第503話出発前のミルカさんの異変ですか?
「・・・ねむ」
重い頭を起こす為に、ゆっくりと体を起こしてぼーっと体の状態を確かめる。
体が重い。寝起きはいつもこうだけど、今日は普段よりちょっと調子が悪いかな。
頭の天辺から足の先まで全ての筋肉を、臓器の動きすらも意識して動かし血液と酸素を回す。
「・・・ちょっと、目が、覚めて、来た」
相変わらず難儀な体だ。意識して動かさないとまともに動いてくれない。
だからこそ私はこの高みまで来れたのだから、文句ばかりは言えないけど。
やろうと思えば無理矢理一番調子のいい状態に持っていけるけど、今それをするのは少し怖い。
「おはよう、ミルカ。朝食は食べられそうかい?」
「・・・おあよ、ハウ」
私が起きた事に気が付いて、様子を見に来てくれた夫に返事をする。
ベッドから降りようとすると、夫は私を支えに近づいて来た。
ちょっと、心配し過ぎだ。普通に立つぐらいは出来る。
「ハウ、大丈夫。そこまで心配されても、困る」
「けど君が吐く所なんて見たら、やっぱり心配だよ」
先日、私は夫の目の前で吐いてしまった。
前々から兆候はあったけど、この間ついに耐えられない物が来た。
あれは辛い。我慢しようとして出来るものじゃ無い。
「大丈夫、平気」
平気と言いつつも夫の手を取って覚めない頭で答えるが、夫は不満そうだ。
私が食事の大半を吐いた事が、どうにも頭から離れないのだろう。
何時もの愛おしい緩い笑顔が見られない。
私の体を心配してくれるハウの唇に軽く触れれる様に口づけをして、感謝の気持ちを見せる。
笑顔を見せているつもりだけど、まだ眠いのでただ眠そうな顔かもしれない。
「心配させて、ごめん。けど、ちゃんと守るから」
私の体は普通とは違うから、おそらく普通に生きていたらとても大変だっただろう。
けど私はそんな自分の体をどうにかする術がある。確かにここに在る者を守る術がある。
だから、何が在ろうと守り抜いて見せる。
「だから、大丈夫」
絶対に守るとの想いを込めて夫に伝えるが、夫は不満そうな顔で返してきた。
珍しく怒っている様に見える。
「僕が今心配しているのは君自身だ」
そう口にすると、私の腰を引き寄せて抱きしめて来た。
少し驚いたけど、その温かい言葉に嬉しくなって夫の背中に手を回す。
「うん、ごめん。気を付ける」
「そうして欲しい。ほんとは今日だって行かせたくない」
「ごめん。でも、行かなきゃ。私がまだ、まともに動けるうちに」
「・・・少し、嫉妬するよ。君の弟子に」
怒っている様な、悲しい様な、複雑な表情を向ける夫が可愛くて彼の頭を抱きしめる。
セルねえやリンねえみたいに胸は無いので、包容力が無いのが悔やまれる。
何で私、こんなに平らなんだろう。
「大丈夫。これが終わったら、暫くは大人しくするから。普段の様な鍛錬ももうしない」
「約束だよ」
「うん、約束」
流石の私も、ここに至っていつもの鍛錬をやり続ける程図太くはない。
タロウに教える事を教えたら、私は一線から外れる。
ワグナはまだ少し頼りない所は有るけど、それでも彼ならきっと私の代わりをやってくれる。
きっと、私が居なくても大丈夫だ。
「それで、朝食は取れそう?」
「スープぐらいなら」
「そっか。無理にとは言わないけど、食べられそうな時はちゃんと食べてね」
「うん」
普段の私の無頓着を知っている夫は、出先で何も食べずに倒れているのを想像してるんだろう。
そうならない様に、イナイに事情は話している。
向こうではイナイに面倒を見て貰うつもりだ。
勿論、私の体の事はタロウには伝えない様に言っている。言ったらあの子は躊躇する。
タロウの性格を考えれば、私に本気で打ち込む事なんてきっと出来なくなる。
「でも、ハウ、朝から元気なのは良いけど、今日は相手出来ない」
こんな薄い胸なのに夫は物好きだ。私の胸の柔らかさは脂肪じゃなくて筋肉なのに。
朝から元気なのは良い事だけど、今の私は時間的にも体調的にも相手をしてあげられない。
「あ、いやっこれは、ミルカがそんな格好で胸に顔を押しつけたりするから」
夫はわたわたともがいて私から離れ、用意しておいてくれたらしい服を渡してくる。
今の私はほぼ半裸だ。下の下着以外何もつけていない。
けどこの貧相な体でそうなる人は、そうそう居ないと思う。
「ん、ありがとう」
「着替えたらこっちに来てね。スープ用意するから」
「うん」
着替えを受け取って、仕事の私の目を覚ませる。
ミルカ・グラネスを一度止めて、闘士ミルカ・ドアズ・グラネスに切り替える。
うん、目が覚めた。体も動く。吐き気は・・・どうしようもないか。何とか我慢しよう。
タロウの目の前では吐かない様に対策をしておこう。イナイに頼めば多分大丈夫。
向こうにはまだアロにいも居るし、何かしら薬くれるかもしれないし。
着替えを終わらせて夫の用意してくれた食事をとり、出る準備も済ませる。
と言っても、用意はほぼ全部夫がしてくれていた。私がやる事は殆どない。
「気を、つけてね」
「うん。大丈夫」
「本当はやっぱり行って欲しくないけど、でも、それが君だからね」
「・・・ありがとう、ハウ。愛してる」
私のどうしようもない我儘を聞いてくれる夫に、その愛おしさを示す様に深く口づけをする。
この人は私の在り方を認めてくれる。許してくれる。
本当なら、私の我儘は許される様な物じゃない。止めている夫の方が絶対的に正しい。
それでもこの人は、自分の意志を伝えつつも私を見送ってくれる。
「帰ったら、何か家で出来る事見つけないと、ね」
「そうだね。ミルカは武術以外には興味がないから、そうしないと退屈だね」
唇を離して未来の事を語る私に、夫は優しい笑みで応えてくれた。
言われた通り、何か見つけないと私はずっと寝てる気がする。
・・・それはそれで幸せな気もしてきた。
「じゃあ、行って来る」
「うん、いってらっしゃい、二人とも」
夫に、私とこの子を見送ってくれる夫に軽く手を振って、歩を進める。
ごめん、我儘な親で。生まれる前から無茶させる様な親でごめん。
でも、もう少しだけ、もう少しだけ待って。そしたら後は、あなたの為に生きるから。
ちゃんとあなたの事は守るから。絶対に守るから。
だから、まだもう少しだけ、強いお母さんでいさせて下さい。
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