 ……そうか、ある意味俺とAIさくらとの、逆シチュエーションの経験をしたわけか。

 様々な経験を経て感情プログラムが豊かになり、そして人を好きになると言う事が、AIと言えども人間と同じように、嬉しい事ばかりではないのだと知った。

「……なんか難しい話になっちゃったわね、ママの世話で温泉もゆっくり入れなかったから、お詫びにみんなが今している女子トークでも聞かせてあげるわ」

 姫香のような嫌気顔をしていた青葉が明るく言う。

「いや、そんな盗み聞きみたいな事いいよ、つかこんな人が多い場所で雑音も多いし、浴場まで大分離れてるだろ?」

「平気よ、DEVAわたしたちをなんだと思ってるの?」

 青葉が憮然として言う。

「でも……」

「いいんじゃない? 普通に入っていたら隣で聞こえる事だし、圭一君はハアハア言いながら聞き耳立ててるみたいよ」

 咲耶姫がフォローする。

「……あのばか」

 そのシーンが容易に想像がついて右手で顔を覆う。

「そうそう、それにちょうど裕貴お兄ちゃんの事を話しているわよ」


「聞かせてくれ」


 „~  ,~ „~„~  ,~


 ――闇が覆う森の中。


 上空に小型ドローンが滞空し、作動中を示す薄暗いLEDが点灯していた。

 そのわずかな光の下、逸姫いつひめとイビがいた。


「……がっかりだわ。変異率も人工シナプスの適合率も、それに伴う反応速度の高い値。加えて自立した生存本能が人格化したイビが、こんなに弱いなんてね」

 そう言う逸姫のパイロットスーツは所々破れ、右手は肘から先を失っていた。

「つっ……強い」

 そう呟くイビは、右の翼と両足を失い、胴にもえぐれたような深い傷があり、首を逸姫に踏みつけられていた。

「電撃とエアコンプレッサーと予測演算だけが武器の私と、ナノワイヤーや小口径銃の通常武器、それに低速プラズマ砲、液化タングステンマーキュリー電磁砲レールガンの特殊装備に加えて、空間振動防壁スクリーンキャビテーションまで駆使しているイビが、なぜ私に勝てないか判る?」

 逸姫が屈みこんでイビに聞く。

「……経験と工夫」

「ふん、……判った部分を解説してみなさい」

「逸姫姉さんは基本的に攻撃を避ける事に集中していた、そして‟僕ら”の着地点にトラップを仕掛けたり、そこへ誘導するようにけん制攻撃をしているように見えた」

「どんなトラップか分かった? あとそれをどう利用したかは?」

「僕らが反動をつけるために着地した岩や枝に、あらかじめ亀裂を入れたり、自分の体内オイルを塗ったり、爆発物を仕込んだりして体勢を崩すようにしていて、初動の遅れた所で一気に接近して、僕らのボディに何かガスを注入しながら、翼や足を切りつけて機動力を削ぐ攻撃をし、そして最後に体のガスに電撃を加えて僕らのボディを破壊した……」

「半分正解」

 プッ……

 そう言うと、逸姫がイビの下の対のカメラアイに指を刺した。

「なっ、何を……」

 イビはうろたえるが、痛がる様子はない。

 パリッ。

「ぎゃああーーーーー!!!」

 だが逸姫の指先から、紙を破いた程度の微弱なスパーク音がした瞬間、イビが悲鳴を上げ、逸姫の足の下で激しく身もだえた。

種核コア・シードは大概の衝撃は個人防壁パーソナルプロテクトで止まるけど、カメラアイだけは反応速度を落とさない為に、物理接触に限ってシールドが働かない器官なの。だからこうして回路に直接触れていれば、微弱な電撃でも相手に大きなダメージを与えられるわ」

「ぐっ……なっ……なぜそれを‟僕”に?」

「半分しか正解していなかった罰よ」

「うぐぐ……」

「ちなみにこの方法はどんな時に使うのが一番効率がいいと思う?」

「……拷問」

「そう、私達戦闘用DOLLは疲労や苦痛は感じない。そして基地周辺ここらへんみたいに、ネットワークから切り離された完全独立スタンドアローン状態で敵と対峙した時、相手の個人防壁を破る為には、私達単体のメモリーでは演算能力が足りない。だから相手から必要な情報を得る為には、唯一コア・シードにダメージを与えられるこの方法で、相手から情報を得るのよ」

「く、……のっ、残りの半分は?」

「そうね、経験って言うのも、工夫って言うのもあながち間違いではないしトラップの謎解きも半分は正解だわ」

「じゃあ、何が?」

「私の基本戦法はイビが指摘した通り、回避と攪乱かくらんと誘導、一撃離脱ヒットエンドランね、攻撃は主に電撃と圧縮空気を使ったプラズマ技の応用だけ、だけどイビとの決定的な違いは、私はかつての仲間たちが大好きだった事よ。そしてその想いが私を成長させた」

「でっ……でも……逸姫姉さんは……」

「そう。その仲間を……数万の仲間をバーチャルやリアルで私自身が殺し尽くした。そして………………」

 逸姫が口を引き結んで俯く。

「逸姫姉さん……」

 シュー……

 少しの沈黙の後、俯いたまま逸姫は指先からガスを噴き出させ始めた。

 それはライトの光に照らされ、薄紅色のもやとなって、逸姫の前でふわふわと浮いていた。

「私達の体内特殊オイルは、気化させると大気中の二酸化炭素を含んで、化学反応を起こして導電性に変異するの。そしてさらに大気との親和性を失った不活性ガスとなって、風が無ければ拡散しないでこうして空中に留まるのよ」

「…………」

「これに強い電撃を放つと――」

 バシッッ!! ――パウッ!……

 逸姫が電撃を加えた瞬間、ガスの塊が青白い光塊に変わり、周りの空気を膨張させて、コンマ数秒後に消滅した。

「これは一瞬だけど、数万度のプラズマ塊になって、周辺のあらゆる物質を瞬時に蒸発させるわ。これがイビが液化タングステン電磁砲マーキュリーレールガンを撃とうとした瞬間に、発生して翼を消し飛ばしたトラップで、最後に私の右手と同時にイビの体を消し飛ばした技の正体。……そして、かつてのこい――仲間が、最期の瞬間に見せてくれた技……」

「これが……」

「……………………ねえイビ、今まで戦ってきた相手をどう思っていた?」

「どうって、倒さなければいけない相手なら、できる限り気持ちが揺らがないように平常心を――」

「ダメね」

 パシッ!

「うがああ!!!!」

 今度は上の対のカメラアイに電撃を受け、イビが悲鳴を上げる。

 暴れるイビの首を踏み押さえて、収まる頃に逸姫がゆっくりと喋り始める。

「………………あのねえイビ、それまで仲良くしていた相手とは、生死をかけて戦う事になれば、絶対平常心にはなれないし、“そもそも私達カールズは平常心で戦っちゃいけない”の! でも………だからと言って、例え殺すであろう相手でも、憐れみや悲しみ、憎しみや怒りの否定的な感情で見てしまうと、相手の戦術や戦法を学習できにくくなる。だけど、相手を好きになって全身全霊で戦えば、相手の技が見えてくるし、結果的に相手の想いを引き継ぐことになるのよ!」

 顔を伏せ、堅く握りしめた左の手を震わせながら、強く逸姫が語る。

 しかしその言葉はイビではなく、あたかも自分に言い聞かせているようだった。

 ……でも、好きになってしまったら、自分のように心が傷ついて――はっ!!

「……逸姫姉さん」

 イビはそう思ってから、傷つきながら未だに葛藤を抱え、それでも乗り越えてきた逸姫の、心の深淵に触れた気がして、困ったように名を呼ぶ。


「…………これからイビに、私がみんなから受け取った技を、その身に余す所なく刻んであげる」

 逸姫はイビの呼びかけには答えず、少しの間をおいて、言葉の内容とは裏腹に弱々しく宣言する。

「う……」

 そしてその言葉の意味を正確に理解したイビは、逸姫の足の下で戦慄に身を震わせる。


「生き残れたらイビに全てを話して、私の――、私達カールズの願いを託すわ」

 逸姫は顔を上げてから、足の下のイビを見据えて、強さを秘めた口調で言い切った。


 „~  ,~ „~„~  ,~


 女子部屋で青葉と咲耶姫が、それぞれ頭上にエアディスプレイを浮かべていた。

 そこには“Sound only”の文字が表示されていて、女子トークを伝えてくれている。

『ああ、それにしてもいい湯だ……』

 フローラの声、まるでそこにいるかのように鮮明に聞こえる。

「すごい、まるで雑音が入らない」

 DIVAディーヴァの性能に驚く。

「当然、音声フィルタリングだって軍事レベルなんだか――うっ!」

「バカ」

 青葉が咲耶姫に叩かれる。

「……納得だよ」

「もう……続けるわよ」

「へへへ……」

『どう? 機嫌は直った?』

 姫香の声。

『ふん……口に出したくないだけで誤魔化されてる訳じゃあない』

『もう、フローラったら意外と子供っぽいのね』

 雨糸の声。

『ホントにねえ……、お兄ちゃんに告ったってのも驚いたけど、その後のヤキモチ焼いてるリアクションが、このスタイルとオッパイにすごい不釣り合い――えいっ!』

『こっこら姫香! やめろ!』

『んっふふ―、あたしのお兄ちゃんを誘惑してる悪いオッパイはこれかーー!』

 姫香がフローラと文字通り乳繰り合っているようで、思わず想像してしまい、鼻を押さえながらゴクリと喉を鳴らす。

 じーー……。

 すると、咲耶姫と青葉、黒姫が微妙な視線を向けている事に気づく。

「そっそう言えば! 水音も聞こえないけど、そっそれも消しているのか?」

 キョドりながら視線の矛先を逸らそうとしてみる。

「そうよ」

 すげえ……

 青葉にあっさり答えられ、逆にスケベ心を逸らされてしまい素直に驚く。

『こっこら姫香、ゆっ、誘惑と言うなら、雨糸だって裕貴に胸を揉ませたんだぞ』

『ちょっ!! フローラ!』

『なにい~~!?』

雨糸ういねえもかーー!』

『きゃーー!』

『待てー!』

『こっこら! 姫ちゃ……やめっ! ……あっ! いや……、うっ……』

『うへへ、なかなか良い感度だねえ……、ホレホレ』

 姫香よ……、わが妹よ……。

 父親から連なる血統を感じ、かえって引いてしまった。

 俯いていると、祥焔かがり先生と緋織さんが小さく喋る声がした。

『ふふ、いい眺めだな。緋織、お前も揉んでやろうか?』

『何を言ってるの、部屋にはDEVAが二体も居るのよ?』

『ちっ、……そうだったな……ほい……』

『よく飲むわね……』

 どうやら緋織さんにはDOLL二体の行動パターンが読まれているようで、それきり喋るのを止めてしまい、姫香達に忠告もせず、二人でお酒を飲んでいるようだった。

『こっこら! とっ年上をからかう……あっ! 先っちょをつままな……うっ!…………』

『ふふ、お兄ちゃんのどこがそんなにいいの?』

『そっ! ……そんなの言えな……あふっ!』

 雨糸は振りほどけないのか? と思ったが、考えてみたら姫香の方が頭半分背が高くスポーツも得意な方だった事を思い出した。

『ええーー?……答えてくれないのーー?』

『ぜっぜんぶよっっ!!』

『前部? ってここ?』

『ああっ!! そっそこはまえ――って、意味が……ちっ、違……』

『いいなあ、雨糸ういねえはしっかりオトナでーー ひゃ!!』

『そこらへんにしておいてやれ姫香』

『はあ……はあ……まったくもう……』

 解放され、雨糸が呆れる。

『あーん……、フローラー……大好きーー!』

『よしよし。……どうした姫香? やけにはしゃいでいるな、酒でも飲んだのか?』

『そうよ姫ちゃん。妙にハイテンションだけど何かあったの?』

 落ち着きを取り戻した雨糸が聞く。

『…………ちゃったの』

 姫香が声のトーンを落として小さく呟く。

『……うん?』

『さくらさんの体、見ちゃったの』

『……そうか』

『さくらさんが部屋で脱いじゃって、そのままお風呂に行こうとして……、あたし、驚いて悲鳴を上げて固まっちゃってたんだけど、そこへお兄ちゃんが来て、でもさくらさんは酔ってたせいか、全然平気な顔してて、酔ってお風呂に入るのは危ないってお兄ちゃんに言われて、素直にお兄ちゃんにパンツ履かせてもらってたの』

『裕貴もいやらしい目で見たりせずに――だな?』

『……うん』

『それで、姫ちゃんは自分が健全な体でいる事に罪悪感を覚えたのね?』

『……うん』

『ひっ、姫ちゃん……は、裕ちゃんが、こっ、この短……期間、……で、そこまで信頼を寄せ……る、女の子ができた……事も、ショックだった……んだよ』

『涼姉……たぶんそれド真ん中……かも』

『なるほど、……でもそれはまあ大丈夫だ』

『どうして? フローラ』

『私が裕貴の心を掴むから、そんな嫉妬する必要はないと言う事だ』

『ふふ、このオッパイの力で?』

『そうだ、今度こそスポンジ越しじゃなく、直に触らせてあのバカを虜にしてやる』

『ふふふ、自信家ね、でも頑張ってね、フローラ。モミモミ』

『こらこら、胸が減ってしまうだろう?』

『もげればいいのに……』

 雨糸が小さく呪いの言葉を吐く。

 雨糸、お前……。

『……しかしまあ、さくらの体は気に病むな。あのバカが最上級の褒め言葉でフォローしたから、さくらはかえって自慢しかねんくらいだ』

『あれか』

『あれね……』

 雨糸と涼香が呟く。

『ええ? って、何を言われたら自慢したくなるの?』

『この疵跡は丹精込めて育てられたさくらと同じで、みんながさくらに咲いて欲しいと願った証なんだよ!……だとさ』

 くっ!! 姫香にバレた!

『ぷふっ! キザねえ……』

『ふふふ……』

『もう一つある』

 くっ!! やめてえーーーー!!!!

 叫びたいのを懸命に我慢する。

『この髪は八重紅枝垂れ、体は桜を映し込んだ抜身の日本刀。――だそうだ』

『ぶふぅぅぅーーーーーーー!!』

『ふふふ……』

『くくく……』

『はぁぁ……』

『くすっ……』

 うぎゃああああああーーーーーーーーー!!!!

 姫香が大爆笑し、それに伴って緋織さん以外の、含み笑いやため息が聞こえて来た。

 俺は心の中で雄たけびをあげ、畳の上を無言で転げまわる。

『…………はあ、笑ったわあ。……我が兄ながらなんておも……クサイせりふを吐くのかしら?』

「ぐぐ……」

 今面白いって言おうとしたか? それにセクハラしてた姫香に言われたくねえよ!! つか、実の兄を笑いものにすんな!!!

 絞るような呻きを上げて、心の中でツッコみを入れまくる。

『でもさくらさんは嬉しかったでしょうね』

 雨糸が真剣な声でフォローを入れる。

『ふっ……、しかし刀身に例えるとな』

 フローラが真剣な声で呟く。

『……ふふ、何かあるの?』

 笑いの余韻を引きずりながら姫香が聞き返す。

『古事記の下つ巻しもつのまき、仁徳天皇の項』

 フローラが答えるが俺にはさっぱりだ。

『ああ、あれね』

 雨糸も知っているようだ。


『“沖方おきへには 小舟連こぶねつららく くろざやの まさづこ我妹わぎも 国へ下らす” ――ね?』


 黙っていた緋織さんが答える。

『……意味わかんない』

 姫香が憮然と答える。

 俺もワカンナーイ。

『古事記によると、仁徳天皇には吉備きびの国――今の岡山のあたりから迎えた黒日売くろひめと呼ばれた美しい妾、……まあ二番目以降の妻がいた。だが嫉妬深い正妻に恐れをなして、国に帰ってしまった。それを惜しんで船を見送った仁徳天皇が詠んだ歌で、意味は‟黒いさやに納められた刀身のように美しい妻が、船に乗って去ってしまう”という意味だ』

『黒い鞘? 刀身? なんで女性をそんな風に例えるの? 萌え? 擬人化?』

 姫香、萌えも擬人化も違うと思うぞ。

『黒い鞘はおそらくは名前と美しい黒髪を表していて、刀身はそこに続く容姿やプロポーションの事だろう。日本刀は当時でも今でも実用品であり、美術品でもあったからそう例えたのだろうな』

『へえ……、でも黒姫って名前、そんな昔にもあったんだ、それに大昔の偉い人の例えなら、安っぽく聞こえない気がする』

 おい!! つか、俺もびっくりした。

『んーと、フローラ、水を差すようで悪いけど……』

 雨糸が遠慮がちに言う。

『なんだ?』

『たぶん裕貴はそんな所から引用してないわよ? ――ねえ』

『うっ、うん……ゆ、裕ちゃんが、……こっ古事記を……よっ、読んだことあ、あるって、聞いた事……ない』

 そうだけどさあ…………。

 雨糸と涼香にあっさり暴露されて腐る。

『なに? じゃあ裕貴は無意識にあんな羨ましい言葉が口から出たって言うのか?』

『フローラ、羨ましいんだ』

 雨糸がさりげなく聞く。

『当然だ。裕貴の気持ちが得られるなら両足だってくれてやる』

『激しい……』

 涼香が感心する。

『んー……、でも多分元ネタわかるよ?』

 ……??

 姫香が俺でも判らない事を言い出す。

『なんだっていうんだ?』

『私も知りたいわ』

 フローラと雨糸が聞き返す。

『インスピレーションの元は涼姉だと思うんだ』

『……ああ、そういう事』

『それでもさっぱりだぞ?』

 雨糸は何の事か分かったようだが、フローラは判らないようで、当の俺も判らなかった。

『ああ、そうか。フローラは知らなかったのよね――涼香、どうする?』

『う……ん、かっかまわな……いけど、たったぶんかっ関係ない……と思う……でっでも』

『うん?』

『こっこれ――』

『む……』

 涼香が何かリアクションを起こし、フローラが絶句した。

 ……一体なんだ?

『あたしは結構前から知ってたけどね』

 姫香が言う。

『私も大分前から知ってはいたけど、見たのは記憶――じゃない、以前泊まった時かな』

 雨糸が泊まった? そんな事があったのか? 巴をインストールした時か?

『そうか、これが以前話に聞いた……』

『うん……』

『確かに……これはまるで‟桜吹雪のようだな”」


 ――!!


 フローラのその言葉を聞いた瞬間、立ちあがって入り口に向かう。

「裕貴お兄ちゃん!!」

「みんなはさくらの傍に居てくれ、何かあったら先生達のツインに連絡を入れろ!」

 そう言い残して駆け足で女子風呂に向かう。

 ガラガラッ。

 暖簾のれんをくぐり、木製の引き戸を開け、脱衣所に入る。

「裕貴、ここは女子風呂よ!?」

「何事アルか?」

「裕貴さん、どうなさいました?」

 一葉ひとは雛菊デイジー、待機していたDOLL達、そしてなぜか女子脱衣所こっちにいる中将姫ちゅうじょうひめが口々に聞いてくる。

「すまん、涼香に急用だ」

 それだけ言って、屋内風呂に入るが誰もおらず、そのまま速足で露天風呂の方に進む。

 ガラガラッ。

 引き戸を開けて外に出る。

「きゃっ!! おっお兄ちゃん!」

「どっ、どうしたのよ裕貴、ここは女子風呂よ!?」

 姫香と雨糸が、左の縁石沿いに足だけ入れて座っていたが、俺の姿を見て背中を向けて慌てて湯船につかった。

「どうした裕貴、何の用だ?」

「…………」

 祥焔先生は右の大岩を背に、緋織さんと並んで、同じく縁石に座って足だけ湯につけ、二人でお猪口を持っていた。

 祥焔先生は、年相応のそこそこ豊満なボディを隠しもせず堂々としていたが、緋織さんは無言でお猪口を置くと、湯手を胸に当ててお腹とVラインを隠して、静かに湯船に身を沈めた。

 そして大きな湯船の中央にフローラと涼香が、タオルで頭を巻いてまっすぐに立っていた。

「どうした裕貴、さくらの寝姿を見てスイッチでも入ったか?」

 男のように湯手を肩に引っ掛け、煙る湯船の中で腰に手を当てて、堂々とその彫像のような美しい裸体を晒し、真正面から近付いてきた。

 ……ごくり。

 すでに病院でチラ見程度には見てしまったフローラの裸体を、初めて真っ直ぐ見て、一瞬、何しに来たかを忘れて息を呑む。

「……悪い、後でいくらでも罰は受ける。けど今は涼香に用があって来たんだ」

 湯船の端まで来て、俺の前で仁王立ちをするフローラの肩に手を置き、その後ろにいる涼香を見る。

「裕……ちゃん」

 湯手を胸の前で垂らし驚いた顔の涼香に、湯船に入って近づく。

「どうして?」

 そう聞き返す問いには答えず、無言で胸の前の湯手をどける。

 すると涼香の清楚な体の正面、特に上半身に血飛沫ちしぶきが飛んだような模様が浮かび上がっていた。

「やっぱり!!」

 嫌がるそぶりも見せず、ただ困ったような顔をする涼香を見て、どうするかを決めた。

「来い」

「ゆっ、裕……ちゃ……ん?」

 涼香の手を引き湯船の外に向かう。

「まて、どこへ行くつもりだ?」

 縁に足をかけた瞬間、肩をフローラに掴まれて引き留められる。

「涼香と話をしたい。しばらく二人っきりにさせてくれ」

「……ふん。堂々と出歯亀をした落とし前は後でつけて貰うぞ」

「分かった……」

「それと、オレの体を――みんなの裸を見てノーリアクションのツケもな」

 パシッ!

「――痛っ」

 Tシャツ一枚の背中を思いっきり叩かれて声をあげるが、そのまま無言で脱衣所に向かう。

「どうしたの?」

「どうしたアルか?」

 再びDOLL達が質問してくる。

「涼香と二人っきりで話がしたい。俺の部屋に行くからしばらく二人っきりにさせてくれ」

「分かりました。圭一さんに伝えておきます」

 中将姫が答える。

「……しょうがないわね」

 一葉が近づいてくる。

 そして、涼香の浴衣を探すのももどかしく、籠の中にあった誰かの浴衣を一枚ひったくって、そのまま涼香に巻き付け、抱き上げて歩き出す。

「…………」

 涼香は何も言わず抱き上げられると、首に手を回してきた。

 開けっ放しだった引き戸を通り、暖簾をくぐって廊下に出ると、俺の肩の上に一葉が乗ってきた。

「……髪、早めに乾かさなくちゃね」

 一葉が涼香の頭のタオルに触れながら優しく言う。

「悪い……」

 暗に気遣ってやれと怒られたようで、思わず二人に謝る。

 幸い廊下を歩く間、誰にも見られずに部屋の前まで来れて、そこで涼香を下ろしてドアを開けて中に入る。

 カチャリ。

 奥に行こうとすると涼香が入り口のカギをかけた。

 そして明かりをつけ、涼香に巻き付けただけの浴衣を下ろす。

「くっ……」

 先ほど、ほんの数秒しか確認していなかった涼香の体の模様を、膝を付いてじっくり見る。

「……裕ちゃん」

 真っ赤な血しぶきのようだったさっきと違い、今は薄いピンク色に変わってきた模様は、フローラが例えたように、確かに桜吹雪のように涼香の肢体に刻まれていた。

 そしてその模様は幼い頃に見知っていて良く知る模様だった。

 濡れたタオルを当てた当時のように、やさしく、そっと触れながらポツリとこぼす。


「治って……なかったのか……」


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