夜への扉

 太陽が沈もうかとしているその時、どこからともなくにゃあ、というかすかな鳴き声を私の耳がとらえる。

 咄嗟に周囲を見渡すと、路地の陰で誰かが子猫を抱き上げていた。


 暗がりの中で、子猫の瞳だけが眩しくぎらついている。


 そして、その子猫を抱き上げた誰か――目をよく凝らして見れば、私と同い年くらいの男の子だ――は、あろうことかその手を離してしまった。

 子猫はどうにか体勢を整えて着地したが、男の子はそのままその場を立ち去ろうとした。


「ちょっと!」


 思わず、私は声を荒げた。男の子は驚いた様子でこちらを振り返る。


「何してるの!」


 男の子の方へ大股で詰め寄る。彼は平然と言い放った。


「何って、飼い猫を捨ててるんだよ」

「捨てるって……まだ小さいじゃない。飼い主なら、最期まで責任を持って面倒をみるべきじゃないの?」


 男の子は意外にも「まあ、確かにそうだね」と素直に頷く。そして屈みこんで子猫を抱き上げた。


 私がほっとした次の瞬間、信じ難いことが起こった。


 彼は子猫を思い切り地面に向かって叩きつけたのだ。

 冷たいコンクリートに打ちつけられたその瞬間、想像したよりもずっと硬い音がした。

 子猫はそのぎらつく眼で、永い夜への扉が開いていくのを見つめたまま、動かなくなった。


 ばさりと、何かが落ちた音が聞こえた。無人コンビニで買い物したビニール袋を落としたのだと気づくまでに、少し時間がかかった。


「……酷い! どうしてこんなことするの!?」

「どうしてって……。逆に聞くけど、どうしてコイツを殺しちゃダメなの?」

「かわいそうじゃない! この子がどれだけ苦しかったことか……!」


 ふうん、とだけ男の子は言った。夕闇の中、彼の表情ははっきりとはわからない。けれど、その声色はとても落ち着いていた。そして、少しからかうように言う。


「コイツが痛い思いをするからダメなの? じゃあ、もし僕が何らかの理由で痛覚を失ったら、僕を殺してもいいの? そうだ、麻酔っていう手があるね」

「それは……、そんなの、暴論だよ」


 かろうじて私はそれだけを言えた。彼はかすかに笑ったように見える。


「そのくらいわかってて言ってるよ」


 彼がそう言ったその瞬間、バチッという音がして火花が飛び散った。

 その火花に照らされて、子猫の首からむき出しになっていたコードが、はっきりと見えた。




 この子猫が最近急速に普及し始めた精巧なペットロボットだったということがわかっても、決して私は安堵したりはしなかった――――と言えば、嘘になる。

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何でもない短編集 鹿江路傍 @kanoe_robo

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