第二章 佐伯怜香   (七十二)

―空豆が・・、泣いている。あの夢と一緒だ・・ー


―でも、大丈夫、ちゃんと理恵さんに頼んでいるから・・大丈夫。大丈夫だからね、孝ちゃん。孝ちゃん、やっと私のことヤヤちゃんって呼んでくれるんだ・・―

直美は嬉しくなって微笑んだ。


だが不思議なことに包帯でぐるぐる巻きになった自分の顔には、幾つものチューブが口から鼻から通されていて笑えない。

笑ったように見えない。

それに、なぜ?自分の姿が真下に見えるのかも直美には理解出来ない。

目を瞑り、ピクリとも動かない自分の側に涙でグチャグチャの孝一と大女将の姿も真下に見える。


「僕のせいだ。僕が、しっかりした一楽の跡取りじゃ無いからヤヤちゃんがこんなことになったんだ」

「いいえ、孝一のせいじゃないわ、私のせいよ。人を見る目の無かった私のせい。だから直美さんがこんなことになったのよ。全部お母さんのせいよ」

そう言って大女将の美也は目尻の涙を指でそっと拭いている。


―大女将のせいじゃないです。みんな、あの女のせいです。―

だがどんなに大きな声でそう叫んでも、どういうわけか直美の声は大女将には聞こえないようだ。

仕方がない…。

あきらめた直美は孝一に向かい、

―ねぇ、孝ちゃん。違うよ、孝ちゃんのせいでも、大女将のせいでもないんだよ。ねぇ、孝ちゃんてばぁ・・―

そう叫んで孝一を振り向かせようと、直美が孝一の肩を叩くがスルリとすり抜けてしまう。


―やだ、また夢とおんなじ・・。どういうこと?―

直美は、やっとここで自分の手を見た。


―なんだか?透けてる、私の手・・―

それに直美は今、孝一と大女将の真後ろに立っているというのに、二人とも直美のことを無視したまま前をジッと見ている。


―何なの?いったい・・―

あわてた直美は二人の間から前を覗き込んでみた。

さっき上から見ていたときと同じように、白いベッドの上に寝かされた直美が、幾つものチューブをつけられ包帯だらけの顔を青白くして横たわっている。

直美はそっと近づいて、自分で自分の顔をのぞき込んだ。


青白いその姿はまるで蝋人形のように見える。

これではまるで死人のようだと直美は思った。


―これって、もしかして、幽体離脱?私の魂が身体から抜け出したってこと・・―

直美のぼやけた記憶が蘇る。

金属製の足場に直撃された自分。

頭に強い衝撃を受けて目から白い火花が散って・・、意識を失った自分。

それでも赤ん坊の朱鳥のことは離さなかったはずだ。


―そう…、あのとき、―

薄れ行く意識のなかで…、直美の両腕には、しっかりと朱鳥のあたたかなぬくもりを感じていたし、朱鳥のあの大きな黒い瞳を確かにこの目で見た。


―そう、そうよ、私はあいつらから朱鳥ちゃんを守り抜いたんだ。―

そして朱鳥が無事だと確信した途端に直美は、自分の身体が現実の世界で死にかけているのだと初めて気がついた。



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