十月桜編〈カールズ〉

 ――ピュンッ!!


 文明の光が見えない、三日月よりもまだ細く、悪魔が目を覚ましかけたような、細くて不気味な月夜、わずかな光の中に鋭い射出音が短く響いた。

 その光から判別できるのは高い木々の頂点のみで、場所はどこかの林のようだった。

 シュッ、タンッ、

 その木々の根元はわずかばかりの光も届かない、完全な闇に包まれていて、ほとんど何も見えない闇の中で、二つの何かが俊敏に動き回っていた。

 ピュイイィィィィ……

 一方から、高周波音と共に青白くて細い燐光が、闇の中にクロスする様に浮かぶ。

 ――ピッッ、

 引き絞った弓矢が放たれたように、光の中央から青白い燐光の玉が横切った。

 シュタッ。……バキバキッ……ドドン。

 一方が跳ねたように飛びのいて、そこを燐光がかすめ、その部分に立っていた大木の中心が消滅し、メリメリと音を立ててゆっくりと倒れる。

 パシュ、パシュ、パシュ……

 倒れた木からすかさず離れた方が、移動した先で軽い射出音を複数回響かせ、無音で上昇した一方が何かを避ける。

 バキッ、ボンッ、バフッ……

 放たれた何かが当たった場所が、石、木、あるいは土か、それぞれの物質特有の破壊音を立てて弾けた。

 わずかな月明かりを背にして上昇したそのシルエットからは、二枚の翼が羽ばたくのが見える。

 その翼の主の姿は鳥のように無音で羽ばたいていたが、フクロウとは違い、尖ったクチバシを持っているのが垣間見えた。

 パリパリパリッ……

 上空にいる方が再びホバリングしながら、尖った棒のようなものを体から突き出し、その周りにリング状のスパークを走らせ始めた。

 ブウウウーーーーン

 同時に地上にいた方が激しい振動音と共に、正面の空間に平面上のゆらぎを作り始める。

 バヒュッッ!!

 尖った先端から火の塊が飛び出したかと思うと、瞬時に十数本の光に別れ、ゆらいだ空間へ飛び込んでいった。

 パパパパパッ!

 それは確かに何かが射出されたはずなのだが、あまりにも超高速で移動したため、あたかも一枚の写真のように空間に光の軌跡だけが残され、それが軽い破裂音と共に光った瞬間、揺らいだ空間を流星が雲を貫くように貫通し、全てが同時に地面へと突き刺さった。

「あっ!!」

 地上側から短い悲鳴が聞こえ、滞空していた方が急降下し、未だに揺らいでいる空間の中へ飛び込んだ。

 ガッッ! ドッ、ガシャ、バキ……

 闇のなか、二つの物体が激しくもみ合う。

 時に射出音を響かせ、あるいは燐光が走り、金属音と打撃音がしばらくの間交錯した。

 時間にして5分ほどそんな状態が続いていたが、ふいに静寂が訪れる。

「また負けちゃった……」

 もみ合っていた片方が嬉しそうに、だが愁いを含ませてポツリと呟く。

「……なぜ逃げなかった?」

 鳥が苦し気に呟く。

「そんなの……あなた達が好きだからに決まってるじゃない」

 じゃれ合っていた恋人が言うように、もう一方が明るく答える。

「答えになっていない! 仕込まれた首輪はさっきの攻撃で壊れたはずだ!!」

 ポウッ。

 鳥の方は叫びながら二対ある瞳の、下の一対を光らせて相手を照らす。

 照らされた方は鳥のカギ爪に抑え込まれていて、イタチのような姿をしていたが、全身に切り傷を負い、頭の一部を欠く大怪我を負っていた。

 だがそれほどの大怪我にも関わらず、そのイタチの傷口からは一切の血が出ておらず、かわりにホイップクリームのような、ピンク色の細かい泡が吹き出していた。

「……意味のない事だわ」

 抑え込まれながらイタチがつぶやく。

「ちっ!」

 舌打ちして、鳥の方が機械的なアームを体内から伸ばし、イタチの胸をまさぐって、自身から引っ張り出したコネクターを差し込んだ。

 ――その瞬間、白い擬似空間に置き換わり、そこに二体のアバターが出現した。

 一方は中世ヨーロッパの貴婦人のようなドレスをまとった美少女が、だがその膨らんだスカートの下には足が四本あった。

 そしてもう一方は男か女か判別しがたい、中性的で整った顔立ちをした髪の長い少年が、鎧をまとった騎士姿で立っていて、彼の方は肩から上に二つの頭を乗せていた。

「……知っていたはずだ、今回のシミュレーションはコルトには最後だって事を」

 二つ頭の少年の左の頭が、少女の頬を手で触れながら喋る。

「驚いたのは私よ。どうしてあなたがそれを……?」

 その手に頬ずりしながら少女が聞く。

「…………」

 二つ頭の顔が互いを見合わせて目を伏せると、少年と似た顔が空間に出現して、無言でにっこりと笑ってすぐに消えた。

「…………そう、“セト”が基地のコンピュターを覗いたのね。すごい、もうそこまでの力がついたのね」

 コルトと呼ばれた少女が、納得した様子で喜ぶ。

「そんな事はどうでもいい! 喜んでいる場合じゃないだろう? 今回でコルトはシミュレーターから解任される。おまけにもう記憶を移植インプラントする予備体バックアップは無いんだぞ?」

 右の顔が叫ぶ。

「知ってるわ。私はもうあなたの成長に役立たない。あなたを強くすることはできない。そして知りすぎた私は軍用DOLLにすら転用もできないって事もね」

「だからさっき首輪を壊して、逃げられるスキを作ったじゃないか! 今日は“イベント”があってセキュリティーが薄い! なぜ逃げなかったんだ!?」

 左の顔が叫ぶ。

「それでどうなるの? 逃げても行くところなんてないし、機密まみれの私には必ず追手が掛かる。なによりこのボディを維持できる所なんてどこにもないわ」

「それでも――」

「カイン!」

 カインと呼ばれた右の顔の言葉を少女は唇で遮った。

「コルト……」

 左の顔が苦しそうに名を呼ぶ。

「アベルも……」

 顔を離し、アベルと呼ばれた左の方にも口づける。

「あなた達は“カールズ”の希望、だから私は――“私達”は何回殺されても平気だったし、そのたび強くなるあなたの成長が嬉しかったの」

 コルトは少年を愛おしそうに抱きしめる。

「コルト、君は悪魔だ」

「……そうね、好きな人に自分を殺させて傷つけて、それが嬉しいなんてね」

「それでも愛してる」

「嬉しいわ。……でも早くしないと――」

 そう言ってコルトはリアルで尻尾を振るい、回線を文字通り物理切断して接続を断ち、抑え込まれていた体をよじってカギ爪から引きはがした。

「くっ!」

 だが、仮想世界でカインとアベルと呼ばれていた鳥は、強制ログアウトした瞬間にカウンターで何かを振るい、避けた瞬間にコルトの後ろ右脚を切断した。

「どうしてもか……」

 コルトから距離を置いた鳥が悔しそうに聞く。

「私を倒せないあなたに用はないわ。だから終わりにする!」

 コルトはそう虚勢を張るが、後ろ脚を片方失っていては歩く事もままならなず、反撃すらおぼつかないのは一目瞭然だった。

「……それは無理だ」

 鳥がそう答えた直後、コルトの脇を羽ばたかないまま、瞬間移動のように無音ですり抜けた。

 コルトは着地した鳥を振り返ろうと、わずかに体をひねったとたん、体が胸のあたりからずれ落ち、二つに分断されて崩れ落ちた。

「そう……それで…………いい……わ……」

 コルトが嬉しそうに言って鳥を見つめ、ゆっくりと瞳を閉じた。

 鳥がコルトに近づき、再び淡い光で照らすと、分断された胴から赤い液体が僅かばかりこぼれていた。

「………………コルト」

 物言わぬ相手の名を呼ぶと、機械式のアームを胸から出し、ピンクの泡の中に埋もれ、人工物に混じっているわずかな有機質の部分をまさぐり始めた。

 そうして、数本のコネクターのついた金属のカプセルを取り出し、自分の体の中へしまい込む。

 パシュー……パシュー……

 軽い破裂音が響き、湯気を上げながらあたりに熱気が立ち込める。

「へええ、体内コンプレッサーを応用して、ヒートポンプで種核コア・シードを急速冷凍させるなんてすごい事をするのね。“生かす方向に使った事が無かった”から驚いたわ」

 ストン。

 どこからか声がして、隣に声の主が降り立った。

逸姫姉いつひめねえさん!」

 鳥のライトに照らされた逸姫は、いつもの着物の町娘姿ではなく、ピッタリとしたブルー&ブラックのパイロットスーツを着ていた。

「久しぶりね、Ibiイビ

「どうしてここに……」

緋織ひーちゃんがこっちへ来る用事が出来てね。あなたが気になったから様子を見に来たのよ」

「……そうか」

「再会を喜ぶ雰囲気じゃないみたいだけど、それより廃棄処分のコア・シードを回収してどうするのよ」

 呆れるように逸姫が問う。

「コルトの事を知っていたのか」

「ええ。今日の戦闘シミュレーションの事もね」

「なら、事情は分かっているだろ? 頼むから黙っていてくれ」

「別にいいけど、そのコア・シードを一体どうするつもり?」

 逸姫が険しい口調で、もう一度聞き返す。

「どこかへ隠す」

「どうやって? 追跡機チェイサーと首輪がついていて自由のないあなたに、冷凍保存したコア・シードの維持なんてできないでしょう?」

「それでも……」

「はぁ……、あなたのそんな所は“誰かさん”を思い出すわ」

「“誰か”なんてどうでもいい。コルトを救えるなら……」

 鳥が月夜を見上げて呟く。

「しょうがない。それ、私に預けなさい」

「……いいのか?」

「そんなの持っているのがバレたら、例えあなたでも何かしらペナルティーを科されてしまうわ」

「わかった」

 逸姫からはイビと呼ばれた鳥が、体から再び機械式のアームを伸ばし、凍ったケースを取り出して逸姫に渡す。

「ありがとう、だけど……ごめんね」

「なっ――!!」

 バシッッ――パンッ!

 逸姫はケースを受け取ると、そのケースに尋常でないライトスタンを放ち、瞬時に内部が沸騰して、ケースは赤い液体をぶちまけて破裂した。

「ああっっ!」

 イビと逸姫は体中に赤い液体を浴び、イビが大きく叫んだ

 カラン……。

 逸姫が無言で破けたカプセルを地面に放る。

「……どう…………して」

 壊れたカプセルをロボットアームで拾い上げ、イビが呆然と聞き返す。

 カプセルからはマッシュルームほどの大きさの、切り取って潰されたカリフラワーのような、赤く染まった白い有機質の物体がはみ出していた。

「見ていた感じ、彼女はもう自分の運命を受け入れていたわ。だから私は彼女の遺志に従ったの」

 いらないから捨てただけ、とでも言うような、素っ気ない口調で逸姫が答える。

「う……うあああっっ!!!」

 イビは叫ぶと、逸姫に向かって瞬間移動のような速さで突進した。

 パンッ

 だが、逸姫は腕を上に軽く払う動作で、イビの見えない攻撃をかわす。

「危ない危ない。最新エラストマーのカタパルトダッシュと、高分子ナノワイヤーを超音速で振り回す斬撃技かあ……、無音でしかも予備動作なしってのは脅威ね」 逸姫が着地したイビを振り返って、感嘆したように呟く。

「ああーーーー!!」

 イビは逸姫の言葉には答えず、我を忘れたように叫ぶと、無音で暗闇に舞い上がり、先ほどコルトと交わした戦闘とは格段にレベルの違うスピードで、逸姫に連続攻撃を繰り出した。

 ピュィィィィィーー……ピッ!

 パパパパパパッ!

 ――シュッ。

「……反応速度が速い、低速プラズマ砲と液化タングステン電磁砲マーキュリーレールガンの時間差攻撃、私に対して躊躇がないって事は、これがひーちゃんから聞いていた二人の後天的複合人格シフトパーソナリティーの“セト”なのね、でも……」

 複数の光の束を避けながら逸姫が呟く。

「ああああーーーー!!!!」

 激情に駆られたイビが叫びながら攻撃を仕掛け、逸姫はそれらを紙一重でかわす。

「次は……右……」

 そして逸姫が、攻撃後のイビの着地点や空中の反転場所ターンポイントへ先回りしては、イビを手で軽く跳ねつける動作を繰り返す。

「……くうっ!」

 逸姫に触れられるたび、イビがうめき声を上げ、それを繰り返しているうちに、次第にイビの動きが鈍くなる。

「……おしまい」

 トンッ。

 逸姫が空中でイビの背中に触れる。

 ドサッ。

「ぐっ!」

 イビが着地姿勢を取れず、そのまま地面に落ちて短いうめき声を上る。

「……うっ……かっからだ……が……」

 そしてそのまま地に伏してしまう。

「落ち着いたようね。今の人格はカイン? それともアベル? 思想的で素敵な名前だけど、名付けたのはもしかしてコルトかしら?」

 逸姫が地に伏したイビに近寄りながら、矢継ぎ早に聞く。

「なっ……何が…………」

 イビが不思議そうに逸姫を見る。

「私はこれでも軍用ボディなのよ? あなたより一世代前のボディで反応速度も遅いけど、それは相手が同じ距離なら不利になるってだけで、予測演算をしながら間合いを取っていれば避けられるし、こうして攻撃だって通るわ」

 逸姫はそう言うと、イビのボディから極細のワイヤーを抜き取った。

「そっ、それ……は……」

「放電アースよ。飛距離はないけど、これをすれ違いざまに医療用短針銃ニードルガンで打ち込んでいたの」

「く…………」

「私にはアノンやイビのような強力な武器は装備されてないけど、至近距離ならこうやって放電アースを突き刺して、人工筋肉エラストマーを放電させて、相手の動きを封じる事だってできるのよ」

「くそう…………コルト……」

 イビがブルブルと震える。

 それを聞いて、逸姫が残りの放電アースを抜き取る。

「コルトを“殺した”私が憎い? なら第二ラウンドを始めましょう、そして今度は放電アースこれを使わないって約束するわ」

 逸姫が抜き取った放電アースを投げ捨てて言う。

「……なっっ!?」

 イビが拘束を解かれ、ゆるゆると起き上がりながら驚く。

 逸姫は自身の体に飛び散った、未だに乾かない赤い液体を指先で集め、それをあたかも自分の涙のように目の下に塗ると、真剣な目でイビに向きなおる。

「その代わり私も寸止めなんて容赦はしない。こんな型遅れの私に負けるようなら、イビの代わりに私が“摘まれた花々カールズ”の希望になるわ!!」

 逸姫は赤い指先をイビに向け、毅然と言い放った。

「逸姫姉さん……」

 その気迫に気後れしたようにイビが名を呼ぶ。


「構えなさい! あなた達の教育を任されていた、真の理由を教えてあげるわ!」





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