第327話 真の決着

 ガルバの商隊は三十人、荷車も含めて馬車八台と言う大商隊だった。これなら一人二人増えたところで大差あるまいと思われた。バアルやデウカリオといった毛色の違った人間が紛れ込んだとしても、新たに雇った護衛の傭兵に見えるに違いない。

「大河を使って畿内へと渡る方法も考えましたが、その道は警戒が厳しいでしょう。万が一と言うことを考えると避けたほうが賢明かと思われます。一旦河北へと山を抜け、そこから南下し畿内へ向かいましょう」

 組織とやらの正体はさっぱり掴めていないが、それが王権に対抗する勢力である以上、てっきり王の勢力圏から、つまり畿内から少しでも離れると思っていたバアルには意外な言葉だった。

 つまりガルバの言葉を額面通りに受け止めるならば、組織とやらは東北なり、坂東なり、北辺なり、関西なりの周辺地域を活動地域としているわけでは無いという事か。

「畿内へ向かうのか・・・」

 王の本拠地へ向かうということに流石のデウカリオも少し不安なようである。

 無理も無い。デウカリオやバアルは今やお尋ね者である。周囲全てが敵という場所にのこのこ足を踏み入れるのは、普通に考えると正気の沙汰じゃない。

「それで畿内のどこに向かうというのだ?」

 バアルの問いにガルバは悠然と恐ろしい言葉を言い放った。

「東京龍緑府、王都ですよ」

「王都に!?」

 さすがのバアルもその言葉には驚かざるを得なかった。王都は王師こそ中に入れないとは聞いているものの、羽林、金吾、武衛の兵が目を光らせている。官吏だって大勢いる。その全てが王の耳目といっていい。そこは敵の総本山なのだ。

 王師という軍隊としては王都内に入れないが、王師も官吏としてならば王都に入ることが出来る。戦場でバアルの顔を見た者だっていないとは限らない。

「王都はさすがに拙いのではないか? 郊外とか少し離れた田舎のほうが人の目に付きにくい」

 バアルのその提案をガルバは首を振って拒否して見せた。

「おふた方とも戦場での進退こそは応変自在ですが、こういった工作は不得手とお見受けする。田舎のほうが目に付きます。何故なら田舎にはめったに人が来ぬもの、そこに新しい人間が来たとなれば噂になります。詮索好きの者も多い。たちまちのうちに近隣一帯の村にまで噂は広がります。ですが都市は人の入れ代わりが激しく、隣人すら知らないのが当たり前の世界なのです。木を隠すには森の中と申すように人を隠すならば、人ごみの中に隠したほうが分かりにくい」

「それはそうかもしれないが・・・」

「お二方とも畿内の出身ではありませんから、王都の内に知人もいません。却って安心といったものですよ」

 今と違って写真の無いこの時代、絵画技術も低く、手配しても似ても似つかぬ似顔絵が張り出されるくらいである。知り合いに出会わなければ正体がばれることはまずありえない。

「しかし関西の官吏もセルウィリア様に伴って数多く東京龍緑府に来ている。彼らならば私の顔を知っている」

 王都には知り合いがいるとバアルは主張するが、いるのと出会うのとでは意味合いが違いますとガルバは取り合おうとしない。

「我々が住まう場所は王都内といっても商業地区、それも下層民相手の商業地区です。官吏など訪れやしませんし、来たとしても下っ端の小役人。とても関西でもバルカ様にお目にかかれるような立場ではございますまい。大丈夫ですよ。それに王都の官吏連中だってまさかお尋ね者がよりによって王都にいるとは思わないでしょう」

 稀代の名将であるバアルとデウカリオを狼狽させたことに、ガルバは愉快なのか大きく笑い声を上げた。


 その頃、芳野の武装解除は順調に行われていた。

 ディスケスたちが武装解除を行い、王に降伏する代わりに、王が将士の命の保障を行うことで最終決着が図られた。

 完全に勝利したのは朝廷である。条件を飲むなどあってはならぬこと、これではどちらが負けたのだか分からない、屈辱でしかないと反対する声も多かったが、まだ上州から王師の援軍が来ていない以上、もし芳野諸侯やカヒの兵やオーギューガの兵が一斉に蜂起したら、ガニメデたちの兵力では抑えきれないことを考えたら仕方が無いと判断した。もう互いに争う名目が無くなったのに戦いを続けるのは愚行である。

 それに有斗としてはこの後味の悪い戦役を一刻も早く終わらしてしまいたかったのだ。

 武装解除した軍勢は小分けに分けて王師の監視の下、越に、あるいは七郷へと帰ることになる。

 その第一陣に選ばれた人員と解除した武器などをたずさえて、芳野側の代表者とその一団がガニメデの陣営に訪れていた。

 ガニメデが内心再会を期待していた顔は、残念ながらその中に見られなかった。

 芳野側の代表者は白髪の品のいい老将軍であった。

「それがしはディスケスと申す。この度は部下の助命を受け入れてくださり感謝の言葉もござらぬ」

 その名に少しばかりその場もざわめく。ガニメデも少し身じろぎした。

 ディスケスと言えばオーギューガの双璧、テイレシアの左手、守りのディスケスと言われる名将である。

 その一端はここに現れたその衣装からも窺える。刀こそ腰に下げていたものの、鎧ではなく平服で訪れていたのだ。

 あれ? 武装解除は? とここで思った人もいるかもしれない。

 だが武装解除といっても予備の武器や槍、弓、矢などだけで、刀剣や鎧と言ったものまでは取り上げなかった。

 そこは武人としての最低限の体面を整えられなければ恥であろうといった思いやりである。また戦国の世に丸腰で世間に放り出すのは現実問題として危険であると言ったことも理由になるかもしれない。

 だが朝廷としてはそれで十分良かった。身を守るには刀一本あればいいが、戦争するともなればそうはいかないのである。

「私は王師第十軍を預かるガニメデと申します。高名なディスケス殿にお会いできて光栄に存じます」

「将軍こそ王に従い数々の大戦での見事な指揮振り、都では童にも知られているというではありませんか。地方の片隅で小さな戦を繰り返してきただけの田舎武者の私などとは格が違う」

「私はただ陛下の後ろについて戦ってきただけ、功などありませぬ」

「ご謙遜を」

 会談は和やかな雰囲気で進められていたが、ガニメデの次の一言で空気は変わる。

「ところでカヒのデウカリオ殿やバルカ殿はどこにおられますか?」

 一見、その問いにもディスケスは何でもないかのように答えを返したが、問われた一瞬、戸惑った表情を見せたことをガニメデは見逃さなかった。

「数日前までは館にいたのですが、いつのまにやら姿を消してしまいましてな・・・どうやら部下を見捨てて逃亡したようですな。情けないことです」

 そしてその深刻な言葉とは裏腹に、どこか軽躁けいそうなその口調にガニメデはディスケスの中に演技の色を見た。

 逃がしたなとは思うが証拠が無い以上、ディスケスを責めたてる訳にもいかなかった。それに今更問い詰めようが、じたばたしようが、状況が変化するわけでもない。あれほどの二人だ。追っ手を放っても靴跡さえ見つからないに違いない。

 だからガニメデも無難に社交辞令を返すことにした。ともかくも芳野にいる軍団は解体できるのだから、ここで相手を責め立ててヘソを曲げられでもし、和議が破綻でもしたら台無しである。

「特にバルカ殿には少々因縁がありましてな、是非再び会えることを楽しみにしていたのですが・・・実に残念です」

 その残念と言う言葉に社交辞令以上の感情が籠もっているように感じられ、ディスケスは思わず驚いてガニメデを見た。

 そして当のガニメデ本人も、己の口から出た言葉に思わぬ感情が紛れ込んでいることに心底驚いていた。


 その頃、ガルバの商隊は河北国境の山々を抜け、河北へと足を踏み入れていた。

 場を和まそうとガルバは、

「こうして楽に河北へとやってこられたのも、以前にデウカリオ様が道を整備していただいたおかげです。実にありがたいことですなぁ」と言ったが、デウカリオからは苦虫を噛み潰したような表情をされた。

 それはそうだろう。その道は河北を攻略するために苦労して作った軍用道路で、芳野からこのように情けなく落ち延びるために作った道ではないのだから、作った当人にとっては屈辱以外の何ものでもない。

 そうやって年月で道がその目的を違えたように、河北も姿を変えつつあった。

 かつて流賊で溢れ返った蛮地とまで称された化外けがいの地、河北も朝廷の支配下に組み込まれて、はや幾年いくとせ。往来からは賊は姿を消し、流民となって彷徨さまよっていた元の住人たちも戻り、少しずつかつての姿を取り戻しつつある。

 それを見るとバアルの胸中にも複雑な思いが浮かぶ。

 これを行った王には感嘆せざるを得ない。王は逆らう諸侯を叩き潰し、関西を侵略したことも事実だが、民の為にこれだけのことを成し遂げている。

 戦国が始まってからこのかた、これほど民にとって益をもたらした王は他にはいないであろう。

 だとしたらその王の政権を転覆しようとする我らの行為は許されることなのだろうか。

 だが、とバアルは慌てて頭を振って、その考えを追い払う。

「王は私にとって天を共に抱かざる敵、セルウィリア様を助け出すまで戦わなければならぬ」

 そう誰に言うのでもなく呟くと、

「戦えるとよいがな」と、どこからともなく冷たい声で返答が帰ってくる。

 そして声と共に突如、目の前に白刃が現れ、バアルの首を目掛けて飛んできた。

 バアルは素早く刀を抜き打ちして、その刃を刀身で受け止める。止めた刃の切っ先は首から僅か三寸余(十センチ)ほどの距離しかなかった。

「相変わらず大した腕だよ、あんたは!」

 短刀を持つのは見覚えのある影、いつぞやの女暗殺者だった。

「相変わらず神出鬼没だな、おまえは」

 バアルはそう言って女の短刀を押して弾き飛ばすと、空中で手を持ち替え、女に向かって斬り込んだ。

 細身の刀身は空中で唸り声を上げ風を切るが、女暗殺者は素早く後方へ飛んで避けた。

「そろそろ観念して私に首を取られるがいいさ! どうせこのままでは先の当ての無い人生なんだろう!?」

 そう言うと、女暗殺者はぐっと地面に身を沈め、右に左にゆらゆらと微妙に曲がった機動を描いて高速で近づいてくる。

「ふざけるな! 私は死ねぬ! こんなところでは死ねぬ!!」

 敵に合わせては駄目だ。自分の間合いで戦わねば、とバアルも歩幅も大きく踏み出して接近した。

 女暗殺者は一瞬バアルの右に回り込もうとする動きを見せバアルの目を惹きつけると、歩様を変えて左へと円運動を描きながら斬りかかった。

 目が付いていけるはずの無い体捌たいさばきに、敵の目から一瞬刃を隠すことになる必中の技、そして必殺の間合い、女暗殺者はこんどこそ仕留める自信があった。

 だがその刃はバアルの体に届かない。上段の構えから手首を捻り交差させ、刃を斜めにしてその攻撃を受けきった。

 こんどこそと自信があったにもかかわらず防がれたことに、憎憎しげに女暗殺者はバアルに向かって毒づいた。

「生きてどうする!? 関西の復興とかいうご大層なお題目のためか!? 残念だったねぇ、お前の大事な王女様とやらは宮廷の奥でぬくぬくと満足して暮らしているぞ?」

 それはバアルがもっとも聴きたくない言葉。そして内心そうではないかと恐れている言葉。だから心を奮い立たせて、女に向かって剣を握る。それもある、だが王に膝を屈しない理由はそれ以外もあるのだ、と。

「私は王と・・・! 王と戦場で決着をつけねばならないのだ!」

「もう十分すぎるほど戦ったじゃないか、あれでは不満かい?」

 それに決着は付いたも同然ではないか、と女暗殺者は笑う。王はアメイジア全てを手に入れ、バアルは全てを失った。所属する国家も、高い地位も、大勢の部下も、そして愛する女も。

 だがバアルはそんな彼女にどうにもならない憤りをぶつけるように訴えた。彼女にぶつけても何一つ解決することは無いと分かっていても、ぶつけずにはいられなかったのだ。

「不満に決まっている! 私が戦ったのは局地戦。所詮、それは戦場の景色の一つに過ぎない。私は戦国を彩る大戦で、思うがままに戦場を駆けたいのだ!! 正々堂々と王に挑んで、勝ち負けをつけたいのだ!! それでこそ真の決着と言えるはずなのだ!!」

 女はそこに武将としてのバアルの意地を見た、男としてのバアルの意地を見た。

 その夏の嵐のような強烈な意思に心を打たれ、一瞬攻撃を忘れたほどだった。二人の元に会話も動きも無い不思議な時間が訪れていた。

「バルカ殿!!!」

 二人を動かしたのはバアルを呼ぶ声。隊列を離れたバアルがいつまで経っても戻ってこないことに心配になったガルバたちが探しに来た声だった。

「・・・また邪魔が入ったね」

 三度仕留めそこなったのだ、敏腕の暗殺者としてみたらこのことは恥辱のはず。だが女の顔には屈辱は見られず、なぜか満足の色が現れていた。

「ハハッ・・・馬鹿馬鹿しい。だが面白い、面白いね。面白いよ、あんたは。ならば邪魔も入ったことだし、しばらくはその命、預けおく」

 女はそう言うと、現れた時と同様に唐突に森の中へと姿を消した。


「今のはいったい・・・?」

 女が消えた方向を見ながら用心しつつガルバが近づいてくる。警戒のためか何人かの使用人を連れて、だ。もっともあの女暗殺者の前では、なまじの人間など何人いようが歯が立たないであろうが。

「どういうわけか以前から私を付け狙う刺客だ」

 バアルは女の気配が完全に消えたことを確認してようやく刀を鞘に戻す。

「・・・バルカ様を・・・? 王かその周辺にいる人物の差し金で・・・?」

「確証は無いが、おそらくは・・・」

 あの女は王の命令でなく己の意思でバアルに襲い掛かっていると以前語ったことがあるが、育ちが良く、主の命令や公の目的のためならともかくも、ただ殺すことだけを目的にするような人種がいるということを信じられないバアルには虚言にしか聞こえなかった。

 まだ王の命令であることを隠すために嘘をついていると考えるほうが納得できる。

「だとすると我らの存在と居場所とを知られたと言うことになりますな」

 一瞬、全てが露呈したかとガルバは大いに内心焦った。

 だがすぐにガルバは思い直す。刺客はバアルを狙い襲い掛かってきた。つまりバアル以外に注意は向いてはいない。ならばガルバのことはバアルの芳野脱出を手伝う一商人くらいにしか見ていないに違いない。

 まだガルバの真の姿を見られたわけではないはずだ。ならばまだ慌てるほどの事態ではない。

「王都に直ぐに入るのは危険と言うことになりますな。なんとかその者の追跡を振り切らねば、思わぬところで捕縛されてしまいかねません」

「慶都に向かうのも危険かもな」

 いつの間にやら来ていたデウカリオがぽつりとそう呟くように言った。いくらバアルやデウカリオが強いと言っても、この人数では地方都市の衛兵や官吏で十分取り押さえられる。

「一旦、北側へ迂回して追跡を振り切りましょう。相手も隠れるところの無い平原では追跡も困難でしょうし」

 ガルバのその提案にバアルもデウカリオも大きく頷くことで賛意を示した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る